第二章 宇宙からの視線
小章① 偽りのスペクトル
『ガイア・ソリューションズ』の解析室。 真紀は、複数の高解像度モニターに囲まれていた。 彼女がアクセスしているのは、欧州宇宙機関(ESA)の地球観測衛星『センチネル2』が撮影したマルチスペクトル画像データだ。 対象エリアは、インドネシア・カリマンタン島の中部。テラ・ジェネシスが「再生の森」と呼ぶ地域だ。
「……座標はここね」
真紀はキーボードを叩き、NDVI(正規化植生指数)を算出した。 NDVIとは、植物の葉が反射する近赤外線の量から、植生の活性度や密度を測る指標だ。数値が高ければ高いほど、植物が繁茂していることを示す。
画面に表示された地図が、濃い緑色に染まった。 0.85。 極めて高い数値だ。熱帯雨林としても最高レベルの密度を示している。
「数値上は、確かに森ね。それも、驚くほど均質な……」
真紀は眉をひそめた。 自然の熱帯雨林は、多様な樹種が入り混じっているため、データ上のスペクトル(波長)には「ゆらぎ」が生じる。高い木もあれば低い木もあり、葉の形や色も違うからだ。 しかし、テラ・ジェネシスの森は違った。 まるで緑色のペンキを塗ったように、数値が均一すぎるのだ。
「単一樹種のプランテーション?」
パーム油を採取するためのアブラヤシ農園や、製紙用のユーカリ植林地では、こうした均一なデータが出ることがある。 だが、テラ・ジェネシスが謳っているのは「生物多様性に配慮した、自生種による森林再生」だ。 真紀は解析モードを切り替えた。 今度は、合成開口レーダー(SAR)衛星『だいち4号』のデータを使用する。SARは雲を透過して地表の形状を捉えることができるため、樹木の「高さ」や「立体構造」を把握できる。
データがレンダリングされ、3Dマップが構築されていく。 そこに現れたのは、奇妙な光景だった。
「……何これ」
真紀は息を呑んだ。 広大なエリアの中央部分。そこだけ、樹高データが不自然に低い。 いや、低いのではない。 「何もない」のだ。 光学衛星(写真)では濃い緑色に見えていた場所が、レーダー衛星のデータでは「平坦な更地」として表示されている。
「写真の合成? まさか……」
光学衛星の画像は、雲の少ない日の画像を繋ぎ合わせて作られることが多い。その処理過程で、意図的に別の場所の「森の画像」を貼り付けることは、技術的には可能だ。だが、それはあまりにも稚拙で、すぐにバレる嘘だ。 いや、テラ・ジェネシスのような巨大企業が、そんな単純な偽造をするだろうか?
真紀はさらに過去のデータを遡った。 一年前、二年前、三年前。 三年前のデータ。そこには確かに、鬱蒼としたジャングルが広がっていた。 だが、二年前のデータから、その森が急速に消失している。 そして現在。 光学画像では「森」に見える場所。しかし、熱解析データを見ると、その地表温度は周囲の森よりも5度以上高い。 これは、植物の蒸散作用が行われていないことを意味する。
「森じゃない。……緑色に見える『何か』が地面を覆っているだけ?」
真紀の背筋に、冷たいものが走った。 彼女は、ある可能性に思い当たった。 それは、彼女がかつてアフリカの環境汚染調査で見た光景だ。 有害な化学物質や重金属を含んだ廃棄物が投棄された土地。そこでは、特定の耐性を持つ「苔」や「藻類」だけが異常繁殖し、地表を鮮やかな緑色に染め上げることがある。 上空から見れば、それは美しい緑地に見える。 だが、その実態は、死の土地だ。
「彼らは、森を再生したんじゃない。森を殺して、何かを隠したんだ」
真紀は受話器を取り、ケインに連絡を入れた。 手には汗が滲んでいた。
小章② 現地からのシグナル
ケインへの報告を終えた真紀は、さらに詳細な裏付けを取るために動いた。 衛星データだけでは、「疑惑」の域を出ない。現地で何が起きているのか、生の情報を得る必要がある。 彼女は、インドネシアの環境NGO『グリーン・カリマンタン』に所属する知人、アグスにメールを送った。彼は現地の森林伐採問題に取り組む活動家だ。
しかし、丸一日経っても返信はなかった。 普段なら数時間で返信をくれる彼が。 嫌な予感がした。 真紀は、アグスのSNSアカウントをチェックした。更新は一週間前で止まっている。最後の投稿は、荒れた赤土の大地に立つ一枚の写真と、短いメッセージ。
『悪魔の煙が森を焼いている。彼らは夜にやってくる』
写真の背景には、テラ・ジェネシスのロゴが入った重機が小さく写り込んでいた。
その夜。真紀のスマートフォンに見知らぬ番号から着信があった。 国際電話だ。国番号は+62。インドネシア。
「……もしもし?」
真紀は緊張して応答した。
『タキガワ……さんですか?』
ノイズ混じりの、小さな女性の声。日本語だが、強い訛りがある。
「はい、滝川です。あなたは?」
『アグスの……妻の、サリです』
女性の声は震えていた。
『夫は……アグスは、行方不明になりました。三日前、テラ・ジェネシスのプラント近くに調査に行ってから、帰ってきません』
「警察には?」
『警察は動きません。あそこの警察署長は、会社から賄賂をもらっているから……。お願いです、夫を探してください。夫は、とんでもないものを見つけてしまったと言っていました』
「とんでもないもの?」
『「黒い水」です。森の奥から、黒い水が流れてきていると。……それを日本に知らせなければならないと』
通話の向こうで、誰かの怒鳴り声と、ドアを叩く激しい音が聞こえた。
『! ……彼らが来たわ。タキガワさん、データを送ります。夫がクラウドに残した……』
プツン。 通話が切れた。 真紀は「もしもし!」と叫んだが、無機質な電子音が響くだけだった。
直後、真紀のメールアドレスに、一件のファイルが届いた。 差出人はアグスのアドレス。 件名はなく、添付ファイルのみ。 開くと、そこには数枚の写真と、短い動画が入っていた。
写真は、夜間の森を隠し撮りしたものだ。 大型トラックが何台も連なり、ドラム缶を降ろしている。 ドラム缶には、ドクロのマークと、見慣れない化学式が書かれている。 そして動画。 アグス本人が、息を潜めて囁いている。 「ここはバイオマス発電所じゃない。……焼却炉だ。日本から持ち込まれた、処理できない『毒』を、ここで燃やしている」
動画の最後、カメラが地面に向けられる。 そこには、テラ・ジェネシスが「植林地」と呼んでいた場所があった。 木など一本もない。 あるのは、ヘドロのように黒く変色した土と、その表面を覆う、不気味に蛍光色を発する緑色の藻だけだった。
真紀は震えが止まらなかった。 これは「グリーン・ウォッシュ(見せかけの環境配慮)」などという生易しいものではない。 先進国の産業廃棄物を、途上国の森に不法投棄し、あろうことかそれを「森林再生事業」と偽って投資家から金を集める。 二重、三重の詐欺であり、環境破壊であり、人道に対する罪だ。
その時、オフィスのインターホンが鳴った。 午後十時過ぎ。来客の予定はない。 モニターを見ると、作業服を着た二人の男が立っていた。 手には工具箱を持っているが、その目は作業員のそれではない。 殺し屋の目だ。
(……もう、嗅ぎつけられたの?)
真紀はパソコンのハードディスクを引き抜き、鞄に放り込んだ。 オフィスに裏口はない。 彼女は窓を開けた。ここは三階だ。隣のビルの非常階段まで、約一メートル。 雨が降っている。 飛び移れるか?
ドアの鍵が、ピッキングでガチャガチャと鳴り始めた。 迷っている時間はない。 真紀は窓枠に足をかけ、闇の中へと身を躍らせた。




