全愛無双の女
桃枝さんが深田君を庇っている。
彼はとある女生徒グループから目を付けられていて、ここ最近、嫌がらせ…… いや、いじめを受けているのだった。
グループのリーダーの綾小路さんが、そんな桃枝さんに向けて言う。
「あら? そんなにいい子ちゃん振りたいのかしら? それとも人気取の為の優しい子アピール?」
いかにも悪役の女といった感じで。
桃枝さんは、背はやや小さいが、胸は大きくてお尻も大きい。早い話が、肉感的でいかにも男受けしそうなスタイルをしている。その綾小路さんのセリフは、そんな彼女への皮肉の意味もあったのかもしれない。
深田君は陰気そうで女性にはモテそうにない。まさか桃枝さんが彼に好意を持っているとは彼女は思っていなかったのだろう。だが、それから桃枝さんはこう返したのだった。
「違うわ! あたし、深田君のことを愛しているの! だから彼がいじめられるのが嫌なのよ!」
教師内はざわつき、そしてその言葉に綾小路さんはビックリしていた。嘘だとは思えない。そんな事を言えば、男生徒人気に悪影響を及ぼす。しかし俄かには信じられなかったのだろう。彼女はそれからこう続けた。
「ふーん。なら、他の男子なら別にいじめてもいいのね? 例えば、あそこにいる藪沢君とかさ」
藪沢君は痩せていてとても性格が悪そうな顔をしている。と言うか、実際に悪い。それに桃枝さんはこう返す。
「あら? ダメよ。あたし、藪沢君も愛しているもの」
「はあ?」とそれに綾小路さん。
その疑問符を伴った声に応えるように、桃枝さんは口を開く。
「深田君はまるで小動物みたいで守ってあげたくなっちゃう。藪沢君はスレンダーな体型が素敵だわ。もちろん、あたしはぽっちゃりな体型も好きよ。ぷにぷにしてそうで心地良さそうだもの。だから、宇川君も良い」
平然と語っていく彼女が挙げた男生徒はすべて女生徒から人気がない。綾小路さんは口をパクパクとさせている。混乱した頭の中で彼女は考える。人気のない男生徒を好きだと主張して、男生徒からの好感度を上げる作戦なのかもしれない。だから、
「なら、野戸君はどうなのかしら?」
そう言ってみた。
野戸君はスポーツマンで、女生徒達から人気があるのだ。
それにあっさりと桃枝さんは返す。
「もちろん、愛しているわ。鍛え上げられた肉体は素晴らしいもの!」
「単なる男好きじゃない!」と、それを聞いて綾小路さんはツッコミを入れた。ところがすかさずそれに桃枝さんは「違うわよ」と返すのだった。
「何が違うのよ?!」
「あたしは男好きじゃなくて、人間好きなの! 男の子達だけじゃなくて、このクラスの女の子達も全員愛しているわ! もちろん、綾小路さん、あなたもね!」
それを聞いて、再び綾小路さんは口をパクパクとさせた。
「ふん。そんなの口から出まかせに決まっているわ。それが本当なら、今、ここで深田君を抱きしめてみなさいよ」
それを受けるなり、桃枝さんは深田君に近付いていった。そしておもむろに彼を抱きしめる。しかも、愛おしげに、全身で包み込むように。
――更にざわつく教室内。
しばらく深田君への愛情たっぷりのハグをし続けた後に桃枝さんは身体を放すと彼に言う。
「ごめんなさいね。いきなり抱き付いちゃって。ビックリした?」
首をフルフルと横に振る深田君。
それから彼女はゆっくりと綾小路さんに向き直る。
「どう? これで信じてくれた?」
しかし、それに綾小路さんは「ふん」と返す。
「それがどうしたのよ? あなたが彼を愛しているのが本当だとして、どうして私があなたに配慮して彼をいじめるのをやめないといけないの?」
桃枝さんはそれを聞いてしばらく悩んでいたが、「確かにそうかもしれないわね」とそれを認めてしまったのだった。が、それからこう続ける。
「なら、こうするわ。深田君がいじめられる度に、あたしは彼を抱きしめる」
「はあ?」とそれに綾小路さん。
「どうして、そんな事をするのよ?」
「もちろん、いじめられて傷ついた彼を癒してあげる為よ。あなたが彼を傷つけると言うのなら、その分、あたしが癒してあげようっていう話」
「はあ? なにそれ? 私に対する嫌味? 別に私は彼を傷つけたくていじめている訳じゃないのよ!」
桃枝さんは首を傾げる。
「じゃ、どうしていじめているの?」
それに「う」と綾小路さんは固まる。まさか、“楽しむ為”とは返せない。それではまるで変態みたいではないか。実際に変態なのかもしれないが。
そこで、そのやり取りを聞いていたクラスメートの一人、宇川君が突然立ち上がった。
「いい加減にしなよ、綾小路さん」
続いて、藪沢君も立ち上がる。
「そうだよ。いい加減にしろ」
それに釣られるように、他の男生徒達が立ち上がる。それを受けて、女生徒達も立ち上がった。そして「いい加減にしなさいよ」と彼女達も言う。
野戸君が言った。
「綾小路さん。もう、いじめなんてやめようよ」
なんだか“いい話風”の流れになっている。
しかし、綾小路さんは気が付いていた。
“違う!”
彼女は見ていたのだ。いち早く席を立ち始めたのは、クラスのモテない男どもだった。つまりは桃枝さんが「愛している」というのを聞いて、“ワンチャンあるかも”と考えて桃枝さんの味方に加わったのだ。或いは、深田君に対する嫉妬かもしれないが。あいつばかりハグしてもらえるなんてずるい、と。
他の男どもも恐らく大差ないだろう。
そして、男どもが立ち上がったのを見て、女達もそれに続いた。きっと男人気を気にしてだろう。或いは単なる同調圧力かもしれないが。
つまりは、この“いい話風”の青春劇は正体はほぼ肉欲のドミノなのである。
「なんて酷い女なんだ!」
やがてそんな声まで上がり始める。綾小路さんは助けを求めるように同じグループの仲間に視線を送る。しかし、巻き込まれたくないと思ったのか彼女達はそっぽを向いてしまった。
“そんな!”
と、彼女は思う。
こんな偽善的な疑似青春劇に屈しなくてはならないのが彼女は悔しくて堪らなかった。
が、そう思った瞬間だった。
「ちょっと待って!」
桃枝さんが彼女の前に両手を広げて立ちはだかったのだ。
「綾小路さんをいじめるのはやめて!」
クラスの皆は唖然となる。綾小路さん自身も。
そして、そのままギュッと桃枝さんは綾小路さんを抱きしめた。
温かいものに包まれながら、綾小路さんは思い出していた。そう言えば、彼女は言っていた。“クラスの皆を愛している”と。そして、そんな温もりに包まれた状態の綾小路さんに、彼女は優しく尋ねて来た。
「もう、深田君をいじめようなんて思わないわよね?」
不意にくらわされた“安心”に、綾小路さんは抗えなかった。ゆっくりと頷く。そして何故か拍手が起こった。
なんだか“いい話風”にまとまったような感じだが、クラスの大半は思っていた。“いいなぁ、綾小路さん……”と。