14(バグ)/過去現在
『忘れないで。これは、「ゲーム」なの……』
深く暗い意識の谷底に落ちていく泉に最後、声を掛けていた。たゆたう泉にそれが果たして聞き取れたのかは、定かではない。泉が自分の過去の再現を望んでいた場面は無論、穂摘が事故に遭った時だった。しかし簡単にゲームは泉の要求を呑んでくれるのかどうなのか……強制終了で途中リタイアをした反則を経て、ゲームは再起動、『再現』を試みていた。泉に情報がカスタマイズされていった、『安心度』は、0%からである。
端末リセットやらが起きる前、絶対に振り向くはずのない『彼』は、振り向いていた。泉の呼びかけに反応出来たのか、したのか、偶然でそう見えただけなのかの謎が残る、泉には奇跡のようだったが現象として起きている。起きないべき現象が起きてしまう、プログラムの世界ではこれを。
バグと言う。
明らかに、バグだった。起きない現象が起きたために続行不可能だと発生した端末リセット。泉には知らされてはいないし説明されても受け入れられないだろう、奇跡、で片付いていた。
(穂摘どこ……)
暗闇の視界に一筋の光が差し込めていた。
気がつくと泉は、美術館内らしき場所にいた。と、いうのも、複数の絵画が壁面に並び、囲まれるようにして天井高いホールの中心に泉が立っていたのだった。絵画や、点々と展示されていた彫刻を鑑賞しようと人が列を成しており、一度も止まらずにホール内を横切るには困難だった。泉の姿は見えてはいないし声も通じない、ただし泉の方からは触れることが可能らしい、時々に人と接触しそうになりながら、上手く人混みを避けていた。
素早く、現在の泉は過去の『泉』を見つけることが出来ていた。泉の記憶によれば8歳、たぶんそうだろうと予想を立てていたが、館内で迷子になっているらしかった。きょろきょろと辺りを慌てている様子で早足に進んでいく過去の『泉』、背中には小さな赤いリュックサックを背負い、薄く黒のチェックが入った可愛らしいワンピースを着て、頭には片方だけワンポイントの小花がついたピンを使い前髪で留めていた。
泉には分かっている。迷子になったのだ、そして。
「あ」
どん、と。8歳の泉はよそ見をしていて、並んで壁の絵画に目を奪われている人々に体が当たってしまった。その反動で、近くにあったオブジェ……周りを立ち入れられないように赤く太めのロープで囲まれてはいたが、小さな『泉』の体が倒れてロープに引っ掛かってしまった。いや、違った。
倒れる寸前になって、『泉』の手を取り引っ張ってくれた人物がいた。現在から来た泉、だった。
泉が自分で自分を助けたことになった、手を掴まれて倒れずに済み、『泉』は「?」と手の平を広げたり首を傾げたりと動作を繰り返しながら、何処かへと歩き出して消えて行った。
「これでいい。でないと、この後大変だったし……」
難を逃れたらしい展示されていたオブジェは、見た目が太陽の塔にとても似ており作品名が『芸術はドッカーン』だった。何事もなく作品は無事である。泉は僅かだが、ほっと胸を撫で下ろしていた。
安心した泉の頭上で音が鳴っている、どうでもいいようなラッパの音だった、しかも何故か2回鳴る。上で掲げられた『安心度』の数値は、『34%』を記録していた。とりあえずの1ステージクリア、泉はそこで「あれ?」と思い出していた、変なことに。
案内人のヒューマがいない。
おかしいな、と思って考えてみても、泉には分からなかった。
ステージをひとつクリア出来たと確信をしているものの、次のステージに移るためにはどうしたらいいのだろうと泉は困っていた。仕方がないので、絵画が並ぶギャラリーの人混みの間を縫うようにして歩いていた、じっとしていられなかったのだった。気持ちは、すぐにでも飛んで行きたいと焦っていた。
(こんな所で迷っている場合じゃないの……早く次へ……)
自分が助けたつもりのあの小さな8歳の『泉』は、はぐれた先生や生徒たちの所へと戻れただろうか。過去では結局、戻れたのだからきっと大丈夫だろうと今の泉は思っているが、見て確かめた訳でもないので『たぶん』『恐らく』である。
時の回廊、そんな歌か詩がなかったか。絵画の前を歩いていると、自分がさ迷い人の如くに思わせて、ここからいつ抜け出せるのだろうと不安になっていった。
(早く次へ)
不在の案内人だったが、関係のないように突如泉の視界がぐにゃりと歪んでいた。「わ……」そして、キュルルルル、と、テープの滑る音が走り出していた、何度か聞いてはいる泉だったが慣れてはくれていないらしい、それは頭痛を訴えている患者だった、あまり聞きたくはない。
ああ鬱陶しいだけだわアナログなんてと、身を強張らせながら泉は、思っていた。
次に泉を襲ってきたのは、水だった。ばっしゃん、ごぼぼ。泉の体に衝撃が舞い込み、しかも息をしようにも水が肺に入ったために吐き出し苦しく、パニックになっていた。どうやら水のなかにいるらしかった。
(どういう……こ……と……)
意識が遠のいていく。手足でかいて、もがいてみるが、状況がよく分かっていない。悲鳴を心のなかで上げていた。
(助けて!)
手を大きくかいて、かいて、かいて。掴まれる所がないのか何とかならないのかを探していた。何ともなりそうではなかった、絶体絶命だった。
(助けてえええ!)
自分がこんな目に遭っているのは何故なのか、『過去の私』はどうした、何故『過去の私』ではなく私がこんな苦しい目に……と、考えている余裕などある訳はなく、ただ力だけが空回りして消耗していく泉の暴れる手を取ってくれたのは、強くたくましい腕だった。
力で体が浮き上がった感じに、泉は苦境から『脱出』に成功したのだった。「ぶはっ、が、ぐ」水面から押し出された重力か浮力を感じ、次に打ちつけたのは地面だった。
「大丈夫か、君!?」
大人の男の声がぶつかっていた。「……げほ、がは、ひく……」口から水を吐き出し、熱い地面の表面と上から照りつけてくる熱を浴びながら、泉は呼吸を確保していた。鼻が痛くて堪らなかった。「……?」涙目になりながら見えてくる視界で確認していった、ここは半ば広い、プールサイドであると。過去の泉が何処かにいて傍観している訳ではなく今『現在の』泉が体験していた。
「君、足が滑ってプールに落ちたんだよ。どこにもぶつけてないかい? 気がついて良かったよ」
水に浸かったままで泉を引っ張り上げてくれたのだろう、話し掛けてくる見知らぬ男の方を向くと、泉はお尻をついたまま呆然として「ありがとうございました……」と自然に言った。みるみるうちに思い出していったらしい、水に溺れたことがある思い出、過去、あれは中学生になったばかりで真夏も近づく、民営プールでの出来事だった。思い出していた、だが。
溺れた泉を助けてくれた男性にお礼を言った覚えがない、今のように呆然として言葉が出なかったと覚えていた。だから今、言えて良かったのだと改めて気がついて泉は嬉しくなったのだった。
男性もにこやかに「うん。気をつけてね」とあははと笑いながら言っていた。水から上がろうとして端に手を掛けていた。
「あっ……」
泉は覚えていた。なので、急いで目を閉じてその場を離れて行った。大急ぎで走り、逃げるように去って行った、何故ならば。
「ん? どうしたんだろう?」
水から上がった男は不思議そうに泉を目で追っていたが、男はすぐに気がつく。「げげ」勢いよく泉を助けようとプールに飛び込んだせいでもあるだろう、男の水着パンツは脱げてしまって無かった。
ステージは、一応と進行していた。
・・・
『3番線に、電車が、到着します。危険ですから、ホームの内側まで、お下がり下さい……』
アナウンスが構内に響いていた。聞いても聞いていなくても、乗員乗客は線路から離れ気味に動き言うことをきいていた。自販機で飲料を買う者、痴話に世間話にと楽しそうに笑っている団体、早歩きのサラリーマン、暑そうにベンチで寝そべっている若い兄ちゃんや携帯でアプリゲームをしている者、など、無秩序に人が散り散りに過ごしていた。
電車が来ると、列に並んでいた者は読んでいた本や携帯電話を閉じたり置いていた鞄を持って出迎えて、乗り込む用意をし始めていた。
そのなかで、最後尾に並んだ若い男が、流れてくる電車の窓をひとつ、ひとつと睨みつけてチェックをしていた。どうも湧き上がっている怒りを抑えているようで、湯気は立ってはいないが、触ると火傷をしそうで大変近づき難かった。
「見つけたぞ。……鈴木」
プシュウウウ。電車は到着し、降りる客を優先でドアが開いていった。