#92 清水寺に向けて
「よっしゃ! それじゃあさっそく清水寺に行くか!」
朝。ホテルのレストランにて朝食を摂った後。小野ちゃんから簡単な説明を受けてから、修学旅行は自由行動へと差し掛かった。
ここからの行動は原則自由。ただし、京都から出ないように、ということだけは言われている。
「そんなことする人いないと思うんだけど」
「……と、俺も思っていたんだが。先輩に話を聞いた限りでは、大阪まで電車で行った人とかがいたことあるらしいぜ」
茉莉のちょっとしたつぶやきに、直樹がそんなふうに返してみせる。……というか、いたのかそんなことする人。
直樹の語る話では、なんでも大阪にある遊園地に遊びに行ったらしい。京都の各所自体がそんな遅くまでやっていないため集合時刻自体も結構早めに設定されているはずなのだが。そんな短い時間だけを遊ぶために、わざわざそこまで行ったのだと思うと、その行動力だけは感心するものがある。
「まあ、思わず遊びすぎて帰るのが遅くなってバレたらしいんだけど」
訂正。ただのバカだった。
「どのみち俺たちには関係ない話だけどな。ってなわけで、裕太。案内は任せた!」
「俺かよ。……まあ、いつものことだか別に構いやしないが」
俺と直樹とで出掛けるときは、たいてい直樹が行きたいところを言って、俺がそこへと案内する、ということがほとんどだ。
……ついでに、今回の自由行動の候補地決めについて。いちおうなんとか参加はしたものの、ほとんど役には立てていなかった自覚もあることだし。ここで、その時の働きの補填とさせてもらおうじゃないか。
学校から、予め観光のための地下鉄と市バスの一日乗車券は全員に配布されている。清水寺には、市バスでちょうど行けるらしい。
乗り間違えだけしないように気をつければ、大丈夫だろう。
「こっちだ」
駅前のバスターミナルの前で、番号に気をつけながら。俺は清水寺行きのバスを探した。
清水寺の最寄りのバス停で降りて。
「うお、結構な坂だな」
「それでいて、人も多い」
直樹のひとこと目のその感想に、雨森さんが少し苦い顔をしながらそう答える。
いちおうは平日のはずなのだけれども。そう思いながら往来の多い坂道を前に、さすがは観光地と納得する。
「とにもかくにも、とりあえず行こうか。どうせここで突っ立っていても仕方ないし」
5人で揃って、清水坂を登り始める。対して急な坂というわけではないのだが、地味に距離がある。
それでいて人も多いために足取りもややゆっくり気味になり。更には、
「あっ、イチゴ飴だって!」
「本当ですね、おいしそうです」
「……イチゴ飴? 京都の、清水寺で?」
どうやら串刺しになったイチゴ飴を見つけたらしく、雨森さんと絢香さんがそんなことを話し。その隣で、少し怪訝そうな目で茉莉がそれを眺めていた。
坂道の両側には様々な店が立ち並んでいて、それらに気を取られてしまう。そうした都合、地味に各自の足取りが揃いにくくなってくる。
「……一旦、自由に動くか。清水寺の手前に案内所があると思うから、そこで集合で」
こういう、様々な店がたくさん並んでいるような場所で5人全員一緒に、となるとなかなか厳しいものがあるだろう。見たいところ、気になるところも様々だろうし。
そうして、一旦解散して。……と、したはずなのだが。
「なんでお前はついてきてるんだよ、直樹」
「いや? なんとなくだが?」
ニヤニヤとしている直樹が、俺の横から顔を覗き込んでくる。
「まあ、向こうは女子3人で楽しくやってるみたいだし、俺たちも野郎ふたりで楽しくやろーぜ?」
「……まあ、別に構わんが」
別に誤算というわけではなかったが。てっきり直樹は雨森さんと一緒に回ると思っていたし、絢香さんか茉莉のどちらかがついてくるかと思っていた。
しかし意外にも、ついてきたのは直樹。形の上では、きれいに男女で別れたことになる。
まあ、そちらのほうが気兼ねなく動きやすいといえばそのとおりか。
「それで、お前はどこの店を見たいんだよ」
「えっ? いや、たまには裕太の見たい店についていこうかなって思ってるんだけど」
「……酔狂なことをするもんだな」
正直、誰もついてこなかったら、そのときは適当にぶらついて先に案内所付近でみんなのことをまとうかと思っていたようなレベルだった。そのため、あんまりどこかを見たいとか、そういうことを考えていなかった。
「というか、それだとお前の行きたいところに行けないんじゃないのか?」
「んー? ああ、それなら気にしなくっていいぜ!」
どうしてもって、気にしなくて大丈夫なのだろうか、と。そんなことを考えていると。
隣から突然に、しゃくっ、という小気味のいい音がした。
「なんできゅうり食べてるんだよ、直樹」
「そこで売ってたからな!」
コクッと、口の中の物を飲み込んで、彼はそう答える。いつの間に買ってやがったんだ。……とはいえ、たしかにこれができるのなら、俺の行きたいところに付き合っても直樹は楽しめるのかもしれない。
その場合の最大の問題は、俺が行きたいところの目星をつけられていないということなのだが。
直樹の手に握られているのは、串刺しにされたきゅうり。
疑問はそこじゃないんだがとそう思っていた俺をよそに、彼はそのまま二口目をかぶりつく。
直樹は、反対の手に握られた別のきゅうりを見せながら、食うか? と、そう尋ねてくる。
「……1本寄越せ」
「そう言うと思ってたぜ」
ニイッと笑った直樹が、300円なと言いながら、そのままきゅうりを渡してくれる。
場所も季節もそぐわなくないか? と、そう思いかけたが。視界の端に入った漬物屋で合点する。
そういえば、京都は漬物も有名だったか。
彼から受け取ったきゅうりの一本漬けをひとくち口に含む。
レモンだろうか。酸味のあるそれは、なかなかに美味しい。
「けっこういけるだろ!」
「それはたしかに。……まあ、まさか京都にまで来てきゅうりを食べるとは思ってなかったが」
「それは俺もそう思う。まあ、他にもいろいろあるみたいだし、楽しみだな!」
周囲を見てみれば、なんというか観光地だなあ、と感じるような。ソフトクリームやら肉まんやらが販売されている。
改めてこうしてみてみると、少し面白いものはある。
……そして、相変わらず少し目を離した隙に、いつの間にやら直樹の手にはソフトクリームと肉まんが握られている。今度はひとつずつなので、欲しけりゃ自分で買ってこい、とのことらしい。
「しっかし、なんで観光地ってソフトクリームや肉まんみたいなやつが多いんだろうな。その地域の食材を雑にぶち込めばご当地っぽくなるから?」
「……そういうことは思っても言うもんじゃないんだよ」
直樹が買っていたところと同じところで肉まんを買いつつ、俺は彼をそう諌める。
どうしてこいつは、こう、変なところでザックリとしているのか。
「まあ、旨けりゃそれでいいだろ!」
ニヘッと、直樹は笑いながら。左手に持っていた肉まんにかぶりつく。
そんな彼の様子に少しため息をつきつつも。俺はその隣で同じく肉まんをひとくち食べた。
冬の到来も、もうすぐそこまで。ということもあってか。少し熱いくらいの肉まんが、ちょうど心地よく感じた。
結局、集合場所には早めについて。直樹には「まだもう少し見てきても大丈夫だぞ?」と、そう言ったのだが。彼はそれを断って一緒にいてくれた。
なんだかんだで暇つぶしに付き合ってくれるので、残ってくれたのはありがたかった。
「うおぉ、ここが清水寺」
「……たぶん、清水寺って言われて想像するような舞台はもう少し奥だけどな」
ここまでまあまあな坂を登ってきたが。更にここから階段があって。途中には、朱色の門が建てられていた。
周辺では、たくさんの観光客の人たちがおのおの写真を撮っていた。
「どうする? 俺たちも撮るか?」
「……いや、ここではいいかなぁ」
てっきり直樹のことだから取りたがるかと思っていたが、意外にもその口から出てきたのは否定の言葉だった。
「なんというか、ここでの撮影。ちょっと、通行の邪魔になるような気がするからさ」
たしかに、直樹の言うとおり。撮影している人たちが階段などの前や上でに立っている都合、その前や、すぐ後ろを躱して通る必要が出てくる。
階段自体がかなり広いため、別段通れないとかそういうわけではないのだが。撮影している人たちの場所によっては、門を通るようにして階段を登ろうとすると、思い切りにカメラに写り込んでしまいかねないようなときもありそうだった。
ひとまず、他の人の撮影の邪魔にならないようにさっさと階段を登りきってみる。
階段の上は建物がいくつか立ち並んでいて。そのうち、手前にあるもののところがどうやら開いているらしかった。
「なんだ、ここ?」
どうやら、直樹も知らないらしい。
「ええっと、随求堂って読めばいいのかな?」
さて、名前はわかったものの、と。そう思ってたところ。タイミングがちょうどよかったらしく、職員の人がここがどういうところなのか。そして、どういうことをするところなのかを説明し始めてくれた。
曰く、大随求菩薩という仏様の胎内に見立てた堂の下を歩く「胎内めぐり」ということをするところらしい。
そうして通っていった奥にある梵字の刻まれた石に触れながら願い事をして胎内から出る。つまり生まれると、それが叶うとかなんとか。
「いいじゃん、面白そうだしやってみようぜ!」
せっかくだし、と直樹が先陣を切りながら胎内めぐりに行こうとする。
直樹の首根っこを掴みながらいちおう他のみんなに確認を取ると、まあ、いいんじゃない? とそう返答をもらえたので行くことになった。
……雨森さんだけは、ちょっと怖がっていたけれど。
ノリノリの直樹を先頭に、入り口で靴を脱いでから順番に随求堂に入っていく。
ゆっくりと階段を降り、数珠のように珠が連なった手すりを持ちながら、ゆっくりと歩いていく。足元は石なのだろうか、ひんやりと冷たい。
「うお、すげえな。ほんとに真っ暗だ」
先に行った直樹の言葉の意味は、すぐに理解できた。
階段から降りてすぐのところはまだ視界がある程度あったものの、しばらく進んだところからは全くの光のない暗闇。
頼りとなるのは、まさしく左手で握っている手すりだけで。前も後ろも、右も左もわからない周囲の状況に、不安感を感じてしまいそうになる。
なるほど、たしかにこれは説明のときに、職員の人が念を押して手すりから手を離さないように、というわけだ。仮にこの頼りを見失っては、どちらに進めばいいのかわからなくなってしまう。
「すごいわね。目を開いてるのに、閉じてるような感じがして。すごく不思議」
俺の後ろを歩く茉莉がそんなことをつぶやく。たしかに、言われたとおりだ。
そのさらに後ろからは少し声の震えた様子で雨森さんがなにかを言っていた。声が小さいので内容までは聞き取れないが、更にその後ろ、殿でついてきてくれている絢香さんが優しく声をかけている様子を見る限り、相当怖がっているようだった。
その気持ちも、わからなくもない。
前になにがあるかわからないために、ゆっくりと、すり足気味に前に進んでいたのだが。思わず、前の直樹にぶつかってしまう。
「すまん、直樹」
「いや、大丈夫だ。どうやら前が少しつっかえてるみたいでな」
この暗さだし、進みが遅くなるのも納得。……と思っていたのだが、どうやらそういうわけではないらしかった。
もう少し前まで進むと、前が詰まっていた理由がわかる。
ここまでずっと真っ暗だったのに、そこだけほんのりと光の灯っている場所があった。
見れば、そこには丸い石があって。表面に記号のような、文字のようなものが刻まれている。
どうやらあれが、説明にあった石のようだった。
「これに触りながら、願い事をするんだよな?」
「職員の人はそう言っていたな」
直樹がそう確認してから、石に触れる。
光があるおかげで、彼の顔が少しだけ見えた。目を閉じて。おそらくはなんらかを願っているのだろう。
「うっし、それじゃ、次は裕太だな!」
直樹は顔を上げると、そう言って少しだけ前に進み、俺に順番を回してくれる。
しかし、願い事か。
あまり考えていなかったな、と、そう思いつつも石に触れる。
地面同様にひんやりとしたそれに触れ、目を閉じて。少しだけ、考えを逡巡させる。
胎内めぐり。再び、生まれる。……生まれ直し。
その、不思議な表現に。なんとも言えない納得と違和感と。そのふたつが綯い交ぜになった奇妙な感覚を感じながら。俺はゆっくりと目を開けた。
……今のは、いったい。
そんな疑問が浮かんだものの、後ろがつっかえているためにそう長い時間もいられない。
俺は早々に順路に沿って前に進み、後ろにいた茉莉に順番を回した。
そのまま、雨森さん、絢香さんと。全員がその石に触れて。そして、手すりを頼りにしながら、俺たちはそのまま前に進んでいった。