6(修正)/過去現在
いずみの奴、おもらしだ。
皆に言ってやろうぜ、ぎゃーはっはっはっ……
消えてくれない記憶。泉は、全身に火がついたかのように熱くなり死にそうだった。いっそ死んでしまってもいいとまで思ってしまっていた。恥ずかしすぎただろう、かつて自分が体験した過去だった。
(あああああああ……)
ふらついた足で左に傾きながら移動すると、木にぶつかっていた。頭も肩も、ぶつかった痛みどころではない、頭の毛を掻き毟っていた。「えーん、えぇーん……」木にすがっている泉の背後で、座り込み身動きできない幼い方の『いずみ』は、泣きじゃくっていた。助けを呼んでいた。
……その一部始終を、上から見下ろしている者がいた。上とは、泉のいる木の上である。
「プ」
堪えてしまおうと我慢をしていたらしいが、ついに出来なくて吹き出してしまったようだ、息が漏れてその気配に泉は気がついてしまった。
泉は何気なく見上げてそして驚いていく。幹が太く安定した枝の上に立って、見下ろしている彼、男の子、少年のように見える、それだけは判るが。
「……巻き戻しましょうか?」
落ち着いた声が、地面に届いていった。泉は愕然として何の反応も示すことなく突っ立っていた。
(巻き戻……す?)
オウム鳥の真似で、言葉だけを心のなかで繰り返していた。すると『彼』は、助走も無しに軽く枝を足裏で叩いて飛び、落下した。着地も見事ながら、態勢崩れることがなく器用優雅に降り立って砂の地でお辞儀する、黙っていた泉に顔をゆっくりと上げて向けていた。黒いスーツを制服のように、下のシャツにはネクタイを締めて、スラックスを履いてはいるが足がとても馬のように細く頑丈そうだった。
「初めまして。魔界ゲーム案内人の『ヒューマ』です。お買い上げ頂きありがとうございます」
まずの自己紹介を始めていた。「は……」まだ泉は数々の衝撃から返ってきてはいない。気の抜けた声を出してしまって背筋を伸ばし数歩、下がっていた。
「案内人……ね」
次第に感覚は取り戻していっていた。「もう大分とご存知だとは思いますが」少し口元を緩ませて彼、ヒューマと名乗った相手は泉に説明をし始めていた。「ここは『ゲーム』のなかです。あなたがお買いになったソフト『リターン・トゥ・マイライフ』のね」
そうヒューマは言うが、泉は「あれ?」と違和感を感じていた。その原因はゲームのタイトルにある。「『失敗修正マイライン……』何とかじゃありませんでしたっけ……」
しかし泉の疑問はよそに、ヒューマは続けて言っていた。「この『ゲーム』は、その名の通り」手の平を広げてみせていた。「過去の失敗を修正するゲームです」何度も、これまで繰り返されてきたフレーズでもあった。
「『失敗』? 『修正』? ……あなたたちはそう言うけど、修正って一体、どうやれっていうんですか!?」
初めて聞いた時からの抱えていた疑問を聞いて、半ば胸の内がスッとした泉は息を吐く。あの怪しげな魔女っ子も、今こちらにいる案内人のヒューマとやらも、一方的な説明で疑問ばかりを作り出しているような気がしていた。
「……ふむ」
腕を組み考え始めたヒューマは、間を置いて泉に提案を持ちかけていた。
「……さっきのを例にしてみましょう」
さっきの例とは幼いいずみの失態のことだったが、それを持ち出してきた。
「子どものあなたをすんなりトイレへと向かわせれば、あなたの『過去』においての失敗のカウントにはならなかったということですね」
そうだけど、と泉は頷いた。「でも、もう……」思い出したくもないものを見せられて、思い出して恥ずかしさの消えない泉は再びに落ち込んだ。
「じゃ、『巻き戻し』ましょう」
俯いていた泉の傍で、ピ、という発信音が鳴る。「え?」それからキュルルルルルという滑る音も。
ヒューマの手にはどこから取り出したのか小型のリモコンのようなものを持っていた。もしかしたらこれで操作を、と泉は予想を立てている。「ここんとこアナログ対応なんですね。あんまり急に場面が変わると人間がついていけなくって。はははは」笑ってはいるが表情は無だった、泉は不気味だと単に思う。
「場面?」「そら、この通りに」
ヒューマが言ったと同時に、一瞬だったが視界がブレて歪んでいた。チーン、と閃いたかレンジで温め終わったかのような音がした。完了だったらしい。
「何が……」
「10分前に戻りましたよ」ヒューマは教えてくれていた。
「ご覧下さい、向こうから――ほらね」
ヒューマが指し示す方向の奥には幼稚園の園舎、そこから小さな足で急いで駆けて来る子どもがいた――いずみ、である。
さっきの『巻き戻し』、事が起きる前の光景だった。この後にいずみはガキ大将たちの復讐なんとやら、餌食となるのだろう。何とかせねばいけなかった。
「『巻き戻し』って、そーいう意味!?」
やっと現状についていけた泉だが、だからといって何をすればいいのかを叫んでいた。
「悪ガキはあっちで隠れて控えてますし、どうぞ好きなようにして下さい。自由です」
そんなことは分かっていた。「好きなようにってねえ。自由にとか修正って、一体、どーすんのよおお!」絶叫に近かった。
「――だから。『こう』するんですよ」
ヒューマの抑揚のない声に乗じて、目の奥が鋭くと光っていた。