#84 抜け駆け?
だんだんと秋が深くなってきたこともあり、少しずつ肌寒くなってくる。
もう1枚ほど、上着を着てくるべきだったろうかと。今更すぎる後悔を感じながら、駅前のベンチに腰掛ける。
「……遅い」
動かないままでずっと座っていたことも、一等寒さを強める原因となり。殊更に先程の自分の選択を恨む。
とはいえ、それにしても遅い。待っているのは茉莉、なのだが。
一緒の家に住んでいるので、てっきり一緒に出かけるものだと思っていたら、どうやらキッチリと待ち合わせをしてやらなければいけないらしい。
絢香さんや涼香ちゃんならともかく、元より隣の家に住んでいる茉莉なのだから問題ないのでは? と思いはしたのだが。そういうわけにも行かないらしく、曰く、雰囲気を大切するためにとのことだった。
そうして現在彼女を待っているわけなのだが。……どうにもなにかしらあったのだろうか、待ち合わせの時間になろうとしているのに彼女の姿が見えてこない。
なんだかんだで真面目な茉莉にしては珍しい。大抵は約束の時間より早めに来るというのに。
そんなことを思いつつ、もしかしてなにか良くないことに巻き込まれたのか? という不安が過ぎろうとしたとき。そんな考えを払拭するかのように、茉莉からメッセージが届いた。
「ただシンプルに遅刻しそうになってるだけ、か」
ひとまず大丈夫そうだったので、ひと息つきつつ。彼女に、急がなくていいからゆっくりとこい。と、そうメッセージを返した。
なにせこちらとしても、どこでなにをしようかということは全く見積もりが済んでいない。
元より俺がどこか行こうとして計画していたわけでもなく、唐突に押し付けられるようにして発生したデートである。
好きなところに行っていいと言われはしたものの、むしろここに行ってこいと言われたほうが楽だったかもしれない。
そんなことを考えながら視線を遠くに遣っていると、小走りでこちらへと駆けてくる少女の姿。
「はあっ、はあっ。……ごめん、遅れて」
「いや、別に問題ないぞ。というか、急がなくていいって送っただろう?」
「そう言われても急いじゃうでしょ、普通」
茉莉から投げ返された真っ当な反論に、たしかにと納得してしまう。
急いで怪我などされてしまっては、と思ってのものだったが。しかし、たしかにそう言われたところで焦って急いでしまうものだろう。
「しかし、それにしても」
「……なによ」
俺の視線に気づいたのか、彼女が少し不機嫌そうな顔をする。
茉莉がそんな表情をしている理由は、若干察するところがある。だがしかし、少なくとも今彼女が思っているような言葉は出て来ないから安心してほしい。
「うん、似合ってる。すごくかわいい。……茉莉にしては、なかなか見ないような服の組み合わせだけど」
すこしゆったりとした白色の無地のブラウスに灰色のカーディガン、黒の花柄のオーガンジースカート。ブラウンのショルダーバッグを肩にかけ、白色のブーツを履いている。
俺の言葉に彼女は一瞬顔を紅潮させて、次に肩を上げる。「なっ」という言葉にならない声を出して、少しわなわなとしてから。
「ええ、そうでしょうね。私が選んだわけじゃないし」
自分自身を律して、落ち着いてから。彼女はそう言った。
曰く、着替えてから出かけようとしたところで絢香さんと涼香ちゃんに捕まり、あれやこれやとコーディネートされてしまったのだという。
涼香ちゃんはともかく、絢香さんとは体格がそれなりに近いため、彼女の服を一部借り受けることもでき。結果、今の服装が完成したのだという。
なるほど、どおりで茉莉にしては珍しく遅刻をしてきたわけなのだな、と。俺はひとり合点していると。なにやら彼女は少し足元が気になるらしく、少し動かしながらチラチラと視線を送っていた。
「茉莉、どうかしたのか?」
「ふぇっ!? う、ううん! なんでもないよ」
「……足、見せてみろ」
俺の指摘に、ザッと一歩遠ざかる茉莉。おそらく、正解だろう。
ジリジリと詰め寄り、彼女を捕まえると。そのままベンチに座らせて、一度ブーツを脱がせる。
茉莉は観念した様子でそのままされるがままに靴下をも脱がされると。やはりというべきか、靴擦れ。
「このブーツも借りたのか?」
「ううん。さすがに靴はサイズが合わなかったらダメだからってことで借りてない。……でも、それ自体買ってから履かずにずっと置いてたから、いつの間にかサイズが合わなくなってたみたい」
どおりで、初めて見る靴だと思った。少なくとも、茉莉がレースアップブーツを履いているのは見たことがない。
とにもかくにも、早めのうちにこれに気づけたのは幸いだった。まだ、小さめの水疱ができた程度で。ひとまず、絆創膏での応急処置を施しておく。
改めて靴を履かせると、たしかに大きくサイズが合っていないというわけではなく、サイズが微妙に違う、履きなれていない靴で、急いで走ってきた。という三重の要素によって靴擦れが起こっているようにも思える。
「ありがと」
「いいや、急かしたのは俺だからな。気にするな」
「それを言うなら、遅れたのは私なんだけど」
責任の取り合いをしていると。このままでは服をチェンジさせた絢香さんや涼香ちゃんにまで飛び火しそうなので、このままでとどめておく。
それに、これを幸いと感じるのは変な話ではあるのだが。おかげさまで、デートの最初の行き先が決まりそうだった。
「よし、それじゃあ行くか」
「うん」
そう言って、俺が歩き出そうとする。
が、どうしてか茉莉がまだ歩き出そうとしていない。
腕をこちらに差し出して、ジッとこちらを見つめて。
「茉莉、えっ、と。行くぞ?」
「ふぇっ!? ……ああ、うん」
俺がそう言うと、どうしてだか茉莉は少し残念そうな表情をしながらとぼとぼと俺の横にまで歩いてくる。
どうしてそんな表情だろうか、と。その理由を探りながら、歩いていく。
――こういう表情を、させるべきではないのだろう。
彼女には伝えていないが、このデートの俺個人としての勝手な目的として、茉莉のことを理解したいというものがある。
だからこそ、彼女がどうして残念そうにしているのか、ということを察しないといけない。
たしか、茉莉はこちらに向けて腕を。つまりは手を差し出していたわけで。
「あ、なるほどな」
「えっ、なにが?」
これは、たぶんわかった。……これで間違えていたら、かなり恥ずかしいが。
そうは思いつつも。しかし、えいやっとひとつ勇気を出して、彼女の手を取る。
驚いたような茉莉の声がして。しかし、すぐに彼女の方からも握り返してくれる。
「これで、合ってるか?」
「いや、その。……合ってるけど。急にまた、なんで?」
「それは。なんとなく、それを要求されているように感じたからだ」
間違えても、茉莉のことを理解しようとしてみている。だなんてことは言えず、適当な理由で誤魔化す。
俺のその言葉に、茉莉はグイッと首を反対側に向ける。返ってきた声色から不機嫌そうな感じはしないので、拗ねているとかそういうわけではないらしい。
「というか、お前の方こそ手を繋ごうだなんてどういう理由だ?」
たしかに、体裁上はデートではあるものの。絢香さんや涼香ちゃん、あるいは美琴さんであれば要求してくるものだと思っていたが。まさか茉莉からそれを要求されるとは思っていなかった。
それもあって、先程は気づくことができなかったのだが。
「それはその、ほら、昔は一緒に手を繋いで歩いたりしたじゃない?」
「たしかにそれはそうだが。しかしそれはお互いに小さかったからだろ?」
「今だってまだ未成年だし、同じようなものよ! うん!」
まるでとってつけたかのような理由に、自分自身で納得するようにして。茉莉はぐるぐるとした目のままでそう言う。
質問したのは俺なのだが、それを受けた茉莉のほうがよっぽど混乱しているように見受けられる。
「そんなことより。ほんとに私で良かったの?」
「だから、さっきもそう言っただろ?」
「さっきは、ほら。絢香ちゃんや涼香ちゃんもいたでしょ? だからテイを考えてそうしたのかなって」
茉莉のその言葉に。たしかに、そういう側面がなかったわけじゃない。
だかしかし、俺としてもそういうテイを抜きにして茉莉と一緒に来たかった理由はあるわけで。……それを彼女に伝えるわけにはいかないが。
「美琴さんとは、ほら、海のあとにお泊りしたでしょ?」
「……ああ、そうだな」
なぜ、急にそのことを蒸し返されたのか。地味に反応がしにくいネタなので、できれば遠慮願いたいのだが。
「それから、文化祭では涼香ちゃんと一緒に回ってたわけで」
「うん。そうだな」
美琴さんから聞いたのだろうか、と。そう思ったが、そういえばあのときの様子は隠し撮り写真としてかなり出回っていたな。直樹に見せられたのもそうだったし。
あるいは噂話として耳にした分の可能性もある。どちらにせよ、俺の姿を知っていた茉莉なら気づいたのだろう。
しかし、先程の海のあとのお泊りといい、今度は文化祭。話の脈絡が見えない。
それがどうしたんだ? と、俺が茉莉に向けてそう聞くと。彼女は「えっ?」とそう声を上げてから、しばらく考えて。そして、ひとつため息を着いてから。
「裕太? そういうのは気付けるようになったほうがいいわよ? いつも私が教えてあげられるわけじゃないんだから」
「わかってるのならもったいぶらずに教えてくれ」
「まあ、今回はいいわよ」
やれやれといった様子で肩を竦め、少し得意げな茉莉が言う。
「裕太? 今、あなたに告白してきてる女の子は誰?」
「ええっと、美琴さんと涼香ちゃん。それから絢香さんだな」
「そう。それで、美琴さんとは海でのお泊り。涼香ちゃんとは文化祭デートをしたわけで。けれど、絢香ちゃんとはまだなにもしてないわけでしょ? せっかく想いを寄せてくれてるんだから、なにかしてあげないと」
ふたりだけ抜け駆けして、絢香ちゃんだけしていない。では納得しないんじゃない? と、茉莉はそう説明してくれる。
なるほど。たしかに美琴さんと涼香ちゃんばかり贔屓しているようであれば絢香さんに悪いだろうし。なんならこの三人の中で、一番親身にしてくれているのも絢香さんなのだから、どちらかといえばむしろこちらを贔屓にするほうがまだ納得がいくというところだろう。
だがしかし。
「それに関しては大丈夫だぞ」
「……えっ、なんで?」
「だって、別に絢香さんだけ特別に抜け駆けをしてないわけじゃないからな」
その基準で言うならば、むしろ茉莉にこそなにも礼を出来ていないことになる。
茉莉からは好意を明確示されているわけではないし、彼女にその需要があるとは思えないが。
その一方で絢香さんたち同様にいろいろとお世話になっているため、純粋に同じように礼をしたいようにも思える。
そんな茉莉はというと、コテンと首を傾げて、ええっと、と。
おそらく、俺の言葉を受けて、記憶を探りに行っているのだろう。
「校外レクのとき、にはたしかに一緒にいたけど。もしかして、あれのこと?」
「違う違う。あれは不慮の事故みたいなものだから」
当時のことは詳細は彼女の秘密のために明かせないが。どちらにせよ本当に事故みたいなものだったのには違いない。
その時のことではなくって、
「俺が絢香さんの家に行ったときに――あっ」
「絢香ちゃんの家に行ったときに、なにがあったの?」
言いかけて、ダメだこれと思い出す。
その話、聞いてないんだけど、と言わんばかりのジトッとした茉莉の視線に「あはは」と笑って誤魔化しに行く。
「それで、ふたりでなにをしたの? 海でのお泊りや文化祭デートに匹敵するような、なにをしたのかしら?」
茉莉からのそんな鋭い視線を受けながら、だがしかしまさか「同衾した」などということを言えるわけもなく。
せっつかれるような感覚になんとか我慢をしながら、俺はなんとか目的の店まで辿り着いた。