#83 気分転換
「ふう。……なんというか、疲れた」
ベッドに身体を投げ出しながら、俺はそう息をつく。
ボーッとしたままで漠然と天井を眺めつつ、ゆっくりと考えを回していく。
文化祭以来というもの、みんなの様子がどうにもおかしい。
いや、おかしいという表現は適切ではないかもしれないが。どうにも距離感が一層近づいているような気がする。
あるいはタガが外れている、と言ってもいい
美琴さんを送り届ける際には「今まで我慢していた分」と称して、くっついてきたりすることがしばしばあり。
最近では収まりつつあった絢香さんの風呂突撃が再開。なんなら以前までは水着だから大丈夫、と言っていたところがバスタオルを巻いてますからに変化して。むしろ悪化したような雰囲気まである。
そして、ついには涼香ちゃんまでもが風呂突撃に参戦してきてしまった。俺がいつものパターンだと思い普段の調子で「絢香さん、ダメですよ?」と言ったら「お姉ちゃんじゃなくて、涼香だから、大丈夫」と危うく突入されるところだった。
なお、姉妹揃って茉莉によって御用となった。
「でもまあ、こういうのもある意味では俺のせいというか、原因にはなっているんだよな……」
手のひらを額にあてがいながら、大きく息をつく。
彼女らのこれらの行動は、おそらくは俺に対する好意からきているものだろう。
文化祭の後で、涼香ちゃんが絢香さんに向けて宣戦布告をした。彼女は俺のことが好きであり、絢香さんと対等な立場。争って取り合う立場なのだと。そう言って、きっちりと筋を通した。
そして、絢香さんもそれを受け取った。
だからこその、俺に対するアピールとして行っているのだろう。
美琴さんに関しては、件のときに涼香ちゃんへの応対を俺が頼んだ都合もあって、関わり合う時間が長かった。そのときになんとなく察しているものがあり、気づくことがあったのだろう。
あるいは、涼香ちゃんが絢香さんに向けて筋を通したように、美琴さんに対してもしっかりと筋を通したのかもしれない。
どちらにしても美琴さんも絢香さんや涼香ちゃんに対して対抗心を燃やして、張り合いに来ている。と考えるのが自然なところだろう。今まで我慢していた分、というのがなにかはわからないけれど。
そして、それらは俺に対する好意の提示のため。……もっと言うのであれば、彼女たちからの好意に対して「待ってくれ」と保留にしてしまっている俺のせいであって。
つまりは、ある種の自業自得である。
だからこそ、そういった彼女たちの行動を無碍にするのも憚られて。とはいえ、越えてはいけない一線というものもあるわけで。
それらの応対の応酬が起こったときには、こうして今のように体力的にではなく精神的に疲れがたたってしまう。
「とはいえ、嫌だと思えないのが不思議なものだよなあ」
疲れる、というのは間違いないのだけれども。困る、というのも事実なのだけれども。
そうした疲れや困惑が、不思議と嫌な感じがしない。もちろん、常時発生してくるのはさすがに勘弁願いたいが、日常として起こっている限りではむしろ少しの楽しささえ感じてくる。
「とはいえ、さすがに風呂突撃はやめてほしいかなあ……」
こればっかりは万が一に成功されてしまったら、俺が真一さんに対して面が立たなくなる。受け身な形で、ある意味では被害者的に起こってしまったとしても。信頼を置いてくれているところに対して混浴という不義理を働くというわけには絶対にいけない。
ついでに言うなれば俺も一応は男である。不能でもなければソッチの気があるわけでもなく、至って普通の、健康的な男子高校生である。
同棲という現状ですら自制に対して結構な神経を払っているというのに、そこに混浴なんていうイベントが発生してしまっては、ちゃんと理性が保てるのかは怪しい。
それを言い始めると、同室での寝泊まりや、更には同衾までしておいて今更ではないかと思わなくもないが。必要に駆られてというそれらとは、些か状況が変わってくる。
「けれども。現状で一番よくわからないのが、茉莉なんだよなぁ」
家庭内においての風紀が乱れそうになったとき、出動して取り締まってくれるありがたい存在。
実際、現在でもその役割、機能はキチンと働いていて。それに関しては問題はないのだけれども。
どうにも、最近はその彼女自身の様子がおかしい。
彼女の持つその役割都合、俺にとってのある意味での安心できる安全地帯的な存在であった茉莉なのだが。そんな彼女が文化祭以降、突然にメイド服を着るようになった。
理由を聞けば、俺がかわいいと褒めたからだという。そういう意味では嬉しくはあるのだけれども。
「いや、それだけならまだいい、まだいいんだけど」
どうにも、茉莉から他の3人。……いや、特に絢香さんに対する視線が変わったように感じる。
その変化がいいものなのか、あるいは悪いものなのか。その真偽は掴めない。だがしかし、文化祭以前と文化祭以降で彼女の様子が大きく変わった。
最初、涼香ちゃんが自分の気持ちの決意表明について茉莉に対しても伝えたのかと思った。だがしかし、仮にそうだとすると茉莉の態度について、変化の対象が涼香ちゃんではなく絢香さんだというところが不可解である。
じゃあ、一体なにが原因で? 考えを回してみるものの、どうにも結論が見当たらない。
とはいえそれを茉莉に直接問いかけるわけにもいかないわけで。
身体を起こして、しばらく座り込み。ゆっくりと立ち上がる。
そのまま机に向かい、引き出しから紙を取り出す。
「本当に、わかってないんだな。俺って」
消しゴムで消した跡が、癖になって残っている。そんな真っ白い紙に向き合いながら、そう自嘲する。
この紙こそが、その結果の表れだろう。
「修学旅行、かあ」
ふと、徐々に近づきつつあるそのイベントに対して。そんな意識を向けてみる。
校外レクのときと同じ班、という理由付けで俺たちは班を組んだ都合、茉莉とも同じ班になった。もちろん、それがなくてもおそらくは同じ班だったろうが。
しかし、とにもかくにも自由行動において俺は彼女と同じところを巡ることになる。他にも一緒に動く人はいるけれども。それはさておいておくとして。
「茉莉のことを、少しは理解することができるだろうか」
あるいはそのためのきっかけ。なにかしらの取っ掛かりでもいい。
ほんの少しでも、その一助になればなあ、と。そんなことを思いながら、真っ白い紙に再び向かい合う。
やっぱり、鉛筆は走らなかった。
「気分転換?」
絢香さんたちに告げられたその言葉に、思わず俺は首を傾げてしまった。
週末を迎えて、休日。起きてきた俺は迎えてくれた3人に囲まれ、話をしていた。
曰く、俺がなにかしらに悩んでいるように見える。だから、気分転換として誰かと一緒に出かけてこい、と。まあ、要約すればそういうことらしかった。
「ちなみに聞くんだけど、格好は着替えるんだよな?」
「もちろんそのつもりですが、もしそのままがいいのであればそのままでも」
「お願いします着替えてください」
平然と言い放つ絢香さんに、俺はそう謝る。
当然とばかりに、いつもどおりと言わんばかりに。絢香さんの格好はメイド服。……ただし、今日は文化祭のときに着ていた和服の方のメイド服。理由を聞いたところ、文化祭の一度きりというのももったいないため、また、俺の気分転換も兼ねてとのことだった。
そして姉に倣ったように、涼香ちゃんも和服メイドの姿になっている。
そして、先程の絢香さんの発言に対してギョッとした様子を見せていた茉莉も。……やはりというべきか、メイド服を着用していた。
「というわけで、誰かひとりを選んでその人とお出かけしてきてください。行くところとかなにをするかとかはお任せしますけど、今思い悩んでいることからは離れられるようなことにしてくださいね」
いちおうは気分転換というテイなので、と。
絢香さんからそう釘を刺される。
「……なあ、聞きたいことがあるんだけども」
「はい、なんでしょうか。あっ、美琴さんも今日の予定は大丈夫だと伺っているので、もし美琴さんがよければ」
「あっ、そうなんだね。……って、そういうことじゃなくって」
俺が聞きたいのはそういうわけではなく。というか、美琴さんまで許可を回しているということは、元より4人で計画してここまで来たということだろうか。
もしそうなのだとしたら、それほどまでに俺の様子がみんなに心配をかけるようだったのだろう。それについては、申し訳なく思うのだけれども。
勝手ながらにそれはひとまず棚に上げておいて。
「つまりはこれ、デートってことだよね?」
「――ッ! い、いえ! そんなことはありません。ただ、主人のお出かけに従者がついていくだけで」
問いかけたその言葉に一応の否定から入った絢香さんだったが、その反応が図星だということを明確に示している。
彼女にしては珍しく視線をそらに逃がしており、目を合わせようとしない。声も若干ではあるが上擦っているし。
なにより隣の涼香ちゃんがニヤニヤと、茉莉が顔を真っ赤にしているため。多分そういうことで間違いないだろう。
「男女で連れ添って出かけるのだから、デートだと思うんだけど」
「そっ、そんなことは全くなくってですね! その、なんというか……」
おそらくは弁明の言葉を探しているのだろうが。おそらくは見つからなかったのだろう。そのうちに肩をストンと落とした絢香さんは、はい、そうです、と。
「まあ、それはいいとして。……俺は誰かを選ばなきゃいけないわけなのか」
自分でこれがデートであるという確認を取ったため、これに関しては完璧な自業自得ではあるのだが。なんとも選びにくい。
なにせ、うち3人からは明確な好意を提示されており。そこに選ぶ選ばないという選択肢を用意されるのは相当に厄介な事柄になりかねない。
それは承知の上なのだろう。絢香さんたちからは誰を選んでも気にしない、と。そう言葉をもらったが。だがしかし人の感情というものがそう簡単なものでもないのも事実。
で、あるならば。これがある意味では一番丸い選択肢だろう。
同時に、少々厄介な選択肢でもあるが。
「それじゃあ茉莉。悪いが付き合ってもらっても構わないか?」
「うん。……えっ、私!?」
「お前以外の誰が茉莉なんだよ」
というか、そもそも返事をしたじゃないか。と、そう言うと。こういう場面では留守を頼まれることが多かったからとそう返される。
たしかに、そう言われればなんだかんだで茉莉には留守を頼むことが多かったようにも感じる。
「でも、本当に私でいいの? ……はっ、もしかしてこの格好のままで!?」
「なわけないだろ、ちゃんと着替えてくれ。冗談ではなく、マジで」
混乱しているのか、とんでもない妄想を展開している茉莉に少々困惑しながら俺は彼女に応対する。
俺が茉莉を選んだ理由は、なにも選ぶ基準として一番当たり障りが無いから、というだけではない。
「俺と絢香さんがふたりきりでデートでもしていようものなら、誰かに見つかったときに騒ぎになりかねない」
学校での扱い的にもはや今更感が否めないというのも事実だが。しかし、仮にそうであったとしても、少しでもリスクは下げておくべきだろう。
涼香ちゃんについてはなおのことである。なんならこちらのほうが見つかったときの厄介度が高いように思える。
美琴さんについては最悪部活の先輩後輩というテイが成立するのでまだマシだが、仮にそれを押し通す前提で行くなら行き先が縛られてきてしまうため、気分転換という趣旨からズレかねない。
その点、茉莉であればただの幼馴染が連れ立って出かけているだけと言えなくもない。弁明も容易だし、行き先もそれなりに自由がきく。
そしてそう説明すると、絢香さんたちも納得を示してくれる。……これであれば、角が立つことはないだろう。
「ねぇ、ホントに私でいいの?」
「だから、そう言ってるだろう」
説明を受けてもなお、まだ不安だったのか。茉莉がそう尋ねてくる。
だがしかし、俺が首肯をしたことでその表情をパアアッと明るくさせて、それじゃ、着替えてくる! と。パタパタと慌ててリビングから出ていってしまった。
そんな彼女に絢香さんたちも、柔らかな笑顔で見送っていて。とりあえず、変な軋轢が生まれなかったようでよかった、と。そう思った。
「さて、それじゃあ俺も着替えてくるね」
「私もお手伝いしますね」
「いや、いいから! ひとりで着替えれるから!」
ついてこようとした絢香さんを押しのけ、俺はなんとか自室に逃げ込む。
ふう、とひと息つきながら。少しだけ休憩と天を仰ぐ。
「……実は、ひとつだけ。条件に見合ってないんだけどな」
俺が最近思い悩んでいた理由のそのひとつ。それこそが茉莉であるため。
今思い悩んでいることからは離れられるように、という条件に合致しない、という。その弊害を伴う。
だが、しかし。
「これで、ちょっとは茉莉のことがわかれば、いいな」
彼女たちには告げていない。そんな裏の理由をぽつりとこぼす。
そんな俺の言葉は、誰に聞かれるでもなく。そのまま消えていってしまった。