#9 直樹以外の交流のある全員にバレたんだけど
「メイド……えっ、メイド? メイドって、あの?」
美琴さんは「おかえりなさいませご主人様……?」と、疑問形ではあるものの真似をしながら確認をとってくる。
認識に関して偏見がある気もするが、概ねそれで間違いない。
「はぇー、そんな人がいるだなんて知らなかったよ。すごいね」
「……いや、たぶん美琴さんが思ってるような状況じゃないんですよこれ」
俺がそう言うと、彼女は首を傾げる。
「それってどういう――」
「裕太さんって、手芸部だったんですね」
美琴さんの言葉を遮って飛んできたのは絢香さんの声だった。
絢香さんは無視して、先行で口を開いていた美琴さんの受け答えをしようとしたが、彼女から「お先にどうぞ」と視線で返されてしまう。
「そうだよ。他に部員も居やしないウルトラマイナー部活だがな」
「ちょっと、部員なら部長の私がいるでしょーが! あと、いちおう書類上はいるからね?」
美琴さんが、そう声を荒らげて反論してくる。
でも先輩、前者はともかく後者は微塵も庇えてないから。むしろ書類上でしか在籍してない人たちがいないと部として成立してないことを自白してるようなものだから。
「それで、そんな隅っこに追いやられてる手芸部なんだけど」
「ねえ裕太くん、さっきから言い方あんまりじゃない? ちなみに隅っこに追いやられてるわけじゃなくて元々被服室の準備室がここなんだよ?」
さすがにちょっと言い過ぎたか、美琴さんがぷんすこぷんすこと息巻いていた。どうどうどうと宥めながら、俺は彼女たちに視線を向ける。
「入るの? 絢香さんと涼香ちゃん。いちおう、部活の見学っていうテイでここに来てるんだよね?」
「うっ……」
思いの外、言葉に詰まったのは絢香さんだった。ほぼ同時、涼香ちゃんは「入ってもいい」と、なぜかちょっと上から言ってくる。
「私も、入りたいのはやまやまなんですけど……」
「けど?」
俺がそう聞き返すと、彼女は困った様子で少し考え込み、口を開いた。
「裕太さんは、私が部活に入っていないことはご存知ですよね?」
「ああ、さっき聞いたからね」
「それがなぜかは、知っていますか?」
……そういえば知らないな。さっきの会話でも部活への所属の有無を聞いただけで、それ以外の一切は、例えば以前は入っていたのかなども聞いていない。
「実は、去年の始め頃にだけ少し部活に所属していたことはあったんです」
「でも、それを辞めたってことだよな。どうしてだ?」
「……角が立ったんです。うちの部活には大井さんがいるんだぞ! って自慢をする人が出てきたのが最初でした」
ああ、なんとなくいろいろと察しがついてきた。……というか、そういえばそんな騒動あったな、という方が正しいか。
その渦中に……というか発端に絢香さんがいた事は知らなかったが。
「自分でも、自分自身がそれなりに影響力がある人間ではあると自覚していましたが、まさかそれが原因で部と部の間での不和へと発展するとは」
「というか教師はなにやってるんだよ、顧問はどうした、止めに入れよ……」
「それが、顧問の先生まで争いに参加する始末で」
おい先生、アナタがそっちに行っちゃったら本格的に止められる人間いなくなるぞ。
「……さすがにこれは、いくら絢香さんが自身の影響力を認知してても予想しきれないよ。仕方がない、というか周りがアホすぎる」
「とはいえ、問題を引き起こした立場としてなにもしないのは違う、ということで問題の根本の解決――私の退部を以てこの騒動を収めることになりました」
「そういったことがあった手前、どこかの部活に所属するのは気が引ける、と」
俺が確認としてそう問いかけると、彼女はコクリと肯定してくれる。
「先生までもがそういうことを言い出しちゃうって前例ができちゃったので、曲がりなりにも書類として出ちゃう入部って形はあまり望ましくないな……と」
彼女はそう言うと、慌ててから「あっ、でもこの部屋に来るだけなら問題ないですよ、たぶん!」と付け加えてくる。
別に来なくていいぞ、厄介ごとを持ち込まれる方が面倒くさそうだし。
「というか、それなら涼香ちゃんも入部するのはよくないんじゃないのか?」
絢香さんがそうであるように、涼香ちゃんも同じく令嬢なわけで。そうなると影響力があるはずなんだけど。
「そこは大丈夫。お姉ちゃんは入学時点からめちゃくちゃ話題になってたのに対して、私はそんなでもない。なによりお姉ちゃんは美人だから、それもあってあんな騒動になった」
「それはまあそうかもだけど、でも涼香ちゃんが話題になってないってのはちょっと意外だな」
俺がそう言うと、彼女は不思議そうな顔をした。
「もちろんお姉ちゃん……絢香さんの妹さんだよね! 的なことはいっぱい言われた。でも、どの言葉もたいていお姉ちゃんの妹って言葉がついて回ってた」
そうして彼女は、どうして意外に思ったのか、ということを続けて聞いてくる。
「ほら、絢香さんが美人なのはそうなんだけど、涼香ちゃんだってすっごくかわいいじゃん? それでいて絢香さんと同じく令嬢なわけだから、てっきり話題になってるものかと」
けどまあ、それだけこの学校における絢香さんの影響力が強かったともいえるわけで。
俺がひとりで勝手に納得していると、絢香さんが「裕太さんが私のこと美人って……キャッ!」と身じろぎしていた。……事実を言っただけではあるんだが、こうなるならあんまり言わないほうがよかったかもしれない。
「……そんな簡単な褒め言葉で喜ぶのは、お姉ちゃんくらいなもの。やすやすとそういうこと言うもんじゃない」
プイッと、涼香ちゃんがそっぽを向く。
うーん、軽率だったか? 気に触ってしまったようだ。
「おーい、裕太くーん? 君の親愛なる先輩であり部長である私にはなにも無しかなー? なにか褒めるところないのかなー? ちなみに私は喜ぶよー?」
「あー、はいはい。かわいいですよ、ええ、キレイです」
「なんか作業的に言われた感がものすっごくするんですけど!」
そうは言われても催促されて言うのは癪である。適当にあしらわず、事実を述べただけ感謝してほしい。
というか、喜ぶんじゃなかったのかよ。
ひとしきり話が落ち着いたところで、議題はもうひとつある。
「それで、メイドってどういうこと?」
絢香さんがやらかしたせいでバレてしまった関係性。それについてをきちんと説明しておかないといけない。
「それは――」
俺は茉莉にした説明と同じ程度の説明を伝える。環状線での事件のこと、一昨日の晩に押しかけられたこと、そのまま流れでメイドとして受け入れたこと。……その都合、いま一緒の家で暮らしていること。
何度か、以前茉莉にやったように涼香ちゃんが言わなくてもいいことを言おうとしたが、さすがに2度目、先んじてそれらは防ぐことに成功した。
その代わりといってはなんだが、茉莉がそうであったように理由として説得力が弱い、不十分な説明ではあったのだが。
「なるほどねぇ。なるほどなるほど。うんっ、そういうことなら納得だよ!」
存外、あっさりと納得してくれた。
「いや、普通に考えたら常識的にどうかしてるとか思いません?」
「いや? まあ、たしかに常識から外れてることだとは思うけど、そもそも裕太くん自身が度を超えてお節介焼きで、あと押しに弱いから、それくらい起こっても不思議じゃないかな? なんて」
……言われた言葉になにも言い返せない。
「そういうところだぞー? 私からの約束を無理矢理に押し付けられてるのも」
「あっ、無理矢理押し付けてるっていう認識はあったんですね」
「えっ!? いやそのそれは……あはは……」
美琴さんはそう言いながら目をそらす。「とにかくっ!」と言い、彼女は無理やり会話を元へと軌道修正する。
「裕太くんは変に気負ったりせずに、普通に受け取っておけばいいんじゃないかな? 君の優しさにはそれくらいの役得あったっていいと私は思うよ?」
「優しさ……ですか」
「うん、裕太くんは優しいよ、たまに行き過ぎてお節介になってることもあるけど、でもたしかに君は優しい。もちろん私もそう思ってる」
なんなら私もメイドさんになろうか? なんて冗談を交えながら言われる。
冗談とはいえそれは勘弁してほしい。今でさえ胃が痛くなりそうなのに、これ以上の心労を増やさないで欲しい。
「とはいえ後輩がこんなに面白……ものすごい状況になってるだなんて」
「今、面白そうな状況って言おうとしましたよね?」
「いいや、面白い状況って言おうとしたよ」
変わってねーんだよそれ。一緒なのよ意味。
俺が大きくため息をつくと、彼女はごめんね? と、舌をほんの少しペロッと出した。
「しかし、これはしっかりと調査する必要がありそうですねぇ」
「はい?」
美琴さんが唐突に言い放った言葉を、しばらく俺の脳は認識を拒んだ。
数秒後、調査という言葉を認識したが、なにを? という疑問が残った。
冷静になったあとから考えてみれば、文脈からして1つしかないのは明白なのだが、このときの俺にそんな余裕はなかった。
「それはもちろん――」
そして、その「なにを?」の解答を美琴さんが、勢いよく机に乗り出して言おうとした、そのとき。
ヴー、ヴー、ヴー。机に置いていたスマホがバイブレーションを鳴らした。着信だ。……なんてタイミングだ。
拍子抜けになってしまった美琴さん。勢いだけはそのままだったせいで机に倒れ込んでしまう。
「あーっ、えっと……」
「うん、出ていいよ」
うつ伏せのまま、若干凹み気味な美琴さんから許可をもらって着信に応答する。
画面を見た時点で、誰からかかってきてるのかは把握していた。
「どうした? 茉莉」
『どうしたもこうしたも、あの子……絢香さんって今買い出しにでも行ってるの? もしそうなら手伝うから場所を知りたいんだけど、私あいにくあの子の連絡先知らなくて』
疑問符が、頭の中に浮かぶ。
「どうして絢香さんが買い出しに行ってるって思ったんだ?」
『だって家の鍵が閉まってるのだもの。たしか鍵を渡して先に帰るように言いつけてたでしょう?』
うん、ホームルームの後に俺はたしかに鍵を絢香さんに預けて、そして彼女に先に帰っておくように言った。
そして彼女はそれを破って、部活についてきて。
今ここにいる。
サァッと顔から血の気が引く。なぜそのことにもっと早くに気づかなかった!
「すまん茉莉! 今から帰るから、それまで……えっと」
『ちょっと待ちなさいよ! えっ、なんで裕太が帰ってくるって話になってるの?』
「詳しいことは後で話すが、煩雑に行ってしまえば絢香さんは今ここにいる!」
俺がそう言うと電話口からはしばらくの沈黙の後に大きな息の音が流れてきて、
『……ああ、うん。納得した。理解した。了解、とりあえずしばらくは自宅にいるわね』
大方、茉莉も察してくれたようだった。
こういうとき隣の家というのは便利だなとつくづく思う。そういえば昔に鍵がかかってて家に入れなかった茉莉と両親が帰ってくるまで家で遊んでいたこともあったか。
「本当にスマン、早くに気づくべきだった」
『いいわ。それじゃまた後で』
ツー、ツー、ツー。電話が切れたことを確認してから絢香さんに視線を送る。
ビクッと大きく身体を反応させた彼女は、こちらに目を合わせたがらない。
「あー、えっと。すみません先輩、いろいろ事情が込み入ってて、早退しますね」
「うん。それはいいんだけど……なんか面白そうだね?」
ニヤリ、と。美琴さんが嫌な笑みを浮かべる。
経験上、彼女がこの笑い方をするときはろくなことが起こらない。
「面白そうだから、私もついていくね!」
「……はいっ!?」