#82 好みの食べ物
「ふんふふんふふーん」
上機嫌のままに、私はキッチンに立つ。
学校では絶対に出さないようなそんな声を出していると、不思議がった涼香がひょっとこりと訪れる。
浮いてきたエビフライを箸で引き上げると、ふわりと香ばしい匂いとこんがりとしたキツネ色。
「お姉ちゃん、ちょっと作り過ぎじゃない?」
「……えっ?」
涼香の声に首を傾げながらダイニングへと視線を遣ると。たしかに、彼女の言うとおり、めちゃくちゃな量の晩ごはんの準備。
ぴょこっと顔を出しに来た美琴さんが「わあっ」と驚きの声を挙げる。今日は彼女も夕食を一緒にするので多めに作らないといけないとはいえ、この量はさすがに多い。
「ハンバーグに唐揚げにエビフライ。……すっごく豪華」
「だねぇ。ええっと、絢香ちゃん。これを無意識で作ってたの?」
「……そう、なります」
なんならチキンライスの準備ができてきて、おそらくはこのあとオムライスを作るつもりだったのが伺える。……自分でやったことながらに。
完璧に無意識というわけではないと思うが、ただひたすらに機嫌のままに料理をしていたら、いつの間にか。
揚げ物に焼き物に……と、相当な手間であったろうに、本当になんでこんなに作ったんだ、私。
「でも、裕太さんの好みのものばっかりですし大丈夫、だよね?」
作り過ぎはともかくとして、ラインナップは問題ないはず。
そう思いながらふたりに問いかける。しかし、彼女たちは首を縦に振らず、かといって横に振るわけでもなく。斜めに傾げる。
「裕太くんって、どっちかっていうと、こう、淡白な味のほうが好きじゃなかった?」
「そんな、記憶はある。例えば茶碗蒸しとか、好きだった」
逆に涼香の方がそういうのは好きじゃないため。……茶碗蒸しとかならまだしも、例えば酢の物であるとか白和えであるとか、そういう類のいわゆる副菜を涼香は好まない。だからこそ、彼女としても印象深かったのだろう。
裕太さん好みの夕飯のときは、涼香にとってはちょっと物足りなくなるから。
「基本的にはそういうのが好きらしいんですけど、以前聞いた限りではこういうのも好きとのことですよ」
「ほええ、意外。普段の好みと真逆」
「裕太さんは基本的にはなんでも食べますよ。茉莉ちゃんから聞いた話だと昔はピーマンとかゴーヤとかが苦手だったらしいですけど」
現在では、そういったものも問題なく食べられるようになっている、とのこと。
涼香も見習わないとね? と、そう問いかけてみると。彼女はスススッと机の影へと隠れていった。
「それにしても、どうしてこんなに作っちゃったの?」
姉妹でそんなやり取りをしていると、美琴さんが話の流れを取り戻すようにして原初の疑問に対して質問を投げかけてきた。
正直機嫌のままに料理していたので理由を聞かれると困る節があるのだけれども、強いていうならばその機嫌こそが理由だろう。で、あるなら。
「学校で、ちょっと嬉しいことがあったから、つい」
裕太さんから、修学旅行の班に誘ってもらえた。それが、とてつもなく嬉しくて。
一緒の班になれるだろう、とは思っていた。というか、しっかりと話し合ってこそいなかったもののお互いにそのつもりでいたことだろう。
だがしかし、そうなることがわかりきっていたとしても。実際に誘ってもらえることは至上の嬉しさに他ならない。
「つまり、誘われたのが嬉しくって、浮かれて裕太くんの好物を作りまくっちゃったと」
「……そのとおりです」
美琴さんのまさしくな指摘に、私はしゅんと肩を落とす。
裕太さんに喜んでほしくて、いろいろ作ってこの始末である。……正直、この量は食べきれるか怪しい。
「まあ、それなら私としては大歓迎。好きな物いっぱいで、嬉しい」
ウキウキとした様子で涼香はそう言い、ひょいと唐揚げをひとつ摘んで口の中に放り込む。
あっ、と私と美琴さんの声が重なるが。彼女はそんなこと気にせず、味見だからといってごまかす。
絶対にそんなわけないのはわかりきっているが。しかし、終わったことは仕方がない。
「それなら、手伝う気があるのよね? じゃあ涼香には盛り付けを手伝って貰いましょうかね?」
「げ、藪蛇だった」
「つべこべ言わないの。ほら、このお皿に盛ってね」
完成させたオムライスを乗せたプレートを、涼香に渡す。ぶぅと頬を膨らませつつではあるものの、彼女はそのまま手伝ってくれる。
「えっと、私も手伝うから、食べていい?」
「……じゃあ、お願いします」
因果関係が逆じゃなかろうか、と。そんなことを思いつつ、しかし今日は量だけはめちゃくちゃにあるので問題ない。
美琴さんにも涼香と同じようにプレートを渡すと、彼女と並んでおかずを並べる。
そういえば、このふたりの好み、似通っていたなあ。と。
細かな差はあれど、ふたりともジャンキーな食事や、肉類を好んで食べる。
とはいえ、美琴さんは他もバランスよく食べるのに対して、涼香は副菜などはあんまり食べたがらないのだけれども。
そんなふたりの様子を眺めていると、涼香がくるりとこちらを向いて、とってってって、と駆け寄ってきて。
「ねえ、見てお姉ちゃん」
「うん? どうしたの、涼香」
「お子様ランチ、できた」
そういって涼香が掲げたお皿には、たしかに彼女が言うとおり。
オムライスに、エビフライ。ハンバーグと唐揚げ。ついでにここに国旗のピックでも刺さっていれば、まさしくそう見えてきそうなものが。
もちろん、サイズなどを鑑みれば全然そんなことはないのだけれども。ラインナップだけで見ればそのとおりだろう。
彼女は満足げにそれをテーブルに置くと、私から新たなプレートを受け取り、先程までと同じように料理を盛り付け始めた。
夕飯の量にやはりというべきか、裕太さんたちも驚いてはいたものの。好物が並んでいるという事情もあり、喜んで食べてくれた。
「それにしても多かったなあ」
「ご、ごめんなさい……」
さすがに裕太さんとてそれは気づいていた様子で、私は片付けをしながらそう謝ってしまう。
そんな私に彼は大丈夫だよ、とそう言って。優しく笑いかけてくれる。
余った食材についても、朝ごはんにはいささか重たいので明日の晩ごはんにアレンジして回そう、ということになった。ラインナップとしても、冷蔵庫の中であれば1日くらいは保ちそうなのでよかった。
「それにしても、絢香さんがこんなに作るなんて珍しいね。なにかあった?」
「ふぇ!? ええっと、あはは……」
1時間ほど前に美琴さんにも指摘されたそれに、思わずドキリと胸が跳ね上がる。原因が原因なだけに言うこともできず、どぎまぎとしてしまう。
私の後ろでは涼香が腰を肘でせっついて、併せてジトッとした視線を送り込んでくる。
わかってる、わかってるけど。
「まあ、今日はいろいろあったしね」
私の半端な切り返ししかなかったこともあり、そのまま彼は話を続けてくれる。
今日にあったこと。修学旅行の班決めから、いろいろな計画立て。
様々案があがりはしたものの、結局ある程度は絞られてきて。定番といえば定番の神社仏閣を巡ろう、というようなコンセプトに固まってきた。
細かなことはまだ決まっていないものの、大筋が決まったこともあり。各々に課された宿題は、候補地の選定だった。
裕太さんが現在スマホで調べものをしているのも、その影響あってのものだろう。
「ううん、やっぱりこういうのは俺はよくわからんなあ」
頭をくしゃくしゃっと掻きながら、裕太さんはそう言う。
ソファに身体を預けつつ、天を仰いで。
私はそんな彼の隣に腰を掛けて、さっきまで見ていたであろうサイトの様子を見る。一般的な旅行情報をまとめているようなサイトではあるものの、たしかに情報がとっ散らかっているような印象を受ける。
「なにかいい案ないかなあ」
「私でよければ一緒に考えますけど。それだと私と裕太さんの案が似通ったものになりかねないかと」
「それもそうだよなあ。……やっぱり自分で考えなきゃか」
裕太さんはそう言って身体を起こすと、そのまま再びスマホに視線を落とす。
似通ってはいけない、というわけではないのだが。しかしその一方で、あんまり近しいと一緒に考えたのでは? という疑いがかかる。
それ自体は問題はないのだけれども、一応は私たちの関係性はある程度秘密、という体裁なので、変な疑いがかからないほうがいい。
直樹くんや雨森さんに、それを今更、という気もしなくはないけれども。
「こういうのは、直樹に任せっきりだったからなあ」
「直樹くん、ですか?」
「ああ。ときたまあいつから旅行に行こうぜって言われて誘われるんだよ」
直樹くんひとりでは迷子になる自信がある! と、そう自称する彼。そういった関係もあって、案内役として裕太さんが誘われて一緒についていっているのだとか。
「まあ、俺としてもめったに旅行に行こうとかしないから、そういう意味ではちょうどいいんだけれども」
そう言いながら、裕太さんはそういえば今年はまだ直樹と行ってないな、と。
計画自体はあったらしいけれど、直樹くんの予定から頓挫してしまったらしい。
「まあ、修学旅行があるしトントン、なのかな?」
裕太さんはそう首を傾げながら言う。
少し違う気もしなくはないけれども、彼自身がそう言うのであれば問題ないだろう。
「それなら、なおのこと修学旅行は楽しまないと、ですね!」
「ああ、そうだな。……そのためにも、候補地をしっかりと考えなきゃなんだが」
やっぱり、わかんないなあ、と。彼はそう言いながら大きくため息を落とす。行くところについて調べるのは得意、とのことだけれど、どこに行くかを決める、というのは本当に苦手らしい。
ぐぬぬ、とスマホとにらめっこをしている裕太さんのその姿が。ちょっとかわいく思えて。
だからだろうか、ふと、手が伸びてしまって。
「えっ、と。絢香、さん?」
「はい? ……えっ!? あ、ごめんなさいっ!」
無意識のうちに、私の手が裕太さんの頭を撫でていた。
慌てて私はその手を離す。同時「あっ」と裕太さんが声をあげて。心なしか、すこし残念そうな顔をしたような気がする。……やっぱり、気のせいかもしれない。
「いや、別に大丈夫、なんだけどね。急にどうしたのかなって」
「……その、私もよく、わかってなくって」
ポポポポポポッと、わたしの顔が真っ赤に染まって。ちらと見上げた彼の顔も、私と同じように赤らんでいて。
やってしまったなあ、と。そんなことを思いながら。絶妙な空気感の流れているリビングに、申し訳ない気持ちが湧き出してくる。
完璧な巻き込まれ状態である涼香なんかは、ものすごく居心地の悪そうな顔をしながら、私に向けて視線で、自分で起こした状況なのだから、自分でなんとか始末をしろ、と。
そういう気持ちもわからなくもないのだが、しかし、頭がぐるぐると逡巡して。どうにもうまく考えがまとまらない。
そんな状態のまま、しばらくの時間が流れようとしていたとき。ガチャリ、とリビングの扉が開いて。
「裕太ー、そろそろ美琴さんを送っていく時間だと思うんだ……えっ、なにこの空気」
タイミング良くか、あるいは悪くは。茉莉ちゃんがそう言いながら入室してきて、即座に表情を歪ませる。
だがしかし、私や裕太さんからしてみれば都合のいい話題な切り出しとしてうまく機能してくれて。
「おっ、おう! そうだな。……そういうわけだから、行ってくる」
「は、はい! 行ってらっしゃいませ」
ふたり揃って、立ち上がってピンと背を伸ばし。
ロボットのようにギチギチに固まった動きのまま、裕太さんは廊下へと出ていった。
それじゃあね、と。美琴さんも彼について出ていく。
「いや、ほんとになにがあったの?」
「ええっと、その……」
あはは、と。首を傾げる茉莉ちゃんに。私はそう苦笑いをするしかできなかった。