改悪をくりかえす人々
― 生を改造し、永遠を拒むことのできなくなった人間たち
南へ歩きつづけて、季節がまたひとつ変わった。
風は冷たく、空気は乾いていた。
空の色は薄く、青というよりも透明に近い。
どこまでも澄みきっていて、視界の果てに山が浮かんでいる。
世界が、静かに息をひそめているように感じた。
線路はやがて途切れ、代わりに古い舗装道路が現れた。
地面の下で鉄骨が軋む音がした。
遠くで、機械の駆動音のようなものが聞こえる。
まだ、機械が動いている場所があるのだろうか。
道を進むと、灰色の街が見えてきた。
その上には、巨大な塔が立っている。
塔の頂には無数のケーブルが伸び、雲の中へ消えていた。
かつて研究都市と呼ばれていた場所。
いまは「延命区」と呼ばれている。
入口には鉄の門があり、
“検査中”という古い看板が風に揺れていた。
扉を押すと、意外にも簡単に開いた。
中は無人だった。
道路の両側には透明な筒が並び、
中には人間が立ったまま眠っている。
彼らは薄い液体の中に浮かび、
皮膚の色は人工的な光を反射していた。
チューブが身体に刺さり、
心臓の鼓動を人工的に保っている。
目を閉じたまま、動かない。
けれど、死んではいなかった。
わたしは思わず足を止める。
あまりにも静かだった。
呼吸音も、心拍のリズムも、規則正しく、同一だった。
この空間だけが、時間を拒んでいるようだった。
壁際に古い端末があり、
画面には小さな文字がゆっくりと流れていた。
――「第百三十五期保存個体 維持率99.6%」
――「目標:不老の達成、死の根絶」
画面を閉じる。
その瞬間、遠い記憶が胸を刺した。
――“人って、たまに死をおそれすぎて、大事なものを見失うよね。”
彼女の声だった。
柔らかく、笑っているような声。
あの頃の彼女はまだ、生きていた。
わたしよりも先に、死を知っていた。
通路の奥に、一人の人間がいた。
他と違い、液体の外に立っていた。
背は高く、身体の半分が機械に置き換えられている。
腕は金属、脚は義肢、片目は赤く光っていた。
「外の人間か?」
声は低く、掠れていた。
喉の奥で機械音が鳴る。
「君たちは、まだ生を望むのか」とわたしは問う。
男は少し笑った。
「望む? 違う。これは義務だ」
「義務?」
「死ぬことが許されないんだ。
我々は“人類の記録”として存在を続ける。
死ねば、それが途絶える。
だから、改良を重ねて、終わりを先送りにしている」
男の声には感情がなかった。
それはまるで、祈りを失った祈祷のようだった。
「けれど、君たちはもう“人”ではない」
わたしがそう言うと、
男は静かに頷いた。
「そうだ。
我々はもう、生きることを忘れた。
呼吸はしているが、息をしていない。
痛みを感じず、飢えも知らず、
ただ稼働しているだけだ」
彼はしばらく黙り、
やがて、ゆっくりと空を見上げた。
「死を恐れた結果、
我々は“死ねない呪い”を作ってしまった。
それを“進化”と呼んでいるだけだ」
塔の上から、光が漏れていた。
それは機械の心臓のように明滅している。
都市全体がひとつの生命体のように呼吸していた。
けれどその呼吸には、温度がなかった。
冷たく、乾いていた。
街を歩くと、地面に刻まれた無数の足跡が見えた。
しかしそれはすべて古く、
もう誰もここを通らないことを示していた。
延命区の中心に、小さな祠のような場所があった。
中には古びた写真が飾られている。
色褪せた笑顔。
家族のようだった。
だが、写真の中の誰も、今はいない。
その下に、刻まれた言葉があった。
「ここにいる者たちは、人であったことを忘れるな」
風が吹いた。
塔のケーブルが揺れ、金属が軋んだ音を立てた。
その音が、どこかで聞いた泣き声のように聞こえた。
わたしは目を閉じた。
彼女の声が、また胸の奥で響く。
――“死ぬって、悪いことじゃないよ。
だって、終わりがあるから人は優しくなれるんだもの。”
その言葉を最後に、彼女は姿を消した。
それからどれほどの時が経ったのか、もう覚えていない。
けれど、その声だけは、いまだに消えない。
塔の灯りがひとつ、消えた。
時間が止まったように、音が消える。
わたしはその場を離れ、南へ向かった。
ふり返ると、都市全体がゆっくりと暗くなっていく。
まるで、誰かがようやく“眠る”ように。
死を恐れ、改良を重ねた人々は、
いつしか“死”そのものを羨むようになった。
終わらせることができないことは、
生きるよりも、ずっと残酷だ。
わたしは歩く。
夜が来る。
空に星がまたたく。
人間の作った光は、もうほとんど残っていない。
星だけが、変わらずそこにある。
それが唯一の救いのように思えた。
風の中で、誰かの声がした。
確かに、彼女の声だった。
――「ねえ、君。
人は死を恐れて、永遠を欲しがる。
でも本当は、
“永遠”の方がずっと死に近いのかもしれないね。」
わたしは足を止め、
ただ、風の方を見つめた。
声はすぐに消えた。
風だけが、あとに残った。
それでも、歩かなくてはならない。
わたしの死は、まだ遠い。
けれどその分だけ、あなたに、また少し近づいた。




