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#85 あんたって人は……

 辿り着き、入った店を確認して。

 別に良かったのに、と。茉莉が言う。


「そうは言っても、俺のほうが気にする」


 駅前というものは便利なもので。それなりに栄えている都合、ある程度の物品なら買い揃えることができる。

 今回買いに来た靴も、当然と言うばかりにそういう物品に含まれているわけで。


「それとも、少し駆け足で走った程度で靴擦れするような靴で歩くのか?」


「……むう」


 多少歩く程度であれば、そこまで問題はないだろう。だがしかし、長い間歩くとなると、やはりそれは大なり小なり問題を抱え始める。

 ひとまずの対処はしたものの、別のところに同じく水疱ができるとも限らないわけで。あるいは、つんのめって転ぶかもしれない。


 どこか少し不服そうな顔の茉莉だったが、とりあえず納得して選ぶ気にはなってくれたらしい。


「ああ、支払いについては気にしなくてもいいぞ。かなり余裕をもって持ってきてるから」


「そういう意味じゃないの! ……もう」


 ふむ、どうやら金銭について悩んでいたというわけではないらしい。

 なお、それはそれとして支払ってもらえるのならありがたく、と。こちらとしても勝手に連れてきた都合、そのつもりだったので問題はないが。


 その了承を得られた茉莉は、少しだけ機嫌を治しながらちょっぴり高い靴が並んでいるところに行く。……あんまり高いものを選ばれたら、想定より財布が軽くなってしまうのだが。

 まあ、いざとなれば少々不格好ではあるが、ATMなどで引き出してくる手もあるし問題はないだろう。元よりそこまで物品に頓着がなかった性格だったことに、最近顔を見せた両親がついでと言わんばかりに多少置いていってくれたので余裕はかなりある。


「ねえ、どっちがいいと思う?」


 しばらくの間、財布の事情について考え込んでいた俺に。定番のようなセリフを言いながら茉莉がやってくる。

 その両手には、質問の通りふたつの靴が持たれていたのだが。彼女の選んできたそれに、俺は思わず首を傾げる。


「……大抵の場合、こういう質問をする際には似通った性質の物を比べるものだと思っていたんだが」


 茉莉が持ってきたのは、たしかにふたつの靴ではあった。その一方は現在の茉莉が履いているようなレースアップブーツ。

 似通ってはいるものの、細かな装飾などは違っており。なにより彼女の足のサイズにピタリとあっているところが大きく違う。

 そして、もう片方がガラリと雰囲気が変わり。実用性をとにかく重視したような、いわゆる運動靴である。

 さすがに女性物ということもあり、色合いは白色ベースに水色でラインが入っており、全体的にパステルで明るくかわいらしい感じになっている。


 とはいえ、それらを同列に並べて比べろというのは、いささか不似合いなように感じる。そもそも、履き物という以外の用途が全くの別である。


「えっと、必要なら両方買うが」


「そういう意味じゃないの!」


 腕をピンと下に突き下げ、顔を真っ赤にしてそう言う。

 択一で問われているのだから、そういうことじゃないのは俺にも理解できているのだが。だがしかし、だからといって「じゃあこっち」と判断ができるものでもない。そもそも判断の基準がないのだから。


 以前に、雨森さんに付き合って絢香さんに贈るリップクリームを選んだときにのことをふと思い出す。

 あのときのように、どちらの色のほうが好きか、であるとか。どちらの色のほうが似合いそうか、ということであれば反応しやすいのだが。


「ブーツと運動靴とを並べられて、どちらがいいというのもなかなか判断がつかないぞ?」


 どこを基準にして考えるべきか? と。俺のそう問いかけると、彼女は少しやりにくそうな表情をして。


「……このブーツで靴擦れしたのは、サイズが合っていないこともあるけど、履きなれてないこともあるはずなの」


 茉莉はそう言いながら、自身の履いているそれにそっと触れる。


「だから、このまま別とブーツに変えたところで、また靴擦れしちゃうかなって、そう思って」


 だからこそ、彼女は運動靴も同時に持ってきた。

 もちろんその靴自体も茉莉からしてみれば履きなれている靴というわけではないのだが、普段から履いているものに近い形状な上に、元よりブーツとは違って激しく活動することを前提に作られているため、余程リスクは薄いだろう。


「でも、ブーツも一緒に持ってきたってことは。理由があるんだろう?」


「…………」


 俺の質問に、茉莉は黙りこくり、俯いてしまう。

 おそらくは、図星。だがしかし、その理由を教えてくれそうにはない。

 覗き込まずとも見える彼女の耳が真っ赤に染まっているあたり、まともに伝えられる状態でもないだろうし、伝えてくれる話題でもなさそうに思える。


 で、あるならば推測することにしよう。……元より、このデートの目的は彼女について理解することなのだから。


 靴擦れを回避するために、運動靴のほうがいい。それは茉莉の口からも出てきたとおり、正しくそのとおりだろう。

 だからこそ、それで言うなれば運動靴を選ぶのが正しく。ここにブーツを持ってくるのは不適格。

 まるで真逆の性質を持つそのふたつを並べて持ってきていることは、彼女の中に矛盾するふたつの思いがあるからだろう。


 ひとつは、俺に心配をかけたくないということ。その気持ちが、彼女に運動靴を選択させた。

 そして、もうひとつは――、


「うん。なら、ブーツにしようか」


「……えっ?」


「履きたかったんだろう? ブーツを」


 もっと正確に言うならば、今履いているブーツを。


 どうにもやはり、俺は茉莉の気持ちを察せていなかったらしく。結局、彼女の中に矛盾を生み出してしまったのも俺の行動が原因らしかった。

 駅前で待ち合わせたとき。ブーツを履いてきた茉莉に対して、俺は珍しいなという感情を抱いた。

 それは茉莉がまさかそれを履いてくると思っていなかったということもあるが。同時に、彼女がそれを持っているとは思っていなかったからだ。


 茉莉は恥ずかしいからかどうしてか、おしゃれをすることを嫌うことが多い。……多かった。実際、彼女の持っている衣服もシンプルなものが多いし、それ故に今回のコーディネートでは絢香さんから借りているものも多い。

 最初、靴擦れに気づいたときに。それを絢香さんから借りたのではないかと疑ったのはそれが理由だ。


 だがしかし、これが茉莉の私物なのだとすれば、話が変わる。

 足のサイズが、入らなくなるほどではないものの合わなくなるくらいには以前に買ったそれを。履きなれていないと言うほどに滅多に、あるいは履いてこなかったそれを。


 多少の無理をおしてでも、彼女は履こうとしたのだ。

 そこに、履きたかったという理由がなくて、なにがあるというのだろう。


 持ってきたブーツの意匠が、今履いているものに近しいというのもその意識のあらわれだろう。


「もし、今履いているものがいいというのなら、無理強いはしない。できるだけ負担のないようなところに行こうとも思うし」


 最悪の場合、俺が彼女をおぶさればいい。体力に自身があるわけではないが、それでも茉莉くらいなら背負って動くことはできる。

 おそらく、彼女は恥ずかしがって嫌がるだろうけど。


 俺の言葉に、茉莉は静かなままでゆっくりと首を横に振り。その顔を上げて、ううん、大丈夫、と。


「このブーツに思い入れが全くないといえば嘘になるけど。結局は悔しい思い出がほとんどだし。それに」


 彼女はそう言うと、少しばかりいたずらっぽく笑みを浮かべて。くるりと周り、背を向けて。


「裕太が贈ってくれたブーツを、今の私は履きたいかな」


 チラリとこちらに顔だけを向けて、彼女はそう言った。






 ブーツを購入して。茉莉は新しいそれの感覚を確かめるようにして、コツコツと爪先で床を叩く。

 そのどこか楽しげな様子に、少しばかり笑みが溢れる。


 元々履いていたブーツに関しては、入れ替わりの形で新しい靴の箱に収まってもらい、荷物として持つことになった。


「それにしても、ごめんね? 私のせいで行きたいところを押しのけて靴屋にきちゃって」


 せっかくの気分転換で来てるっていうのに、と。謝る茉莉のその言葉に、俺は首を振って否定をする。


「いや、それに関しては問題ない。そもそもどこに行くかとかも考えられていなかったし」


 なんなら、今からどこに行こうかということを悩んでいるレベルである。いちおうはそろそろ昼時ということもあり、どこかしらの飲食店に訪れようかと考えているが。そもそもそれの候補出しを今からしようかというレベルである。


 だから、どこか行きたいところはないか? と。振り返って彼女に伝え、問いかけてみる。

 伝えられた言葉に、彼女はポカンとした様子で口を開け、こちらを見つめていた。


「えっと、いちおう裕太の好きなところを回ってもらう、っていうテイのお出かけなんだけど」


「まあ、それはそうなんだが。そもそも今朝にいきなり決められて、急に出掛けているわけなんだから。そうまともに決めているわけ無いだろう」


 これでも茉莉を待っている間にどこかいいところはないものかと調べて探していただけマシだと思ってもらいたい。


 茉莉はというと、しばらくは驚きと呆れとが混ざったような表情で固まっていたが。そのうちち氷解したように、どっと笑い声をあげ始める。


「あははははっ! ああ、ほんと、なんていうか。相変わらずというか、裕太は裕太で。なんていうか、あんたって人は……」


「どういう意味だよ」


「別に貶してるわけじゃないわよ。ただ、こういった予定を自分から決めるのが苦手なところも。自分の気分転換のためのお出掛けで、やっと決めたひとつめの予定が相手のためだっていうのも。なんというか、裕太らしいなって」


 未だ笑いの途切れることのない茉莉の様子に、俺が少しだけ不服という様子を見せる。

 ごめんごめんと笑って言う茉莉だが、どう考えても反省の様子は見えない。……別に構わないといえば構わないのだが。


 実際問題として、修学旅行の行き先候補の選出に最後の最後まで時間がかかっていたのは俺だし。候補が出揃ってからの決定が、それまでの遅さがなんだったのかと思うくらいに早かったのも事実。

 そのあたりに関しては、もはや性格云々とかそういうレベルの話であり、どうこうしようとも思えないが。こうして指摘されるところを見ると、どうにかすべきなのかとも思ったりする。


「ふう。……ほんっと、笑わせてもらったわ。ありがとね」


「なんか、その感謝のされ方だと引っかかるところがあるんだけど」


「いいじゃない、いいじゃない。その代わりと言っちゃなんだけど、ここから先の予定、私も考えてあげるから」


 にへっと笑って、茉莉はそう言ってくれる。

 返礼の理由がなんとも納得しにくいが、しかし報酬の方に関してはとてもありがたい。

 どこへいこうかと考えはしていたものの、正直考えつきそうになかったから。


 そういう都合もあり、一緒に考える、ではなく茉莉に頼りきりになる未来が見えてはいるものの。とはいえ、それはそれで彼女のことについて深く知る機会にもなりそうだった。

 俺の気分転換、という趣旨に沿うならば少しズレるかもしれないが。とはいえ、ある意味では気分転換になるだろうし。それを言い始めると既にズレているということになりかねないので、この際、気にしても仕方がないだろう。


 俺はひとつ、小さく息をついてから。彼女に向かい合い。


「それじゃあ、よろしく頼む」


「ええ」


 ニコリとした笑顔を携えた彼女は、俺の手を取り、そのまま歩き始めた。

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