#04 白銀色の人喰い鬼
毎週金・日、15時~20時の間に投稿予定
「そらみろ、やっぱり人喰いの原住民が出たんだ」
前方のクラスメートたちのやりとりを聞いていたリコが、自慢げな顔でケイの方を見て言う。
ケイは、まさかリコの馬鹿な妄想話と、少なくとも彼よりはまともな頭を持っているであろう柔道部エースが同じ事を言うとは思っておらず、一瞬、ベガスのカジノで敗れて借金が確定したギャンブラーのような顔になった。が、すぐに正気に戻って彼に言い返す。
「そう決めつけるのは早計だ。あいつが何かと見間違えたんだろ」
「強情だなあ。だったら賭けるか? 本当に人喰い族だったら今度ディナーをおごれよ」
「いいだろう。ただもしそうだった場合は、無事生還することができたらの話になるがね」
などと二人が言い合っているそのときだった。機内に、ゴツンと鈍い音がひとつ、響いた。その音に二人も、前方でヤイヤイと騒いでいるクラスメートらも一斉に静かになった。
なにかが外で飛行機の壁を叩いているようだ。二度、三度、四度と、幾度となく堅い飛行機を殴りつけている。獣だろうか。近くを通りがかった動物が興味を示して小突いているのか。皆一斉に静まりかえり、機体を叩くその音に集中する。
「人喰い族が騒ぎを聞きつけて寄ってきたんだ」
リコが小声でケイに耳打ちする。
「まだ言うか。どうせ鹿か何かだ。そうに違いない」
他の皆も、恐らく動物の仕業だと思っているだろう。だが、その音を聞いていた柔道部エースが先ほどにも増して身体を縮め、震えだした。
「や、奴だ。あいつ、ここに目を付けたんだ…… 逃げなきゃ、逃げなきゃ……」
そう言って縮こまるエースに、男性陣の一人が一括した。
「ええい、なにをそんなに怯えているんだ! お前、柔道部で一番強いんだろ!? そいつが来たなら自慢の背負い投げで放り投げちまえよ!」
そのときだった。機体を叩く音がピタリと止み、代わりに到底この世のものとは思えない、死臭を振りまき、地獄から這いずり上がってきた悪魔のような雄叫びが轟いた。そして、何かが走って行く音。その音は機体の壁沿いに移動し、機の断面に飛び出た。
柔道部エースを恐怖のどん底に突き落とした正体が、遂にその姿を現した。
「こ、こいつだ! こいつが先生を、喰ってたんだ――ッ!」
彼がそう叫び、手を突いて後ろにのけぞる。
その瞬間、クラスメート全員が天地を揺るがすほどの混乱に陥った。
副担任を喰らったその甲冑男は、身長がおよそ二メートル近くあった。落ち武者のように乱雑に伸びた黒い髪、血だらけの口回り、死んだ魚のような目、土色の肌、所々に血が付着した白銀色の甲冑……一目見ただけで、この男の正気でないのが十分にわかる。
こいつは、絶対にヤバい奴だ。関わったら碌な事がない。男の姿を見た全員が、本能でそう感じた。逃げなければ。こいつから離れなければ。脳が必死に「危険」のシグナルを発し、全身の有りと有らゆる細胞が臨戦態勢をとっている。
男が機の床に手をかけてよじ登ってきたことを合図に、前方にいたクラスメートたちが濁流のように後方に逃げてきた。背中を押し、または押され、床に転がった人を踏み、または踏みつけられ、機内は阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
甲冑男が登り切り、機内に完全に侵入した。口を目一杯開き、よだれを垂らして獣のように吠える。そして、逃げ遅れた小太りの男子生徒に目を付け、襲いかかった。
「た、助け、助けて――ッ! 誰かぁ――ッ!!」
彼は瞬く間に甲冑男に捕まった。床を這ってでも逃げようと懸命に伸ばした腕を無情にも捕まれ、がっちりと抑えつけられて抜け出せない。懸命に助けを求めて叫ぶが、身体を恐怖に支配された今、勇気を振り絞って彼を助けに動くことができるものはいなかった。
後ろに逃げた人たちを向いて必死に叫ぶ彼の首筋の上で、甲冑男があんぐりと口を開く。さきほど副担任を喰ったときについた血と、よだれとが混じり合って滴り、彼のうなじを不快に濡らす。そして次の瞬間、男は一切の躊躇なく彼の首に齧り付いた。
彼の絶望的な金切り声が、機内の静寂を雷鳴のように割いて墜ちた。彼の絶叫に他のクラスメートはますます萎縮し、腰が抜けて立っていられない者も少なくない。
ほどなくして彼の悲鳴は止んだ。死んだのだ。首を噛み千切られ、骨がむき出しになる。頸動脈を食い破られ、鮮血が、水風船が割れたときのように辺りに飛び散った。
甲冑男は一心不乱に彼を食い漁った。彼の悲鳴も、自分たちから目を離せないでいる後方のクラスメートたちも、自身の顔が血で汚れることも意に介さず、ただひたすら、無心で彼を食す。首の筋肉の一枚に噛みつき、頭をぐいと上のほうに持ち上げ、強引に千切って引き抜いた。そのまま天上を向き、肉塊を丸呑みにする。
ケイとリコの座席からは、逃げてきた他のクラスメートたちに阻まれて彼が喰われる様子をみることができなかった。だが、肉を噛み千切り、骨を砕く嫌な音は耳を塞いでも聞こえてきた。先ほどまで賭けだのなんだのと調子のいいことを喋っていたリコも、これにはさすがに黙り込んでしまった。
――クソッ、嫌な音だ。本当に人喰い族が出るなんて。悪夢だ……。
ケイは両手で耳を塞ぎ、うつむいてしまった。その様子を見たリコが肩に手を置き、小声で「大丈夫か」と聞く。
「ああ、なんとか」
そっと顔を上げ、彼の顔を見る。今だけはどことなく、彼のことがたくましく見えた。
「どうにかしてここから逃げよう」
と、リコ。
「逃げる? どうやって」
「それを今から考えるんだ」
などと話していたときだった。後ろの方に退避していた女子の一人が、突如として発狂した。
「こ、こんなの有り得ないよ――ッ! そう、きっと……夢なんだわ。そう、フフ、きっとそうよ。ほら、あそこ。あそこでママが手招いている……あそこ、行けば、醒める……」
彼女は完全に錯乱していた。虚空を指さし、虚ろな目で、うまく回らない呂律を強引に回して叫ぶ。次の瞬間、彼女は奇声を上げながら走り出した。全速力で小太りの男子を喰らっている甲冑男に接近し、横を通り過ぎようとする。
「ほら、もう目が醒める――ッ!」
そう言いかけて、彼女は思いきり床に倒れ込んだ。彼女の存在に気付いた甲冑男が、彼女とすれ違うときに脚に噛みついたのだ。脚を取られた彼女は完全にバランスを崩し、顔面から床に激突した。
甲冑男の興味は小太り男子から、完全に錯乱した彼女に移っていた。倒れた彼女の上にのしかかり、動けないように両手をホールドして首筋に噛みつき、息の根を止めて喰らう。あっけない最期だった。
彼女は羽虫のように死んだ。が、彼女の行動が、ゴルゴンに睨まれたかのように硬直した皆の身体を砕いた。彼女の死を合図に、みな一斉に外に向かって走り出した。逃げ道は前方、甲冑男を乗り越えた先の断面しかない。途中で何人かは捕まって死ぬだろう。だが、そんなことを考えている余裕はなかった。ある者は通路を、ある者は座席を乗り越えて、必死に機外へと走った。
「よし、ケイ、俺たちも行くぞ!」
リコがケイに叫ぶ。
皆が動き出した。逃げ出すなら今しかない。彼は直感でそう思った。今なら囮が大勢いる。自分たちが狙われる可能性が一番低いタイミング、それは、今だ。今しかない。
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