#01 旅客機11号
毎週金・日、15時~20時の間に投稿予定
無数に並走する、連綿と続くTimelineの分岐の先へ
キミはいま、隣人たちの頭上を跳躍する
地球、二○一八年、一二月初頭、北太平洋上空。
ボーイング六六六便――四発ジェットの大型旅客機――、成田国際空港を離陸し、ロサンジェルスに向けて青い海の上空一○○○○メートルを飛行していた旅客機が、突如としてその消息を絶った。
『――当機はノースアメリカン航空、ロサンジェルス行き、六六六便。当機は間も無く出発いたしますので、シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。ロサンジェルス国際空港までの飛行時間は約一○時間二○分を予定しております。それでは快適な空の旅をお楽しみください』
離陸のアナウンスを、私立恒心高校二年、矢蔓ケイは静かに、しかし内心では酷く欣喜雀躍して聞いていた。今日は高校の修学旅行初日、かつ彼女にとって初めての海外旅行となる日だ。いまから十時間後にはこの飛行機が未知の土地へと降り立ち、彼女は人生で最も大きな一歩を歩むのだ。非道く広大な世界にとっては小さな一歩だが、矢蔓ケイという一人の人間の人生にとっては大きな飛躍となるのだ。
「おい、ケイ、真顔を保つのかニヤけるのかどっちかにしろ。中途半端に抑えて気持ち悪い表情になってるぞ」
人生の冒険における第一歩に陶酔していたところに、隣席の男が水を差した。彼はケイと同じく恒心高校二年、唐澤リコ。彼女のクラスメートで、唯一の友人と呼べる人間である。イタリア人と日本人のハーフで、リコという名前は日本では女性的だが、イタリアではれっきとした男性の名前である。顔が男のくせになかなかの美形で、本人も自分の顔に自信を持っている。
「いくらなんでも人の顔に『気持ち悪い』はないだろ」
と、ケイが少しの躊躇もなく失礼な言葉を投げかけてくる彼に言い返す。
「写真に撮って見せてやればよかった。だいぶ気持ち悪かったぜ? ホラーゲームで襲ってくる能面といい勝負だった」
「そんなに自慢のご尊顔にパンチされたいのか?」
「いや、結構」
彼女はため息をつき、小さな窓の外に目を向ける。彼らにとって、こんなやりとりはいつものことだった。いつもの変わらぬ日常。どちらかがちょっかいをかけ、やり返されるまでがワンセットである。
二人がくだらない会話をしているうちに、旅客機は離陸準備に入っていた。誘導員の合図に沿ってタキシング、発進位置につく。発進。翼下に装備された四基のエンジンを唸らせて猛加速し、テイク・オフ。二人を乗せた飛行機は日本の大地に別れを告げた。
外を見ると、ぐんぐん高度が上がり、地表が小さくなっていく。窓の外は快晴。雲ひとつなく、真っ青な海と空の板挟みとなっている。ケイはしばしの間、外の景色に見入っていた。綺麗だ。海が太陽の光を乱反射し、サファイアのようにキラキラと輝いている。これを見ていると、日々の疲れや悩みなどコロッと忘れられそうだと彼女は思う。
だが、景色にいつまでも景色に感心してはいられなかった。
「ああクソ、耳が変な感じだ……」
「航空性中耳炎だな。そういえばお前、飛行機は初めてだったか」
飛行機に乗っていると、しばしば気圧の変化によって耳が痛くなることがある。特に離着陸時になりやすい。地上と上空では気圧に大きな差があり、そのため離陸して高速で上昇したり、またあるいは下降したりすると、鼓膜の内側と外側で気圧の差が生じるのだ。上昇時は内側の気圧が外側より高くなることで、鼓膜が外側に膨らむような状態に、反対に下降時は内側に押し込まれる状態になる。これが身体には痛みとなって伝わるのである。
何度も飛行機に乗った経験のあるリコにとって、それはもう常識であり、予防方法も知っているため、耳が非道く痛むことはない。しかし、ケイはそうではなかった。彼女は今回が初めての飛行機であり、そのような事など知りもしなかった。
「どうにかできるのか?」
「ああ。『バルサルバ法』というものがあるんだ。まず鼻の通りをよくして、口から軽く息を吸い込んで口を閉じ、息が漏れないように鼻を強めにつまむ。そのまま鼻をかむような感じで、ゆっくり鼻先に息を送るんだ」
ケイはリコに言われたとおりにやってみる。口を小さく開き、軽く息を吸う。そして鼻をつまみ、ゆっくり、静かに鼻先に息を送る。すると、先ほどまでの耳の痛みが嘘のように改善した。
「おお、こりゃすごいな。もう全然痛くない」
「だろう? あと、予防法として飴を舐めたりガムを噛んだりする方法があるんだ」
そう言いながらリコは自分のリュックサックに腕を突っ込んでゴソゴソと漁り、飴玉を数個、ケイに手渡した。
「耳が痛くなるとしたらあとは着陸時だろう。そのときに、これを舐めてるといい」
「ああ、ありがとう」
離陸からおおよそ二時間ほど経ち、隣のリコは眠ってしまった――フライト時間が十時間もあるため無理もない――。外を見ても、上は青空、下は海で、他に特別構造物や美しい山岳があるわけではない。ケイはいっきに暇になった。
特にすることがないケイは、カーテンを閉め、窓枠に肘をつき、ボーッと外を眺めて物思いにふけっているうちに、段々と眠くなってきた。次第に意識が遠くなり、夢の世界に堕ちそうになった、そのときだった。
先ほどまで雲ひとつない晴天だった空に、突如として巨大な真っ黒い雲が出現したのだ。あまりにも突然発生したので飛行機は黒雲エリアを迂回することができず、そのまま突っ込んでしまった。
雲の中は気流が極めて乱れているのか、飛行機が非道く揺れる。まるで大地震だ。ストローでドリンクを飲もうものなら、きっと喉に刺さるだろう。地震を察知したナマズの背中に乗っているようだとケイは思う。ギシギシと軋む音がする。あまりの震動に、機体が空中分解しそうだ。更には雷のような音まで聞こえてくる。雷の閃光がカーテンの隙間から容赦なく差し込む。雷雲に巻き込まれたようだ。
スチュワーデスが咄嗟に機内放送で、席に着き、シートベルトをしっかり締めるよう指示を出す。
「おいおい、いったい何が起きているんだ?」
寝ていたリコが起きた。この揺れで眠気が完全に吹き飛んだのか、起きたばかりだというのに元気そうだ。
「雷雲に突っ込んだようだ。機内放送で言っていた。突然現れたらしい。――シートベルトをしっかり締めろってスチュワーデスさんが言ってたぞ」
状況がつかめていないリコに、ケイがとてつもなく早口で説明する。
「そ、そうか。――これ、墜ちないよな……?」
「縁起でもないことを言うな。その科白で本当に墜ちたらどうする――」
と言うケイの言葉を遮るように、突然、ドン、と一際大きな衝撃が二人を襲った。その衝撃を合図にしたかのように、ケイの意識は闇に沈んでいった。
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