17(声)/過去現在
雨は、どしゃ降りになっていた。
決勝を終えた大会は、設置されていたテント内で表彰式が応急的に行われ、何とか形だけでも終えていった。テント下から各校の生徒たちは出るに出られず、暫く雨の様子を見ての行動となっていた。そのうちに小降りになるだろうと思いながらである。時々に、ゲリラ豪雨のように集中的に降りかかる時もあった。
男子決勝戦を見終えた『泉』は、友達と試合について語り合っていた。
「先輩残念だったけど、凄くいい試合だったよね。あーあ、雨が降らなきゃなぁ……」
「たぶん調子が崩れたんでしょうね。残念だったけど」
「本当に。いつもの決めれるサーブが決まらなかったっていうか。相手もしつこかったけど、でも……あーあ、本当に惜しい」
友達は何度でも「悔しい」を繰り返していたようだった。泉も、まんざらではない。素の表情は崩さず、ペットボトルのお茶を飲んでいた。雨は少しずつ勢いを緩め、細くしとしとと大人しくなっていった。
「止みそうかな」「まだわからない」「今のうちに動いといた方がいいかもね」
『泉』たちだけではなく、他の生徒たちも男女関係なく同じことを考えたのか、小雨になった途端にテント内から出て走って行ったり、隣へ移動したりと動きを見せ始めていた。『泉』もそうしようと周囲を見渡し、出て行こうとする前に気にかかったことを思い出していた。
「先輩は……?」
先ほどまで噂をしていた話中の彼、穂摘の姿が何処にもない。
おかしいな、と『泉』は思ったが、とにかく雨を避けてテント内から抜け出して行っていた。
先生、穂摘がいません――
泉と『泉』がそれを聞いたのは、テントから抜け出した直後だった。どちらの泉も驚き声がした方に注目していた。『穂摘先輩がいない?』……泉は懸命に過去を思い出し、『泉』は立ち止まって考えていた。
聞いていたのは穂摘とは同級の、彼の友達だった。試合終了直後にはいたはずの彼の姿が今はない、心配になって、といった所だろう。雨でバタバタとしていたせいでもあって、試合に負けた穂摘のことは目が誰も届いてはいなかった。
(おかしい。変だ、先輩らしくない)
(確かあそこだ、早く。早く行って。『泉』……!)
2人の泉と『泉』の意識は高まっていた。泉の前にいる『泉』を、どうにか早く連れ出したかった――泉は、『泉』の耳元で囁いていた。『こっちよ……お願い、こっち』そして手を引いている。「……!?」過去の『泉』は強引に引っ張って行かれている奇妙な現象に、頭が真っ白だったに違いなく……悲鳴を上げていた。「きゃああ!」泉はシマッタ、とばかりに慌てて体を押し離していた。ばしゃ。『泉』は、転んでしまっていた。幸いにもぬかるみの上ではなくコンクリートの上でコケたため、濡れてしまってはいたが泥だらけにはならずに済んでいた。
そんな押し問答がありながら、過去の『泉』は穂摘を捜しに独断で走り出すのである。泉にとっては非常に間怠っこしかった。自分の姿が相手に見えなければ声も届かないなんて幽霊みたいじゃないかと思っていた。幽霊なんてものは、このように時空の狭間でさ迷ったようなものなのかもしれない。
泉は、この世界の住人ではないのだから。
穂摘の持ち物がない。
それが、『泉』を校外に出させた理由だった。『泉』のとった行動とは、まず、穂摘の同級の友達に尋ねたことから始まる。「荷物はあったんですか?」聞かれた同級はそういえば、と初めて気がついたようで、調べてみると所定のロッカー等に置いてあっただろう荷物は捜しても無かった。
じゃあ、先に帰ったのでは? という可能性が浮かび、「辺りを捜して来ます」と言って、『泉』はウェア姿で合羽代わりに薄手のヤッケを着て行っていた。
校舎を出て坂道を門や壁に沿って下り、四つ辻や大通りを何度も突き抜け最寄りの駅へと向かって走れば、見えてくるのが捜していた相手、穂摘だった。頑張って止まらず走ったおかげで追いつけたらしい『泉』は、街なかにも近い賑やかになりつつある交差点の横断歩道で信号待ちをしている彼の背中を見つけていた。人が数人おり、肩を並べて傘もささずに立っている。ラケットやカバンを肩から提げていたので目立っていた。
(穂摘先輩……何で勝手に先に……)
見つけたと同時に足が止まっている。安心していて、息を整えようと肩を揺らしていた。
過去の『泉』は思う、いつも周囲には人が、友達がいて、真面目ではなく遊んでいるように見えても、後輩にまでちゃんと挨拶してくれている、人を選ばずに分け隔てなく話を聞いてくれている。愛想がいい、面倒見がいい、部活の後輩でしかない関係のない泉にも……それが、泉の知る穂摘のあるべき姿だったであるはずなのに、何処かがおかしい、きっとおかしいと感づいていた。
いつも周囲には気を配っている先輩が、どうして先にひとりで行ってしまったのか。まだ解散の集合も掛かっていないのに何故なのか、穂摘のとった行動とは、と……。
『泉』も泉も、かつて自分も試合に負けた時の心境を思い出していた。
(泣きそうになる時……)
思い当たった時に、迷いが生じていた。即ち、声を掛けていいのか、悪いのかを。
(もし笑顔じゃなかったら)
充分にそう考えられていた。試合に負けた直後でも穂摘は愛想で返してくるだろうか、自信はなかった。
(先輩……穂摘……)
通常の練習試合なら負けてもたいして悔しくはないかもしれなかった。でも今回の場合は違う、県大会を賭けた決勝戦だったのだ、応援や期待が凄まじかった、さらに穂摘たち3年生にとっては最後の引退試合、そう、――次が無い。
(穂摘! 穂摘! ……穂摘!)
雨粒が泉の体に侵入していった。
もはや涙かも判らない濡れに濡れていた顔で、穂摘から目が外れなかった。
(穂摘!)
叫んだのは。
「穂摘!」
どちらの『泉』だったのだろう。
忘れてはいけない忠告が、音で空に浮かんでいた。
忘れないで。これは、――なの。