#78 言いたいことがあるなら
「……なによ。言いたいことがあるなら、はっきり言っていいわよ?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだが」
茉莉が不機嫌な声で言ってきたその言葉に、自分の視線が彼女に向いていたことを自覚する。
いつもより人が多いこともあり、一度に食卓を囲めない都合。現在朝食を食べているのは俺と両親、そして茉莉だった。
涼香ちゃんと美琴さんは休日ということもありまだ寝ているらしく、綾香さんは涼香ちゃんが起きてきてから一緒に食べるから、ということで先に俺たちが頂いていた。
そして。そんな状況下で茉莉のことを見てしまっていた理由こそ。
「あら、茉莉ちゃんったら。そんなの理由はひとつでしょう? 茉莉ちゃんのその格好がかわいいからに決まってるじゃない!」
ペカッと笑いながらに母さんがそう言ってくる。
俺の正面の席に座っている茉莉と母さんが顔を見合わせながらにそう言い、茉莉の顔が真っ赤に染まる。
「おばさん!? いや、裕太に限ってそんなこと――」
「あながち間違ってはないぞ。かわいいとは思ってるし」
「裕太!?」
実際にそう思っているのだから間違いはない。見てしまっていた理由は他にもあるけれど。
……なんで急にメイド服を着る気になったのか、であるとか。気が変わった理由はともかくとして、俺の両親がいるタイミングでも着るのか、とか。
女性ふたりの会話が姦しく繰り広げられている中、俺の隣に座っている父さんは落ち着いた様子で味噌汁を飲んでいた。
俺も久しぶりではあったが、母さんの普段のテンションはこれである。さすがはずっと連れ添っているだけあって、慣れているなあとそう思いながら、俺も倣って味噌汁に口をつける。
「……うん? この味噌汁、いつもと味が違う?」
「あら、気づいた? それ、私が作ったのよ」
俺のそんな小さなつぶやきに、母さんは即座に反応をした。
ズズズッと追加で椀をあおり、飲む。……言われてみれば、随分と懐かしいような味がして、落ち着く。
コトンと椀を置いてみると、キラキラとした視線でこちらを見つめてくる母さんがそこにいて。おそらくは感想を期待されているのであろうということが明白だった。
おいしいよ、と。そう伝えると、母さんは嬉しそうに満足そうに、小さくよしとつぶやいていた。
「そういえば、おじさんとおばさん。お仕事の方はどうなんですか?」
「ある意味では順調に、ある意味では相変わらず、という感じかな」
「……忙しさは、いつも通りって感じみたいですね」
「なんとかしたいとは思っているんだがな。……今回もなんとか時間を工面したいとは思ったんだが、今晩にはまた行かなければいけない」
俺や茉莉。そして絢香さんに向かって申し訳なさそうに言う父さんに、俺は「仕方ないよ」とそう伝える。
「それだけ求められてるってことだろ? それに最近ではこっちでもかなり名前を見かけるようになってきたし、俺としては誇らしい限りだよ」
「……本当に、すまないな」
気にしないでくれ、大丈夫だから、と。そういうつもりでかけた声だったのだが、どうやら余計に気を使わせてしまったらしい。
なにかいい流れを作れるようないい話題がないかと慌てて探して。そうだ、と、俺はスマホを取り出して画像フォルダを漁った。
「そうだ、これ。昨日の文化祭のために作ったんだけどさ。随分と盛況で、全部売れたんだよ」
俺が見せたのは、文化祭での売り物として作ったハンドメイド品の写真。
両親揃ってその写真をジッと見つめて。無理やりに流れを変えるためではあったとはいえ、このふたりにコレを見せるとなるとちょっと緊張する。
両親だからというか、このふたりが――、
「裕太の作ったもの、久しぶりに見たけど。……うん、素敵ね。ねぇ、聡太さん?」
「ああ。昔にも褒めた記憶があるが、一層いいものを作るようになったな」
「全部売れたからな、褒めてなにも出てないぞ。……それに、俺自身、ふたりには全然敵わないってのは自覚してるし」
ふたり……俺の両親の仕事は、服飾デザイナーだ。
現在は海外に拠点を起きながらふたり揃ってで活動しており、それなりに成功をしているらしい。それに伴い、仕事の量も増えているようだが。
とはいえ、俺としてはふたりが成功している今の状況がとても誇らしい。寂しいという気持ちもなくはないが、しかし子供の頃から必死に奮闘するふたりを見続けていた人間として。両親がたくさんの人に認められ、活躍している姿は見たかったものそのものだ。
そして。そんな両親は、俺にとってのある種の目標であり、遠すぎる背中だった。
それに、俺のやつが売れたのは純粋に俺のモノの出来がよかったというか、盤外戦術的な、見方によってはズルのようなものもあったため、なんとも言い難いところがある。
実際、広告をしていなかったこともあったが、アレが無ければほとんど売れていなかったわけで。
「裕太は、将来こっちに来るつもりなのか?」
「……まだ、わかんないかな。たしかに好きではあるけど、趣味でやってる、みたいな側面も強いし」
過去の両親の姿を間近で見ていた人間として、その大変さは知っている……いや、それすらも本来の苦労の一部分でしかないのだろうが、それを知っている。
だからこそ、やすやすとそう在りたいとは言えない。……それこそ、小さい時には両親の手伝いをできればいいと。そう思っていた頃もあったが。
「そうか。……まあ、まだまだ高校生。時間もあるんだ。しっかりと悩んで、自分のやりたいことを見つけるといい」
父さんはスマホを俺に返しながら、そう伝えてくれる。
表情の変化の少ない彼ではあるが、それでも柔らかな顔つきになったことがわかる。
「もし、なにかあればいつでも私たちを頼ってくれて構わない。それが仕事に関するようなことでも、そうでないことでも」
なにせ、私たちは裕太の親なのだから。
父さんは、そう言ってくれた。
涼香ちゃんと美琴さんが起きてきた後。父さんと母さんに会ってハイテンションな美琴さんが、リビングのソファにて大盛り上がりで会話に花を咲かせていた。
会話に混じろうかとも思ったが、しかし、あそこに乱入するにはちょっと熱量が高すぎるような気がして、そそくさと離れてキッチンの方へと。
「あれ、裕太。どうしたのよこっちに来て」
「茉莉こそキッチンでなにやってるんだよ」
俺がそう聞き返すと、彼女はそーっと視線を外して、うーんと、と。所在の無い返事をする。
まあ、大方俺と同じ理由だろうが。
「しかし、やっぱりちょっと嬉しそうね。裕太」
「……うん? なんの話だ?」
「おじさんとおばさんに会えて。心無しか、ちょっと楽しそうに見える」
「それは……」
否定できない。というか、まさしくそのとおりだろう。
前回がいつだったろうか、次がいつになるだろうか。果たしてどれくらいの時間だけ会えるのだろうか、と。
両親ではあるものの、なかなかその顔を見ることができない相手なのだ。そりゃあ会えたときの感動はひとしおというものだ。
「行っても、いいと思うけどね」
「なんの話だ?」
「海外。……たぶん、誘われてたんでしょ? 今朝」
彼女の言ったその言葉に、俺の身体がピシャリと固まる。
「なんで、そのことを?」
「まあ、朝起きて窓の外を見たらふたりで裕太とおじさんが庭で話してるのが見えたからね。……内容までは聞こえてこなかったけど」
けれど、だいたいの察しはつくから、と。……そして口ぶりから考えるに、どうやらそれを俺が断ったことまで推測が立っているようだった。
「なんというか、すごいな。そこまでわかるのか」
「わかるわよ。何年あんたの幼馴染やってると思ってるのよ」
茉莉は、柔らかに笑いかけながらそう言ってくれる。
……俺はそんな幼馴染の茉莉について、昨晩あれほど悩んでいたのだが。と、ちょっと申し訳なく思えてくる。
「でも、なんで着いていったらって」
「それが、裕太にとってのやりたいことのように思えたからよ」
「…………」
ジッと見つめてくる茉莉の視線に、逃げ出したいような、顔を背けたいような。そんな衝動に駆られる。
本当に、彼女は俺のことをよく知ってくれているのだろう。そして、見透かされているのだろう、と。
「否定はしない。……たしかに、父さんと母さんと一緒にいられるっていうことは、俺にとっていいことだと思う」
「なら――」
「でも、それと同時に。俺にとって、ここにいるということも、同じくらいか、それ以上に大切なことなんだよ」
開きかけた茉莉の言葉を、遮るようにしてそう被せる。
やや語気が緩くなりつつも、茉莉はなにかを探ながらに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……それは、絢香さんがいるから?」
「それも、理由のひとつだ」
都合言えないことが多いために、茉莉には伏せていることが多いが。しかし、俺が絢香さんのために、彼女の力になりたいと思ったのも事実。
そして、同時に。それは絢香さんだけではなく、涼香ちゃんや美琴さん。そして、茉莉に対しても同じように思っている。彼女たちがなにか助けを求めるのなら、しっかりとそれに応えたいと思っている。
「そっか」
茉莉はなにかを追及するでもなく、責め立てるでもなく。ただ、そうとだけ言って、理解をしてくれる。
彼女の瞳に宿るその感情には、心当たりがある。……おそらく、納得がいっていないのだろう。
彼女としては思うところがあり、言いたいことはありはするのだけれども。けれど、それはそれとして俺の考え自体を否定はしたくない。そういうときにする表情だ。
こうして、茉莉が今、どういうふうに考えているのか、ということならそれなりわかりはするのだけれども。
しかしどうしてこれが茉莉のこと、となると。急にわからなくなるんだろうか。
それこそ……、
「そういえば、昨日には聞きそびれちゃったんだが。どうして急にメイド服を着ようと思ったんだ?」
「ふぇっ?」
まさか聞かれないとでも思っていたのだろうか。そんなわけないだろう。聞くに決まっている。さっきまでは俺が質問されてたターンなのだから、今度はこっちの番だ。
もちろん言いたくないのであれば、別に追及はしないが。とりあえず聞くだけは聞く。
あれほど着るのを嫌がっていたのに。
「…………って、言ってくれたでしょ」
「えっ?」
ボソボソッと、小さな声で。
当然ながら聞き取れず。もう一度言ってくれと頼む。
「かわいいって、言ってくれたでしょ。裕太が。だからよ」
彼女はそう言うと、カアアッと顔を真っ赤に染め上げて。
同時、ビシッと俺に向けて指を差して。
「なっ、なにかあるなら言いなさいよ! 私だって、けっこう恥ずかしいって思ってコレ着てるんだから!」
茉莉の瞳は若干潤んでいて、熱を持った頬と併せて、少しでも押したら決壊をしてしまいそうなほどだった。
そんな恥ずかしさなんかを、飲み込んでまでして。彼女は俺の言った「かわいい」という言葉を、実践して見せてくれたのだ。たしかにそれは、俺からなにか、言って然るべきだろう。
「ああ、すごく似合ってる。とてもかわいらしいと思う」
「……そういう意味じゃ、ないっての」
彼女はそうつぶやくと、プイとそっぽを向いて拗ねてしまう。
なんとか機嫌を直してもらおうと声をかけてみても。無視をされてしまって、これではどうにもできない。
そういう意味じゃない、と。どうやらつまりは選択肢を間違えてしまったらしい。
「本当に、俺は茉莉のことを。しっかりと理解できていないのだろうな」
彼女はあれほどにも俺のことを見てくれているのに、と。
茉莉に聞こえないように、俺は小さくつぶやいた。