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#77 積もる話

「ふわぁ……眠い……」


 普段はあまり感じない身体のだるさを感じながら、私はベッドから起き上がる。とはいっても、これはただの寝不足だろうが。

 昨晩は裕太さんのご両親が帰ってきたところに遭遇してしまったこともあって、なかなか寝付けなかった。


 早朝ということもあり、まだスヤスヤと眠っている涼香を横にしながら、私は着替える。

 涼香が私のために用意してくれた白と黒のピナフォアドレス。最初の頃は恥ずかしさもかなりあったものだが、そろそろ半年になることもあってか、かなり慣れてきた。


「……とはいえ、今日は特別緊張するなあ」


 いつものメンバーに見せるのであればそれこそ問題ないのだが、今日は裕太さんのご両親がいる。

 それを思うと、妙に気が引き締まるように感じてしまう。


 後ろ手で紐を結んで、準備完了。

 私室から出て、静かにリビング、そしてキッチンへ。


「今日はいつもより3人分多く作らなきゃだからね」


 よし、と気合を入れ直して、冷蔵庫から食材を取り出す。

 いつもが4人分なことを考えると、ほぼ倍量なのでその量にちょっとびっくりする。


 まだ少し眠気の残る頭を回しながら、調理を開始する。


 トントントンという包丁の音。カチャカチャと卵を溶く箸の音。ジュウと油の跳ねるフライパンの音。

 静かな空間に、小気味のいい音が満たされていて。大変ではあるが、この時間は好きではあった。

 興が乗って、軽く鼻歌でも歌おうかとそう思ったとき。ちょうどガチャリとリビングの扉が開く音がした。


「あら? もしかして朝ごはん作ってくれてるのかしら?」


 入って来たのは、裕太さんのお母様のようで。そのまま彼女は軽い足取りでキッチンの方へ来て、ヒョイとその頭を覗かせてくる。


「こんな朝から、ごめんね? ええっと、名前は」


「お母様、申し遅れました。私、絢香といいます。新井 絢香です」


「絢香ちゃんね、よろしく。私は裕太の母の真由ね」


 楽しげに笑う真由さんはそのままぴょこぴょことキッチンへ入ってきて。


「その服、とってもかわいいわね。裕太が作ったの?」


「いえ、これは妹……涼香が仕立ててくれたもので」


「あら、妹さんが。それはぜひ、少し話してみたいわね」


 楽しげにそう語りかけてくれるおかげで、随分と話しやすい。

 事情をある程度知っているということもあってか、格好のことについても自然と話してくれている。


「昨日の晩はごめんね? 気も配れずに。聡太(そうた)さんの言われて初めて気が付いて。……あっ、聡太さんってのは私の主人、裕太の父のことね」


 にへらと笑いながら、真由さんはそう補足してくれる。

 よく笑うし、そして、笑顔がとても似合う方だ。


「さて。料理なんて久方ぶりだけど、なにか手伝うわよ」


「えっ!? いえ、大丈夫ですよ。これも私の仕事ですし」


「いいのいいの。これくらい気にしなくって。人数多いから大変でしょう?」


 そう言ってキッチンに入ってくる真由さん。しかし、量の都合で大変なのは事実で、なにも反論はできない。

 鼻歌交じりに手を洗った真由さんは「それで、なにを作ってたのかしら?」と尋ねてきて。私はそのままに説明をする。


「そういえば、料理をされるのは久しぶりなんですか?」


「そうねぇ。ずっと仕事が忙しくってなかなか料理をする時間も取れなかったからね。買ってくるか、作ってもらうかが多かったかしら」


 恥ずかしい話、情けない話、と。真由さんほそう言いながらニヘラと笑った。

 そうして、どこか後悔の残ったような表情をして。


「そうねぇ。10年くらい前かしら。それくらいからまともには作ってないかも」


 あ、でも腕に関しては心配しないで! と。真由さんは二の腕をポンと叩いてそう言う。曰く、日常的には作っていないが、稀に簡単に作ることはあったらしい。


「……裕太には、あんまり親らしいことをしてあげられなかったからね。たまには朝ごはんのひとつくらい作ってあげないと」


 そう言って。真由さんはどこか少し遠くを眺めていた。


「海外に行かれてからも、たまに帰っては来ていたんですよね?」


「ええ、そうよ。ただ、あの子ったらなかなか頑固だから。たまの仕事の休みで帰ってきてるんだから、きっちり休めってそう言って頑として私たちに家事をさせようとしないのよ」


 だからこそ、準備ができないようにと連絡なしに突然帰っても。裕太さんはなんだかんだと文句をつけながらスーパーへと走り、結局彼が家事を行う。というようなことになってしまったのだという。

 なんとなく、わかる気がする。


「お金だけ、渡すことはできても。それで親としてどうなんだ、という話よね。……まあ、それもこれも私たちが裕太に頼り切っちゃったせいなんだけど」


「……えっ?」


 真由さんのその言葉に、思わず私が聞き返そうとして。しかしその瞬間、リビングのドアが開いて。


「おはよう絢香さん。それに母さん」


「あらなに裕太。もう起きてきちゃったの?」


「さすがに今日は人数が多いから絢香さんの手伝いをしようと思ったんだが。……なんで母さんがやってるんだ?」


「あらなに? 私がやってちゃいけないの?」


 首を傾げる裕太さんに、真由さんがぷりぷりと軽く言い返すようにしてそう言う。彼は「別にだめではないが」と少したじろぎながらにそう答えて、一歩引いていると。


「それよりもなに裕太はこんな時間に起きてきてるのよ。もっとゆっくり寝てきなさい?」


「……はい?」


「朝ごはんなら私と絢香ちゃんで作るから。ほら、まだ寝てて大丈夫だから」


「いやだから。……なんで?」


 全く要領を得ていない様子の裕太さんが困惑をしていると、真由さんは小さくため息をついて。


「私と絢香ちゃんで、女同士積もる話もあるんだから。ほら、帰った帰った!」


「積もる話もなにも、昨日の今日で会ったばっかりだろ」


 と、彼はそう言うものの、首を傾げるながらにそのまま渋々リビングから出ていってくれる。

 対面は昨晩が初めてだが、いちおう、裕太さんの元へ来る前に電話越しでは話したことがある。……とはいえ、その程度であれば誤差ではあるか。


 足音も十分遠くなってきた頃合い。真由さんが「さて」とそう言って。


「様子を見るに、絢香ちゃん。私になにか聞きたいことがあるわよね?」


「ええ、それは、まあ」


「ちょうどいいわ。私も絢香ちゃんに聞きたいことがあるの。だから」


 ちょっとお話しない? と。

 真由さんは、いたずらっぽい笑顔でそう聞いてきた。






「裕太、少しいいか?」


 母さんにリビングから追い出されて、トボトボと自室に向けて歩いている途中。低く落ち着いた声でそう呼び止められる。


「大丈夫だよ。謎に暇になったところがら、時間なら有り余ってるよ」


「そうか。……ここではなんだし、外に出ようか」


 父さんはそう言うと、俺を誘導するようにそのまま玄関から外に出る。

 俺もそれに従うように外に出ると、早朝ということもあって程よい気温の空気が迎えてくれる。

 柔らかな朝日が少し眩しくも思えるが、しかし同時に活動の活力も与えてくれるような気がする。


「仕事の方はうまく行ってるのか?」


「おかげさまでな。お前のおかげで、随分と楽をさせてもらった」


「俺はなんにもしてない、なんにもできてないよ」


 俺がそう伝えるが、しかし父さんは俺に背を向けたまま、そのまま遠くを見つめていた。


「なあ、裕太。お前は今の生活が楽しいか?」


「えっ……?」


 急になにを言い出しているのだろうか、と。突然のその問いかけに、頓狂な声を出してしまう。

 父さんはそのままこちらに視線を向けることなく、質問を繰り返す。


「そのままの意味合いだ。今の生活が、楽しいかどうかを尋ねている」


「……えっと」


 それは、つまり――、

 父さんと母さんは今の俺の状況を正確ではないにせよ、ある程度知っている。だからこそ、昨晩絢香さんがいたあの状況にも冷静に対処できていたわけだし。

 で、あるならば。この質問の意味するところは。絢香さんたちとの今の生活、メイドとして彼女たちと一緒に暮らしているこの生活をどう思っているのか、ということだろう。


「正直、人としてそれはどうなんだ、と思うことはなくはない」


 状況を正確に判断すれば、彼女たちをメイドにしているという状況はとてもヤバい。どこからどう考えても弁明不可能な所業ではある。……たとえそれが彼女たちから申し込まれたことだとしても。


「だけど、俺個人として今の生活について言うなら。すげえ楽しいって思ってる」


 たしかに、彼女たちがいることによって厄介ごとが振りかかったり、面倒ごとが引き起こされたり。そういうことがないわけじゃない。

 なんならむしろ、ともに生活している都合でちょっとしたハプニングなら茶飯事に起こりまくっていて、そのたびに主に茉莉が叱って、と。平穏とは真逆な生活ではあった。

 けれども、それは同時にとても楽しくもあった。平和な生活も悪くないといえばそのとおりなのだが。しかしその一方で、今の生活のようなハチャメチャなものも、退屈しなくてとてもいい。


 そしてなにより、


「なんていうのな。挨拶が帰ってくるってのは、存外に安心するもんなんだなって、そう思ったよ」


「……そうか」


 ザリッと、父さんが砂利を踏んで。同時、そこで立ち止まる。

 俺は彼の隣にまで移動して、その顔を伺うようにして覗き込む。

 父さんが、なにか考え事をしているときの難しい顔だ。


「さっきも一度言いはしたのだが、ありがたいことに仕事もかなり軌道に乗ってきてだな。それなりに、余裕が出てきたところなあるんだ」


 そう言いながら彼は少し困ったように笑い、「しかし、時間の余裕は消えるばかりなのだがな」と。そう言った。

 やはり、忙しいのは相変わらずな様子で。どうやら今日のこの時間もなかなか無理をして作ってくれたようだった。


「しかしだな、さっきも言ったように余裕はできてきたのだ。そこで、ひとつの提案をお前にしようかと思っていたんだが。……かつて、私たちが海外へ渡る前にお前に一度尋ねたことを、もう一度」


「……ああ、なるほどね」


 父さんの言わんとしていることは、よくわかった。

 そして、父さんの思っていることについても、よくわかった。


「だが、今の話を聞いている限り。お前にとっては今のまま、のほうがいいのかもしれないな」


「……そうだね。今から半年前にそれを聞かれてたら。もしかしたらそっちのほうがいいと、そう思ったかもしれないけど」


 父さんのその提案は、一緒に海外に行くか? というものだ。言われずとも、わかる。


 そして、俺は再び、その提案を断った。

 だが、かつてと今とでは、断った理由は全く別になっている。


「それほどに、彼女たちが大切だと思えるように、そうなったんだな」


「改めて言葉にしてみるとめちゃくちゃにこそばゆいけど。でも、そういうことだよ」


 頬をポリポリと掻きながら、俺がそう言うと。父さんは少し考えてから、そうか、とだけ。


「そろそろ戻ろうか。時間もいい頃合いだろう」


「うん。ちょうど絢香さんと母さんが朝ごはんを作ってくれてるよ」


 というか、そこから追い出されてきたんだけど、と。そう笑い話のようにして言うと、父さんは少し困ったような表情をして。


「母さんのことは、そうだな。真由は真由なりに、いろいろ考えているのだろう。脳天気なようで、結構気にしているしな」


「気にしているって、なにを?」


「それは……いや、これは私から言うべきではないだろう。変に伝えて面倒なことになったら私が真由に雷を落とされる」


 中途半端に言われてしまっては気になってしまうのだが、しかし、それによって両親の間に不和が起こってしまうのはよくない。

 なら、いいや、と。俺はそう伝えて、玄関のドアを開ける。

 ウィンナーだろうか。香ばしい匂いがふわりとして、忘れかけていた空腹が一気に思い出される。


「ただいま」

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