#90 シャッターを切って
「んー! 来たぜ、京都!」
「……直樹。他人の目もあるから、あんまり変なこと叫ばないの」
ぐっと腕を突き上げながら楽しそうにそういう彼に向けて、俺は軽く諌める。さっきまで新幹線の中で爆睡していたくせに、寝起きから元気なものだ。
目の前には真っ白い塔、京都タワーだ。
さすがにスカイツリーや東京タワーなんかと比べると高さは全然ではあるものの、近場から見るとてっぺんを見ようとすると首が痛くなりそうなくらいはある。
「しかし、こうやって見ると、京都って感じはあんまりしないんだな」
「なんだよ、京都って感じって」
俺は直樹に向けてそう突っ込むが、しかし、彼の言わんとすることはなんとなくわかる。
現在俺たちがいる京都駅周辺は、普通に都会、というような様相で。いわゆる古都のようなイメージとはかなりかけ離れていた。
「まあ、観光地に近づくにつれてそれっぽくなるだろ。……それよりも早く整列しなきゃだろ」
俺がそう言うと、直樹は少し文句を言いつつもその言葉に従う。
正直、俺たち以外にも。初めて来たのだろうか、京都に到着したことに興奮して騒いでいる生徒は少なくなかった。
それをわかっているからか、あるいはそれをまとめる切ることができないからか。先生も強くそれらに対して咎めることはせず、軽く声をかけながら集合を待っていた。
まあ、無理に号令をかけずとも。しばらくすれば落ち着いた人から自ずと集まるだろう。
修学旅行が始まったばかりにも関わらず、もうすでに若干疲れた顔の小野ちゃん、もとい小野先生のところへとふたり並んで集まりながら。
途中、彼が周りに聞こえないような小さな声で話しかけてくる。
「そういえば、あのふたりのことについて、なにか進展はあったか?」
「……すまん、探ってはみたんだが」
俺のその答えに、直樹は軽く「そっか」とだけ言った。
直樹の問いは、絢香さんと茉莉の間に彼が感じたらしいナニカについての話だった。
修学旅行を楽しむためにも、メンバー内になにかしらの不和があるのであれば、先んじて解決しておくべきだろうと、そう話していたのだが。
「俺には、特になにも感じられなかった」
言われてからなにかないだろうかとかなり注意を払って来たのだが。俺の勘が悪いのか、全くそういう様子は伺えなかった。
あるいは、生活をともにしている都合。そういった様子は表立って見せないようにしているか。……仮にそうであれば、不意の様子を直樹に気づかれた、としても納得がいくが。
「まあ、とはいえ茉莉もちゃんと考えるときは考えるやつだからな。変な事情で修学旅行の空気が悪くなる、とかはないと思うけど」
それに、俺のただの勘違いって可能性もあるし! と、切り替えるようにして直樹が大きく笑ってそう言う。そのままの様子で、彼はこれから行く1日目の工程の話にすり替えた。
若干無理矢理気味な話題転換は、おそらく直樹なりの気の遣いなのだらう。ならば、それを無碍にするのはいただけない。
今の話を忘れるわけではなく、胸に留めておき。しかしその一方で投げかけられた明るい話題に乗っかる。
「しっかし、2泊3日しかないんだから自由にさせてくれてもいいのにな」
「そうは言っても、一応は学校行事だからな。中日の、1日丸ごと使える日を自由行動にしてくれてるんだから、まだいいじゃねえか」
「それは、まあそうなんだけどさ」
直樹は少しだけ唇を尖らせながら、そう答える。彼とて、理解はしているのだろう。これが学校側からしても最大級の譲歩だということは。納得できるかは別として。
とはいえ、それはそれとしてもっと自由にやりたかった、という直樹の気持ちもわからなくはないが。
「あ、やっときた。おーい、裕太、直樹!」
小野ちゃんの近くまで来ると、手を振りながらにそうやって茉莉が呼びかけてくる。
その傍らには、少し縮こまった体勢の雨森さんがいて。突然声を出した茉莉に、少しだけびっくりしていた。
「ったく、あんたたち小野先生を困らせるんじゃないわよ」
「別に俺たちだけってわけじゃないだろ?」
「そういう屁理屈は受け付けてないの。全く……」
そんなつんけんとした茉莉と直樹のやり取りに、俺と雨森さんは苦笑いをするしかなかった。
「そういえば、絢香さんは?」
たしか、新幹線の席で茉莉は絢香さんの隣に座っていたはず。なのでて、てっきり一緒にいるものだと思っていたのだが。
そんな俺の言葉に。ああ、それなら、と。茉莉はそう言いながらに視線を横にずらす。
俺も同じようにして視線を横に遣ると、彼女の意図を察する。そこにできている人だかりの、その中心におそらくいるのだろう。
「さすがの人気だな、新井さん」
「ええ、なにせ新井さんですので!」
なんとなくに口をついて出たような直樹のそのつぶやきに、なぜか自信満々にそう答えたのは雨森さんだった。
まるで自分のことかのように誇らしく語るその姿は、ある意味彼女らしいようにも見えた。
とりあえず、絢香さんについては今のところはいつもどおり、問題なさそうに見える。
修学旅行の直前。涼香ちゃんから呼び出され、少し話す機会があった。
内容としては、修学旅行期間中に姉を――つまりは絢香さんを頼むというものだった。
以前、文化祭のあとにも同じような話をされたことがあったが、その念押し、および再確認といったところだろう。
だと思っていたんだけれども。
「……修学旅行中は、なにかが起きても私じゃどうにもできない。だから、お願い」
歯噛みをしながらそう伝えてくる涼香ちゃんのその様子は、とてつもなく悔しそうで。
もしかしたら、以前俺が彼女や美琴さんに尋ねたことで、なにか涼香ちゃんとしても思うことがあったのかもしれない。
まあ、とはいえ。どうして絢香さんがあんなことをするようになったのか、という理由を知ることができた今。対策が容易であるとは言わないが、どうするべきかということはわかる。
その方法は、彼女と一緒にいるということ。ただ、それだけ。
至極単純にして、しかし、言葉の額面よりかは圧倒的に難しい。しかし、やらなければならない。
そのために、一緒の班になったのだから。
遠巻きに、彼女のことを見つめながら。俺はそんなことを決心していた。
そのとき、間違いなく俺の視線は絢香さんに向いていた。……だからこそ、気づくことはなかった。
「…………」
直樹が指摘していたであろう、その視線が。そこにあったことを。
ホテルに荷物を預けてから、クラスごとでの行動が始まった。
「見ろよ裕太! マジで金ピカだぜ!」
「ホントだな。写真とかで見たことはあるけど、実際に見ると本当に輝いて見えるんだな」
俺たちの視線の先にあるのは、池の上に浮かぶようにして建てられた金色の建造物。金閣。
ここは、鹿苑寺。金閣寺の通称で知られている寺だ。
俺の横には直樹がいて、そのそばにはぴょこぴょこと頑張ってついてきては、直樹の陰に隠れる雨森さん。
クラスごとでの活動とはいえ、基本的には縛られるのは行き先だけで、集合時刻までは中で自由に過ごしていいことになっていた。
「そういえば、小川くんは新井さんと一緒に回らなくてよかったんですか?」
そう聞いてきたのは雨森さんだった。では、その絢香さんはというとしばらく離れたところで、京都駅に到着したときよろしく、クラスメイトたちに囲まれていた。
「うん。……ほら、俺たちは校外レクだけじゃなくって明日の自由行動でも一緒に動くでしょ? だから、今日のクラスごとでの行動くらいは他の人と交流しないと、絢香さんの外聞があまり良くない」
既に手遅れ気味なところがなくはないが、しかし絢香さんの持っている影響力の大きさはとてつもないものだ。
実際、校外レクのときも修学旅行のときも、班決めのときには彼女の席の周りにたくさんの人が集まって。……しかし、その人たちを断って、俺たちと一緒に来てくれた。
いわば、彼ら彼女らとの交流を蹴ってこちらに来ているわけで、あまり体裁や顔のいい話ではない。
だから、修学旅行1日目のこの時間については、そちらを優先しよう、と。事前にそう打ち合わせておいたのだ。
「……新井さんは、外聞がどうとかあまり気にしないかと」
「俺が気にするの。だから、ね?」
俺がそう諭すと、雨森さんは若干不服そうにしながらも、けれどわかりましたと納得してくれた。
絢香さんと一緒がいいのなら、今からでも向こうに混じってきたら? と、人だかりが出来ている絢香さんの方を指差しながらにそう尋ねるが、しかし彼女はゆっくりと首を横に振った。
「それこそ、私の外聞がよくないので」
曰く、ただでさえ校外レクと、更には修学旅行の班まで一緒になってるのにこれ以上となると雨森さん自身への周囲からの視線が痛くなる、と。……他のクラスメイトには隠しているが、一緒に海にも行っていて。仮にそれがバレたらとんでもないことになる、とも。
それなら俺は一体どうなるんだ? と、そう思ったのだが。どうやら表情にそれが出ていたらしく、直樹と雨森さんが口を揃えて、俺は大丈夫だから心配しなくていい、と。そう言われてしまった。
そんなことを話しながら、3人で順路に沿って歩く。
「おっ、ちょうど写真を撮ってくださいと言わんばかりに木と木の間が空いてるところあるぜ」
直樹はそう言いながら、ちょうどいいから写真を撮ろう、と。……写真を撮ることには別に意義はないのだが、たぶんそういう理由で空いてるわけじゃないと思う。
そんなことを思いながら、ちょうど今写真を撮っている人たちの近くで順番待ちをする。
別のグループの人たちはひとしきり写真を取り終わったようで、スマホの画面を複数人で覗き込み、どんなものが取れたのかを確認しながらその場を立ち去っていく。
「よし、それじゃあ裕太、撮るぞ!」
「じ、じゃあ、私が撮影するね!」
ピッ、と雨森さんがそう手を挙げてくれる。俺たちはスマホを彼女に渡して、ちょうど金閣が画角に入る位置に並ぶ。
「と、撮るね!」
「おう!」
直樹の元気のいい返事とほぼ同時、カシャリ、とシャッターの切られた音がする。
念の為にもう1枚と、再度カシャリと音が鳴って。そしてパタパタと小走りで雨森さんが駆け寄ってくる。
「それじゃあ、今度は直樹と雨森さんだな」
俺がそう言うと、ふたり揃って「へ?」と、間の抜けた声を出す。
「いや、流れ的に次はそうだろ? ……まさか俺と雨森さんじゃあるまいに」
「いやまあ、それはそうだけど」
なぜか歯切れの悪い直樹から彼のスマホをぶんどって、写真を取るために距離を取る。
カメラを起動して画角にふたりと金閣を収めるが。
どうしてか、直樹と雨森さんの間に、微妙に距離がある。
「もう少し寄ったらどうだ? あと、表情が硬いぞ」
「裕太にそういうことを指摘される日が来るとは思わなかったな」
直樹はそう言いながら苦笑いをすると、同時、こうなったらヤケだ! とそう言って、雨森さんの肩を抱き寄せる。
おかげさまでふたりの距離はやや強引にではあるものの近づき、驚きが含まれているとはいえ表情も少し柔らかになった。
雨森さんの顔が直樹の方を向き、赤らんでいるが。……これはこれでいいだろう。
カシャリ、と。シャッターの切られる音がして。
「……えっ。ふぇっ!? 小川くん、もしかして今の写真撮った!?」
「ああ、撮ったぞ」
「消して消して消してっ! 今のは! 今のはナシ!」
「裕太! 今の写真、絶対に消すなよ!」
「消してー!」
真っ赤な顔のまま、若干潤んた瞳で直樹のスマホを奪おうとやってきた雨森さんだが。残酷なことに身長差からどう頑張っても盗れない。
そのまま直樹にスマホを返却すると、彼女の追撃は直樹へと向き直したが。ポカポカと殴られるそれをこそばゆいとでも言わんばかりに苦笑いする直樹に。
「アレは、消さんだろうなあ」
そんなことを思いながら。仲がいいに越したことはない、と。二人の様子に、そう、少し安心する。