#05 脱出劇
毎週金・日、15時~20時の間に投稿予定
「な、なんだって!? 幾らなんでも急すぎるだろ!」
唐突にリコから脱出を言われ、ケイは困惑していた。あまりにも急な出来事に、心の準備が何一つ整っていなかったのだ。
「今しかないんだ! 今遅れたら、俺たちが餌食になるぞ」
リコはそう言い、もたついているケイを急かす。
「ま、待ってくれ。シートベルトがうまく外れない!」
「なんだと!?」
急な逃亡と、リコに急かされた焦りからケイは思うように手が動かなかった。まったくもって無防備だった心をあっという間に焦燥感が支配し、手先の正常な動作を阻む。さらに、普通ならばベルトのソケットにある赤いボタンを押せば簡単に外れるはずなのだが、どういうわけかしっかり押しても一向に外れる気配がない。この不可思議な事故――事故と呼称して良いのか甚だ疑問だが――のショックで変にロックが堅くなってしまったのか。
「貸せ、俺がやる!」
「わ、わかった……」
ケイは咄嗟に両手をデトロイト市警に銃を突きつけられたかのように挙げ、リコの作業の邪魔にならぬようにする。その間リコは目一杯腕に力を込めてベルトを外そうとしたが、やはり外れなかった。
彼は一瞬だけ顔を上げ、周りを見る。機内にはもはや誰もいなかった。もう大体の人が外に逃げたか捕まったかしたのだ。完全に逃げ遅れた。
――これはまずったな。囮役がもう誰もいない。あの化け物は捕まえた奴を喰らうのに夢中で、こっちに気付いていないのが唯一の救い、か。
「よし、外れた!」
やっとベルトのロックが解除され、遂にケイは座席から自由の身となった。しかし、これで問題が解決したという訳ではない。どちらかといえば、ここからが本番だ。
「悪い。私がモタモタしていたから……」
と、ケイが彼から目を逸らし、バツの悪そうな顔をして言う。
「いや、いいんだ。それよりも今は……どうやって逃げるかだ」
機内には捕まって死んだクラスメートが目視で確認できるだけで四人。甲冑男は通路のど真ん中で堂々と捕らえたうちの一人を貪っている。距離にしておよそ一○メートル。
こっそり横を通り過ぎようとしても、どちらかが錯乱して走り出したあの女のように捕まって終わりだろう、とリコは思う。奴は意外にすばしっこい。
「なにかで奴の注意を惹いておかないと危険だ。なにかよさげな物はないか?」
ケイとリコは甲冑男に気付かれないよう、細心の注意を払って機内を見回す。と、ケイが後方にとある物を発見した。
「なあリコ、あれはどうだ?」
ケイが見つけた物は、消火器ボンベだった。
「フムン、消火器か。いいな、それでいこう。俺が取ってくる」
そう言ってリコは姿勢を低くし、足音を立てぬよう忍者のような足使いで消火器の方へ歩いて行った。無事辿り着き、消火器を入手する。
「よし。いいか、俺が先に行って奴を怯ませる。ケイは俺の後ろにぴったりついてくるんだ」
「わかった」
作戦は決まった。二人は通路に出、リコが消火器を両手でしっかりと構え、ケイがその後ろにぴったりとくっ付く。
「行くぞ」
甲冑男はまだ捕らえた獲物にがっついており、こちらに気付いていない。誰一人言葉を発さず、空気は静寂に包まれている。男の極めて不快な、心を逆撫でする咀嚼音を除けば。
一歩進むごとに人を喰らう化け物の存在感が大きくなり、プレッシャーが二人を襲う。一歩間違えれば、自分も無惨に食い散らかされているあの死体たちの仲間入りだ。震える身体を懸命に抑え、制御し、二人は進む。
距離が五メートル、四、三メートルと縮まる。甲冑男はまだ気が付かない。とうとう目と鼻の先にまで近づいてもなお、男は気が付かなかった。いや、気付いているのかもしれない。ただ、生きている自分たちよりも目の前の餌の方が大事なのかも知れない、と、リコは思う。
――やってやる。
リコは思い切り消火器のピンを抜いた。そして発射口を確かに甲冑男に向け、黒いレバーを握る。その途端、真っ白な消化剤が勢いよく噴射され、甲冑男の顔面を直撃した。
甲冑男がけたたましい雄叫びを上げ、顔を両手で覆って悶えている。
「今だ、走れ!」
それと同時に、二人は全速力でダッシュ。決して後ろを振り返ってはいけない。ただ脚を動かし、前へ進むことだけに意識を集中するのだ。
外への出口がもう間近に迫っている。床の端に足をかけ、ジャンプ。地面まではそれなりに高さがあったが、二人ともうまく着地した。
飛行機からの脱出には成功したが、まだ油断してはいけない。甲冑男が追ってくる可能性がある。できる限りここから離れなくては。そう思った矢先の事だった。
甲冑男がもう追いついてきたのだ。ケイ目掛けて盛大に機体から飛び降り、襲いかかる。地面に落ち、それから手を伸ばしてケイの脚に掴みかかった。
「こ、こいつ、離せ!」
とんでもない馬鹿力だった。幾ら振り払おうと脚を動かしても一向に離れてくれない。鉄製の足枷のようにしっかりと拘束している。
――なんて力だ。こんな力で抑えつけられたら、そりゃ抵抗できずに喰われてしまうわけだ。
「ええい、ケダモノめ、ケイから離れやがれ!」
咄嗟にリコが持っていた空の消火器で男の頭部を殴打する。殴られた衝撃で男はグエッと素っ頓狂な声を上げたが、まだ離れない。二度、三度と力を込めて男の頭を殴る。殴るたびに頭の皮膚が割れ、血が流れた。
十回ほど殴ったところで男が気絶した。枷のように重く絡みついた男の手は離れ、へタッと弱々しく地面に寝そべった。
「大丈夫か、ケイ?」
「ああ、なんとか。助かった、ありがとう。――死んだ、のか?」
「わからん」
二人はそう言い、動かなくなった男に目を降ろす。と、男の側に短剣が落ちているのをリコが発見した。
「これは……こいつが落したのか?」
と、リコがそれを拾い上げ、眺めて言う。
「それ、拝借していこうぜ。こんな奴がいるとわかった以上、丸腰は不安だ」
「そうだな」
二人は短剣の代わりに動かなくなった男の側に血に塗れた消火器を捨て、二人はその場を後にした。
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