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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

かの王女に捧げるは

作者: セン
掲載日:2026/05/12

未完成品です。書き切る気力を失ったのでそのままうpします。

 忘れないで、愛しいひと。


 真っ白な花に囲まれた彼女は、酷く美しかった。穏やかな表情で、眠るように横たわる彼女の首は、花でおおわれて隠されていた。震える手でそっと頬に触れた。石のように固く冷えた身体は私の手のひらから熱を奪っていった。頭の先から足先まで凍えるほどに。脳の裏側が鈍く痛む。叫び声をあげて逃げ出してしまいたかった。

 彼女は死んだ。愚かで、憐れな娘。

 私は彼女を見送った。その先に死が待っていると知りながら。かの国が、我が国からの使者を生かして返すはずがないと誰もが分かっていた。彼女も、そうだった。だと言うのに、笑って旅立った。

 「必ず戻るわ。その時は、どうか出迎えて、抱きしめて。わたしの愛しいひと」

 彼女は死んだ。馬鹿な女。逃げ出すこともできたのに。怯えた顔ひとつ見せずに旅立った。

 「おやすみ。私のレティシア」

 根元から毛先にかけて髪に指を通した。赤い、赤い髪。炎を写したような鮮烈な赤。その髪が、本当はずっと、嫌いだった。

 前に一度、たった一度だけ、彼女の髪を褒めたことがある。燃えるような赤髪が美しいと。ただの気まぐれの一言だった。夕焼けを背に立つ彼女の髪が、太陽に赤く染められた空の色に溶け込む様子を美しいと思った。たったそれだけ。

 赤い髪は、嫌いだった。私が好きなのは、濁りのない金の髪だ。真昼の陽射しを浴びて、黄金のように輝く髪。ただ、その一瞬、その一時だけの感情で口に出した言葉に縋る彼女は哀れだった。もう一度、私に美しいと言われるため。たったそれだけのために、彼女は髪を伸ばし続けた。ひたむきに、愚かに。旅立ちの時には腰に届くほどに伸びていた髪は、帰ってくる頃には短くなっていた。

 赤髪が嫌いだった。目に入れるのさえ不快だったはずなのに、首元ですっぱりと切れ、短くなったそれが、自分でも驚く程に、惜しいと思った。



 彼女は、この国の6番目の王女だった。王妃を除いた、5人いる妃のうちの、4番目の妃の、3番目の娘。父親である王の関心はもとより、母親との関わりすら希薄な、哀れな王女。女であるが故に玉座を争うこともなく、それに加えて、幼い頃に兄を庇ったが故に、背中に大きな消えない傷を負った、女としての商品価値すら持たない娘だった。

 命を賭して兄を守ったというのに、誰からも心配されることなく捨て置かれていた娘。あの時彼女への見舞いの客は、私とあの方の2人だけだった。父たる王も、母親も、守られたはずの兄でさえ、高熱でうなされる彼女の様子を見に来ることは無かった。

 怪我ひとつなく無事だった兄の部屋には、ひっきりなしに見舞い客が訪れていた。誰も来ないひとりぼっちの部屋で、彼女はどんな気持ちでその音を聞いていたのだろうか。怪我を負ったのが貴方じゃなくて良かったと、母親の安堵の声をどんな思いで。あの時、まだ小さな彼女は、痛ましいものを見る目で髪を撫でたあの方の手を、眠りに落ちるまで握りしめていた。

 哀れな娘だった。ほんのわずか、与えられた温もりに縋りつく様子が、見ていられなかった。

 あの方は、握りしめ縋る彼女の手から自らの手を引き抜くと、傍に居てやってくれと私に言った。ぬくもりを失って不安げにさまよった手のひらに触れると、途端に握りしめてきた。しかめられていた眉間がやわらぎ、穏やかな笑みを浮かべる。その日一日、手を繋いでそこにいた。白くなるほど握りしめられた手のひらを、ただ見つめていた。


 彼女は、あの方によく懐いた。そしてあの方もそれを受け入れた。多くの者はそれに驚いた。あの方は赤髪の者に関わることを嫌っていたから。あの方は王の3番目の妃だった。賤民の出でありながら、王の寵愛を得て妃の地位にまで成り上がった。しかし、いくら王の寵妃といえど、賤民の血を王家に混ぜるわけにもいかない。あの方は、子を持つことを許されなかった。

 母に愛されぬ子どもと、子を持つことを許されぬ女。傍から見れば2人は本当の母娘のようだった。

 その状況が気に入らないのは、4番目の妃の方だった。何ら関心を向けていなかった娘だというのに、賤民に懐くのは許せないらしい。彼女は、あの方と関わる度に叱責を受けるようになった。それも、母から娘に行うには、過剰なほどの。

 あの方は、彼女と会うことをやめた。会う度に増える頬の赤みと、手の甲の鞭の跡に、悲しげに目を伏せた。それが、酷く悔しかった。あの方の幸せを守れない自分が憎かった。


 「どうしてルシュティカ様はわたしに会ってくださらないの?」

 扉を開けると、目の前に彼女が立っていた。驚くと同時に、後ろ手に扉を閉め、鍵をかける。彼女は、嫌味なほどに美しく成長した。背に傷さえなければ、引く手数多だったであろう娘は、私に再度問いかけた。

 「どうしてルシュティカ様はわたしに会ってくださらないの?」

 「長いこと姿を見せなかったのに、ずいぶん今更だな」

 「会ってくださらなかったの間違いでしょう。何度わたしが面会の手紙を送ったと思っているの?」

 「返事がなかった時点で察するべきだ。あの方にお前に会う意思は無い」

 「その理由を聞きに来たのよ」

 「あの方は、赤髪とは関わらないんだ」

 「あなたもわたしと同じなのに?」

 じろりと彼女を睨みつけた。彼女は、怯えながらも真っ直ぐにこちらを見ていた。震える足を一歩前に踏み出して、さらに問う。

 「どうしてあなたは許されて、わたしは会うことが許されないの?」

 「お前が、第4妃の娘だからだ」

 瞳を揺らして、瞼を伏せた。長いまつ毛に縁取られた大きな目の色彩は、鮮やかな緑。王と同じ色。その瞳が嫌いだった。

 「あの方は、私がお嫌い?」

 爪の色が白くなるほどに握りしめられた手のひらが見えた。あの日、一日握っていた、小さな小さな手。右手の甲には消えぬ傷が刻まれていた。

 「会えば第4妃は良い顔をしないだろう」

 「おかあさまはわたしがお嫌いなのよ。なにをしたってお怒りになるわ」

 「あの方はお前には会わない。決して」

 「どうして?」

 「何度も言っているだろう。お前が赤髪だからだ。…あの方の噂は知っているだろう」

 あの方は赤髪の者とは関わらない。決して。例外は子どもだけ。彼女はもう子どもでは無くなった。しゃんと背を伸ばし、私を正面から見られるくらいには。

 「それならどうして、どうしてあなたは…」

 彼女はそれだけ呟くと口を噤んだ。そうしてポロリと一粒涙をこぼすと、背を向けて立ち去った。明らかに落胆の色を見せる背中を見つめながらため息を吐く。なんのために部屋を出たのだったか。用件を忘れてしまった。鍵を開け、部屋に戻る。小さな部屋だった。最低限の家具しか置かれていない、質素な部屋。その奥、鉄格子の嵌った窓際の椅子に座るその人は、古びた木製の椅子に腰掛けながらこちらを見ていた。

 「あまり可哀想なことをしてやるな」

 「貴方は、彼女に随分とお優しい」

 「なんだ?ヤキモチでも妬いているのか」

 「…ご冗談を、ルシュティカ様」

 さらりと肩から滑り落ちる金糸の髪が、窓から射し込む陽光を浴びて黄金もかくやと輝いていた。笑う口元を隠す指先を飾るのは、桜の花びらを丁寧に並べた甘いピンクの爪。ルージュをひいたように赤い唇に、妖精の住む泉の色を写し取った極彩の瞳。世界で1番美しいひと。

 「貴方が私の部屋にいたと知られれば王に叱られてしまいます」

 「アレが私を叱れるものか」

 「貴方はそうでも私は困ります、殿下」

 「アレはお前のことが嫌いだからな」

 思わず身体の動きを止めて、視線を向けると、その人は寂しげに瞳を揺らし、鉄格子に手をかけ指を滑らせた。

 「こんなもの用意せずとも、お前も、私も、逃げたりなどしないというのに」

 瞼を伏せ、憂う姿さえ、絵になる人だった。そこがどんなに薄汚れた、牢獄のような場所でも、この人がいるだけで絵画を切り抜いたような空間になる。美しいひと。

 「アレと、親しくするつもりはないか」

 「貴方は相変わらず難しいことをおっしゃる」

 「お前はあの男が嫌いか?」

 「まさか。この国の王を嫌うものなどこの城にはいないでしょう」

 「そうやって誤魔化すところは、よく似ている」

 「殿下」

 咎めるように声をあげた。揶揄いの笑みを浮かべるその人は、私の頬に手のひらをあてた。

 「私はお前を愛している。それを忘れるな」

 「どうか、その言葉を外で口に出されぬようお願いしますよ」

 ため息を吐き、手のひらを振り払う。困った人だった。本当に。その言葉が嘘であったなら、どんなにか。この人の謳う愛に、偽りがないことを知っていた。

 「彼女に会うおつもりはないのですか」

 「会わない方が良い。その意味がわからぬほど愚かではないだろう?」

 「今度は、背中の傷では済まないかもしれませんね」

 「アレの悋気も、困ったものだ」

 「貴方を愛しているがゆえでしょう」

 「同じようにお前も愛してくれれば良いのだが」

 「ご冗談を」

 大きく口を開けて笑う、鈴の音のような声が好きだった。相貌からは想像もつかぬ男勝りな振る舞いが、やけに似合う人だった。美しいひと。

 「見よ、日が落ちるぞ」

 「もうそんな時間でしたか」

 窓から見える空は赤く染まり、夜の黒を迎えようとしていた。薄い月が、遠く浮かんでいる。

 「ここまで来るのに苦労するが、景色ばかりは美しいな」

 「この塔にはここより上に部屋はありませんからね」

 後宮から本城を挟んで対角線上に位置する塔の最上階。妃たちの宮から最も離れた場所。私に与えられた部屋。たかが一従者に与えられるには上等すぎる場所。されど酷く不便で、寂れた場所だった。

 「みな噂している。お前が私の情夫ではないかとな」

 「分かっているのならなぜ此処に会いに来られるのですか」

 「私の気持ちが変わらぬことを伝えるためにだ」

 真っ直ぐにこちらを見る目が、私の心臓を射抜いては深く傷をえぐる。

 「王はそれを許しはしないでしょう」

 「アレに私の行動を制限する権利などない」

 「貴方はあの方の妃だ」

 「私が望んだのではない。アレが希ったのだ」

 「私は…私は…」

 声が震えて上手く言葉が発せられなかった。此処にいて、幸せになどなれるはずがないのに。こんな言葉に浮かされて、馬鹿みたいに留まっている。口を噤んだ私の髪を撫でるとあの方は窓からのぞく夕焼けを見つめる。

 「私の父は、お前と同じ燃えるような赤い髪をしていたそうだ」

 「父君…ですか?」

 「そうだ。顔も見た事は無いがな」

 「母君は、確か流れの楽団の一員だったとか」

 「相変わらずかしこまった言い方をするな、お前は」

 僅かに口元を弛め、小さく微笑んだ。

「その通りだよ。母は定住を持たない流浪の民だった。この城の連中の言い方を使うなら賤民だな」

 「美しい方だったと伺っています」

 「美しい人だった。美しすぎるくらいの」

 「貴方がそれをおっしゃるのですか」

 「私は」

 1度、言葉を止めると顔を顰めた。窓から入り込む夕陽が、部屋を、私を、目の前の美しいひとを、その輝く黄金の髪さえも、赤く染めていた。

 「私は、母に瓜二つだよ。父の面影など、ひとつもないほどに」

 そう言って、私の髪を撫でた。何度も、何度も。

 

 「アレは相変わらずお前の元に通うのか」

 「聞く必要などないでしょう。常に見張っておられるのですから」

 薄暗い部屋。揺れる蝋燭だけが、部屋を照らしている。王と会う時はいつも夜だった。

 「アレは、お前をまだ愛しているのだな」

 「貴方はまだ私を嫌っておられるのですね」

 「私に愛されたいと?」

 「あの方は…ルシュティカ様は私と貴方が親しくすることを望まれています」

 「知っているとも」

 「ですから…ですから私は、貴方と…」

 「お前はアレの裏切りの象徴だ」

 「あの方は、貴方を愛しておられます」

 「お前以上にか?」

 「ここから立ち去らぬ事が、その証明でしょう」

 「アレが此処に残るのは、お前が此処にいるからだ」

 射抜く目が、恐ろしくて仕方がなかった。疎まれていると知っている。この国の、王たるこの人に。城内にいる間、1度として離れない監視の視線が肌を刺す。月に1度、2人で食事をする時間さえも、常に張り付くその気配がこの人から私への感情の表れだった。

 「わた、私、は、貴方から離れることはありません」

 「お前の意志など関係ない。お前はここから出ることなど出来はしないのだから」

 「私が死んでも、あの方は、貴方の傍に居続けるでしょう」

 「私に恨み言を吐き続けながらな」

 「あの方を、もう少し信用なさってください。あの方に貴方以上に愛する者などいません」

 「ならばなぜお前の元に通う。何故お前の名ばかりを呼ぶ!」

 「あの方が、私に向ける愛と貴方に向ける愛は違います。貴方は、それをご存知でしょう」

 この人が、恐ろしかった。この人のたった一声で、私の首は切り落とされる。私が生きているのは、ただ、この人が、あの方を愛しているからに他ならない。私が死ねば、あの方が嘆き悲しむから、それだけを理由に私の首は今なお繋がっている。

 「私は、貴方を、貴方に…。」

 震える喉は、言葉を紡ぐことさえ忘れたようだった。手の中、握りしめられたナイフが皿と擦れてカタカタと耳障りな音を立てる。ただ、恐ろしかった、この人が。同時に、どうしようもなく、焦がれていた。

 「私は…」

 「黙れ、もうよい。お前はただ、此処に居れば良い。逃げるなら殺す。それだけだ」

 吐き捨てるようにそう言うと、陛下は立ち上がった。掲げられた手は、頬に振り下ろされることなく、迷うように揺れて、おろされた。温かかったはずの食事はとうに冷めきっていた。


 「いい加減、諦めたらどうだ」

 むすくれた顔で座り込む女に声をかける。上等に仕立てられたドレスは、土塊に汚れてしまっていた。

 「何日続けるつもりだ」

 「決まっているでしょう。あの方に会うまでよ」

 「今更会ってなんになる。お前のそれはただ意地になっているだけだ」

 じろりと睨めつけられる。不機嫌な緑の目が、あの人によく似ていた。

 「そんなの、私だって分かっているわ。今更会ったところで、子どもの頃のようになんて戻れないって」

 「なら、」

 「言ったでしょう、意地になってるって。ただ、もう一度会いたいだけなのよ」

 瞳が、逸らされることは無かった。ひとつ、大きなため息を吐く。

 「…本気で、あの方に会いたいと願っているのなら、俺ではなくハーシェス陛下に願え」

 「おとうさまに?…きっと会ってくださらないわ」

 「陛下はあの方とは違う。王女たるお前が正式に書面を送って謁見を申し立てれば時間をとるだろうさ」

 「本当に?本当に会ってくださるのかしら…」

 「ああ、必ず会って貰えるさ。お前は、王の娘なのだから」

 その出生を、何より証明する緑の瞳が、揺れていた。


 

 穏やかな午後の昼下がりだった。暖かな春の日差しに照らされる中庭。微笑む人達。風が頬を優しく撫でていく。僅かに乱れた赤髪をそっと直す嫋やかな手のひら。穏やかな風景。それを見守る男。

 ──私の憧れた、親子の姿。

 王は、彼女の願いを簡単に受け入れた。訴えを出したその月のうちに歓談の場は設けられ、3人は穏やかな時間を過ごした。まるで、本当の親子のように。

 王の艶やかな黒髪に、彼女の手が触れる。伸ばされた手に驚く王に木の葉がついていたのです、と慌てて弁明する娘。王は笑って無遠慮な手のひらを許した。安堵の息をつく娘に微笑みかけるあの方の眼差しは、慈愛に満ちていた。

 _王よ…王よ!なぜ、何故私は、私には…。

 握りしめた手のひらには爪がくい込み血が流れていた。この場から今すぐに立ち去ってしまいたかった。周囲を取り囲む王の近衛兵の視線がまるで針のように肌を刺していた。

 それでも、逃げ出すことはできなかった。あの方の、幸福に満ちた姿を、ただ、ただ、目に焼き付けていたかった。

 彼女と目が合った。幸福に笑うその瞳は、王と同じ、鮮やかな緑だった。その瞳が、憎くて仕方がなかった。


 今日も、穏やかな日だった。日差しは柔らかく頬をつつみ、窓から優しい風が流れ込む。こんな日は、窓辺で微睡むのが好きだった。__隣にいる娘さえ居なければ。

 「貴方、お仕事は何をしているの?」

 「眠っているのが見えないのか?」

 「客人がいるのに眠るなんて無礼ではなくて?」

 「客?どこにいるんだ」

 「目の前にいるのが見えないのかしら」

 「お前はただの不法侵入者だ」

 大きく目を見開くと心外だと言わんばかりに声を上げる彼女は、ここ連日、訪問を続けるようになった。あの日以来、遠慮というものを忘れたらしい。

 「お前こそ、こんなところで暇を潰していて良いのか」

 「やることなんてないもの。傷物の女を娶るような奇特な人がいれば別だけれど」

 「仮にも王家に在する者の台詞とは思えんな」

 「女はあまり学を得てはいけないのよ。武勇に励むのもダメ。花嫁修業なんてしても、嫁ぎ先がいなければ無用の長物だわ」

 「お前は、自分が嫁げないと思っているのか?」

 「当たり前でしょう」

 「自覚がないのか」

 「なにを自覚していないと言うの?」

 「お前は、美しいだろう」

 途端に頬を染め、言葉を詰まらせる様子にため息が出る。仮にも王女だというのに、娘はあまりにも初心だった。

 「褒め言葉くらい受け流せないでどうする。社交界でやっていけているのか」

 「パーティになんて出たのはデビュタントの1回だけよ」

 目を見開き娘の方を見る。

 「第4妃はそれを許したのか?王女が公の場に出ないなど!」

 「おかあさまが、おっしゃったのよ」

 視線を逸らし、手のひらを握りしめる。うつむき憂う顔は、やはり美しかった。

 「社交界に出るなど恥を晒すものだと。私は、傷があって醜いからと」

 呆れて声も出なかった。愚かだと思っていたが、ここまで愚かだったとは。

 「だから、婚姻の申し出がでない訳だ」

 「なんのお話?」

 「君は美しい。たかが背中の傷程度気にならないほどにはな」

 疑問ではあった。確かに女の身体に傷があるのは欠点だが、その傷は王子を庇ったいわば名誉の傷。彼女の美貌を持ってしてならもっと評判になるはずだ。

 だが、そもそも顔を知らないのでは、話題にすらのぼるまい。

 「本当に?本当にそう思っていらっしゃるの?」

 「当たり前だろう。お前は鏡を見たことがないのか?」

 「なら…なら、わたくしを」

 「お前なら、他国の王に見初められることもあるかもしれないな」

 甘く染められた頬が一瞬にして色を失うのを見た。呆然とこちらを見やる彼女に、言葉を続ける。

 「今度、第1王女の婚礼式があるだろう。お前と同腹の姉の」

 聞こえていないのだろうな、と、娘の様子を観察しながらも、言葉を紡ぐ。

 「そこに、1人王族が参列するらしい。北の国の、第一王子だとか。時期王との呼び声も高い」

 愕然とこちらを見る緑の瞳が、絶望に染まるのを見ていた。

 「北国と我が国との国交は長いこと絶たれていた。その中で、王族同士の婚姻が成されれば、素晴らしいことだと思わないか?」

 「えぇ、そうね」

 震える喉から出された声は、掠れていた。頷いたきり、彼女は、言葉を発しなかった。


 華やかな結婚式の場にて、現れた乱入者。彼女は幸福に満ちた顔で笑った。赤い髪を覆うヴェールを取り払って、その手を取って駆けていった。寒くて遠い、北の果てまで。


 「見事なものだったな!あの時の顔を見たか」

 笑い声をあげながら、あの方はこちらを振り向いた。

 「まさか花嫁をかっ攫っていくとはな。腹の見えん表情をする男だったが突飛な行動をするものだ」

 「笑い事では無いのですよ、ルシュティカ」

 咎めるような声をあげたのは王妃殿下だった。

 「我が国の第1王女の婚礼式で、誘拐があったのですから」

 「誘拐とは物騒な言い方だ。あれは完全に同意の上だっただろう。言うならば駆け落ちだな」

 「馬鹿げたことを!あの子が自分の意思でそんなことをするものか…!娘は無理やり連れていかれたのだ」

 「だから、野蛮な北国の連中を招き入れるなど反対だったのです」

 反応は様々だった。ただ、王も、あの方も、笑っているのだからきっと幸福な事だったのだろう。

 第1王女は、婚礼式にて、婚約者であった男ではなく北国の王子の手を取った。彼らの逃げ足は速く、その日のうちに国境を越えて母国へと戻った。その傍らに第1王女であった娘を連れて。

 追っ手を放ったものの追いつくことはなかった。否、元より捕まえるつもりなどなかったのだろう。皆が紛糾している間も王はただ笑っていた。この人は、分かった上でかの王子を招待したのだ。かの王子の血縁上の父は、王の親友だった。男子の生まれなかった北国に養子に出された男は、その親友に瓜二つだった。

 「まぁ、よかったでは無いか。元よりかの国には娘を1人くれてやるつもりだったのだから」

 「あの子はわたくしの、自慢の娘でしたのよ!」

 「ちょうど良い。仮にも王族に嫁がせるのだから上等な娘でなくてはな」

 「あんな…あんな蛮族に…!わたくしのロゼリアを…」

 蒼白な顔のまま崩れ落ちるように椅子に座りこんだ第4妃に一瞥をおくると、王は王妃を連れて立ち去った。それが、答えだった。

 第1王女とかの国の皇太子との婚姻は、認められたのだ。



 緩やかな破滅の音が聞こえる。



 「貴方は、おにいさまがお嫌い?」

 「随分と急な質問だな」

 いつもの午後の昼下がり。穏やかな日差しが頬を照らす窓辺。正面の椅子に腰かける娘は私に問うた。

 「第1王子のことであれば、そうだな。別段嫌いではないとも」

 「貴方は…あの方と親しいでしょう?」

 「ルシュティカ様のことを言っているのか?」

 レティシアは、ええ、とひとつ頷くと、躊躇いがちに言葉を続けた。

 「あの方は、おにいさまのことがお嫌いでしょう?」

 「嫌っている訳では無いさ」

 「公の場以外では話しかけても応答がないと嘆いていらっしゃったわ」

 「それは…」

 答えるべきか迷った。理由は見当がついていた。

 「君の兄の、後継者争いに影響を与えないためだろう」

 「どういうこと?」

 「君の兄は正直、王になるのは厳しいと思っている」

 その言葉を聞いた途端、娘は周囲を見渡した。周囲に人の気配がないことを確認し、安堵の息を吐く。そうして声をひそめて言葉を紡ぐ。

 「随分な発言ですわね。お母様に知られたらとハラハラしましたわ」

 「君の兄や母程度では私に害を与えることなど出来ないよ」

 「まぁ、強気ですこと」

 「事実だからな」

 納得のいっていない顔に微笑む。途端に頬を染めて顔を背ける娘は、相変わらず処世術を学んでいないようだった。

 「君の母君…第4妃は教育が下手なようだからな」

 「おかあさまが?」

 「元々学がないのだろう。子爵家の出で、本来ならば側妃になることさえ出来ぬ身分だ」

 「おかあさまの身分が足りないからおにいさまは王になれないということ?」

 「いいや、それは本人の実力不足だ。君の兄は不足だらけだ。才もないのに努力もしないのならば、王になどなれるはずもない」

 「なら、おにいさまは死んでしまうの?」

 「この国の慣例に従うならば、そうなるな」

 この国には、王弟や王兄といった存在はない。この国の王家の男児は生まれたその瞬間に、選別の水盤に血を垂らす。そうすることで、この国の継承権争いに参加する権利を得るのだ。だが同時に、その争いに敗れた時には、決して逃げられぬ死が迫る。敗れた王子は、新しい王が立ったその瞬間に、全ての魔力を奪われる。奪われた魔力はそのまま王の器に注がれ、新たな国への供物となる。故に、王にはなれぬと判断された男児は、せめて命だけはと願う母によって生まれてすぐに生殖器を切り落とされ、宦官として育てられることも多い。

 「今代は王子が多い。その理由が分かるか?」

 「いいえ、分からないわ」

 「第1王子が君の兄だからだ」

 「第1王子が、おにいさまだから?」

 いまいち分かっていない様子の彼女に、ため息が出る。本当に、第4妃の子は愚かな子どもが多い。唯一王からも目をかけられていた娘は、早々に家族に見切りをつけて他国へと嫁いで行った。

 「君の兄ならば、簡単に追い落としてしまえると考えられているということだ。優秀な王子がいたならば、子を守るために生まれたことさえ隠すが、そうはならなかった」

 「第1王子である君の兄が、無能だからだ」

 ハッキリと、伝えておくべきことだった。彼女の兄が王になることは、万に1つも有り得ない。

 「おにいさまは、生き残る事が出来ないの?」

 「今のままでは無理だろうな。いや、例え性根を入れ替えたとしても、もう既に手遅れだろう」

 「まだ、おとうさまが退位されるまでは時間があるでしょう?」

 「言っただろう、君の兄には才が無いと。唯一の利点である早く生まれたがゆえの時間の猶予を捨てた時点で勝ち目はない。他の王子が無能だったなら可能性もあったが…」

 続く言葉は無い。彼女は静かに目を伏せ、そうしてぽろりと涙をひとつこぼした。



 あの方が子を孕んだ。生まれた子は赤い髪を持っていた。こちらを盗み見る、貴族連中の視線が煩わしかった。



 「あの方の、子どもを見たわ」

 彼女の瞳は、赤く充血していた。震える指先が、強ばった表情が、掠れた声が、あの日の私に重なった。

 「あの子は、あの方のこどもは、貴方の…」

 「私は子を成せない身体だ。レティシア」

 驚愕に見開いた目が、こちらを見ていた。戸惑いと、歓喜と、切望と、疑いと…。多くの感情が彼女の顔に浮かび上がっては消えていく。

 「皆、誰もが、あの子はそうだと。あの方も、否定なさらなかったと」

 「肯定もしなかっただろう。くだらぬ疑念でしかない。あの方が身体を重ねるのは陛下だけだ」

 「…本当なの?子どもが、作れないというのは」

 「事実だ。私は生まれた瞬間にその機能を王に奪われている」

 それに、そもそもがおかしな話なのだ。あの方は私を愛してはいるが、恋はしていない。あの方の恋心はただ1人、唯一無二のこの国の王にだけ捧げられている。

 「それなら、あの噂は…」

 「ただの噂だ。事実無根のな」

 「ならどうして、生まれたあの子の髪は赤いの?」

 「あの方の父君は、それは見事な深紅の髪をしていたらしい」

 「そう…そうだったの。わたし、てっきり…」

 強ばった顔が、揺れる瞳が、安堵に溶けるのを見た。

 「ごめんなさい、噂を信じるなんて、自分が情けないわ。貴方はいつだって、嘘をついたことなどなかったのに」

 どこまでも、澄んだ瞳がこちらを見た。信頼に満ちた、その瞳が、あまりにも鮮やかな緑が、恐ろしかった。



 きっと夢を見ているのだろう。


 腕の中に、小さなぬくもりがある。あたたかで、柔らかなぬくもりが。

 「可愛いものだろう。赤子というのは」

 「…」

 「そんなに慎重に扱わなくても壊れはせん。すでに首も座っておるのだから」

 「しかし…こんなに柔らかくては潰してしまいそうです」

 まだ骨の固まりきっていない、柔らかな身体は少しでも力を入れれば簡単に潰してしまうような気がした。あの方の、細い指先が赤子の頬をくすぐったあと、私の髪を滑り、頬へと当てられた。

 「ふふ、やはりよく似ているな」

 「血の繋がりがあるのだから当たり前でしょう」

 「親子とて、必ず似るわけではないさ」

 「…ええ、そうですね」

 腕の中の赤子は、未だ穏やかな眠りの中にいた。燃えるような赤髪と、それと同じ色をしたまつ毛で縁取られた瞼の裏側には、鮮やかな緑の瞳があると知っていた。


 破滅の足音が聞こえる。

 緩やかに、されど止まることなく。



 「おねえさまが…亡くなった?」

 きょとん、と呆けた顔を見せる彼女が哀れだった。

 幸せに満ちた生活を得たはずだった。溶けた瞳で、頬を真っ赤に染めて男の手を取った少女は、冷たく息絶えた。

 「北国の王が遠方へ視察に行っている間の事だったらしい」

 「どういうこと…?」

 「かの国と、我が国では長い間対立があった」

 「でも、それは終わったって…今代の王は、」

 「国民全てがそれを受け入れたわけじゃない。それが全てだ」

 「だって、だって!おねえさまは、あんなにも幸せそうで!きっと、きっともう苦しむ必要なんてなくて…!」

 悲痛に顔を歪める彼女の肩を引き寄せた。じわりと生ぬるい感触が胸に広がり、それが涙だと悟った。人前で泣くなど、王女にふさわしい振る舞いとは言えない。馬鹿な娘。…王の娘にさえ、生まれなければ。


 軍靴の音が聞こえる。耳の奥、こだましている。それが破滅に向かう道と知りながら、靴音を響かせている。


「使者を出すと?」

 「そうだ」

 「かの国が、受け入れるとお思いですか」

 「有り得ぬだろうな。アレは、真相に気がついている」

 「では、やはり…」

 「ああ、かの国の王妃を殺したのは我ら太陽の民だ」

 「愚かな…」

 「愚かだとも。しかし死者は蘇らぬ」

 「戦争を、起こすつもりですか」

 「あちらとてそのつもりだ。無駄に時間を費やす必要は無い。早めに滅ぼしておかねば後代まで争いを残しかねん」

 「かの王は、中央国の奇才と親しいと聞きます」

 「例え夜の眷属共が出張ってこようと我らが負けることは無い」

 「止まるつもりはないのですね?」

 「私の代で終わらせておかねばならん。恥ずべきことだが、我が息子共ではあの男に勝てん」

 「第3王子はまだ期待が持てましょう」

 「あの中ではマシと言うだけだ。私の代に居たなら歯牙にもかからんだろう」

 「もし、あの子の髪が黒か、金だったなら、貴方は…」

 「過ぎたことは戻らん。詫びるつもりもない」

 「恨まれますよ」

 「既に恨まれているさ」

 「使者は、生きては帰らないでしょうね」

 「だろうな。帰ってきてもらっては困る。こちらから仕掛ける理由が必要だ」

 「誰を?」

 「替えのきく、されど王族でなければならぬ」

 「第3妃に、また恨まれますわね」

 「ああ、そして我が()()にもな」

 「可哀想な子。どちらも」

 「賛同してくれるだろう。王妃」

 「貴方に背くことはしませんよ。だから貴方も、私を王妃にしたのでしょう」

 「使者は、第6王女だ。今月中に、送り出す」

 「貴方の望むままに」



 静かな日常が、壊れる瞬間というものは何時でも唐突なものだ。例えば、今、この瞬間のように。


 「使者をだす。送り出すのはレティシア王女だ」

 「正気ですか!彼女を捨てるおつもりか」

「あれ以上の適任はいない。分からぬほど愚かでもあるまい」


 遠ざかる背中を追いかけ、縋り付くように抱きしめた。腕の中に収まる、細く、小さな身体。

 __どうして、どうして彼女なのだろう。

 どうしてこの子は、王の娘なのだろう。どうしてこの子は、あの女の娘なのだろう。そうでなければ、せめて、赤髪でさえなければ、私は、私は…!

 小さくびくりと揺れた後固まった彼女は、真っ赤な頬のまま振り向いた。柔らかな手のひらが私の頬を包み込む。

 「必ず戻ります。その時は、どうか出迎えて、抱きしめてください。わたしの愛しいひと」

 _その時は、正面から、私の顔を見てくださいね。

 美しいと思った。その、瞳が。真っ直ぐに、なんの歪みもない瞳。覚悟の決まった、女の顔だった。

 「愛しています。グライス」

 するりと、身体をすり抜けさせると。もう、振り返らなかった。ただ、ただ、見ていた。遠ざかっていく背中を。見つめることしか、できなかった。

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