リターン1・野崎泉の体内事情~こんな所でリバイバル~
野崎泉の後日談です。
野崎家の休日は、とても明るかった。電気が点いているからという意味ではない。
母親が活発的でというよりしぶとく元気で、いつまで経っても夢見がちなせいでもある。9月も終わりの日曜日、午後からが部活の泉は朝、起床できたのが9時半だった。
「おはよう……」
まだ少し呆けてはいたが、低めの声を何とか爽やかに出していた。「おはよう! 泉ちゃん、待ってました!」温度差の激しい相手が、リビングの隣の部屋からひょっこりと電球のように眩しく明るい顔を出していた、それが泉の母親である。
「何……」
「ちょっとこっちに来なさい」
いきなりの命令だった。ランニングシャツにパンツ、肩にタオルをかけていた。泉はといえば着替えてはおらずパジャマ姿で、頭には寝癖のついた髪、ついでに頬には昨夜に読んでいた本の跡がついてしまっていた。読みかけで本の上で寝てしまったらしい。
髪を掻きながら泉は言われた通りに部屋へと入り、そして無言になった。「……」ここで再び温度差が生まれていた。この差は、埋まりそうではない。
母親はひと月程前に買ったゲーム、『燃やせ体内脂肪オリジナル国』をプレイしていたようで、途中だった。『燃やせ体内脂肪オリジナル国』とは、性別年齢身長体重BMI(肥満度)と好きな名前や趣味などをネットオンラインで登録し冒険者になったつもりで、架空世界の場へと敵に立ち向かって奥へと進んで行って最後には国の王子を救い出すというストーリー仕立ての脂肪燃焼ダイエットゲームになっている。それは最初に決めた期日以内に痩せて体重を減らさないと進まないようになっていたのだった。
足踏みボードと特製コントローラ『ヘルスU』が同梱されていて、ボードの上にのれば体重も分かり画面のなかでプレイヤーは自由に歩くことが出来る。アバターの作成が可能で、ゲームとは別のメーカーツールで緻密に体のパーツを上手く組み合わせて頑張れば、自分そっくりの人形をつくることが可能だった。
世界観は無論、ファンタジー。王子の他に、姫や魔法使いや賢者、天使に悪魔に肩こりのおっさんが登場、乗り物には竜や鷲や麒麟や親切な悪玉吸い狼男を使い、奇跡とは起きるのが普通で気楽だ隠れて低燃費ごっこだ、労働するより金をくれとの中流階級平和主義者の雄叫びが洞窟から毎日聞こえてくるのだった、ああ全てはファン他事ーと、手が滑って文字の誤変換までも許してしまえる程の至極緩い浅い何だそれな内容になっていた。目指すは滅茶、苦茶、無茶仕様の完全オリジナルだった。
「……で? 私に用なの、何」
設置されていたテレビとゲーム機、付属のボードを眺めて泉は言っていた。欠伸をしながら、退屈そうにしていた。母親はお願いの眼差しと手を組んだポーズで、泉に頼みごとをしているようである。「泉、この世界を助けて!」窓の外から中古相談と買取を促して宣伝しているトラックの威勢のよい声が聞こえていた。『壊れた、冷蔵庫、テレビ、パソコン、夢……』僅かに黒冗談を含んでいた。
一体どの世界を助けるのよと寝呆けながら泉は、正座して母親を細目で見守っていた。
「簡単よ、このボードの上に立って体重を量ってくれたらいいだけ。それだけで世界と王子が救えるのよ」
「はぁ」
「最初に設定しておいた期日以内にダイエットを成功させないと、王子が入水しちゃってさぁ」
「はぁ……?」
「一度設定してしまうと修正がきかないし、クリア出来ないと天使が現れて『この……ドヘタレがッ!』って厳つい顔で怒られてしまうのね。天使のそんな顔を見たくないでしょ、王子ごと世界も崩壊しちゃう訳だし」
母親の説得に泉は納得がいかなかったが、とりあえず頷いておいていた。「そうだね……」意味の解らないヘルプには逆らえなかった、全然とやる気は起きてはいない。
「早くのんなさい。あんたがお母さんの代わりにボードにのってくれたらいいだけよ! あんたの方が軽いんだから。若いっていいわねー、ぷん」
そして全然と可愛くもない母親のねだりに泉は、「それってゴマカシ……」と言いかけて「次頑張るから! んもう、早くのっちゃって!」と言われ、仕方なくボードへと参上したのだった。ちゃっちゃかとゲームプレイの画面展開がムービーで進んでいき、最終、エンディングでもこれから迎えるのだろうか、美しいゲームメロディとともに庭園の場へと移動していった。
白の神殿から階段を伝って優雅に下りてくるのは王子の格好をしたキャラクタで、画面を睨んでいる泉たちへのもとへと近づいて来ていた。
そして、泉は驚く。王子の、その顔にである。
(ほ……)
口を『O』の形にして泉はフリーズしてしまっていた。
(穂摘……)
本人と間違えてしまうくらいにあまりにも、そっくりだったのである。王子のくせに焼けた素肌、長ったらしい髪の先は束ねて、愛想のよい顔で泉に親しく話しかけていた。
「やあ。久しぶりだね、よくここまで来たんだね、おめでとう。そしてありがとう……君のおかげで助かった」
優しげな瞳は、泉の心にズギュンと弾で撃ち抜いていた。途端に、周囲の気温が上昇したのかと思えばそれは違って泉の体内温度が上がったためにそうなっただけだった。
「君のおかげで」――『泉のおかげで助かった』。
言われて蘇ってきた記憶の欠片は、泉の熱を冷ませてくれていた。重なった記憶の彼方の穂摘は、リアルとは言い難いが本物だったと無理にでも思っていた。自分のした行動のおかげか、そのせいで穂摘が事故を免れたという事実ではない可能世界のなかで本当は生きたかった。
(私の方こそ……先輩に……)
もう会うことはないのだと思っていたのに、またこれは前向きな考え方ではなかったのだろうか、と疑問が浮かんでいた。
考えて冷静になってきていた泉に、ゲーム中の『彼』は愛想よすぎる笑顔を向けて言っている。
「凄いね、3日で23キロも痩せたんだよ! 次は、10キロ痩せてくれるかな?」
一気に気持ちは冷めていった。
「いや、無理だし」
どんな設定をしてたんだ実際有り得ないと思っていた。泉が返しても画面のなかの王子である彼は全く応えてはおらず、むしろ楽しんでゲームクリア後の再設定を促していた。「次に行ってみよう」目標の体脂肪燃焼値や体重、期限を設定して下さいとゲームは要求していた。温度差は広がり切っていて絶対に埋まってはくれそうに、ない。
「きゃああ王子~」
母親は興奮してゲームを再開しようとしていた。仏間に置いてある花瓶でも持ってこようか、私ではなくそれをボードにのせておいたらいいんじゃないと言い残して尻目に泉は去って行った。某大物有名漫画上では、順調に痩せていき0キロになると人が体重計の上で宙に浮くらしいが、可能世界も何処まで可能性の裾野を広げるというのか。
午後からの部活に備え、昼食後カバンにラケットと用意を終えた泉は玄関へと行きドアを開けて一歩を踏み出していた。
「行ってきます」
奥で燃焼に悶々と頑張っているのだろう母親に言ったつもりで外に出て見てみると、門の所で友達の実花が自転車を停めて泉を待っていた。穂摘が亡くなる前までは、泉と行動を共にする友達が2、3人は別にいたのだが、葬式の時に隠れて聞いてしまった『噂』のせいで今現在、泉とは疎遠になってしまっている。『冷たい』と言葉で直接に聞いてしまった泉は、友達と会いたくなくなってしまったのだった。
それを埋めるかのように。失敗修正のゲーム後、幼馴染でもあった実花が偶然に現れて、電車のなかで泣いていた泉に優しく声をかけてくれていた――言ってくれたこともあった、『泉ちゃんは、そんな冷たい子じゃないよ』と。まさに泉に大きく開いた穴を埋めてくれるかのように、存在が、強く確かなものになりつつある。
「お待たせ」
「うん。行こう」
泉も車庫から自転車を引っ張ってきて、乗ったと同時に2人は並んで学校へと向かって走っていく。
最後にゲームのなかの穂摘は言っていた、ひとりで行かなきゃいいんじゃねえの、と。簡単に言ってしまえるがそう容易くもない未来に、泉は時任せで挑むしかない。
また会えたらいいね、きっと何処かで、穂摘。
失った存在を認めながらも、生きていく。決して会えることはないと知りながらも。
泉に、前向きの戦いはまだまだ続くのである。
《リターン1/END》