#03 野獣のような人
毎週金・日、15時~20時の間に投稿予定
外に出た副担任の絶叫は、機体内にいる生徒全員の耳を漏らすことなく突き刺した。瞬時に全員が、自分たちがただ事でない状況におかれていることを本能的に自覚する。
「お、おい、なんだ今のは!?」
男子生徒の一人がそう叫んで立ち上がり、席を飛び出して外の様子を見に行こうとする。委員長が制止するが、柔道部のエースをやっている彼の力にかなわず、振り払われてしまった。
猪突猛進の勢いで彼は機外に飛び出し、副担任の声がした方に急ぐ。土煙を上げてスライディングし、急制動。強引に進行方向を曲げて副担任のもとへ駆け寄り、彼は絶句した。
彼の目には、二人の人間が写っていた。片方がもう片方を押し倒し、身体を猫のように丸め、なにかをグチャグチャと咀嚼している。一人、押し倒されている方はまごうことなき副担任だ。そしてもう一人は、見知らぬ男性。
目の前の光景を理解するのに、彼の脳には荷が重すぎた。彼は目の前に繰り広げられている衝撃的な出来事に、ただ硬直するしかなかった。
押し倒された副担任は動いておらず、血まみれ。周囲には血痕がいくつも散らばっている。そして彼を押し倒しているもう一人の人物。彼の存在が余計に柔道部エースの理解を遅延させていた。
その男性は、頭部以外の全身を銀色の甲冑に包んでいた。中世風ファンタジーでよく見るような格好だ。腰には剣を一振り、挿している。そのような、ただでさえ二十一世紀では仮装大会か映画の撮影以外で滅多に見ることのない格好をした男が、血まみれの副担任に覆い被さり、なにかをしているのだ。
彼は恐怖と混乱で足がすくみそうになった。しかしどうにか踏ん張り、勇気を振り絞って男に近づき、一喝してみせた。己の抱く恐怖心を振り払うためにも。
「おいお前、俺たちの先生に何をしているんだ!?」
男の肩をがしっと掴み、強引に引き剥がそうとする。そして彼は、目の前の恐るべき惨状を直視し、思わず後ずさりした。
なんということだろうか。男は副担任の腹に齧り付き、自分の手や口回りが血に染まるのも気にせず、一心不乱にはらわたを貪り食っているではないか。どうりで血まみれなわけだ。どうりで地獄の亡者のような絶叫がつんざいたわけだ。副担任は、騎士の格好をしたこの男に食い殺されたのだ。この男は、猛獣だ。腹を空かせ、動物の血肉を探して食らう一匹の狼だ。この男にとって、副担任は、人間は、鹿に過ぎないのだ。
甲冑男はぐりんと首をねじ曲げ、死んだ魚のような、焦点の定まっていない目で彼を見る。口回りは血と肉片がびっしりとこびりつき、全身から獣臭を放っている。立ち上がり、腕を伸ばして今度は彼に掴みかかろうとしてきた。
「やめろ! こっちに来るな――ッ!」
彼は転ぶように二、三歩後ろに後ずさり、回れ右をして一目散に走り出した。今にも抜けてしまいそうな腰に必死に力を入れ、恐怖で生まれたての子鹿のように震える両脚を動かす。濡れた落ち葉を踏み、落ち葉を巻き上げ、盛大すっ転んで肘をすりむいたことなど気にも留めず、彼は走った。
柔道部のエースが勝手に外へ出て行ったことを、機内で待機中のケイとリコはまるで気にしていなかった。彼が熱くなると周囲が見えなくなり、己の意思のままに猪突猛進することは今に始まったことではないからだ。二人は「また彼がいつもの発作を起こした」としか思っていなかった。
しかしそれも、勇ましく出て行った彼のものとは思えない、なんとも情けない悲鳴を聞いてからはそうもいかなくなった。今までで彼がそのような声を上げるとすれば、期末テストの返却時に赤点を取ってしまったとき位なものだが、まさかここで非道い出来の答案用紙を先生から返されたわけではあるまい。
――なにがあった?
「人喰い狼にでも遭遇したか? それとも、カニバリズム文化を持った原住民族か?」
リコがまた、人の恐怖心を煽るようなことを言い放つ。
「お前はいちいち下らない妄想話を話さないと死ぬ病に侵されているのか?」
ケイは彼の耳を掴み、引っ張って言いつける。
「や、やめろ。DV反対!」
「こんな状況下で馬鹿なことを言うからだ」
などとやりあっていると、柔道部エースの男が、額に滝のような汗をかき、見事に失敗した福笑いのような顔をして機内に飛び込んできた。両手を床に付き、息を荒げ、肩で苦しそうに息を吸っては吐く。
彼と仲の良かった男子たちが立ち上がり、彼を取り囲んで「なにがあった」「いったいどうしたんだ」などと口々に好き勝手投げかける。委員長が落ち着くよう皆に促すが、なかなか熱が冷めない。むしろヒートアップしたようにさえ思える。
皆からの質問攻めに見舞われるなか、彼は警報のような大声で叫んだ。
「ひ、人喰い鬼だ! 人喰い鬼が先生を喰ってたんだ――ッ!!」
人喰い鬼……先生が喰われた――彼のその言葉に、皆は一瞬、なんという言葉を返せばよいのか判らなかった。
人喰い鬼が現われるなど、常識的に考えてあり得ないことだ。きっとこいつのジョークだろう。普段なら、みんなそう思うだろう。お前、もうちょっと上手い冗談を言えよ、と、そう言って笑うだろう。だが、彼の尋常でない様子を眼に焼き付けられた今では、そうはいかない。
「お、俺見てくる!」
「俺も、俺も!」
ハッと我に返った取り巻きの何人かが、口々にそう言って彼と同じように外に出て行こうとした。担任が戻らず、副担任の断末魔が聞こえ、柔道部エースが顔面蒼白で帰ってきた。いったいこの周りで、なにが起きているのか。自分たちはいまどんな状況下に立たされているのか。皆、自分の目で確かめたいのだ。無意識的に。内なる生存本能がそうさせているのか、それとも恐怖心によって錯乱しているのか、それはわからないが。
だが、そう言って出て行こうとする男たちを柔道部エースが引き留める。
「だ、駄目だ……出て行くな。奴が、奴が来る……ッ!」
断頭台に立たされ、必死の思いで命乞いをする囚人のように、彼は訴えた。
「だ、だけどよ、人喰い鬼って……。そんなこと言われても、にわかにゃ信じられねえよ……」
「ほ、本当なんだ。信じてくれ。奴が先生を押し倒して、腹を食いちぎってた……」
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