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07.五万の値札

本日2話投稿です。(1/2)

スラム街の一角に、廃車のボディを切り開いて組み上げた掘っ立て小屋がある。そこがジャックスの店だ。

錆びたドアの上には「雑貨屋」とだけ書かれた歪んだ鉄板の看板が掲げられていた。しかし客の目当ては油差しや釘ではなく、闇市場に流れる義体部品や違法コードだった。


小屋の奥、カウンターの上に身を乗り出したジャックスは、いつものように安酒の匂いを漂わせながら客をさばいていた。


扉が軋みを立てて開いた瞬間、ジャックスの目が思わず細まった。


「……おう、来たな」


立っていたのはユキヤだった。


数日ぶりに現れた少年の雰囲気は、以前とは明らかに違っていた。

頬の線こそ痩せたままだが、姿勢は真っ直ぐに伸び、視線は揺るがない。

肩や腕にはうっすらと筋肉の張りが生まれ、歩幅には不思議な均整があった。


(へぇ……ガキのくせに、ほんの数日で兵士みたいな空気を纏いやがる。不思議な奴だ)


ジャックスは口元をにやりと歪め、気安げに手をひらひらと振った。


「金が尽きた。仕事を寄越してくれ」


「ちょうどいい。前に頼んだ修理、あれは見事だった。ユキヤにしかできねぇ芸当だ。でな、もう一件、似たような仕事があるんだ」


カウンター越しに声をかけるが、ユキヤの反応は冷たかった。


「……悪い。あれはもうしない」


即答だった。その返しにジャックスは思わず目を瞬かせた。


「おいおい、どういうことだ?」


「死ぬほど目立った。ギルドの兵に睨まれて、危うく捕まるところだった」


静かな声だが、芯があった。


数日前の少年とは明らかに違う。苦虫を噛み潰したような顔で、はっきりと拒絶の意志を示していた。

ジャックスは舌打ちを飲み込み、わざと肩をすくめた。


「ったく、いいのか? その腕があれば大金を稼げるんだぞ。俺はちょうど今、その稼げる案件を持ってる。言っとくがな、魔術コードの修繕の仕事なんて、いつでも転がってるわけじゃねぇ。チャンスは今日限りかもしれねぇんだ」


ユキヤはじっとジャックスを見つめたまま、微動だにしない。意思は固そうだった。


「……まぁいいか」


渋々といった風を装いながら、懐から一枚の図面を広げた。

そこにはギルド管轄の倉庫の見取り図が、粗い線で写し取られていた。


「ならこれはどうだ。今、倉庫に眠ってる没収品を回収する仕事がある」


ユキヤは目を細めた。


「……盗みか」


「いや、取り返すだけだ。盗んだのはギルド側だからな。物理的な奪取は、二人ほどがやることになってる。ユキヤに頼むのは解析だ。倉庫のセキュリティは魔術コードで守られてる。その腕なら短時間でやれるんじゃないか?」


ジャックスの声は低く、狡猾に響いた。


「心配すんな。名は一切出さねぇ。手下どもにも知り合いの協力者とだけ伝える。ユキヤは後ろからついて行ってコードを解くだけでいい。……なに、目立ちはしねぇさ」


「ギルドの管轄領域だよな」


「ああ、危険なのは分かってる。だがそのぶんリターンもでかい」


ジャックスは指を一本立てた。


「成功報酬は二万だ。スラムのガキならせいぜい三か月分か? ……もちろん、分配には理由がある。運搬も人手も口止めも、全部俺が面倒を見る。その上でお前に二万。破格だぜ」


ジャックスの言葉が終わった瞬間、ユキヤの脳裏に数列が浮かんだ。

拡張知能が走らせた試算――倉庫に眠る没収品の推定換金額、運搬に必要な人数、口止め料の平均相場。


〈推定総額:二十万以上〉

〈必要経費:十万〜十二万〉

〈報酬提示:二万〉

〈差額:三万以上の不明瞭利益〉


ユキヤの胸に冷たい直感が走った。


――ジャックスは、数字を盛っている。


「五万だ」


低い声で口を開くと、ジャックスの眉がぴくりと跳ねた。


「没収品を換金すれば二十万は下らない。俺に払える額は、最低でも五万だろう。そうでなければ辻褄が合わない」


ジャックスは一瞬黙り込み、それから喉を鳴らして笑った。


「ははっ……おっかねぇな。頭の中に算盤でも入ってんのか?」


「五万でなきゃ受けるか考えるかにさえ値しない」


ユキヤの瞳は揺れなかった。

ジャックスは短く舌打ちをし、やがて肩をすくめて両手を広げた。


「分かった分かった。五万だ。たしかにお前の言う通り、儲けは俺のほうが多い。だがな、俺が用意した仕事で、ユキヤが解読するだけで五万だ。破格には違いねぇだろ」


歯を剥いた笑みは、悔しさと愉快さの入り混じったものだった。


ユキヤは考える。

金があれば、しばらくは訓練に集中できる。飯を腹いっぱい食える。武器も買える。

だが、ギルドに踏み込めば、命を落とす確率も跳ね上がる。


「時間を……」


呟いた瞬間、ジャックスは不敵に笑い、棚の下から一本の細長い鞘を取り出した。


「なら、これを持ってけ。前渡しだ」


鞘から抜き放たれたのは、鈍い銀色の刃を持つ小型の魔導ブレードだった。

護身用に設計された古い軍用兵装。刃の根元には魔力導線が埋め込まれ、微かに青白い光が走る。


「その様子じゃ丸腰だろ? 戦闘になったら死ぬぞ。だから貸してやる」


差し出された刃を、ユキヤはしばらく見つめていた。

その手に握れば、確かに戦える力になる。


(……金がなければ、訓練も続けられない、自由もない)


吐き気のような葛藤が胸を渦巻く。


最後に、彼は静かに鞘ごと刃を受け取った。


「分かった」


承諾の言葉は、雨漏りの音にかき消されそうなほど小さく小屋に落ちた。

ジャックスは勝ち誇ったように手を打った。


「いい返事だ! これでお前も一人前の稼ぎ手だな、ユキヤ」


外ではネオンが滲み、紫の光が濡れた路地を照らしていた。

その光の中で、ユキヤの影は刃を帯びた兵士のように歪み、路地に長く伸びていった。






夜。

スラムの湿った風が軋む窓枠を揺らし、宿屋の木造の壁を通じてうなるように吹き抜けていた。

古びたランプが頼りなく揺れ、ユキヤが帰ってきた。


カウンターではオトラ婆が相変わらず布でコップを磨いていた。

だが、少年の姿を見るやいなや、皺だらけの顔が強張る。


「……あんた、ジャックスのところへ行ったんだって?」


ユキヤは数秒沈黙した後、黙ってうなずいた。

その無言の肯定だけで、婆の表情には苦いものが浮かぶ。


「やめときな。あの男の仕事に首を突っ込んだら、ただじゃ済まないよ」


「分かってる」


「分かってないさ」


婆の声は低く震えていた。

ユキヤは、しばし婆の瞳を見返した。

その奥には、確かな心配と、母親のような哀れみが混じっていた。


「金がいるんだ」


それは短い答えだった。

しかし声の底には、乾いた執念がこびりついている。


「腹いっぱいうまい飯を食って、安心して生きていけるようになりたい」


婆はため息を吐き、コップを布で乱暴に拭った。

視線を落とし、しばらく黙り込む。やがて絞り出すように言った。


「生き延びることの方が大事だよ」


その言葉は湿った空気に溶け、宿の古びた梁に吸われていった。


ユキヤはカウンターを離れ、階段を上がっていく。

木板がぎしぎしと悲鳴を上げ、婆の視線が背中に刺さる。

だが彼は振り返らなかった。


(生き延びるためには、力が要る。力を得るためには、金が要る)


その単純で残酷な計算が、彼の胸を支配していた。

部屋の小さな窓からは、遠くの上層の広告塔が紫の光を滲ませていた。

ネオンが濡れた路地に反射し、影を伸ばす。

その影は、痩せた少年の輪郭から離れ、鋼の外殻を纏った兵器のように歪んで揺れていた。


夜のスラムに、雨音と遠い叫び声が混じり合う。

その混沌の只中で、ユキヤの決意はひとつの刃となり、静かに研ぎ澄まされていった。

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