18(バージョンアップ後)/過去現在
もしゲームに出会わなければ。電車は、泉を過去への旅へと発車することなどなかっただろう。乗り継ぎもせず、泉は眠っていただけだった、魔女の夢を見ながらに。そして……
その旅は、間もなく終着駅を迎えていた。
・・・
手前のカーブを曲がって傾斜を滑ってきた白の普通車は、信号通りに目視進行して、右折しようとハンドルを切っていた。対向して来るトラックの追尾をあまり確認せずに、坂道の下りを流れるようにしての交差点進入だった。トラックの陰まで注意をしていなかった。
人がいたのだ。信号ばかりに気をとられトラックが行ってしまったすぐに、人が視界に入らなかった。急いでブレーキをかけたつもりが、それは間に合わなかったのである。キキキキキ、
ドン。
銃声でもしたのかと誤解しそうな、衝撃音が辺りに響き渡っていた……
(ほづ……)
か弱い声は、泉のものだった。過去の『泉』ではなく、現在の泉の方の……ただし。
ブオオオ……
泉をはねた自動車は、何も無かったというのか、突っ切って過ぎ去って行った。飛んだのは、穂摘ではなく泉だった。『同じことをするな』と言われていた忠告を無視ではなく忘れてしまっていて穂摘の名を呼んでしまい、さらに路上へと体は飛び出していた。現在の泉の声はこの世界の誰にも聞こえるはずがないのが本当で、声の通じなかった穂摘は車にギリギリに当たらず横断歩道を渡り切って助かっていた。しかし――。
飛んだのは泉だった。右折して来たのは去ってしまってもういない自動車1台限りで、後追いはない。そして、はねられて体が飛んで落下し着地したのは有難いことに、歩道だった、他の自動車に轢かれなくて済んでいた。
(……み……)
ショックで、思考は働いてはいなかった。空が上にあったために仰向けに倒れていることは理解出来ていたのかもしれなかったが、泉の意識がそこにあるだけだった。
(し……の……)
信号が青に変わると、人や車両は動き出していた。倒れている泉を助け起こす者は当然としておらず、存在自体が認められてはおらず、泉が何を呟こうとも世界の住人には無関心で関係はなく、放っておかれたら予想される未来は恐らくひとつ、それは死、だった。
わたし……しぬの……ね。
周囲が動き出したおかげで音や光影といった情報は無防備な泉に入り、段々と自覚していった。穂摘をきっと助けることが出来て、過去の『泉』と会えたに違いないと。体が動かせず見れないがそうなったに違いないと信じて目を閉じようとして――いた。
その時だった。
「お前、何やってんの?」
空気違いな笑いを含む声が泉の頭上に降りかかってきていた。重たげなまぶたを再びに開けると、目に飛び込んできたのは人間で、信じられない人物だった。明るい声を知っている、自分を見下ろしている彼のことを知っている、疑いは晴れていった。「穂摘……!」腹の底から出た精一杯の声に、明確な反応が返ってきているのだった。
「助けてくれてありがとうな、泉」
泉の瞳に確かに映っていた、にこやかに笑う彼の顔が。さらによく話をし出していた。
「女王はさー、もっと周りをよく見た方がいいと思う。前ばっか見てさ、ほらみろよ、車にはねられてやんのって」
くっくっく、と笑いながら意地悪そうに泉を見ていた。
「何で先輩がここにいるの……おかしい」
「おかしくないさ。開発者の気まぐれ」「はぁ?」「だってこれはゲー……ま、いいじゃんか。お前の要求を受け入れてくれたなら」
そこまで言って、泉の手をとっていた。泉には何のことなのかが全く不明だったが、握られた手は泉にとっては本物で、助け起こされてやっと意識がはっきりとしてきていた。
改めて、屈んでくれていた穂摘の顔を捉えていた。これだけ至近距離でいるのは初めてだったと、おかげで泉の胸は高鳴っていた。どきどきと鼓動を感じていながらも、出た言葉は棘のある言葉ばかりだったという。
「何で先に帰ろうとしたのよ、皆心配してたじゃない」
「何となく。泉だって、勝手にいなくなって心配かけてたじゃねーか前に。俺はその真似をしただけ、と」
「何ですって。私は関係ない」
「いーや。女王様に憧れました。女王様って素敵」
「その言い方やめてくれる。ほんとに、誰が最初に『女王』なんて……」
「退屈だろ? 強すぎて……」
言い合いの後には、穂摘からの抱擁が待っていた。すっぽりと、穂摘の両腕のなかにくるめられてしまって泉は、身動き不可能となっていた。「だからホレ。『刺激』を与えてあげないと」「ちょっ……」穂摘は、あはははと大口で笑っていた。頭がおかしいのかと思いながら泉は、恥ずかしくて堪らない顔を隠すために穂摘の腕のなかへと埋まった。「ずっと泉を見てたんだよね」本当なのか嘘なのか、そんなことまで言っていた。
「危なっかしい奴だなって思ってたんだよね。前ばっかり見てる。前だけじゃなくて、後ろも隣も左も右も上下も斜めも、自分の中身も、見なくちゃいけねえんだよ、忙しくな。前向きっていうのが必ずしも良いことだけじゃないって、解る?」
傍で聞いていた泉は軋む体に耐えながらも、「……知らない」と答えていた。
「例えばさ。俺のことどう思ってた?」
泉のことなど構わず強引で、一方的でも穂摘は真剣だった。顔を上げると、穂摘は回答を待っていて泉の心臓に負担をかけていた。鼓動は激しく叩きつけ、恥ずかしいのもピークを越えていったのか、泉の突っぱねた素直でない態度や口は、ついには折れて諦めていった。
「好きだよ……たぶん」
避けてきた事柄に、今ひとたびに向き合っていた。「きっと好き……」恥ずかしそうに笑いながら。
泉にとって脅威なのか穂摘を敵視していたのには、憧れというのも含まれよう。自分にはないものを持ち合わせていた相手に対する羨望と嫉妬、大人でもない泉には、まだ『確信』するに至るには早かった。
パンパカパーパッパー。
2人の頭上で鳴ったと同時に、『安心度』が空に表示されていた。上昇した数値を見ると100%を示しており、もう1度鳴るのかと予想がされるラッパの滑稽な音は、何故か今回はもう鳴らなかった。代わりのように流れてきたのは音楽で、時々に歌われる言語は日本語ではなく英語、つまりは洋楽をアレンジしたものだった。
それはとても心地のよいBGMで。
永遠に閉じ込めておけそうなほど2人は、……幸せだった。