#81 茉莉と直樹
コロコロと機嫌が良さそうに喉を鳴らす直樹に、隣に座っていた私は他の人から見えぬよう、隠れて彼の脇腹を肘でせっつく。
「なんだよ、茉莉」
「……いいえ、直樹にしては珍しく知恵を凝らしてるみたいだったから、珍しいわねって思って」
裕太との関係ほどではなくが、直樹との関係もそれなりに長い。そのため、ある程度はこいつの考えることもわかる。
校外レクのときのメンバーで修学旅行の班を作ろう。ついでに、宿泊時の部屋割についてもその時のメンバーで男女にわかれればいいんじゃないか? と。裕太が説明し、そして現在そのとおりになっている。
ここだけ聞けば裕太が画策した話のようにも聞こえるが、おそらくは違う。……いや、絵を描いたのは裕太かもしれないが、そのためのキャンバスを用意したのは直樹だ。
おそらく、裕太や直樹からなにも言わなくてもなにも行動しなくても。結局、私や裕太、直樹、そして絢香ちゃんの4名については同じ班になったことだろう。
絢香ちゃんは意地でも裕太と一緒になるだろうし、裕太も諸般の事情で絢香ちゃんと同じ班になる必要がある。
こうなってくると監視の意味合いなども含めて私も一緒に行くべきだろうし、直樹は裕太がいれば勝手についてくるだろう。
で、あるならば。わざわざ直樹が珍しくも、似つかわしくない知恵を回して裏で工作していた理由があるとするならば、雨森さんのために他ならないだろう。
「随分と、雨森さんに肩入れしてるみたいだけど。もしかして好きにでもなった?」
話題が話題。なおかつその当人が近くにいるため、本当に小さな声で、笑いながらにそんな冗談をあげてみる。
しかし直樹から帰ってきたのは冗談を笑い飛ばす声ではなく。
「まあ、そういうこったな」
という、真剣な答えだった。
想定外。まさかすぎるその回答にあっけらかんとしていると、直樹がややブスッとした声色で「なんか文句あるのかよ」と。
私は頭をブンブンと横に振って余計な思考を頭から振り払い、改めて状況を確認する。
ふーん、へー、なるほど。
好奇の視線が向けられているということを察知したのだろう。彼は若干頬を赤らめながらにそっぽを向き始める。
そうして、同時に諦めているのだろう。聞きたいことがあるのなら聞けばいいじゃないか、と。半ば居直りに近い形でそう宣言される。
「付き合わないの?」
「お前ってば、本当に順序とかそういうの全部吹き飛ばしていくんだな」
いつ頃から好きになったのか、とか、どこが好きになったのか、とか。そういうことが気にならないわけでなないが。しかし、いま急務として欲しい情報はそれなのだ。
少なくとも、いざとなればあとからでも聞けるそれと比べればずっと緊急性が高い。
「付き合わないっていうか、まだ、付き合えない」
「そりゃまた。直樹が告白すれば、泣いて喜びそうなものなのに」
「大げさな。それに、わかって言ってるだろお前。これがそういう話じゃないってこと」
別に大げさに言ったつもりはないのだが。実際問題、ここに合流してからというもの、絢香ちゃんに向いている時間とほぼ同等のペースで直樹に向けて彼女の視線が投げかけられている。
もちろん話の主導を彼が持っていたということもあるだろうが、外野なりにその視線の種類を推測するに、そこに彼女からも気があることは明白だった。
要は、早い話がコイツらは両思いである。おそらく、雨森さんについてはまさか自分が想われているだなんてことはつゆも知らないだろうが、その一方で直樹の方についてはある程度察しているところがある。
で、あるならば。さっさと告白するなりなんなりして、悶々としているであろう雨森さんを助けてあげなよと思わないでもないのだが。しかしこの直樹という男は、自分から気持ちを伝えた結果として良い返事が帰ってくるということがわかりきっている今の状況にさえ「時期が悪い」「まだはやい」と、そう返す。
本当に、面倒くさいやつらだなあ。
私はそう思いながら、遠くの空をぼんやりと眺めた。
直樹が時期が悪いと言うのは、なにも自分からアタックするのが、ということだけではない。
おそらく今の彼は、万が一に雨森さんから告白されたとしても、その申し出を断るだろう。両想いだというのに。
全く以て、バカな野郎である。彼のその行動は誰に頼まれたわけでもなく、自発的に、自分から行っているものであった。
たから、彼の打ち立てた誓いを破ろうと、それを咎める人間もいなければ、そもそも私以外にそれを知る人物もいない。
もっとも、そのバカさとそれに付随する彼の真面目さ、律儀さが、他に替えがたい彼の魅力でもあるのだろうが。
バカでアホで、お調子者である一方で。真面目で律儀で、そして、義理堅い。それが、直樹という男だった。
とにもかくにも、雨森さんについては面倒な男を好いてしまったものである。ご愁傷さまとしか言いようがない。
とはいえ、かくいう私や絢香ちゃんたちも同じく厄介な……いや、直樹のほうがウン万倍もマシに感じるであろう男を好きになってしまっているのだから、まさしくお前に言われたくない、というところだろう。
そしてその厄介な男はというと、現在進行形で話をまとめ、進めて行っていた。
議題については、自由行動でどこに行きたいか、という話。
「……多いな、候補」
額につまむようにして指を当て、裕太がそうつぶやく。
修学旅行の行き先は、京都。定番といえば定番であるが、それゆえにいろんな場所がある。
王道の金閣寺や清水寺といった神社仏閣から、わざわざ修学旅行で行くか? というような植物園や水族館。はては鉄道博物館といった候補まで出てくる。……いや、鉄道博物館はさすがにお前の趣味が出すぎだろう、直樹。
呆れた視線を彼に向けていたが、直樹は飄々とした様子で歯牙にもかけていないようだった。まあ、別に構いやしないのだが。
むしろ彼の興味の向き先はというと別のところで。私の視線に対して「そういえば」と、小さく質問を返してきやがった。
「裕太、なにかあったか?」
「なにかあったって、なんの話?」
「……いや、別にいいことではあるとは思うんだけどよ」
そういいながら彼が切り出したのは、つい先程の出来事についてのこと。ちょうど、裕太がこのメンバーを集めたときの話。
裕太にしては珍しく、他人からの負の視線を集めるとわかりきっていながらに、目立ち、動いたのだという。
「まあ、俺が冗談半分に裕太は行かなくていいのか? って言ったこともあるがよお」
「言ったのかよ」
「いや、ほら、それはいつものノリとしてさ? ……そう。いつものノリなんだよ。それで、そのまま俺の冗談を笑って流して、って。そういう感じになるだろうと思ってたのに」
しかし、現実には裕太がそれを真に受けて、動いていった、と。
自分の言動で親友が悪者のように立ち回ってしまったことに責任を感じているのか、少し俯き、凹んでいるようだった。
……私から言わせてもらうのであれば、おそらく直樹がそう提言しようがしまいが、どちらにしても裕太は自分から動いていたろう。
だから、ここまで直樹が責任を感じる必要はないといえばそうなのだが。せっかく自発的に省みようとしているのだ。たまにはこのバカにも反省をしてもらおう。
シュンとした様子の直樹を隣に、しかし私は顎に指を当てて考え込んでいた。
裕太が、自分から動いた。そのことに、言い表しようのない感情が、ザリ、と音を立ててにじりよってくる。
春の頃合いとは大きく違った立ち回り。もちろん、関係性の変化などもあったのだろうが、なんだかんだで裕太という人間は面倒ごとを嫌う性格をしている。そう簡単に、そこを曲げるとは思えない。
で、あるならば。この半年間で彼の立ち回りの基準。……大切なもの、譲りたくないところ、というのが大きく変わったと見るべきだろう。そして、それが。
――考えれば考えるほど、嫌になってくる。無理やりに感情を押し込めた反動か、頭痛がひどい。
直樹は言った。「別にいいことではある」と。そうなのだ。実際、私もそう思う。
この裕太の変化については、私自身もいい変化だと思っている。……だというのに。
カンカンカンカン、と。私の中のナニカが、警鐘を打ち鳴らしてやめない。なにか、見落としているというのだろうか。
なにか、裕太にとって不都合になりかねないことを。
私室のベッドに身体を投げ出す。脱力しながらもスマホを手に持ち、操作する。
裕太の両親から、メールが届いていた。届いた日時は、彼らが家を発ったしばらくあと。
その内容については、私の質問に答える形で、彼らの考えが記されていた。
既に数度読み返したそれを、再び開き、もう一度読む。
あのとき、私が彼らに投げかけた質問は「その選択でいいのか」というもの。……つまりは、裕太を強引に海外に連れていかなくてよかったのか、ということだった。
そして、その返答として返ってきたのは、肯定。連れていかなくていい、と。そう言った。
おじさんたちとしても、提案をするということはやはり一緒にいたいという気持ちがあるのだろう。仕事が忙しく構う暇を十分に取れないとはいえ、親である。子がかわいいのは当然で、遠く離れた地に、いくら勝手を知っている場所とはいえひとりで居させるのは不安だろう。
メールに書かれた、判断の理由に。私は小さくため息をつく。
裕太にとって、大切なものができた。今の彼にとって、この環境から引き剥がしてしまうのは酷だろう、と。
要約してしまうなら、そういうことが書かれていた。
それ自体に間違いはない。
だがしかし、やはりというべきか。裕太と両親との間に、なんとも言い難い絶妙なすれ違いがある、と。受け取った当時は思っていた。
そして今。私は改めてメールを読み直して。その言葉の正しさと、そして誤りとを同時に感じ取っていた。
おじさんたちが言った、裕太にとって今の環境から引き剥がすのが酷だという話。正しいとは思っていたが、なおのこと、それを強く感じる。
以前までの彼であれば、両親に求められればおそらく海外へとついて行った。1回目のときについていかなかったのは、両親が裕太を連れて行くか迷っている際に、それを察した裕太が彼らの邪魔になることを懸案して自分から断ったからだ。
それが今では、彼が判断に迷うところまで来てしまっている。
以前までであれば、裕太にとって最も大切な存在が両親だったところに、絢香ちゃんたちが同じくらいになるまで食い込み始めた。
そして、おじさんたちはそれを察知したのだろう。だから、引き下がった。
それが、裕太のためになると思って。
……そして、それが。メールにあった、誤りである。
もちろん、裕太にとってプラスに働くことも多い。それは事実だ。
だがしかし、この関係性はそれだけを孕むものじゃない。世間体を気にしたりするのであれば非常に危ういものだろうし、なにより。
「絢香ちゃん。私は……」
キュッと手を握りしめ、目を伏せ、そうつぶやく。まぶたの裏には、彼女の姿が映る。
彼女の存在が、裕太を苦しめるかもしれない。
その可能性を見出したときには。……いや、苦しめるだけなら、まだいい。
それ以上の可能性に気づいてしまった以上。彼女を野放しにしておくわけにはいかなくなった。
「直樹が、きっちりと誓いを守ってるんだ。誰に誓ったわけでもない、それを」
で、あるならば。私もしっかりと誓いを果たさないといけないだろう。
直樹と同じく、誰に誓ったわけでもない、それを。