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#79 頼るというよりかはむしろ

 昼下がり。時間が経ったこともあり、茉莉の機嫌も随分と回復した頃。

 しばしば談笑の声が行き交っていたリビングに、プルルルルルッという電子音が走った。


「すまない、私だ」


 父さんはそう言うと、スマホを持って中座する。


「急な連絡、でしょうか?」


 そう首を傾げる絢香さんに、美琴さんは楽観的にどうだろうねと答える。

 だがしかし、その一方で母さんが気まずそうな顔をしているのも、俺の視界には入ってくる。……おそらくは、俺も似たような顔をしていることだろう。


 タイミング的にも。どういう電話なのか、ということはある程度察する。

 同じく何度か覚えのある茉莉も、俺や母さんの表情を見て気づいたことがあるのだろう。複雑そうに、なにかを考えていた。


 しばらくして、扉越しの父さんの抗議の声がいくらか聞こえて。結果、帰ってきたのは申し訳なさそうな顔をした彼だった。


「……すまない。急な仕事が入ったらしく、今から行かないといけなくなった」


 ええっ! と、驚きの声を出したのは絢香さんと美琴さん。俺や茉莉は予想していたし、どうやらそんな俺たちの様子を見て、涼香ちゃんもなんとなく想像がついていたようだった。


「すまないな。今日は夜まではいれると思っていたんだが」


「ううん、仕方ないよ。それだけ求められてるってことだろ?」


「それは……そう、だが」


「そりゃ、せっかく久しぶりに、って気持ちはたしかに俺にもあるけども。でも、それ以上にふたりが活躍してる姿を俺は見たいからさ」


 躊躇うような素振りを見せる父さんに、俺はそう声をかける。

 その言葉に父さんは母さんと顔を見合わせ、小さく頷いてから「わかった」と。


「いつも本当に、悪いと思っている」


「大丈夫だって。俺も理解してるか――」


「ちょっとだけ! いいですか?」


 そう、割り込むようにして声を張り上げたのは、茉莉だった。

 すっくと立ち上がり、俺と父さんの間に立つと。凛と、そしてジッと。彼女は父さんの顔を見つめる。


「茉莉ちゃん。君にも随分と迷惑をかけてしまっているね。裕太に、良くしてもらっているようで」


「私のことはどうでもいいんです。裕太に関わってるのも、私がそうしたいからですし」


 それはそうと。と、茉莉はひとつ大きく息をついて、グッと顔を見上げて、


「おじさんとおばさんは、それで……その選択でいいんですか?」


 具体的な言葉を避けた、迂遠な表現。俺にはそれが何を意味しているのかわからず、ともすれば同じく絢香さんたちにもわかるわけもなかった。

 が、質問を投げかけられた父さんと母さんはしっかりと理解しているようで。場に、一層張り詰めた空気が流れる。


「おじさんたちが言えば、きっと――」


「そうかもしれない。だけど、私たちはこれでいい、と思っている」


「――ッ!」


 背中越しの茉莉の姿。表情こそ見えはしないものの、その息遣いや肩のこわばりから、今の彼女に憤りに近い感情が宿っていることがわかる。


「なん、で……」


 絞り出すように吐かれた茉莉の言葉。父さんはそれに、表情を変えないまま、彼女から視線を外さす「理由、か」と。


「それを伝えるには、時間と。……そうだな」


 父さんはそう言うと、どうしてかチラリと俺の方を軽く一瞥してから、すぐに元に戻り。


「場所。……うん、時間と場所の都合が悪い」


 父さんはそう言うと。すまない。と、茉莉に謝罪をする。

 頭を上げた父さんはそのまましばらく顎に手を当ててから「だが、たしかにそうだな」と。


「茉莉ちゃんが言うとおり、親としての責務。大人としての責任は果たすべきだろう。たしか、茉莉ちゃんは私の連絡先を知っていたよな?」


「……ええ、以前に頂きました」


「さっきの質問の回答については、メッセージで送るということでもいいだろうか」


 その提案に、茉莉は少し俯きつつも、はいと肯定をする。

 ありがとう、とそう告げると。父さんは今度は絢香さんたちの方へと向き直って、口を開く。


「私たちになんのサポートができるか、わかったものではないが。しかし、君たちもなにかあったときは頼ってくれて構わない。もちろん、茉莉ちゃんも」


 それに対し、そんなことで手間を。と断ろうとした絢香さんだったが。しかし「息子が世話になっているんだ。それくらいしなければ親としての面子が立たない」と、そう押し切った。

 海外との時差の都合、連絡にラグがあったり電話では繋がらなかったりするかもしれないが、とも断りつつ。


「裕太、あとでみんなに私の連絡先を教えておいてもらえるか?」


「わかった」


「それから。お前にはさっきも伝えたが、裕太も、いつでも頼ってくれていいんだからな。……なにせ、私たちは裕太の親なんだから」


「……ああ、わかってるよ。今までも、必要なときは頼ってただろ? 最近だって生活費を寄越せって言ったし」


 その言葉に、どうしてか父さんは複雑そうな顔をしつつ「そうだな」と首肯した。

 その微妙な表情の理由がわからないまま。ふたりが発たねばいけない時間となってしまった。






「行っちゃったねぇ」


 美琴さんは、ゆるりとそうつぶやいた。

 忙しなくも、急にやってきて、急に行ってしまって。

 加えて、今回は絢香さんたちも一緒にいたからだろうか。いつにもまして嵐のような出来事だったように感じる。


「やっぱり、寂しいですか?」


「……そう、だね。でも、今までほどじゃない」


 絢香さんのかけてくれた言葉に俺はそう返す。

 これまでは時折父さんたちが帰ってきたあと、その後のがらんどうで音のしない室内に無性に嫌気が差したりすることもありはしたが、今までとは違って今回は絢香さんたちがいる。

 それだけのことではあるが、しかし、それだけのことが大きく違う。


 それに――、


 ピロンッ、と。かわいらしい音がした。


「あっ」


 当然、その音はその場にいた全員の視線を奪い、音の主……茉莉の方へと全員が向く。


「あー、えっと。ちょっとメッセージが来たから、み、見てくるね!」


 茉莉はそう言いいながら恥ずかしがるようにして、その場から逃げ出す。

 そういえば、父さんが茉莉にメッセージを送るとか言っていたな。たしかにメッセージならば移動中などに書くこともできるし、それが届いたのだろうか。


 タッタッタッと駆けていく茉莉を見送りつつ。少し、今日あったこと、言われたことを思い出してみる。


 ――私たちは、裕太の親なのだから。


 至極当然のことを告げられながら、父さんはもっと気軽に頼っていい、と、そう言われた。

 なんの偶然か、はたまた必然か。似たようなことを1ヶ月ほど前に言われた経験がある。


 ――私も、君とは無縁な人間ではない。いざとなったら、遠慮なく頼ってくれ。


 絢香さんと涼香ちゃんの父親、真一さんからかけてもらった言葉だ。

 偶然に一致することがあり得る内容ではあるものの、まさかこのスパンで言われるとは思ってもみなかった。

 なんというか、この頻度で言われるとなると。


 そんなことを考えていると、隣で「裕太さん!」と、絢香さんが少し大きめに声をかけてくる。


「ごめんごめん、ちょっと考えててね。それで、どうかしたの?」


「あっ、いえ。そういうわけではないんですけど、難しい顔をしていらっしゃったので」


「こーんな顔になってたよ! こーんな!」


「さすがにそれは誇張しすぎ。でも、言わんとすることもわからなくもない」


 美琴さんが指で顔をしかめさせ、それに涼香ちゃんがツッコんでいた。

 なんだかんだありはしたものの、このふたりもかなり仲良くなっている様子でよかった。


「それで、なにを考えていたんです?」


「いや、まあそれこそ大したことじゃないんだけどね? なんというか、もしかして俺ってそんなにも他人を頼っていないように見えるのかなって」


 ハハハッとそう笑い飛ばすつもりでそう言うと。しかし、3人は少しの間フリーズして。そしてお互いに顔を見合わせてから、


「それは、とてつもなくそう見えるかと」


「めちゃくちゃ今更って感じだね!」


「ん、自分の行動、振り返ってみたほうがいい」


 と。見事3人がかりでキレイにツッコミを入れられてしまった。


「えっ、そんなに?」


「たぶん直樹や雨森ちゃんに聞いてもおんなじこと言われると思うよ?」


 ケラケラと小さく笑いながら、美琴さんがそう答えてくれる。

 そのまま彼女はひとしきり笑いきってから、すう、はあ、と息を整えて。


「うん。裕太くんはもっと他人に頼っていい、ってそう思ったほうがいいよ」


「でも、現状でも家事を絢香さんたちに任せちゃってるんですよ?」


「それは、むしろお姉ちゃんたちが裕太さんの仕事を強引に奪いに行ってる、のほうが近い。……もし、私たちがなにもしてなかったら、裕太さん文句ひとつ言わず、せっせと家事してる」


「うっ……」


 たしかにやってそうではある。なにも言い返せない。

 そう考えると、たしかにあまり他の人に頼ろうとしていない、のか?


「うーん、そうですね。じゃあ、試しに私に頼ってみてください!」


 まるで名案とでも言わんばかりの自信満々で、絢香さんはそう言い、バッとその両の腕を広げる。


 ええっと、これは、なんだ? 頼るってどうすれば。抱きつく……なわけないし、それはどちらかというと甘える、だろうし。

 受け入れ体制万全、と言わんばかりの絢香さんを前に、いったいどうすればいいのかとたじろぐ。

 助けを求めようと美琴さんに視線を遣るが、苦笑いをするばかりでどうやら動いてくれなさそうだった。

 涼香ちゃんにも……と、そのまま横に視線をずらすが、そこに彼女の姿がない。


 そこで一瞬、不意に気を緩めたのが良くなかったのだろう。涼香ちゃんどこだろう、と、そう思ったのなら。警戒をしておくべきだったというのに。


「えいっ」


「……えっ?」


 グイッ、と。俺の背中が何者か……いや、状況的に推理するまでもない。涼香ちゃんに押される。

 彼女に軽く押された程度ではさすがに体幹の関係もあって体制を崩したりはしないが、涼香ちゃん自身それを理解しているからか、体重をかけながらに思いっきり押してくる。


 とはいえ、さすがに体格差があるからか、なんとか踏み留まれる。……危ない、もう少しで絢香さんの方に倒れ込んでしまうところだった。

 万が一にもそんなことが起こってしまい、加えて茉莉がそこに戻ってこようものならとんでもない雷が落ちてくることになりかねない。なんとか、なんとか回避に成功する。


「あー、転んじゃったー。ごめんね、裕太さん」


 ものすごーく棒読みで言ってくるその言葉に緊張感など微塵もなく、もはやわざとらしさを隠す気すら見えてこない。

 というか、むしろわざとらしく言ってるまであるその言葉に。……俺は気づくのが遅れた。


 先に気づいた美琴さんはポンと手を叩いて、ニッコリと笑いながら。


「きゃー、私も転んじゃーう!」


 と、こちらも大根役者すら名演技に見えてくるほどの棒読みで倒れ込み、俺の背中を押してくる。

 体格の小さい涼香ちゃんだけならまだしも、俺とそれほど体格の変わらない美琴さんまでが加わったとなると、さすがに耐えるのもキツくなってきて。


「あっ」


 ついには、体勢が崩れる。

 当然、倒れる方向は押されていた、前方。つまりは、絢香さんの方へと。

 今の今までずっとその体勢のままで待っていたのかという、両腕を開いた状態で。そのまま彼女は俺のことを受け入れてくれる。

 柔らかな絢香さんの身体。ふわりと香る、ほんのりと甘いような香り。優しく包み込んでくるそれらが、心地よくて。


 その全てが、初めてで。しかし、どこか懐かしい。

 ずっと探していて、やっと見つけたというような。そんな感覚。


 思わず、俺の方からも彼女のことを抱きしめてしまう。


「はえっ!? ゆ、裕太さん!?」


 絢香さんとしても、これは想定外だったのか。上攣った声でそう反応する。

 ごめん、と。そう伝えるが。「び、びっくりしただけで、大丈夫です」と。


 考えて行ったわけではない。気づいたときには、そうしてしまっていた。……どうしてそうしてしまったのかは、わからない。


「ん、お姉ちゃん。次は私。私に頼ってもらう」


「えー! ずるい! 次は私だよ! お姉さんだから、頼りがいあるはずだから!」


「……あの、やっぱりこれ、どちらかというと頼るというか、甘えるなんじゃ?」


 そう改めて声に出してみると、急に恥ずかしさが沸き起こってくる。

 と、いうか、そうだった。早く離れないと。こんなこところを茉莉に見つかりでもしたら――、


 嫌な予感というものほど、見事に的中するもので。

 今、一番聞きたくない、ガチャリというドアノブの音がする。


 視線はそちらを向いていない。だがしかし、その音だけで全てを察する。

 つまりは、詰んだ、と。


「な、な、な……なにやってるのよっ!」


 フシャーッと、襲いかかってきた茉莉によってその後こっぴどく怒られたのは言うまでもないだろう。

 怒られている間にも、どこか絢香さんの表情がうっとりしていたせいで、なんならいつもに増して説教が長った。

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