16(要求)/過去現在
窓の外はほぼ暗闇になった。時折、壁の荒模様が横滑りに通過していた。耳の鼓膜を圧迫し不自由さを感じながら、トンネルのなかは外界とは遮断された異空間を演じていた。
窓は車内の点灯を映して乗客の影をも映している。吊り革にも座席にも支えを使わず堂々立っていた赤福社員は、景色のない窓を遠く見つめる視線で黙っている、鈴木という座っていた社員を見下ろして、返事を待っていた。忘れるな――何でそのソフトをつくろうと思って、何故こんな無茶をやらかしたのかを――忘れるな。
満を持して、鈴木は赤福に振り返った。
「うん。……思い出した。俺最強、って、びっくりさせたかったんだよね!」
清々しい顔で、鈴木は答えてそして……口元をほころばせていた。
「そうだ」
伝染したかのように赤福もつられて笑っていた。始めから、新しいものをつくりたかった訳ではない。そんなものは後づけだった。
開発は、ひとりの小さな願いや発想から始まる。過去に戻れたら。でもどうやって?
気が済めば満足が得られ楽しめる、それならばゲームだ、ゲームをしよう。ゲームなら、つくるのは簡単だ、知識があれば技術で可能だ、それではトコトンとやってみようじゃないか――
こうして従来の技術を模索し実現へと向かってソフトは形を成していった、それが『リターン・トゥ・マイライフ』であり、人も機械の一部となってゲームのシステムに参加する。人がアバターのようなキャラクター人形ではなく実際に『再現体感』する、本物に限りなく近いシミュレーテッドリアリティ。だがこれを実現可能にするには問題があった、なかのひとつが『現実への再帰』である。
例え技術的に可能であっても、それがネックとなって話が進まない。無事に現実へと戻って来れるのかどうなのか、鈴木は泉を見てそれは無理だと実感していた。
「……で? この子はどうなったんだ。どんな状態でいる訳だ?」
赤福の気がかりはそこだった。責任、という言葉が重くのしかかっている。鈴木は懸命に現状を説明していた。
「それが、ほんの数分前に起こったバグで一度こっち[現実]に返ってきたんだ。でもどうしてもって言うから、リトライしてる。同じことをゲーム内でしたら同じ現象が――端末リセットバグがかかる可能性があるから、続行したければ同じことをしないようにって、言ってはあるんだけど……」
赤福の顔が曇る。鈴木を責める訳ではないが、下唇を噛み締め苦渋を浮かべていた。
「端末リセットを起こしてくれた方がありがたかったな。とにかくゲームを終わらせて戻って来させないと。案内人のヒューマは使えないか」
鈴木の顔も暗く、そして無になり必死で考を練っていた。
「たぶん無理だ。プログラムを書き直さないと……今やってるゲーム中、隣でソースを追っていたんだけど、途中で一文字間違えてた。案内人が消えちゃったかも」
「おいおい」
何してるんだと赤福は頭を抱えていた。
「でもね。きっと大丈夫だよ。絶対大丈夫かと聞かれても100%の保障はないけど、この子が返って来たタイミングの時に手は一応打ったからさ」
鈴木の……トンガリ帽を白昼堂々と被った開発者の言うことは当てになるのだろうか。もしここに『信用度』を量る測量器でもあったなら是非、数値で示してみたいものだった。
・・・
もはや正常に作動しているのかも怪しいゲームは、進行していた。過去を見ている現段階での『安心度』は82%、あと1回の失敗修正で、終了するはずである。
過去に来たことのある他校のテニスコートに立って、泉は空を見上げていた。
(何か、空しー……)
中学2年の春の練習試合、泉は負けた覚えのある相手に『勝って』、際限のない空しさに悲しくなっていた。こんな無意味なことってない――勝って嬉しいのは瞬間だけだ、あとはしてしまったことへの後悔だけ。泉はそう思って、笑えなかった。
おかげでステージは修正成功と判定し『安心度』は82%まで上昇した訳だが、泉には納得がいかなかった。この『ズレ』は一向に埋まらないでいた。泉の要求は送信されている、受け入れたサーバーは泉とゲームに返している。世界は新たに書きかえられて、泉に合った世界になる。与えられた世界と要求した泉の世界との駆け引きは、一元化を繰り返し繰り返し、それによりバグを生んでいた。
開発者は嘆くだろう、『終わりがない』と。始まりは、終わらなければ終わらない。
案内人は姿を現さず、次のステージへと進んでいった。
雨が降っていた地へと。
曇り空の下で、激戦は繰り広げられていた。夏休み前にあった、中学3年生にとっては引退試合となる最後の地区大会男女決勝戦だった。地区で勝てば県大会、それは泉の通う学校のテニス部史上初となり、野球部やサッカー部ほどの団体的メジャーな騒がしさではないが、応援もそこそこに盛り上がりを見せていっていた。
高さがあるフェンス越しに女子も男子も関係なく自分の学校であれば応援し、決勝ともなるとその人数は集まって増えてきて、横に並んだ列は隙間がなくなっていた。掛け声も相乗効果で膨れ上がり、盛況さはプレイ開始直後と比べて鰻のぼりに大きかった。特に勝敗を決める1打とあっては、盛り上がりも最高潮へと進むのだろう。まさに今がその時だった。
穂摘がサーブ側で、握りしめた球を見つめていた。
この1球が全てを決定するのかもしれないと思えば、緊張して決断がつき難かった。サーブを打てば……レシーバが勿論と球を打ち返し、ラリーが続くのだろう、相手は実力者だ、運だけで勝ち上がってきた訳ではなく日頃に練習して培った努力でここまで勝ち上がってきた自分と同じ中学3年生なのだと、言わずとも知れる相手に穂摘は気負いを感じていた。気で負けそうになるな馬鹿めと、何度目かになる自分への叱咤を掛けていた。だがそれで調子を本来に戻すには、天候が邪魔をしている。
小雨が、パラついてきていた。雨模様は数時間前から確実で、いつ降るのだろうかと大会主催側も生徒も顧問先生たちも心配をしていた。雨が酷くならなければ試合を中止にすることはなく開始はされ、幸か、決勝まで平常通りに進行していた。
雨が強くなっていった。小雨だった粒は大粒に、生徒たちの着ているウェアを雨色に染めていった。ぱたぱたと屋根の国旗や校章旗が風で靡き、それが、来たる結果にさあ来るぞと暗示をかけているかのようで、穂摘の決心を鈍らせていた。
集中に欠けているのだ、遠くのものが耳に聞こえているのがその証拠だ、他を見るな意識を集中するのだ、……
穂摘は息を整えて、このままじゃ埒も明かないし雨がこれ以上強く降る前にと、球を勢いよく高く放り投げていた。いつもの調子のはずだった。
だが、いつもの通りではなかったのだった、天候が――。
雨粒が穂摘にとっては最悪のタイミングで、目に飛び込んでしまっていた。球の位置を瞬間的に見失い、振り上げたラケットとの相性悪く球が何とかガットの隅に当たっても、全然と狙いとは違う方向に飛んで行ってしまった。
ネット向こう、相手プレイヤー側のサービスエリア内に球が着地しないと、審判に下される判定は無論、「ダブルフォルト!」――だった。「ゲームセット! アンド、マッチウォン、バイ、……」
試合終了。サーブは2本目だった。観客による大歓声で包まれていた。