#89 幼馴染という存在
「いいなー、修学旅行。私も一緒に行きたーい!」
「美琴さんは去年行ったでしょう」
半分ほど、ただの駄弁り場になりつつある部室にて、ブーブーと、そんな文句が繰り広げられる。
内容は、修学旅行について。そして、当然ながら文句を言うのは美琴さんだ。
「去年行ったか行ってないかとか、そういうのは関係ないんですーだ! ね? 涼香ちゃん。あなたも行きたいって思うよね?」
「美琴さん? さすがに勝手な持論に涼香ちゃんを巻き込まないであげてくださいよ」
「……でも、私も行きたい」
「涼香ちゃん……」
ため息をつく俺の横で、これで二対一の優勢、この部屋における多数派だと勢いづく美琴さん。3人しかこの場にいないため、たったふたりでも過半数になる。
「でも、去年に美琴さんが行ったのも京都でしょう? 結局そんなに変わらないんじゃないんです?」
「変わるよ! 裕太くんや絢香ちゃん、茉莉ちゃんもいるんでしょ。絶対に楽しいじゃん」
「うん。私も、お姉ちゃんと一緒に修学旅行に行けるならそれがいいし。それになにより、裕太さんもいる」
ジッと、4つの瞳がこちらを見つめてきて。やっと彼女たちの言わんとしていることを察する。
忘れているわけではないが、その一方で意識や考えから外しがちになってしまうこと。このふたりからの、寄せられている気持ちについて。
気の置けない仲の人と行きたい、という気持ちももちろんあるだろうが。それならば、クラスメイトにだって同じような人がいるはずだ。
彼女たちがここで重要視しているのは、俺の存在なのだ。
涼香ちゃんに関しては、ほぼ同レベルで絢香さんのことも重要視しているだろうが。
「1年早い、1年遅いでこんなにも変わるなんてねぇ……」
「ん、時間は残酷」
存在し、そして、どうしようもない学年という区切りに。美琴さんが机に突っ伏しながらため息をつく。
涼香ちゃんは対照的に、座ったまま大きく動きはしないものの。ほんの少しだけ下を俯いて、自分の作業を再開した。
とはいえ、どうしたものか。どうにかしてあげたいと思ったりはしないでもないが、打つ手が全くない。
正直、退部の時期を完全に過ぎ去っているであろうこの部長はともかくとして。この手の話になってくると難しいのは勉強との兼ね合いだ。
それこそ、同学年であれば卒業旅行のような形で行く、みたいな話をちらほら聞いたことはあるものの。美琴さんの卒業時期になれば今度は俺たち現2年生が受験生になり変わる。
そんな俺たちの卒業時期になれば、今度は涼香ちゃんが、と。
こうなってくると、2年以上先ということになるわけで。なかなかに遠い話になってくる。
「いや、2年も先にとなると、その前に……」
「2年先? そんな未来の話をしてどうしたの?」
ひとりごとが思わず漏れていたようで、美琴さんがそう聞き返してくる。
俺は慌ててなんでもないと誤魔化して。
彼女は少し不思議そうに首を傾げていたが、すぐさま修学旅行についていけないことへの愚痴を再開していた。
2年も経つ前に。……いいや、そんな年単位の話じゃない。
美琴さんに。そして、他のみんなにも含め。宣言した、答えを出すまでの期限。今年中には、という、その言葉。
もう、既に3ヶ月を切っているんだ。
こればっかりは、誰にも相談するわけにはいかない。自分で、己の気持ちに向き合って、決めなければならない。
ただでさえ待たせてしまっているのだから、反故にするなんてそんな真似もできない。
誰かの手を取ることが、誰かの手を取らないことになる。そして、誰の手も取らないという選択肢は、ない。
難しいよなあ、と。周囲に聞こえないようにひとりごちる。
けれど、嫌でも応でも、今年中には決めなければならない。
そうなると、この関係はどうなるのだろうか。ふと、そんなことを思ってしまった。茉莉は監視目的、絢香さんや美琴さんはアタック目的。涼香ちゃんはサポートが元だったが、現在は絢香さんや美琴さんに加わっている。
誰か、を俺が選んでしまったら。みんなはそれらの必要がなくなる。
そうなれば、今の関係性の必要性はなくなるだろう。
そう思うと、少し、寂しく思ってしまう。最初でこそ、なんだそれはと厄介に思わないでもなかったはずなのに、いつの間にかそれが日常に成り代わった今となっては、喪われるのが少し怖い。
もちろんそれは、選んだひとりに対して不満があるとかそういうわけではなく。ただ、今の関係性が楽しくて。それが無くなってしまうのがもったいなく感じてしまって。
でも、それはダメだろう。そんなものは、あくまで俺の独り善がりな感情でしかない。
優柔不断なままで今のぬるま湯ののような心地よさに浸かり続けるのは、俺だけが気持ちよくて。他のみんなからすれば、とてつもなく苦しいものだろう。
今の、待ってもらっている状態でさえ、正直彼女たちに対して不誠実であると感じているのに。
で、あるならば。俺が答えを出したその先も。せめて、みんなで仲良くあれるように。そう願い、動くしかないだろう。
「……そういえば、直樹から聞いた話なんですけど」
本人たちに聞くのはアレだろうが、このふたりなら問題はないだろう。
昼休みに、彼から相談を受けたことについて。そのまま意見を伺う。
すると、どんぴしゃりといった様子で彼女たちはお互いに顔を見合わせて。そして、美琴さんが少し苦い顔をする。
「あー、うん。心当たり、というか。そうなんじゃないかなっていう、予測ならあるよ」
あはは、と。戸惑いを含む笑いを出しながらにそう答えてくれる。涼香ちゃんも涼香ちゃんで、困ったような表情だ。
しかし、この歯切れの悪い物言いといい、対応といい。ものすごく、見覚えがある。つい数時間前にも、同じような対応をされたところだ。
「……ということは、ふたりの口からは言いにくい内容。俺自身で考えて気づかないといけない内容ってことですか」
「うん。そのとおり。さすがだね」
そこに気づいてくれて助かるよ、と。そうお礼を言われる。ご褒美にハグしてあげようか? と聞かれたが、丁重に断っておいた。
あとからいろいろと面倒くさそうだし、近くに涼香ちゃんがいるのもある。
涼香ちゃんなら黙っていてくれそうでもあるが、同時にそれを引き換えになにか要求されないとも限らない。
「まあ、そういうことなら。頑張って自分で考えてみます」
「うん、頑張ってね。……そうだ、たしか今日は茉莉ちゃん部活休みの日でしょ? せっかくなら早めに帰ったら?」
美琴さんは、手をポンと打ちながらそう提案してくれる。涼香ちゃんは、あとから送り届けてくれる、とのこと。
涼香ちゃんは別にひとりでも帰れるけど、と。そう悪態をついているが、どこか少し嬉しそうでもあった。
「それじゃ、またあとでね。ごはん楽しみにしてるから!」
「……それが目的ですか」
それが全て、ではないにせよ。美琴さんの思惑の一端が見えて。そのわかりやすい要求に、クスリと笑ってしまう。
大手を振って送り出してくれる美琴さんと、ペコリと小さく頭を下げる涼香ちゃん。そんなふたりに小さく手を振って、俺は部室から出た。
「さて、裕太くんが部室を出てからしばらくしたし。そろそろ大丈夫でしょ」
美琴さんが、こちらに顔を向けつつ、そう切り出す。
その表情は、依然として笑顔のままだが。先程までの表裏のなさそうなものから一転、笑ってはいるものの真剣、というようなものに移り変わる。
「実際にその場にいたわけじゃないし、感じ取ったのが直樹くんってわけだから、詳細はわからないけど。たぶんそういうことだよねえ」
おそらく、美琴さんの言っているそういうこと、の内容について間違っていることはないだろう。
彼女が懸念していること、それは。茉莉が動き出した、ということだ。
「絢香ちゃん、涼香ちゃんに続いて。茉莉ちゃんかあ」
「……私を戦線に引き戻したの、美琴さんだけど」
そうツッコミ返すと、彼女はニイッと笑って。まあね、と。
勝てる算段があるから連れ戻した……というのであれば、ちょっとムカついてしまいそうになるものだが。美琴さんのことだから、そういうことではないだろう。
あのままいけば、私だけでなくお姉ちゃんまでもが共倒れしかねない状態。そこを好機と見るわけではなく、裕太さんからの要請があったとはいえ、私たちを助けるための択を取った。
おかげさまで、私は仲直りすることができたし。その上、自分の気持ちに正直になれた。
だからこそ、美琴さんにはそれなりに感謝してるし。そういった側面の話であれば、信頼をおいている。
だからこそ、あの場では口を挟まずに黙っていたけれど。
「でも、あの対応でよかったの?」
まるで、さっさと茉莉の気持ちに気づいてこい。とでも言わんばかりのその発言に。またライバルを増やすつもりかのかと、そう尋ねる。
実際、美琴さんは茉莉の参戦についてはかなり懸念している様子だった。先程のぼやきも、そのあらわれだろう。
なにせ、彼女は裕太さんの幼馴染で。私たちの中で一番、彼のことを理解している。
そんな茉莉が本気を出し始めたとしたら、その勢いは尋常ではないだろう。
創作物で、幼馴染が負けフラグにされることもしばしばあるが。しかし、連れ添ってきた長い年月というものは、実際には相当に強力なものになる。
それに打ち勝つというのは困難を極めるだろう。
「まあ、涼香ちゃんたちのときとは違って、そのうちどうせって話ではあったからね」
笑いを崩さないままにそう言われ、私は納得をする。
私とお姉ちゃんのときは、このまま放置すればそのまま退場。というところだった。
しかし、今回は状況が違う。このまま放置しても、茉莉がアピールを始めた以上、そのうち裕太さんが気づくことになる。
あるいは、先んじて茉莉が言うかもしれない。そうなれば理解することだろう。たとえ、ハッキリと気持ちを伝えないと気づかない、あの裕太さんであったとしても。
「なら、多少の時間の前後があるくらいなわけだから。さっさと気づいてもらおうかなって」
たしかに、彼女の言うとおりだろう。
「それに、裕太くんは全員の気持ちと向き合ってから決めるって言ったんだから。ちゃんと、みんなと向き合ってもらわないとね」
「…………ん、それはそう」
私の同意に、美琴さんは満足そうな様子を見せる。
けれど、気になることがないわけじゃない。
美琴さんも言っていたが、私たちは直接にその様子を見たわけじゃない。
直樹さんが見たという様子の、裕太さんからの伝聞だ。途中でなんらかの情報がねじ曲がって、視点が歪んでいるかもしれない。
「なにか、引っかかる」
見落としていることが、あるような。そんな気がする。
どこか、繋がりそうで。しかし繋がらない。そんなもどかしさを感じながら、私はやきもきする。
「話してたら、いつの間にかこんな時間だね」
言われて外を見ると、既に外が暗くなりつつある。日の入りも早くなってきて、冬の到来が近づいてきていることがよくわかる。
「そろそろ、帰ろっか」
「……ん」
不明ななにかに、後ろ髪を引かれるようなそんな感覚を覚えつつも。しかし、正体がわからないままでは、どうにも対処できない。
このままでは、なにか良くないことが起こるような。そんな、根拠のない嫌な予感を感じつつも。
そう思いかけたところで、ふと、私は顔を上げる。
嫌な予感を感じるから、だからこそ。わからないからこそ、むしろ。
私は、私のやれることを。
たとえ正体不明のそれがなにであったとしても。私のやるべきことは変わらない。
自分の気持ちに蓋をすることはせず、しかしながら、お姉ちゃんを守る。
それが、私のやるべきことであり。そして、やりたいことだ。