#8 歓迎はするけど勧誘はしない
部活に顔を出したのは、もちろん活動に参加するつもりが無いわけではなかったが、どちらかというと一旦絢香さんから離れるための口実が欲しかったというのも実情だった。
「……はぁ」
トイレ、風呂、寝室。それ以外の場面ではほぼ常に一緒に行動するか、あるいは視線が注がれている。いくらなんでも疲れがくる。
やっと手に入れた暇に安堵の息を漏らしていると、視界に薄ピンクの髪がふわりと映り込んでくる。
「おやおや、せっかく部活に来てくれたと思ったら開始早々ため息とは。なにか困りごとでもあった? 相談に乗ろうか? 私、先輩だし!」
「いえ、大丈夫です。ご心配なく」
意気揚々と目の前に回り込み、胸を張って自分自身のことをアピールしてくる女性に対して適当にあしらう。……ただでさえ大きいのに張って見せられると更に大きく見えるな。なにがとは言わないけど。
彼女には、つれないなーと文句を言われるが、これがいつものやり取りなので特に問題はないだろう。
とはいえ、ここに来た理由として「呼ばれていた」というのは嘘ではない。実際、新入生の歓迎をするかもしれないので来てほしいという要請は受けていた。
「それで? 今、誰か新入生の勧誘に行ってるんですか?」
「いや? 行ってないよ。というか、誰かが行ってると思う?」
「……思わないっす」
元よりそんなに広くはない部室ではあったが、その部室がひどくがらんどうに感じられるほどに人がいない。というかむしろ俺と彼女以外に人がいない。
いちおう、部員の名簿としてはもう少し人はいるのだが、そもそも来ることがない人たちばかりで、いわゆる幽霊部員というやつだ。
まあ、俺自身もそんなに頻繁に来ているわけではないのだが。
「なら、むしろ新入生を勧誘しに行くべきなのでは?」
「んー……どうせ私は今年で引退だしなあ。元から少ないこの部の予算を人数で割って更に少なくしたくないし……」
驚くほど自己中心的な回答が返ってきて唖然としてしまう。
あっ、いちおうポスターは貼ってあるよ! と自信満々に言われるが、……もしかしてさっき掲示板で見かけたやつのことだろうか。もはやポスターと呼ぶのとおこがましい、サインペンでこの部の存在と場所のみを書き記しただけの掲示物。
……記憶が正しければそれ以外のものを見かけてない。信じたくはないが、たぶんそれで間違いない。
「それ、その皺寄せが来年俺たちに降りかかるのでは?」
「俺たちっていうよりか、裕太くんだけに、だね!」
彼女はとてもいい笑顔でそう言い放った。
たしかに同級生でこの部に顔を出してるやつを見かけたことないけど。1回も見かけたことないけど!
あはははははっ! と、この状況をなにより面白そうにしながら、彼女はその場でくるりと1回転する。ハーフアップの後ろが、ふわりと小さく浮かび上がる。
「そういうわけで、もし新入部員が欲しいのなら、行ってらっしゃい! 頑張って!」
「いや、行かねえっすよ? 俺も別に後輩が欲しいとか思ってるわけじゃないんで」
なにより面倒くさい。勧誘しに行くのももちろんだが、その後の諸々の説明であったり応対であったりをするのも面倒くさそうでしかない。
この調子だと絶対手伝ってくれないだろうし、この人。
もちろん、入るというのであれば歓迎はするけど。
「へぇ、そうなんだ。裕太くんはこの美琴センパイとふたりっきりがいいって、そう言うんだね? 新しく入ってきた後輩くんに、この美琴センパイを取られたくないって、そう言いたいんだね!」
「あー、はいはい。もうそれでいいです。なんでもいいですからとりあえず落ち着いてください」
変なスイッチの入ってしまった先輩を宥めつつ、彼女の元いた席へと流れ作業で誘導する。
このダル絡みもいつものこと。この部には滅多なことがない限り俺と先輩しかいないから、こういうことにはもう慣れてしまっていた。
美琴さん、桃瀬 美琴さん。この部の部長にして、現状、俺以外で唯一であるこの部の実働部員。
彼女は高校3年生になった……はずなのだが、肘を付きながら暇を持て余すように足をぷらぷらと振り回している。見た目はともかく、行動が子供のそれだ。
「まあ、別に私はいいんだけどさ。裕太くんがあの約束を守ってくれさえすれば」
「約束っていいますけど、別に絶対の確約はした覚えないっすよ?」
「知らなーい、知らなーい。やれそうならー、とかできる限りはー、とか。裕太くんがそういう汚い大人の言い回しで濁してたこととか私知らなーい」
全部わかってるじゃないか。わかってて言ってるじゃないか。
「と、に、か、く! 私期待してるからね!」
「はぁ……くり返し言いますが、確約はしないですよ? 絶対にやれるとは絶対に言いませんから」
「安心して! 私が卒業するまでになんとか間に合わせてくれればいいから!」
会話をしてくれ。頼むから。
この話の通じない感じ。絢香さんたちにも似たような雰囲気を感じつつも、大変さはまた全然別種のもので。
……部活に来たの、間違いだったかなあ。こっちはこっちでめちゃくちゃに疲れる。
「はぁ……」
「おっ、やっぱり悩み? 相談なら受けるよ!」
「だから大丈夫ですって」
なんならむしろ今のため息はあなたが原因なんですよ、美琴さん。
とは、口が裂けても言えないわけで。
とにかく無視して自分の作業に取り掛かろうかと、そう思ったとき。
集中しようとしたからか、騒音がしていることに気がついた。もちろん美琴さんの声じゃない。現在進行形で目の前で騒いではいるけど。
少し考えてみて、納得する。そうか、俺たちは行ってないだけで新入生の勧誘が行われているんだから、各所からその声が聞こえてきても不思議じゃないのか。
なるほど、とひとり心の中で整理をつけて再度作業に取り掛かろうと集中してみる。
……思ったより、外の騒音が大きい。勧誘といってもこんなに大きな声でするものだろうか。いや、大きな声でするのだろうが、この部室まで聞こえてくるものだろうか。
曲がりなりにもこの部室はそこそこ端っこにあるため、そうそう人が近寄ってきたりする場所でもない。そんな場所で勧誘を行っているわけもないのに。
「ねえ、裕太くん。なんか外、騒がしいね?」
「……ですね」
おかしい。まるで、すぐ外の廊下でたくさんの人が騒いでいるような、そんな気配を感じる。
こんな場所に用事もなく近寄ってくるような人たちがそうそういるわけもないのに、なぜかすごく誰かがいるように思えてしまう。
「ちょっと俺、外の様子を確認してみますね?」
「うん、よろしく」
美琴さんにそう断ると、俺は席を立ち入り口のドアへと向かう。
頭ひとつが通るくらいの隙間を開け、外の様子を伺う。
「うわぁ、なんでこんなところに人だかりができてるんだよ」
幻聴でも幻覚でもなく、なぜかこの廊下に似つかわしくないたくさんの人で溢れていた。
「なんだ? どっかの有名人でも来たか?」
ははっ、んなわけねーか、と。冗談っぽくつぶやいてみる。仮にそれならそれでなんでこんなところに来ているんだという話だ。
こんなところに来るのは俺と美琴さんと、それからたまに来る顧問の先生。そしてその3人に用事のある人……。
スッ、と。首を引っ込め、一旦扉を閉じる。
なにか、とてつもなく嫌な予感が走った気がした。
「裕太くん、どうだった?」
「あー、えっと。なんかすごい人だかりができてました」
「ほえー、珍しいこともあるもんだねぇ」
楽観的に、美琴さんはそう言った。
そんな彼女とは対照的に、俺の額からは冷や汗が流れ始める。
そーっと。もう一度隙間を開けて外の様子を伺う。人だかりの、可能ならその中心あたりに向かって注視してみる。
なかなかこれが人の壁が分厚くて見えそうにない。もう少しだけ身を乗り出しつつ、なんとか様子をうかがってみる。
「あっ」
やべっ。
瞬間、やらかしたことに勘付いた。目と目が合った、それもなんとか見ようとしていた人だかりの中心人物と。
それだけならなんとか見ることができた、よかった。という話なのだが、嫌な予感というものは的中するもので、そこに「いて欲しくない人物」と目が合ったのだ。
とにかく一旦身体を引っ込めて、それからどうしようかを考え――、
「そおれっ!」
「ぎゃふんっ!」
ツンッ! 両脇腹に、突然細くて強い刺激が走る。
身を乗り出し過ぎていた俺の身体は、その刺激に我慢しきれず、変な声と同時に力が抜けていく。
「ふふふー、裕太くんったらまだまだ脇が甘いですなあ」
「美琴さん、今はそういうことしてる場合じゃなくって」
「……あれ。もしかして私、なにかやらかした?」
倒れていくさなか、周りの人を押しのけながらこちらに向かって駆け寄ってくる人が目に入る。
「裕太さん、探しましたよ」
「……ついて来ないでって、言ったと思うんだけど」
なんでここにいるかなあ、絢香さん。
とにかく取り巻きの人たちについてはややこしいので帰ってもらうように絢香さんに説得してもらった。
そうして最終的にこの場に残ったのは俺と美琴さん、そして絢香さんと涼香ちゃんだった。
「……とりあえず、お互いに自己紹介から始めようか」
俺がそう言うと、いの一番にと絢香さんがピッと手を挙げた。
「私は絢香と言います。裕太さんのメイ……コホン、同級生です」
今、途中で言ってはいけないことを口走りそうになってなかったか?
サッと視線を寄せてみると、目を逸らされた。自覚はあるみたいだった。とはいえ、なんとか踏みとどまってくれたことには感謝する。
「その妹の涼香。ここに来たのは姉に巻き込まれて。決して私の自発的な行動ではない。だから私は悪くない」
続いたのは涼香ちゃん。今までに見たことがないくらいに不服そうな顔をしている。たぶん言っていることには間違いはないんだろう。
「私は部長の美琴って言います。えっと……よろしく、ね?」
これで合ってる? と言いたげな瞳でこちらを見てくる。
あなたのほうが先輩でしょう、と一蹴したいところだが、この騒動を引き込んだ張本人でもあるため、なんとも言いにくい。
「それで、絢香さんと涼香ちゃんはここになにしに来たの?」
「えっと、裕太さんを探しに……じゃなくって、部活の見学をしたいなーって」
……誤魔化すなりするつもりなら、もうちょいちゃんと取り繕ってほしかったかな。
とはいえ、まあそうだろうなとは思っていたが。
「ちなみにこの部が何部なのかは知ってるの?」
少々意地悪気味に、俺は絢香さんに尋ねてみる。
「はえっ!? えっと、ええっとそのー……」
周りをくるくると見回しながら、絢香さんが慌てふためく。
そんな様子を見かねてなのか、絢香さんの横に座っていた涼香ちゃんが大きく息をつきながら答える。
「手芸部」
「正解。……絢香さん、この部活がなんの部活かも知らずに部活の見学ってのは無理があるかなって思うよ?」
むふんっ、と。肩ほどまである銀髪を揺らしながら涼香ちゃんは胸を張った。……なにがとは言わないけど、小さい。なにがとは言わないけど。
一方で絢香さんはというと「すみません……」と表情に出こそしていないものの、普段よりも少し弱った声をしていた。
「えっと、私からも質問いいかな? 部活の見学がどうとか、そういうのは別になにしてくれても構わないんだけどさ、そんなことよりもすっごーく気になってるんだけど」
そう口を開いたのは美琴さんだった。
「裕太くんとふたりって、どういう関係? さっきは同級生とその妹って言ってたけど、まさかそれだけなわけないよね?」
その質問は至極真っ当なものだろう。その疑問を抱くことはなんらおかしなことではないだろう。
しかしどうしたものか、これにどう答えるべきか。
そんなことを俺が考えている、その隙に。
「私は、裕太さんのメイドです」
「絢香さんっ!?」
「あっ、言っちゃった」
……さっき、なんとか言わずに踏みとどまったことに抱いた感謝を返してくれ!