「婚約破棄ですね?はい、喜んで」気弱令嬢に乗り移った稀代の悪女は無双する
「ルシアーナ・セルビア!お前との婚約をここで破棄する!そしてこのアイリーン・ミルドレルと新たな婚約を結ぶ!」
「承知いたしました」
間髪入れずに答える。
「なっ!?婚約破棄破棄だぞ!?わかっているのか!?」
「ええ。婚約破棄ですね?はい、喜んで」
にっこりと笑うと周囲がザワザワと騒がしくなる。
ここは王宮の大広間。国王陛下夫妻が外遊に出ている中、王太子殿下主催で開かれたパーティーで第三王子殿下が長年の婚約者である『私』に婚約破棄を宣言した。
あら?王子殿下は焦っていらっしゃるのね。どうして婚約破棄を言い出した側があんなに焦っているのかしら。逆ではなくて?
「後のことは私の父である侯爵と、陛下との話し合いになるでしょう。殿下のご意向は承りました。私としてもそれを受け入れる所存ですので何も問題はないかと。新たな婚約はその後で進めてくださいませ」
「いやいや、待て待て。お前はこのアイリーンを虐めていたというではないか!ここで、皆の前で!アイリーンに謝罪せよ!」
はぁ。ルシアーナさんもこんな男の婚約者をよく務めてたわね。王子って言っても側妃の子で王位継承権が低いのが救いだわ。
この体の主であるルシアーナさんに同情する。
私はルシアーナ・セルビアではない。私の名はセレスティーヌ・ド・アルバン。
ここではない世界のここではない国で王妃として生きていた。
そして首を刎ねられて死んだ。
◆◆◆
街の広場には舞台が設えられ、その中央には処刑台が置かれていた。
今日これから、私は斬首刑に処せられる。
舞台に上がる前、刑吏に声をかけられる。
「何か言い残すことは?」
「ございません」
きっぱりと言い切り、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見る。私は王妃で、稀代の悪女なんですもの。首を切られるまで堂々と振る舞い、皆に憎まれていないと。
舞台に上がり、処刑台に首を乗せる。
いい人生でしたわ。短かったけれど、とても濃密な時間を過ごせました。思い残すことはございません。
刑吏が合図をし、刃物が落ちる音がする。
ーーーーー次の瞬間、私は真っ白な空間にいた。
首……切られましたわよね?強い衝撃があったのは覚えているのですが……
首筋に手を伸ばす。ちゃんと頭と体は繋がっている。痛みも感じない。血もついていない。
「セレスティーヌ・ド・アルバンだね?」
何もない空間から声がしたかと思うと、青い球体が目の前に現れた。
「ここは死後の世界。私はそなたたちが生きる世界を統べる神だ」
球体は目の前の空間に浮かんでおり、球体からツノのようなものが無数に生えて、声に合わせてトゲトゲと動く。何かしら、これ。
「そうですか」
「人は死ぬと、魂の色で天国行きか地獄行きのどちらかが決まる」
「なるほど」
「人は皆、心の天秤を持っている。善行を行うと天秤は片方に傾き、悪行だと反対側に傾く。どんな善人でも些細な悪行は行うし、その逆もまたある。これまでの行いの総合的な評価で魂の色が決まるのだ。白く光る魂を持った者は天国に、暗く沈む闇の色の魂を持った者は地獄に行く」
「なるほど」
「セレスティーヌ。君の魂は特殊なんだ。私が今まで見てきた魂は白く光るか闇のように黒いか、どちらかしかなかったのだが、君の魂は黒く光っている」
「そうですか」
「……話をちゃんと聞け」
トゲトゲに目を奪われて気もそぞろだったのを見抜かれた。コホン、と咳払いして答える。
「黒いのだから地獄行きでよろしいのでは?」
「君は地獄に行きたいと言うのか?」
「行きたいわけではありませんけど、私のやってきたことを振り返ると地獄行きで当然かと」
「確かに君は公爵令嬢として生まれて我儘放題。辞めさせた使用人は数知れず。食事にもうるさく、ドレスに宝石にと散財し贅沢三昧。王太子の婚約者となってからも横暴さを隠そうともせず令嬢たちをひれ伏させ、王妃となってからも稀代の悪女と呼ばれて悪行の限りを尽くしてきた。敵対する貴族が謎の死を遂げたり、王家の秘宝を横領したり、遠国から禁制の毒薬を輸入したり」
「間違いありませんわ」
「でもよく調べてみると、君がやってきたことが全て悪行とは言い切れないんだ。辞めさせた使用人は他家からの間諜や問題のある人間ばかり。公爵家の料理人に開発させた料理の数々は公爵家の経営するレストランで提供して話題となり、しかも使用されている原材料に公爵領でしか取れない香辛料が使われていて公爵領は大変な利益を得た。ドレスや宝石も王都に新たな流行を生み出し、それに伴って新たな産業も雇用も生まれた。流行の発信源として君を崇める令嬢も多かったとか」
「買いかぶりすぎですわ」
やだ、この人……人ではないわね、この神様(?)私のことに詳しすぎない?どこまで見ているのかしら。怖いわ。
「……そなたの魂に触れればわかることだ。別にずっと見ていたわけではない」
心が読まれている!嫌だわ、気持ち悪い……
「そなたの感情が漏れて伝わっているのだ!心を覗き込んでいるわけではない!変態扱いするんじゃない!」
トゲトゲが激しく伸び縮みしている。
私は感情を出さないようにした方がいいのね。
「ゴホン。とにかくだな、王妃になってからも秘密裡に殺害した貴族たちは隣国に唆されて情報や資金を流していたり、奴隷売買に手を出していたりと地獄行きの真っ黒な魂を持った奴らばかりだったし、国宝の横領も国境の守りを固めるための傭兵を雇う資金にしていたようだな」
「王妃とはいえすぐに動かせる兵もお金もなかったんですのよ。あの時はすぐにでも兵を送り、国境の守りを固めないとならなかったのに、手続きがどうの予算がどうのと時間がかかって。まぁ、戦争を起こしたい馬鹿な者たちがあえて引き伸ばしていたようですけどね」
「そういう輩も葬ってきたのだろう」
「もちろんですわ」
にっこりと笑う。
あの頃、流行していた国盗り合戦の遊戯盤のように、自分たちは高いところから駒を動かすだけでいいと思っていたのでしょうね。実際に戦うのは駒ではなく人間で、人間は傷つき血を流し死んでしまうのに、自分たち高位貴族とは違う生き物だとでも考えていたのでしょう。自分たちが傷つけられ血を流した時は無様に命乞いをしていたっけ。
「遠国から密輸した禁制の毒薬も使い方によっては薬になるとか…私財を投じて病院を作ったり平民向けの学校を作ったりもしていたらしいな」
「国家が安定し、戦争などというくだらないことでお金を使わず、健康な民が増えて税収が増えればそれだけ贅沢ができますから」
これは本音。自分が毎日食べたいものを食べ、着たい物を着て楽しく暮らすためにしただけのことよ。
「しかし国宝の横領や毒薬の輸入、そして有力貴族を手に掛けたことが明るみに出て『稀代の悪女』として処刑されるに至った」
「そうですわね」
「なぜ、弁明しなかったのだ?理由を詳らかにしたなら、情状酌量の余地はあったであろうに」
「情状酌量を受けたって犯した罪は罪ですわ。貴族牢に入れられて、一生そこで質素に暮らせというの?それは嫌よ。毒杯も嫌。あれを飲んだ人が苦しんで死んでいくのを見たわ。床をのたうちまわり、その……糞尿……を垂れ流して……。そんな醜態を晒すなんて絶対に嫌。処刑台で首を刎ねられるのは一瞬だもの」
「ふむ……そんなものなのか?ともかくそなたの生前の行いは善悪の天秤が釣り合い、魂も地獄行きにするには白く、天国行きにするには黒い。そんな複雑すぎる魂を持つそなたにひとつ依頼がある。
私の管理する世界はいくつかあるのだが、そこで人の命を救ってもらいたい。そうすればそなたの魂は白くなり天国へ行けるだろう」
「そんなこと私にできるとお思いですか。か弱い女であるこの私に」
「見た目はか弱いかもしれんが、そなたの心は強い。救ってもらいたいのは自ら命を絶とうとする人間だ。天から与えられた命を全うせず、自らの意思で終わらせることは大きな悪行とされる。よほど善行を積んでない限り地獄行きとなるが、彼ら彼女らは『自ら命を絶つ』以外の目立った悪行は無いことが多い。心の弱さにつけ込まれ、傷つき、命を絶つよう仕向けられる人々を救ってくれ。」
「……面倒なのでそのまま地獄行きでよろしいですわ」
「依頼とは言ったがそなたに選ぶ権利などない」
◆◆◆
そうして私はルシアーナさんに憑依することになった。
神様(?)が言うには、彼女は大勢の人の前で婚約破棄を突きつけられ、無実の罪を着せられ、失意の中で自ら命を絶ったとか。
神様(?)の力で自殺のきっかけとなった婚約破棄の場面まで時が戻っている。
彼女の体ではなく心に憑依しているので彼女がこれまで生きてきた記憶も経験もそのまま使える。
目の前の人たちの名前や身分もはっきりとわかるし、彼女の意思も伝わってくる。
婚約破棄は彼女も望んでいるから問題ない。
問題は無実の罪を着せられるところ。でもそちらも問題ないだろう。
「謝罪するようなこと、何かいたしましたかしら」
そう言ってかわいらしく首を傾げる。
「ふざけるな!お前はアイリーンを他の者も見ている前で罵ったそうだな」
「罵った?あぁ、思い出しました。あれは婚約者のいる男性との距離が近すぎると注意したのですわ。殿下以外の高位貴族の令息たちにも馴れ馴れしく付き纏っていたようですから」
「なっ…」
「貴族として当然の振る舞いも理解されていないようですし、御令息たちの婚約者の方々を代表して私から苦言を呈させていただきました。私、間違ったことをしておりましたか?」
王子殿下の周りにいる令息たちに目を向けるが誰もが沈黙し目を背ける。王子殿下とご令嬢を守るように立っていらっしゃるのに、守って差し上げないのかしら。
「それだけではない!夏の夜会の時に彼女のドレスに赤ワインをかけたそうだな!?」
「そんなこといたしておりません。どなたか私がそのようなことをするのを見ていた方でもいらっしゃるの?」
実際にルシアーナさんの記憶にそんな場面はなかった。
「アイリーンがそう言ってるんだ!私はアイリーンを信じる」
「まぁ!それは素晴らしいことですわ。ねぇ皆様聞こえていらした?王子殿下はか弱き者の言うことは証拠がなくとも信じるようですわよ。なんという優しい方なのかしら」
周囲から失笑が漏れるが、当の王子殿下は皮肉に気づいていないらしい。
「他にもドレスが作れないようにドレスショップに圧力をかけたと聞いている!」
それもルシアーナさんの記憶にないんですよねぇ……。
「どちらのドレスショップですか?」
「は?」
「いえ、ですからどちらのドレスショップなのかと。王都にどれだけドレスショップがあるのかご存知ですの?当家に力があるとはいえ、王都中の全てのドレスショップに圧力をかけるなんて不可能ですよ。もちろん当家と懇意にしているドレスショップにはそういうお願いができるかもしれませんけど、そのショップに断られても他のショップで作ればいいだけでしょう?」
周囲の人たちもウンウンと頷く。流れはこちらに向いている。一気に畳み掛けていきましょう。
「それに、なんで私がそんな小さな嫌がらせをしなければなりませんの?もし私がそちらのご令嬢を夜会に出席させないように図るならばドレスにワインをかけたり、ドレスショップに圧力をかけたりなんかしません」
そう言って言葉を切り、冷ややかな視線を送る。
「もし私が何かやるとしたら、ご令嬢のご両親に圧力をかけますわ。婚約者を奪おうとするなんて、侯爵家を敵に回したいの?と」
「ひどい!」
あら、アイリーンさんが喋ったわ。そして王子に縋りついてる。あらあら。豊かなお胸を腕に押し付けていますわね。若い男性には、いいえ、それなりのお年の男性にも効く手法ですわね。浅ましいこと。
「大丈夫だアイリーン。男爵家は私が守る」
「エドワードさまぁ」
壇上で二人の世界に入り込んでいますけど、周囲の方々が白い目で見ていることにいつ気づくのかしら。
「話をきちんと聞いてくださいます?もし私がやるとすればという仮定の話です。でもご令嬢は今も殿下の隣に立ってますよね?私は何もしていない。そうではありませんか?ご令嬢の家に圧力かけたりなんかしていないし、ドレスショップに圧力かけたりもしていないし、ワインをかけたりもしていない。わかりましたか?」
あらあらアイリーンさん。そんな目で睨んでも私は怯みませんよ。それに他の方たちからもその形相、見えていますわよ。
「もうよろしいかしら?早く帰ってお父様にこの婚約破棄のことを伝えませんと。
それでは皆様、ごきげんよう。」
にっこりと笑い、ドレスを翻して会場を出る。
なんてあっけないこと。ルシアーナさんはこんなくだらない罠に陥れられて自ら死を選んだの?
いえ、もちろんこれまで彼女が、王子の婚約者としてふさわしくあるべく何年も努力していたことは知っているし、積み上げてきたものが全て壊されて絶望感を覚えたことも理解できる。
無実の罪を晴らせず、周囲から蔑むような視線を受けて心が折れたのでしょうね。
それにあのパーティーは王太子主催と聞いていたけれど、王太子は何をやっていたのかしら。自分の弟が醜態を晒しても最後まで茶番を止めることがないなんて。
ルシアーナさんの記憶では、王子殿下はボンクラだけど王太子殿下は聡明な方だったはずなのよね……
まぁいいわ。どう?ルシアーナさん。これでいいでしょう?
あんなくだらない男なんてこっちから捨ててやるのよ!あなたにはもっといい人生があるはずよ!
(本当に、そうですよね)
ルシアーナさんの声が頭に響く
(私も、もっと強くなります。あなたが何を言われても堂々と喋っていて、とても気持ちがよかった。私もそんなふうになりたいです)
なれるわよ。大丈夫。あなたは確かに控えめで大勢の人に注目されながら喋るのは苦手なようだけど、頭が良いのはわかるわ。落ち着いて深呼吸して、頭の中を整理して、それから喋れば問題ない。自分が喋るまで相手には待たせておけばいいの。私みたいにポンポン即答しなくていいのよ。
それよりもどうする?あなたのご両親は今、隣国にいるのでしょう?
そう、あいつは国王夫妻の外遊に、外交官としてルシアーナさんの両親が随行したこのタイミングを狙って婚約破棄を宣言したのだ。誰にも邪魔されないように。
(手紙を書き、隣国へ早馬を出します。王子殿下の不貞により婚約破棄を求めます、と記す予定です)
そうね!こちらから婚約破棄してやるのよ。これまであんな奴に費やしてきた時間もしっかりお金に換算して慰謝料も貰いなさいよ。
あなたは一人じゃないわ。あなたのお父様もお母様もあなたの味方よ。お友達だっているでしょう?
(はい。そうですね。私は一人じゃない)
頭に響く声が少し震える。泣いているのかもしれない。
神様(?)が時を戻す前、彼女は両親が帰って来る前に一人で命を絶った。婚約者に捨てられ、周囲から白い目で見られ、失意の中で一人で。
ルシアーナさん、私がいなくてももう大丈夫ね?
(大丈夫……かどうかはわかりませんけど、頑張ってみます)
そう。それでは私はもう帰るわね。
あなたは何も悪いことをしていない。堂々と幸せな人生を歩んでください。
(本当に、ありがとうございました)
◆◆◆
また真っ白な空間に戻ってきた。
青い球体はつるんと目の前に浮かんでいる。
「ご苦労だった。弱き者を救ってくれてありがとう」
また声に合わせてイガイガしはじめた。
「どういたしまして。これでもう依頼は完了ですわね」
「いやいや、まだ終わってはおらん。次はだな…」
「お待ちください。依頼はひとつと言ってませんでした?」
「命を絶とうとする人々を救ってほしい、という依頼をひとつしたはずだ。人々。わかるであろう?」
「……もういいです。地獄に送ってくださいませ」
「無理だ。地獄に送るには魂が光りすぎているし、また光が強くなっているからな。魂の色が黒から白に変わり、天国に行けるようになるまで依頼は継続だ」
あぁ、なんてこと。なんという面倒なことに巻き込まれてしまったのかしら。
「地獄でいいわ。地獄に行きます。地獄に行かせてください。……ねぇちょっと聞いてます!?聞こえているでしょう?地獄に!地獄に送ってくださいませ!!」
真っ白な何もない空間にセレスティーヌの声だけが虚しく響いていた。
聡明な王太子殿下はなぜ茶番を止めなかったのか
↓
実は王太子殿下の側近がルシアーナちゃんに横恋慕しており、婚約破棄宣言に乗じてルシアーナと側近をくっつけようと思っていたので止めませんでした。
セレスティーヌが乗り移る前の世界線では、王太子殿下は両親(国王陛下)が帰ってきたら正式に婚約を解消させ、彼女の名誉を回復して側近と新しい婚約を、と考えて準備をしていたのに、その前にルシアーナちゃんが亡くなってしまったわけです。もっと早く手を打っていればねぇ……