#80 今度は俺から
「えっ、おじさんとおばさん帰ってきてたの!? マジで!?」
週明け。直樹に週末のことを話していい範囲をかいつまんで伝えると、机にバンと腕を突き立てながら身体を乗り出してきた。
「まあ、急に帰ってきて、しばらく居たあとにそのまま帰っていったけどな」
「それなら俺のことを呼んでくれてもよかったのに。夜中でも走っていったのによぉ」
むすーっと不機嫌そうな顔を携えながら彼は俺の前の席を借りて座る。
しかし、そうは言っても呼べるわけなかろうが。俺や茉莉がいるだけならともかく。また、美琴さんがいるのも百歩譲っていいとして、絢香さんや涼香ちゃんもいるんだぞ。それも、泊まりで。
なんなら当日に至っては全員がメイド服を着用していたわけで。そんな状況に直樹を呼んでみろ。絶対あらぬ勘違いをされてしまう。
……まあ、コレの最大の問題は。勘違いではある一方で、あながち間違いでもないということなのだが。
「まあ、とにもかくにも今回話したいことはそれじゃあないんだよ!」
「なんだ? ただ単に雑談しに来ただけじゃないのか?」
「ちっがーう! いったい裕太は俺のことをなんだと思ってるんだ」
若干の怒りを顕にする直樹に対して、友達だと思っているが。と、そう告げると。彼は大きくため息をついて「そういう意味じゃないんだわ」と呆れられる。
とはいえ、そのひとことでなんだかんだ機嫌が治ったらしいので、ひとまずはいいだろう。
「それで、なんの要件だ?」
「お前、まさか今日のロングホームルームの内容、わかってないわけないよな?」
「……?」
俺が首を傾げると、やれやれといった様子で小さく首を振られる。
なんだか若干ムカつかないわけでもないが、知らないのも事実。もったいぶらずに教えてくれ。
「修学旅行! それについての諸々の取り決めをするんだよ!」
「ああ、そういえばもうそろそろ決めていく時期なのか」
「……なんかこの流れ、文化祭のときもやった覚えがあるぞ」
大丈夫だ、安心してくれ。文化祭のときと違って今回はイベント自体の存在は忘れてない。
「裕太のそのイベントごとへの無頓着さは置いておくとして。自由行動の班決めと、それから宿泊場所での部屋決めが絶対あるはずなんだよ!」
「おう、そうだな。一緒の班でやろうって、そういう話か?」
「それももちろんあるんだが。ちょっと手伝って欲しいことがあってな?」
直樹にしては珍しく、なんとも煮えきらない物言いをしてくる。
彼は周囲を軽く確認してから、俺に対して耳打ちをしてくる。
「……ふむ、それなら別に誰も反対しないと思うが」
「それはそうだろうけど、たぶん本人が一番気にしそうだろう? だから、あのときみたく、俺たちの側から……な?」
直樹はそう言いながら、ニッと小さく笑ってみせた。
ロングホームルーム。直樹の言っていたとおり、修学旅行についての取り決めの時間。
決めることは様々な一方、今回は一番最初の時間だということもあり、まず以て決めなければならないこと。
諸々の行動におけるグループ決めだ。
「じゃあ、まずは自由行動での班を決めてもらいます!」
小野ちゃんがそう言って、10分ほどの時間を生徒たちに渡す。校外レクのときと同じく、4から5人のグループを作るというものだった。
そして、校外レクのときと同じ、ということであれば。
「……すごい人だかりだな」
「今度こそはワンチャンって思ってるんだろうなあ」
俺の言葉に、直樹がそう反応してくれる。
ふたりして苦笑いしながら眺めている隣には、いつか見たような人だかり。
夏休みが明け、文化祭が終わり。それでもなお、彼女の評判は相変わらずか、あるいは上がっている様子で。
俺の変な噂にはたいてい彼女の名前が絡んでいるというのに、こうして強い信頼のある絢香さんと、相も変わらず腫れ物状態の俺である。
その噂の原因の一端が彼女だというのにこの扱いの差である。
もちろん、それを知っている人間がほとんどいないということもあるが、これが彼女の人望であるとか、あるいは人気であるとか。そういうものなのだろうな、と。
「それで? 裕太は誘わなくっていいのか?」
「そうだな。さすがにそろそろ俺も行くとしようか」
「うんうん、そうだよな。裕太はこういうときは外から傍観を決め込む……って、え?」
俺が席から立ち上がろうとすると、直樹が素っ頓狂な声をあげる。
ぽけーっとこちらを見つめている彼に「どうしたんだ?」と尋ねると、彼はハッと意識を取り戻して。
「いやいやいやいや! ……えっ、どうしたの!?」
「どうしたもなにも、お前が言うとおり俺も絢香さんを班に誘いに行こうかと」
「裕太が!? マジで言ってるのか!?」
慌てた様子の直樹が俺の額をペタペタと触ってくる。熱はないみたいだな、と、そう言い。
今朝方に言われたことをそのまま返すが、お前は俺のことなんだと思ってるんだ。
「それとも、俺が行くと絢香さんにとって迷惑だろうか」
「いや、そんなことはないと思う……と思うが」
信じられないとでも言いたげな表情で直樹がこちらを見つめてくる。たしかに俺の性格上珍しい行動だろうとは思うが、そんなにおかしなことでもないだろうに。
人だかりの近くに行くと、さすがにわかっていたことだがめちゃくちゃに多い。おかげさまで、内側にいるであろう絢香さんの顔がなかなか見えない。
「たくさんの方に誘っていただけるのは嬉しいのですが、どうしても班の人数の都合、皆さん全員にというわけにはいかないですし」
ものすごい熱量で迫っているクラスメイトたちに、絢香さんはそういいながらうまく捌いていく。
人だかりの切れ目から、彼女の様子がちらりと見える。外行きモードの彼女だ。
焦ることはなく、落ち着いた様子で。ことを荒立てることのないように丁寧に。
「あっ」
ふと、絢香さんがそんな声をあげた。ちょうどその時、俺と目があったような、そんな気がして。
一瞬、彼女の演技が緩む。家の外では滅多に見せない、柔らかな笑顔がほんの少しだけ浮かんで。
しかし即座に、今までどおり、落ち着いた様子に戻る。
これは、不用意に近づきすぎたか? と。そんなことを思っていると、彼女の先程の一瞬の視線に気づいたのか、近くの女子が俺の方を振り向き。
ひっ、と。顔を引つらせつつ、少しだけ身を引いた。……なんというか、ここまで露骨な対応をされるのは久しぶりだということもあるが、ちょっと悲しくなる。
とはいえ、ひとまずはことの本懐ではないため、置いておいて。良くも悪くも彼女が動いてくれたおかげでできた隙間に入り込む。
「どうも、絢香さん」
「こんちには、裕太さん」
あくまで、家の外なため他人行儀に。……まあ、これでも他の人に比べたら相当には距離の近いやりとりらしいが。
絢香さんは俺に対して「とうかしましたか?」と、そう尋ねてくる。
「いやあ、春のときに校外レクで一緒の班になったから、今回も同じメンバーでどうだろうか、とそう思って。あのとき、楽しかったからさ」
この提案に関しては、もはやただの便宜上のものでしかなかった。
涼香ちゃんから頼まれている都合もあり、絢香さんと俺とが同じ班になることは裏では既に決まっていて。
そういう意味では、それこそ直樹が驚いていたように、人だかりあるから他の人と組むんじゃないかと、俺からわざわざ誘いに行かなくても良かった。
春のときは、俺からは動かなかったため、間に茉莉が挟まっていたとはいえ形上では絢香さんから誘い、他の人たちの誘いを断る、という形になっていた。
今回の修学旅行でも同じようにしてもいいといえばいいのだが、そうすると絢香さん自分から連続で周囲の人からの誘いを断る、という形になり少し体裁が悪い。
だからこそ。俺から誘う、という形のほうがいいだろう。と、そういう判断あってのことだった。
周囲からは小さな声で雑言が聞こえてくる。むしろお前は校外レクで一緒だったろうが、だとか。変な噂ばっかりなのに新井さんに近づかないで欲しい、だとか。
正直、春の頃であればそういった言葉が嫌で。こうして自分から絢香さんへと歩み寄ろうとしたことななかっただろう。
だがしかし、彼女に寄り添い、力になりたいと思うようになった今では。むしろ、手の届く範囲であれば守りたいと思うようになって。
スッと、絢香さんに向けて手を差し出す。彼女は一瞬戸惑ったような様子を見せるが、すぐにその手を取って。
「ええ。私も郊外レクのときとても楽しくさせていただいたので、よろしければぜひ、お願いいたします」
彼女はそう言って、俺の提案に乗っかってくれる。
周囲からは様々な感情の乗った声がしてくるが、正直どうでもよい。
たしかにちょっと辛くはあるけれど、絢香さんの笑顔を守れるのであれば、その程度些末な問題である。
そして、班のメンバーとして直樹と茉莉も加わり。
「さて、あとひとりなわけなんだが」
直樹が腕を組みながらにそう言ってくる。
「雨森? なーにそこに隠れてコソコソしてるんだよ」
「ぴぇっ」
彼の呼びかけに、少し離れた机に隠れていた少女がビクリと反応する。
そのまま雨森さんは頭だけをこちらに覗かせて、ええっと、と。口籠っていた。
「ほら、早くこっちに来いよ」
「……私も、一緒でいいんでしょうか?」
「なにを今更そんなこと言ってるんだよ。心配しなくていいって!」
直樹はそう言いながら立ち上がり、彼女のもとへと歩いていく。
そのままグイッと身体を持ち上げて半ば無理やり気味に連れてくる。
雨森さんはぴええっと若干泣きそうになりながら、しかし抵抗することなく連行されてくる。
「あのう、他にもこの班に入りたい方はたくさんいると思うんですけど……」
「それはそうかもだけど、俺たちとしては雨森に来てほしいんだよ!」
直樹がニッコリと笑いながら、そう語りかける。
未だどこか不安げな顔をしている雨森さん。そんな彼女に茉莉がそっと寄り添って。
「直樹のバカがゴメンね? ガサツで」
「なんだよ茉莉。ガサツって」
「実際めちゃくちゃガサツだったでしょう! 全く……」
やれやれと首を横に振りながら、マリがそう言う。
なにを、とそれに応じようとする直樹だったが、今回の話し合いの本筋ではないため、俺が抑えてひとまず軌道修正をする。
「俺たちは校外レクのときのメンバーで回りたいってそう思ってたからね。もちろん、雨森さんが嫌なら別に無理にとは言わないけど」
「いっいえ! そんなことは! むしろ私から入れてもらいたいくらいで……」
手を顔の前にしてブンブンと振り回し、彼女はそう言う。
他のクラスメイトには伏せているが、ここのメンバーで校外レクだけでなく海にも行っている。
そのときは涼香ちゃんや美琴さんも居はしたが、どちらにせよこのメンバーがやりやすい、というのは全員の共通認識だった。
「うん。それじゃあこのメンバーで決まりってことで!」
パンッと直樹がそう手を打ち鳴らして、まとめる。
以前のときと違って、ササッと決まってよかった。
直樹が頼み込みに来たことも、これですんなりとコトが運びそうでよかった。
「たぶん、雨森のことだから絢香さんと同じ班になりたいけど、校外レクのときに一緒になれたからって遠慮すると思うんだよ」
だから、やや強引気味にでも一緒の班にしてあげたい。できるなら、宿泊施設での部屋割りも一緒にしてあげられたら、と。
雨森さんの性格からしても、ある程度交流のあるメンバーのほうがやりやすいため、それが彼女のためになるだろうと、そう直樹は言っていた。
「そういえば……」
「ん? どうした、裕太」
「……いや、やっぱりなんでもない」
いつの間にやら、直樹が雨森さんを呼ぶ際に「雨森」と呼称するようになっていた。
その小さな変化に俺は心の中でニヤリと笑いながら、口には出さず控えておくことにした。