マオウ・ゼロ -ガチの魔王な女子高生は、隣の席の男の子に正体がバレてしまったのだが!?-
――夜闇が疎ましい。
まばゆく輝いた電灯が、ふと足元を照らしていることに気が付いた。
「……チッ」
思わず出る舌打ち。それもそのはずで、私の肌には悍ましいほどのビル風が叩きつけられ――寒いのだから。譲り受けたマントがひらりと棚引いている。
私は今、ビルの屋上にいる。当然のように無許可だが、まぁきっと許してくれるだろう。
何故なら――
「三鷹様。ターゲットを確認しました」
「そうらしいな」
傍らの少女が、ふと私に目線を向ける。どうやら、いつまでもサボっていてはいけないそうだ。
「しかし、本当に私が行かなくてもよろしいのですか?」
「相手が予想通りなら、私が直接排除に向かった方がいいだろう? それに――私が先頭に立たなきゃ、我が魔王軍の士気に関わるんじゃないか?」
「士気ね……まぁ、三鷹様がそれでいいなら構わないんですけど。途中で負けそうになったからって、私に頼るのだけはやめてくださいよっ」
そう言って傍らの少女――五十土モエは、私に一本の無骨な大剣を投げて寄こした。
「壊さないで下さいよ。後で修理するの、大変なので」
「……あぁ。助かる」
五十土モエはヒトではない。人に見せかけているだけで、その本性は――四足歩行で雷を操る魔物である。故に大剣なぞ、軽々と投げられるのだ。
あぁ、そうそう。私だって人間ではない。
「それじゃあ――行ってくる」
足元からフッ……と、空中に体重を移動させる。要は飛び降りだ。
眼下の街灯の光は、いつの間にか消えている。
お誂え向き、といった所だろうか。
暗闇で良く見えないが、私の眼前には巨大な魔物の姿が見える。あれが、今回のターゲットだ。
――おっと、忘れていた。私の正体を言うのを。
大剣を手に、夜を飛び降り、魔物と戦わんとする少女の正体――あぁ、そうだ。白状すると織部三鷹の正体は――魔王なのだ。
******
魔王。それは文字通り、魔を征する王を指す言葉である。
本来であれば近代化と共に消えた、おとぎ話の存在。だがもしも、それらが現代でも存在しているのだとすれば……それが私だ。
かつてこの国には、第六天魔王と呼ばれた武将が居たらしい。
その血筋なのかそうでないのか――良くは分からぬが、とにかく私の始祖たる男は世に蔓延る"魔"を征することに成功したのだという。
魔物、魔族、魔法に麻薬。ありとあらゆる"魔"の支配者となった男は、魔王の称号を名乗っていた。
魔を征した男は、次に世を征さんとした。
こうして魔を統べる王は、人類の敵となった訳だ。
異国の魔女や魔法使いたちとも衝突し、結果として人類と魔王軍の戦いは五分五分。痛み分けも良い所で、何とか不可侵協定を結び、表向きは和解することに人類側は成功した。
――魔の一切を、表舞台から排除させることで。
結果として魔王と呼ばれた男とその一族、そして魔王軍は――有り体に言えば封印されたも同然となった。
魔物たちは住む世界の位相を変え、魔族は人となった。
そしてそれは、魔王とて例外ではない。男の一族は、持ち合わせた魔の多くを差し出すこととなり、あるのは残りカスのような遺産と、一族に伝わる魔法の適性のみである。最も、使い方の多くは奪われてしまったのだが。
魔法なんて、この国には存在しない。ごく一部の例外を除いて、多くの国ではおとぎ話の存在となった。
魔を統べる王は、皮肉にも、世界から"魔"を、根絶させたのだ。
******
ビルから飛び降り、ふわりと着地すると、そこには三メートルほどの巨大な猫が立っていた。
あれが、今宵のターゲットだ。
ここ最近、位相の乱れによって出現しないはずの『野良』が現れるようになってしまい、今日はそのうちの一体を討伐するためにやってきたのだ。
「魔の痕跡を辿ってみれば――まさか、迷い猫に出くわすとはね」
牙をむき出し、耳を揺らし、目は鋭い。そして特徴的な二本足での着地。
間違いない――ヤツは、妖猫だろう。
「このままでは街が危ない……が、しかし、なんだその巨体は。妖猫ってのはもっとこう、長靴をはいた猫みたいな、小さな奴だろう?」
ふしゃあ、と威嚇し続けるターゲット。どうやら長話はお嫌いらしい。
「じゃあ――もう死んでもらおうかッ!」
剣を構え、私は踏み込み、そして跳んだ。
まずは距離を詰める。その後の事は、その後決めよう。
あぁ、重い。
後ろ向きに流した大剣の重さは、正面の風を受けて一つ抵抗を生み出していた。跳び勇んだはいいものの、私の細腕では折れてしまいそうだ。
手汗で大剣が滑りそうだ。壊さないよう、気をつけないと。
私は、意図的にまばたきを挟み、体の芯にあるスイッチを押した。
「――強化ッ!」
単純な魔法で、なんとか腕は折れないようにはしておく。魔王の血筋とはいえ、身体機能はただの女子高生。白兵戦に向いているかと聞かれれば、否と答える他ないだろう。
遺された魔法だって、そりゃ普通の人よりはあるが、万全とするには一要素足りないって印象だ。
「おりゃあッ!」
距離を詰め、私は大剣を横薙ぎに振るう。一刀で全てを伏したいと願うのは、怠慢だろうか。
だが、予想通りと言うべきか……妖猫は斬撃を放つと、霧のように消えた。
あたりはほんの霧に包まれているだけなのに、なぜか私は四方八方から殺されかかっている、という実感に支配されている。
妖霧。
妖猫が"妖"と呼ばれる、最大の理由である魔法の名だ。
魔物の肉体は、その大半を魔力で占めている。故に、肉体そのものに作用する魔法は、魔物たちにとって息をするように可能であると言える。
妖猫の場合で言えば、流れる魔力の性質が"霧"と酷似しているため、体の魔力を活性化させるだけで霧同然の姿に変わり、攻撃を避けることができる。
再出現はあちらが主導権を握っている以上――死角からの攻撃も朝飯前と言える。
つまり私は、まんまと敵の罠に嵌った訳だ。
「……全く。知能は無い癖して、正々堂々という言葉を知らんか」
周りに漂う殺気。間違えなく私を狙っているのだろう。
私の注意が削がれるとき――彼の狩りは、幕を開けてしまう。
「難しいな……殺気を読み取るのは専門外だぞ……」
そんなのは暗殺者や護衛が持っているモノであって、主君たる魔王が持っているスキルではない。
不躾にも殺気と濃霧をまき散らす妖猫。
なるほど、視覚と敵位置の攪乱がヤツの狙いか。確かに前が見えない。
「さて……そろそろ殺しにきたらどうだ? バケネコ」
嘲るような声で誘い出す。
暫くすると、怒気のような匂いが鼻を掠め、次の瞬間には予想通り私の死角から飛び出してきた。
――そう、ここまで全て予想通り、なのだ。
飛び出してきた方向へ、私は大剣を――投擲する。
驚いたのか、妖猫はすぐさま霧散した様であった。
あぁ――本当に、予想通りだ。
先ほど私に殺気は辿れないと語ったが、魔力であれば多少は流れを読むことはできる。魔力を活性化させる形で体を霧散させた者の核を探るなど、できなくてどうするという話だ。
――私を誰だと思っている? 魔王、だぞ?
そして私は、右手を天に掲げこう魔法を言い放った。
「――鞄開」
これは、鞄魔法と呼ばれるモノの一種。事前に『入れておいたモノ』を、次元を超えて取り出すことができるという魔法だ。
手元が蛍のように輝いた次、手には古めかしい魔導書が握られている。
この魔導書は、歴代魔王の一角『氷の女王』が遺したとされる氷魔法の全てを記したという書物である。
その中の一節。記された魔法を行使する為に、私は取り出したのだ。
「完全凍結ッ!」
瞬間、肌寒い温度が通り――周りの大気が凍り出した。
そして私の半径数メートルからは、パラパラと落ちる霧の残骸。
私の認識が正しければ――これで、無力化には成功である。
完全凍結。対象を凍結させるという単純な魔法であるが、この魔法の特徴はその魔力操作の細かさ――粒度にある。
私はこの魔法を行使する際、霧状になった妖猫の肉体を、一粒ずつ凍結させるように操作した。
霧とは、空気中に散乱した水滴の集合体である。
魔力の性質を応用して霧と化しているのであれば、凍らせることで動きが止まるだろうと予測した。
それも万全を期すため、あえて斬撃を利用して霧状化させることで肉体をバラバラにし、万が一の蘇生にも対応できるようにしたのだ。
「倒したぞ、モエ」
「うわぁ。容赦ないですね、三鷹様」
屋上から、電気が走るように飛び降りてくるモエ。体をパカパカと電気にしながら降りてくるので、声が聞き取り辛かった。
「……何か言ったか?」
「いや? 魔王様万歳とは言ってましたよ」
ならいい……という訳でも無いだろうが、まぁ良いことにしておこう。
……完全凍結の魔力消費が激しいせいか、脳に考えが巡っていない気がする。
「さて。それじゃあ、かえ――」
帰路に就こうとする少しの暇。そのたった一瞬で、私は失敗したのだと気付く。
私たちの目の前には一人の少年――それも、見覚えのある顔があった。
要するに、バレちまったって訳さ。
「あの……こんばんは。その、織部さん……ですよね?」
見知った少年――陽文零は、そんな具合で話しかけて来た。
「…………」
とりあえず無視をする。喋ってボロが出そうになるのは、私の悪い癖だ。
陽文零は、私が普通の人間として通う高校の同級生――クラスメイトだ。
席が隣だとか、よく顔を合わせるとか、何故か話がよく合うとか……友人と言えば友人ともいえるし、そうでもない、微妙な顔見知り、といったのが私の陽文零に対する印象に他ならない。
「あの……そのマント、コスプレか何かですか?」
……あー、もう。マント見られてる。誤魔化しが効かない。
モエは……事態を察したか、もうどっか消えてるし。
あの子、ほんっと逃げ足だけは早いんだから。
さて、いつまでも黙っている訳にもいかない。長居は無用だし、ここは――
「――断っておくが、織部という少女の名は知らない。ここであったことは、夢か何かかと思って、忘れた方が身のためだぞ」
そう言ってマントを翻し、私はその場から何とか立ち去った。
「あ……ちょっと、織部さん!」
追いすがる声が聞こえたが、いったん無視をしておく。
そうしてしばらくすると、陽文の視線から外れることに成功した。
「……ありゃ、バレちゃってますよ。どうするんですか、三鷹様」
逃げた先に何故かいたモエは、そうやって不満げに口を尖らせている。
「上手くやり過ごす。幸いにも、見られたのは一人だけだし」
「それなら良いんですけど……」
そう言いながらステップを踏むように私の目の前に飛び出してくるモエ。
くるりと見まわした後、私の方を見てこう言った。
「それ、なんかフラグっぽい言い方ですよ?」
******
簡単に言えば、私の一族は魔王様の血筋で、代々遺言だからと魔王の座と力を継承し続けている。
……最も、先代である父が死に、一人娘である私にその字名が継承された辺り、恐らく先細りはしているのだろう。
現代において、魔王なぞ時代遅れで、継承する価値すらないのかもしれない。
――だが、それでも力は力だ。
父の言葉に従い、私は魔王としての力を、例えば今日のように行使している。
そうそう。父の遺言はもう一つあったな。
曰く「魔法の行使を見られてはならない」と。
……見られてはならない、筈なんだが……
******
「昨日の織部さん……カッコよかったなぁ……」
歩きながら、独り言でそう言っている陽文を、朝から見つけてしまった。
「ほらー。やっぱ陽文クン、ばっちり覚えちゃってるじゃないですかー」
小声でそう文句を言っている、制服姿のモエ。
……言い忘れていたがモエは私と同じ学校に通っている。一応、私の護衛と言う名目だ。
「ぐっ……せめて私に、防音魔法さえ使えれば……」
「この国、魔法に関する文献は初代様の一件でほっとんど残ってないですからね……」
まぁ、過ぎたことをどうこう言っていても私らしくない。ここは――割と堂々としていれば、触れられないだろう作戦で行くか。
「じゃ、後は頑張ってくださいね。三鷹様」
昇降口から廊下に上がって、数歩歩いた辺りでモエは私と別れた。そりゃあそうだ。だって、クラスが違うからね。
「……前にも言ったが、学校でその呼び方はやめないか? 不自然だ」
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「おはよう。陽文零」
「あ、織部さん。おはようございます!」
隣の席に座る陽文に、私はそう挨拶する。
……なんだなんだ。堂々としていれば、どうってことは無いじゃないか。
これぞまさしく、私が魔王ゆえになせる業――
「そういえば昨日、すっごい音がしてましたけど……近くにいた織部さんは、何か知りませんか?」
……訂正。いきなりぶっこんで来やがった、こいつ。
「なんか急いでたみたいだったから聞きそびれちゃって……」
「はて……知らんな」
とりあえず、すっとぼけてみよう。
「えー!? 嘘ですよ! だって昨日会った人、完全に織部さんと……あともう一人いたような」
ふふ……残念だったな、モエ。お前もバレてるぞ。
「夢でも見たんじゃないか? 最近は夜遅くまで塾通いとか言ってただろう。……疲れがたまってるんだよ、きっと」
「でも……ほっぺ抓ったら、痛かったんですよ?」
「……痛覚のある夢だったんだろう。とにかく、昨日の夜に見た夢なんて、忘れた方が良いに決まってる」
……そう。夢だったと、幻だったと、そう思ってくれればいい。
「……やっぱり、そうですよねー」
諦めがついたのか、陽文はまた違った他愛のない話を始めた。
していたのは、本当にどうでも良い話ばかりで、それでいてそれなりに盛り上がるものだから割と楽しい。
……のだが、なぜか私の心は、擦りむいたばかりの皮膚のように、流れる空気に傷を撫でられている様な感覚に陥っていた。
私は、何かを間違えたのだろうか。
いや、これで良い。
私は織部三鷹。師浦高校にいる二年生で、普通の女の子。
表向きには、それで、良いんだ。
******
昼休みになりまして。私とモエは、中庭のベンチに座っていた。
「ひゅー。流石っすね、見事な誤魔化しっぷり。流石、現代を生きる魔王様ですよっ」
モエはそう言いながら、自販機から出て来た紅茶のペットボトルを投げて寄こす。
「……そうだな。これでアイツは、私の正体を知らずに済む」
……パシンとペットボトルを受け取って、ふとため息をこぼしながら空を見た。
「魔王としての戦いなんて、真っ当な話知らなくても良い世界なんだ。むしろ感謝されてもいいくらいだと思わないか? 多くの民にとって、平和とは黄金に勝るとも劣らない宝なのだから」
そう、知らなくても良い世界。この国では、魔法なんて使えなくても、魔物と戦わなくても、生きていける。
やらなくても良いことを、わざわざやるほど人間は暇じゃない。
知らなくてもいい事……つまり、アイツにとっては、どうでも良いことだ。
どうでも良いことに命を賭ける必要なんて、本来的には無い。
何しろ、初代様が支配した"魔"の世界は、いつだって血生臭くて、命の危険に満ちている。
そんな……どうでもいい世界なんて、知らなくても良いんだから。
「? どーしました、三鷹様?」
チラリとこちらを伺うように、モエはパックジュースのストローから口を外す。
「いや……何でもないぞ」
そう答えてみたものの、声に何となく力が無いのを感じて『しまった』という思考がよぎってしまった。
見上げた空は何となく薄暗く感じ、雨が降るわけでもないのに、雨でも降りそうなへばりつく匂いが一瞬だけ鼻腔をくすぐった。
「もしかして……三鷹様って、嘘つくのニガテですか?」
「な」
何を言っているんだこの従者は。不倶戴天の"魔王"などと言う、大仰な字名を受け継いだ私が、嘘を吐けないなど、あり得ないだろう。
あり得……ないだろう。
「まぁ、気持ちは大体わかりますよ。いくら状況が状況だからって、友達に嘘つくのは体力要りますよね」
辛い、と言わないあたりが彼女らしい。ふと、そう思った。
「嘘など……魔王である前に、人であるなら、当たり前に――」
「だから、友達に、ってのがミソですよ。三鷹様、陽文零とかいう人間の事、嫌いじゃ無かったでしょ?」
「む……陽文はただのクラスメイトだぞ? 席が隣で、だからよく顔を合わせてて、なぜか話が妙に合うけど……」
「だから、それが友達って言ってるんですよ。……ほんっとこの魔王様、こういうとこ不器用なんだから」
そんな感じで、本来であれば不敬と断じられるようなセリフを、モエは吐いていた。
だが今の私に、彼女を咎める余力は残されていないように感じ、不敬に対して何も口を挟めなかった。
「とにかく。あんまり無理はしないでくださいよ? 遺言とはいえ、今の魔王は貴女なんですから。自分で決めたなら、バレちゃっても特に問題は無いと思いますし――」
背伸びをした後、モエは振り返りながらこう続けた。
「何より"人間"、本当のところの自分は、自分しか理解してあげられないんですから」
******
昼休みに聞いたモエの言葉が、何となく心に刺さっているのを感じながら、私は夕焼けの中を歩いていた。
「嘘、ねぇ……」
別に吐いているつもりは無かったのだが、言われてみれば確かにその通りだ。
私は、彼に嘘を吐いている。
魔王であるという事実を、ひた隠しにしている。
「そんなの……よくある事なのにな」
これまで出来た友達にだって、自分が魔王だと明かしたことなんてない。関係ないし、危険に巻き込みたくないからだ。
故に私は、秘密裏に魔王としての責務を果たしているのだ。
全ては、誰かの為に――
けど。
誰の為だろう、とも思っているのも私だ。
「……あのぉ。織部さん、ですよね?」
背後から声が聞こえて、私はふと振り返る。そこには、陽文が居た。
「陽文か。お前も帰りか?」
「はい。僕も織部さんと同じで、帰宅部なので」
ゆさゆさと揺れるリュックに目を取られていると、彼は私の隣に並び立って歩いていた。
「でも良かった。今度は間違わなくて」
「? 私を、何かと間違えたことがあるのか?」
「昨日ですよ。人違い、しちゃいまして。……次は間違えなくて、良かったです」
あぁ、これだ。
こいつの真っ直ぐな言葉は、私の心を突き刺すようで、嫌だ。
ホント――自分が嫌になる。
「……良い夕焼けですよね、今日は」
「そうだな。良い茜色だ」
空はまるで、明日が晴れであることを主張する様に昏く、紅く輝いていた。
「明日が晴れだって思えるのって、きっと当たり前じゃないんです。今日と言う日だって、もしかしたら無かったかもわからない。……それは、きっと僕たちの日常を守っている多くの誰かに支えられているから……ですよね」
私の前の方に向かい合う形になるように、後ろ歩きをしながら距離を作る陽文。
そんな彼の言っている意味は分からない。が、何となく私に向けた言葉なのだと理解できた。
「昨日の夜、何かと戦ってた女の子――織部さんですよね?」
風が吹き抜ける。
びりびりと、肌を突き刺す感覚が通り過ぎて行った。
そのせいか――陽文の後ろにモエが居ることに気づくのが、数秒だけ遅れた。
******
「待ってくれ――」
「確信したのは、朝の返答です。織部さん、僕はここまでの会話で昨日の事があったのを夜の出来事だと一言も言ってないんですよ。なのに織部さんは、昨日の夜、という言葉を言ってたんです」
駆ける雷電が陽文の背中を刺さんとしているのを、私は止められそうにない。
不味い。このままだとモエは、きっと陽文を始末してしまうだろう。
光は早く、もう掴めそうにない。ダメだ――それだけは。
そうして駆け抜ける雷電は、陽文の背中――を軽く素通りし、私の後ろの方まで駆けて行った。
「え?」
「どうしました、織部さ――」
私の方を見ている陽文の言葉が詰まる。その時点で気付いた。私の後ろに、何かが居ると。
「こんのバケネコッ! 死に損なったか!?」
私を陰から打ち取ろうとしていた巨大な猫の影と、モエが組み合っている。
アレは――妖猫だ。
「織部様ッ! ……あぁ、様付けはダメでしたっけ。とにかく! 陽文クンを連れて、離れてください! この程度のなら、私でも抑えられますので」
そう言いながら、モエは妖猫との防戦を始めた。
「モエ……でもそれって、抑えられる程度、でしょ?」
「努力はしますケド……生憎、私と妖猫じゃ相性が悪いし」
妖猫が突き出した拳が、先刻までモエの居た地面をえぐり取る。そこからわずかに霧が流れ、あぁ、触れたらヤバいのだろうなと呆然と考えられた。
ジャンプして避けたモエは、手のひらに目に見える程の電力を収束させて――放つ。
「放電――ッ!」
放った衝撃こそ受けるものの、属性ダメージそのものは妖猫の体を素通りしてしまった。
ヤツの体が半分ほど溶けたアイスのように霧になりかけつつ、奥の方からは赫い瞳で睨みつけていた。
それは私か、あるいはモエなのか――
「織部さん……!」
不安に駆られながらも、しっかりとした声が聞こえる。陽文だ。
彼は私の腕を掴み、力強く歩みだそうとしていた。
「離れましょう。モエさんが抑えてるうちに……!」
「お前……」
「織部さんたちが何と戦っているのか、何をしているのか、正直何にも分からないです。けど、モエさんは僕らを守ってくれてるんでしょう!? だったら、それに応えないでどうするんです!」
あぁ――そうなのか。
陽文は、私が思うよりもずっと――
「強い、のだな」
力はない。だが、私なんかよりも適応力と言うか……うん。有り体に言って、見くびっていたと言える。
「強き者こそが、魔を支配する、か……」
初代様の遺した数少ない言葉を回想しながら、私は――陽文の腕を振り払い、モエの居る方向へと歩き始めた。
「無茶ですよ織部さん! 今、丸腰なんでしょ?」
言われて、あぁその通りだ、と思い至る。
当たり前だ、学校帰りなのだから。
「昨日の織部さん、なんか持ってたのだけは覚えてるんです。……きっと、武器か何かないと、勝ち目なんて……」
「ないだろうな。そんなの、私が一番理解している」
今の私には、マントもなければ昨夜の剣も――魔導書だって、持ち合わせていない。
確かに今の私は丸腰も同然だ。モエと違い、魔物でも無いから、身一つでの魔法などたかが知れてる。
さっきまで私の後ろだった場所での激しい戦いに、どれだけ今の私は関われるのか、分かったもんじゃない。
だが――
「陽文。一つ言っておくぞ。私はな、どんな状況だろうが、私以外の敵に背を向けてはならないんだ。なぜなら――」
言って、ふと目を閉じ――そして開いた。
「私は――魔王だからな」
******
「魔王……」
噛み締めるように、陽文はそう呟いていた。
「鞄――」
鞄魔法を使って昨夜の魔導書を取り出そうとした辺りで、どう嗅ぎ付けたのか妖猫が私の目の前に現れた。
「二度は通じない――ってねッ!」
そう言って私は闇雲に――妖猫を殴りつけた。
効果は絶大。体から霧を吹き出しながら、ある程度は吹っ飛んでくれたようだ。
今のは、事前に入力しておいた強化を拳に収束させて放った一撃だ。
入力タイミングは目を閉じた時。
……私が、何の意味もなく目を閉じるわけが無いだろう?
「織部様……やれるんですか?」
「ふん……取り逃した野良猫一匹狩れないで、魔王なぞ名乗れないだろう?」
言って、私は振り返る。そこにいるのは陽文だ。
「陽文零。魔王として、貴様に警告しておく。――お前は逃げろ」
「織部さん……」
「貴様の場合、私と違って本当に無駄死にとなる。だから――」
どこか、遠くに行ってくれ。
そう言いかけて、私は周りが霧に覆われていることに気が付いた。
「またか」
「またですね」
足元は冷たく、どうやらヤツは今度こそ私たちを逃がす気は無いらしい。
「霧ッ!? ……織部さん! そっち見えないんですけど、大丈夫なんですか!?」
離れろ、と言わなかったからか、まだ陽文は知覚にいるらしい。
「鞄魔法――は、まだ冷却中ですよね」
「あぁ。使えるまでには、数秒かかる。――面倒くさい事をしてくれたな、バケネコめ」
要するに、今あるモノだけで何とかするしかないのだ。
霧の奥から瞳が見え、あぁもうすぐなのだなと、それだけが理解できた。
「モエ。――頼んだ」
「ま……そうなりますよね」
二、三度ほど手を握り直し、モエは雷電を練り直している。
……そうそう。言い忘れていたが、彼女の魔力属性は『雷撃』だ。
曰く、攻性を持つ雷が隊内を流れているとか何とか……とにかく彼女の放つ雷の魔法は、攻撃性が高いモノが多いとのこと。
先ほど見せていた放電は、分かりやすく言えばトゲトゲした雷を放つという感じで、移動時に雷と化しているのは、方向性を定めてそこに『攻撃』する形で移動しているので操作が難しいとか……
そんな彼女の魔力属性の利点は、攻撃がデフォルトで入力されているという事だ。
具体的に言えば――
「ふしゃあッ!」
「電網!」
彼女の魔力で防壁を編めば、自然と有刺鉄線のような性質を持った雷になるのだ。
「にぎゃあっ!?」
「直接の攻撃は受け流しますが、絡みつくトゲには弱いみたいですね……叩くなら環境、ですか」
モエは、周りを包んでいた霧に纏わりつかせる形で網のような防壁を展開し、出てきたタイミングで絡めとったのだ。
線形の攻撃であれば、そこを霧状化させれば素通りするのも出来ただろう。
だが、内側から絡めとる形では、どうにも対応が難しいらしく、まんまと電撃を喰らっていた。
「なーごぉ……」
「なんだ。悔しがれるのか、お前」
霧を解き、距離を離した妖猫。
「すごい……霧が一瞬で払われちゃった!」
私の後ろには、まだ陽文が立ちすくんでいた。
全く――早く逃げろっての。
「さて……霧の組成で分かったのだが、ヤツは昨夜の妖猫。つまり、完全凍結で凍らせるだけでは、まだ生き延びる可能性があるという事か……」
どうしたものか、と思案していると、陽文が――
「あれ? さっきよりその猫さん、小さくなってません?」
と、私に問いかけて来た。
「小さく……だと?」
改めて見据える。確かに、いくらか衝撃で払われた影響か、体積が小さくなっていた。
「なるほど……衝撃で霧払いされた分、ヤツの肉体は削れていくのか」
「であれば凍結では無く、風力に頼った方が……ですが魔王。風神の書は鞄魔法では……」
「あぁ、無理だな。アレは初代様の魔導書だ。簡単に取り出せん」
初代様が遺した魔導書の一つ。アレは、今の鞄魔法では取り出すことが難しい。
「であれば、何かしらの衝撃を与えれば――」
「恐らく、半端な衝撃では霧に化かされて終わりだ。……私の強化による一撃や、モエの放電では、ヤツの体を削れなかっただろう? かといって、先ほどの電網のように、幾度か絡めとるのも現実的じゃない。……一体、どうすれば」
そうやって考えあぐねていると、いつの間にか妖猫は私たちの目の前から消えていた。
「また霧状化して――」
見まわして、それが眼に入った瞬間、私は空見だと思い込みたかった。
妖猫は……陽文の近くに、現れていたのだ。
******
「陽文クンッ!?」
「ッ……! 逃げろ!」
必死に叫ぶも、既にヤツの攻撃範囲内。
まずい。やられる。
そうやって声を出すか出さないかの瀬戸際で、私は陽文の元へと走り出していた。
心臓がビリビリする。
まずい、まずいと心が叫んでいる。
今、ようやく理解した。私は――こういうことに、弱いのだ。
「陽文ッッッ!」
足が届かず、手だけは伸ばした。
「え?」
そこでようやく気付いたのか、陽文は目の前のバケネコを、ふと見上げているようだった。
――遅い。
その言葉が、私の胸を突き刺すと――
「……ッ、ふぎゃああああああああッ!」
陽文に触れようとした瞬間、何かに触れたのか、電網の雷撃でも上げなかったような悲鳴を上げて、妖猫は苦しんでいた。
その瞬間の私の目は、彼に――陽文に、僅かな魔力の流れがあることを告げていた。
「これは……」
彼は、普通の少年だ。前に話した通り、現代日本において魔法は消滅した存在。
だから。
彼に魔法の素質があるなど、本来、あり得ない事象なのだ。
******
「あれ……なんで、怯えてるんですか?」
逃げ遅れた体勢のまま、ポカンとしている陽文。
……えぇい、私までポカンとしてどーするんだ!
「陽文ッ! そのまま止めてられるか!?」
なんとか声を振り絞るように、私は叫んでいた。
「えっと……原理が分からないですけど、たぶんできる……気がします」
「よしっ、そのまま止めてろッ!」
そして私とモエは、足止めを喰らっている妖猫の元へと急いだ。
「鞄開……ッ! モエ、アレ頼んだぞ!」
「分かってますよ――静電、」
私は鞄魔法を使用して魔導書を取り出し、モエは両手に帯びた電力を練り上げていた。
手元には昨夜の魔導書。一粒づつ凍らせたのでは、また逃げられる……ならば。
「四点凍結ッ!」
「鎖!」
四肢と、さらに先ほど効いていた電撃の有刺鉄線を巻き込む形で凍結し、動きを封じることに成功した。
「ぶにゃあああああッ!」
次こそは逃げる事など出来ない。もし動くようなことがあれば、絡めとった電撃の鎖が体を構成する霧に高電圧を流され、ダメージを受けるからだ。
こうして、私たちは何とかリソースが限られる中で、妖猫の制圧に成功すのだった。
「……これで、終わったんですよね。織部さん、モエさん」
……同時に、私たちは陽文零に正体がバレてしまったともいえるが。
「……なァ、陽文零。……今日の事を、忘却魔法無しで忘れる……とかはできそうか?」
「え? 忘却魔法なんてあるんですか? いやだなぁ。使わないでくださいよ、織部さん」
どうやら、彼から記憶を消すには、忘却魔法が必要みたいだ。
イヤだなー。アレ、ものすんごい疲れる上に、記憶障害の危険性もあるからな―。……魔王たる私にとっても、難しい魔法なのだ。
「ま、バレちゃったらならしょうがないですよ。それより……」
いつの間にか私と陽文の間に現れたモエは、熱でも測るように陽文の額に――自分のおでこをくっ付けた。
「ちょ、モエ――!」
「痛ッ……!?」
ごく弱い電気を流したのか、陽文は何か痛がってるようで――って
「あ……あなた、自分が何やってんのか分かってんの……?」
プルプルと震えながら、私はそう聞いていた。
「ただのパッチテストですよ。……もしかして、おでこぴとーってしたのにドキドキしちゃったんですか?」
そう言いながら、モエの笑顔はどこか悪戯っぽい。
「し……してないぞ! 断じて! そうか……パッチテストか……うむ! 良く仕事をしているな! うむうむ!」
彼女の言うパッチテストの意味があまり理解できないが、動揺していると思われるのも嫌なので、とりあえず適当にそう返事した。
「あの……なんで僕、いきなり静電気流されたんですか?」
当惑の感情で、モエにそう聞く陽文。……私も分からないとは、口が裂けても言えないが。
「あー、それですね。言っちゃっても……まぁ大丈夫か」
モエは悪戯っぽい笑みを即座に切り替え、陽文に向き合っていた。
「――あのですね、陽文クン。今君には、私の魔力を微弱に流したの。原理はややこしいんだけど……アップロードとダウンロードを、私と君の脳みそで行ったって言えばいいのかな? それによって、私は君の持つ魔力特性――つまり属性を測る事ができた」
「魔力特性? 属性?」
「ザックリ言えば、魔力の方向性。私の雷みたいにね、あらゆる存在には魔力の方向性が存在するんです。それを魔力特性、という。さっき君が、妖猫を止めれたのは、これが大きいと判断したの」
なるほど……つまり、今のは微弱な魔力を流すことでその抵抗を引き出し、そこから属性を測ったという訳か。故にパッチテスト――まったく、お洒落な物言いをしてくれるじゃない。
「調べたところ、君には、魔物使いの素質が見られる。まだ詳しく調べないと分からないけど……君の属性は隷属、ってところかな。私が見たところによると」
「隷属……」
魔物使いの素質……って、ちょっと!?
「それ、私たち魔王にも現れなかったっていう逸材じゃないの!? なんでそんなのが私の近くにいるのよッ!」
あの初代様でさえ魔物とは単純な契約止まりだったのに、あろうことか魔物を支配出来うる属性を持ち合わせてるのが、陽文ってコトなの……?
「……よくわかんないですけど、なんかすごい力を持ってるんですね、僕」
「すごいなんてもんじゃない……キミ、次の魔王だって夢じゃない素質だぞ……」
成程……隷属の属性であれば、先ほど妖猫の動きを止めれたというのもうなずける話だ。
おそらく、彼は無自覚で妖猫との間に魔法的な隷属契約を結び、その拒絶反応で動けなくなったのだ。
「試しに、拘束した妖猫と本格的な隷属契約を組んでみてください。たぶんできるから」
「うーん……」
よくわからないなぁ、と言った表情で陽文は妖猫の元へと歩いていく。
「えっと……僕に従えー! ……じゃダメだよね……」
従え、という言葉を発した瞬間。陽文の腕のあたりがほのかに輝き、今度はしっかりとした魔力の奔流が辺りに広がっていった。
その光はやがて妖猫と繋がり、旧い鎖を解き放った後、陽文が繋ぐ新たな鎖に縛られた後、光となって彼の体に収束していった。
隷属完了、という言葉が、素質のない私の脳裏にもよぎった。
「あの……これで良いんですか?」
「はい。これからは、好きなタイミングで妖猫を呼び出せます」
こうして、妖猫による一連の戦闘は終わりを告げるのだった。
1人の配下と、1人のイレギュラーによって。
「結局、私は一人じゃ勝てないのか……」
取り逃がした野良猫は、私一人で捕えきれず、二人の友人の助けで何とか抑えられましたとさ。
……精進しないとなぁ。
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「というわけで、このように妖猫を抑えられたというところからも、陽文クンには私たちとおんなじ――魔法使いとしての素質があるわけです……分かりましたか? 三鷹様」
「え……!? う、うん! 分かってたぞ!」
とっさに話を振られて、私はあわてて返事をしてしまっていた。
「さて。ここで陽文クンに提案、というか命令なのかな? ――キミには、我が魔王軍の傘下として、魔法使いになってほしいのです」
まぁ予想はしてたけど……モエは、こんな事を言っていた。……予想してたけど!
「魔王軍の傘下……? つまり、これからは織部さんたちの仲間になるってことですか?」
「そうなるね。今日みたいにこの街、魔物が割と出現するんです。それを倒して回ってるのが私たち、魔王軍なんです。……最近始めたばっかりで、三鷹様の配下は私だけですけど」
実はそうだったりする。魔法の基礎とかについては、幼少から父に叩き込まれたのだが……実戦使用はここ二年がピークだったりする。
「キミには素質があるし、何より――正体バレちゃったからな。口止めの意味も込めて、私……織部三鷹の配下となってほしい」
夕焼けは既に暮れ、辺りが夜になり始めるころ。
今宵。魔王は一人の少年を――誘っていた。
「はい! 織部さんの仲間ならなりますよ!」
……割と即答だった。
「……いいか陽文。私の配下、だぞ? 魔王軍だぞ? ……本当にいいのか?」
「正体見抜いちゃった僕の責任でもあるし……それに、織部さんなら……魔王様なら、危ない時は守ってくれるんですよね?」
その言葉はあまりにもまっすぐで――私までもが、テイムされてしまいそうになった。
そういえば……魔王って、魔物の一種だっけ? ゲームとかだとそうだよね、うん。
「……織部さん?」
「くくっ……言ったな? 陽文零」
とりあえず嗤っておく。何を言うべきか分からないので。
「今宵、この時より、貴様は私の配下となったのだッ! この私、魔王・織部三鷹の配下になッ!」
「はい、お願いします!」
「よろしくお願いされまーす」
……うーむ。
「……キミ達さ。緊張感っていうのが無さすぎるんじゃないかな? 陽文さ、魔王軍入るにしては、挨拶が爽やかじゃない?」
「え? そんなおどろおどろしい組織なんですか?」
「そうじゃないけど、そういうことにしてよ。魔王軍だからさ」
今はまだ、キミを入れて三人だけどさ。
――序編・了




