表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/8

協調を強いる人々

― 個の消滅と全体主義、死の共有を強制する社会


 


 さらに南へ。

 光が強く、影が短くなっていった。

 昼と夜の境目が薄れ、世界がひとつの光の中で焼かれているようだった。

 海は遠ざかり、空は白く、音は少ない。

 生きているものが減り、死んだものも減り、

 代わりに“群れ”が増えていった。


 


 地平の彼方に、均整の取れた街が見えた。

 四角い建物が幾何学的に並び、中央に巨大な塔が立っている。

 灰色の石と、反射しない金属でできていた。

 通りには同じ服を着た人々が行き交い、

 同じ速さで歩き、同じ方向を向いていた。

 風が吹いても、誰も髪を乱さなかった。


 入口の門に刻まれた言葉。

 《調和区》

 均質こそが平穏だという標語のようだった。


 


 中に入ると、広場に群衆が整列していた。

 数百人ほど。

 全員が同じ表情で、同じ姿勢で、同じ方向を見ている。

 中央の壇上に一人の男が立ち、穏やかな声で語っていた。


 「われわれは孤独から解放された。

  悲しみも怒りも、もはや個のものではない。

  すべては共有され、すべては分配される。

  死もまた、共有すべき幸福である」


 人々が頷く。

 音はない。

 ただ同調する動作だけが波のように広がった。


 


 わたしは人混みの後ろで立ち尽くしていた。

 壇上の男は穏やかな目をしていた。

 だがその瞳の奥に、人ではない静けさがあった。

 彼は宗教家ではなく、演算のように話していた。


 「悲しむ者がいれば、皆で悲しもう。

  一人の死を、全員で引き受けよう。

  そうすれば、誰も“残される”ことはない」


 人々が目を閉じる。

 全員の胸の前に、同じ印が刻まれていた。

 線が交わり、円を描き、中心で一点に収束する。

 “とも”の印。


 


 「彼らは、死を“分配”する」と後ろから声がした。

 振り向くと、痩せた老人が立っていた。

 灰色の衣をまとい、肩に砂埃を積もらせている。


 「どういう意味だ」とわたしは問う。


 「一人が死ぬと、その痛みを全員で分け合う。

  感情を分配し、記憶を共有する。

  死は“個”のものではなくなる。

  そうすることで、孤独を消し去った。

  だが、それは慰めではない。支配だ」


 老人の声はかすれていたが、静かだった。


 「彼らは“個”を恐れる。

  個がある限り、死も愛も、私有されてしまうからな」


 


 群衆の前で、壇上の男が両手を広げた。

 光が彼の背後から差し、影が大地に伸びた。


 「今朝、ひとりが死を迎えた。

  我々はその死を、全員で抱こう」


 群衆がゆっくりと目を閉じる。

 手を胸に当て、同じ呼吸を始めた。

 呼吸のリズムが一致していく。

 やがて、わたしの胸にもその鼓動が伝わる。

 まるで見えない糸で結ばれたように。


 ひとりの死が、数百の胸にコピーされていく。

 同時に、全員の顔から血の気が引いていく。

 死の痛みを共有する代わりに、

 生の実感が均等に薄まっていく。


 


 老人がつぶやいた。

 「死を“分ける”ことは、命を“薄める”ことだ」


 壇上の男は続けた。

 「苦しみを個人に留めてはならない。

  誰かが泣いたら、皆で泣く。

  誰かが死んだら、皆で死ぬ。

  それが調和の本質だ」


 拍手も、歓声もない。

 ただ静寂だけがあった。

 静寂の中で、誰かが倒れた。

 次の瞬間、隣の者も倒れる。

 まるで糸を辿るように、列が崩れていった。

 だが誰も騒がない。

 倒れることすら儀式の一部だった。


 


 わたしは壇上に近づいた。

 「彼らを殺しているのか」と問う。

 男は首を振る。

 「違う。死を“共有”しているだけだ」


 「それは生を奪うことだ」


 男は穏やかに微笑んだ。

 「個の死があるから、世界は不均衡になる。

  私たちは均衡を保っている。

  悲しみも痛みも、誰かひとりのものではない。

  死を平等にすれば、誰も死なない」


 彼の言葉は、まるで祈りの反転のようだった。


 


 老人が低く笑った。

 「均等という名の牢獄さ。

  死を恐れるあまり、感情を等分にし、

  個性を削り、世界を無味にした。

  痛みも薄めれば、喜びも薄まる」


 わたしは頷いた。

 「彼女が言っていた。

  “強調を強いる社会は、

   優しさを取り違えた暴力だ”と」


 


 男がこちらを見た。

 「君は違うのか?」


 「わたしは彼女を失ったまま、まだ歩いている」


 「ならば君も、痛みを共有すべきだ」


 「いや、わたしはこの痛みを渡さない。

  これはわたしのものだ。

  彼女を知っていたのは、わたしだけだから」


 男の微笑がわずかに揺れた。

 群衆の目が一斉にわたしを向いた。

 その瞳に敵意はなく、ただ無色の関心があった。


 老人がわたしの肩に手を置いた。

 「もう行け。この街は“ひとりでいる者”を飲み込む」


 


 塔の陰を抜け、外へ出ると、

 風が頬を打った。

 それは冷たく、どこか懐かしかった。


 振り返ると、街全体が灰色の静寂に沈んでいた。

 空には煙のような雲が漂い、塔の上では光が脈打っている。

 誰かの命が終わるたび、

 その光は弱くなり、また元に戻る。

 均等に、終わりなく。


 


 歩きながら、わたしは彼女の声を思い出していた。


 ――“誰かが死んだら、家族まるごと死ぬような世界は、

   優しさの形を間違えてる。

   悲しみは、ちゃんと“ひとり”で抱えるものだよ。

   だって、それが生きている証だから。”


 


 調和区の街並みが遠ざかる。

 背後で風が吹き抜ける。

 誰も追ってこない。

 誰も呼ばない。


 わたしは空を仰いだ。

 光は均等だった。

 だが、その均等の中に、わずかに濃淡があった。

 その微かな差が、まだ世界に“個”が残っている証だった。


 


 歩きながら思う。

 誰かと分かち合う優しさも、

 誰かに踏み込まれない孤独も、

 どちらも必要だったのだと。


 世界はまだ、その均衡を思い出せずにいる。


 


 砂の上に自分の影が落ちる。

 わたしはそれを踏みながら、歩きつづけた。


 わたしの死は、まだ遠い。

 けれど、その分だけ、あなたに近づいている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ