15(無茶)/現在
目的地や対象物を点とするならば、そこへと向かって現在点からの最短線を引く。地図上では、直線ではあるが、実際に移動するには直線であるはずがなく傾斜や気候、交通事情等も視野に入れなければならず、直線=距離であっても他に時間を計算に入れねばならない。
だがそれは、対象が『動かない』場合に限る。
「何してる」
重量のある声が、仁王立ちでいる彼から発せられていた。ライトベージュのジャケットが会社用の上着で、胸ポケットに『赤福』とロゴが刺繍されていた。長袖は関節まで捲り上げており、手には携帯電話を握っていた。骨ばった細い腕には血管が浮いている。
「何をしていると聞いているんだ、鈴木」
電車に乗り込むと女性の事務声でアナウンスが入った、『間もなく発車いたします』……出入り口に立つ乗客ばかりで、奥の座席横に立つ者は赤福社員の他、数人程度だった。トーンの低い、怒りを含めた声色か、それとも彼にとってはこれが地声なのか。とにもかくにも、赤福は見た光景を前に全身が震えているようだった。向かい合わせで座っていたのは、魔女のコスプレをした若い女性とうたた寝をしている女子中学生である。
赤福社員の血走った目は魔女コスプレ女性を貫いていた、魔女っ子のことではあるが、驚く様子も楯突く様子もなく赤福の痛い集中攻撃を受けとめていたようだった。
「バグは数件、見つかったよ……多すぎて嫌んなりそう。仕方ないよね……」
力無く言っていた。
電車に乗り込む前に若き天才カナン・ベルと言っていた時の元気さからでは想像も出来ないほどに、極端で沈み込んでいる鈴木社員の傍には、小型の端末機が折りを開いて電子ブックのように置いてあった。電源は点いていて白く点灯、それから、うたた寝をしている女学生とは、つまりは泉のことだが傍らには問題のゲームが起動されていた。
「他に言うことはないのか、鈴木。いつも一方的だな。会話をしろよ、ちゃんと。何でここが分かったかとか。俺が何しに来たのかとか。その子は誰だ?」
赤福社員の関心は初めて泉の方へと向かっていた。とても楽にして手足を投げ出し眠っている泉、若いくせに黒服か、似合ってないがと一瞥し、鈴木の方へと戻ってくる。肝心の鈴木はわざとらしくそっぽを向いて答えていた。
「ボクを連れ戻しに来たんでしょ。別に驚きはしないもんね、あっちには仲間一家がいるじゃん。どうせこのトンガリ帽を辿って来たんでしょ……来るって分かってた」
顔は赤福から背けてはいたが、被っている尖った帽子を指してちゃんと答えていた。
「JRのローカル線に沿って移動してたみてーだからって、航空(画像)からの展望(情報)で追いつけたけど。道理でチンタラしてるなと思ったぜ馬鹿やろう。お前は子どもか、何が『ボク』だっつうの。お迎え待ってんじゃねーよこのヒョロハゲ」
続けて、罵声が飛んでいた。ヒョロハゲには反応しなかった、ちなみにハゲているのは、ひとつ向こうの座席で新聞を読んでいたサラリーマンである。聞いてはいない振りをしていたのかもしれないが軽く咳払いをしていた。
「この、……馬鹿がッ!」
赤福はまた、気持ちよさそうに寝ている泉を見て鈴木に、言っていた。
電車は彼らが話し込んでいる隙に走り出していた。赤福は仲間たちの助言で発信源であるトンガリ帽の特殊怪電波を追って円滑に鈴木を捜し出し、追いついた。もし会社にある従来の追跡システムを利用していたなら追うだけは追えても捕まえることまでが可能だったのかは謎というより無茶適当だった。赤福も分かってはいたが、気が立っていた彼に他に手段や余裕はなかったのだろう。
従来の認識システム、五感認識。問題のゲームにもおまけ的な位置づけで組み込まれてはいるが、その五感情報は膨大で、扱えるのかは俄かには信じ難かった。それを可能にしたのは仮想化、WindowsのOSをMacのOSの上で動くようにしたようなものだという。これにより複数のWindows用のものが、Mac上で使えることになる。MacのくせにWindowsのように動くに見える……こうして偏った狭い考え方からの発想の転換は広がりを見せ、『不可能に思えるものを可能にした』技術となって『魔法』は――解けていくのだった。
もしや開けゴマ、で開いた扉は音声認識システム仕立てのオートドアだったのだろうか、そんなことを言ってみる。
「……ごめん、福……」
情けない声を出したのは、鈴木だった。帽子を取って、膝の上に載せていた。
「どうしても我慢できなかったんだ。早くバグを処理したくて、そのためにはテストしてくれる誰かが必要で……誰でもよかったんだ、でも出来れば中学生がいい、夢見がちな疑い知らずの扱いやすい子ども、大人じゃだめだ、純粋な結果が得られない。幼稚すぎてもだめだ、勝手なことして暴れたら困る。だから……」
鈴木は泉を申し訳なさそうに窺っていた、そして。
「でもどうせきっと、このゲームは完成したって。……発信も発売もされない」
悲観的なことを呟いていた。赤福の眉間にまた再びに皺が寄る、カチンと、頭のなかで引っ掛かりが生じていた。引き金を引いたようだった。
「何でそう思う」
「危険だから」
即答が返り、赤福は面食らっていた。思いのほかダメージを受けたのか、赤福は暫く黙り動きが停止してしまっていた。窓の外では橋にさしかかったらしく電車は川の上を走り、建物が視界の隅に追いやられたせいもあって青空が広がっていた。
赤福は何度でも怒りを我慢してきた。彼は大人だが、我慢することが大人なのではない。怒るべき時に怒り、激励出来るならば行の動、必要ならば考。赤福の心中に以上のことが渦巻いていてとても苦しかった。
だが青空が見えたのが救いだった。彼を本へと返してくれたのだろう。
「今更お前までそう言い出すのか……いいか。このゲームはな、次世代とかじゃなくて次世代、その次へと向かっているかもしれないんだぜ。こちらが用意した舞台や世界をプレイヤーやユーザーが提供されて体感するんじゃない、与えられてんじゃない、個々の人が持つ世界観価値観そのままを再現リアリティによって『再体験』するんだ。おかえりなさいで今日は、だ。新しいものを求めるより基礎基盤、友達家族親戚先輩後輩同僚仲間他人教師、試練誘惑質素計略お涙頂戴、古典平和秩序未来。周囲と古き遠くに退いた本質を見直そう――俺たちに与えられたテーマだ。それをシステム化してゲームで広めようと俺たちは頑張ってる。
失われつつあるものを取り戻すために」
一定の速度で走っていた電車が、カーブに差しかかった。線路の上を減速で通り抜けるつもりでいる、安全であることが当然、当然であることが安全と、電車は、規則を守り運行していた。
(失われつつ……? 例えば、どんな)
鈴木は無言の訴えで赤福に聞いていた。なら無言でと、赤福は答えを捻り出している。
『例えば――「名前」だ。歴史は古く、今は意味を失いつつある』
時の経過は残酷にも、本質からは遠ざかる。携帯電話は携帯だけを残して電話ではなくなりつつあることに気がついていても誰も止められないだろう。
開発に携わる若き男は吠えるのだった。
「お前は忘れるな。何でそのソフトをつくろうと思って、何故こんな無茶をやらかしたのか。――思い出せよ、――忘れるな!」
直後に、電車はトンネルへと侵入していった。