#74 よく知っている
「遅いですね」
「それはどっちの話?」
手芸部の部室。美琴さんにそう話しかけると、同じく暇をしているのだろう。キャスター付きのイスの上でクルクルと回りながら彼女がそう聞き返してくる。
どっちの話、というのは。今、私たちが待っている人物がふたり……厳密にはひとりとひとグループあるからだ。
片方は、直樹。裕太にメイド服を着せる代償として、半ば道連れのような形でメイド服を着ることになってしまった哀れな男。まあ、今の言葉のとおり、自業自得ではあるのだけれども。
もう片方は絢香ちゃんと涼香ちゃん。そして裕太だ。
「どっちも、ですよ」
直樹に関してはそのメイド服姿をイジり倒すのが今から楽しみだし、もう一方の裕太たちについては、その顛末をいち早く知りたいという気持ちがある。
そしてその感情は、一緒にいる美琴さんにしても同じだろう。なにせ、私も美琴さんも、別々の立場からというアプローチではあったものの今回の彼女たちの間にあった軋轢に少なからず関わっていた。気にならないわけがない。
「まあ、少なくとも裕太くんがいるから下手なことにはなってないと思うけどね」
「……そう、ですね」
涼香ちゃんに頼まれて立ち会い人として話を聞くために同席している、とのことだったが。万が一のときには彼が動いて、なんとか場を収めるだろう。
それほどに彼は今回の件に踏み込んでいるし、少々嫌な話だが、それだけの問題解決能力が裕太にはある。
それこそ、仮に私や美琴さんが今回協力しなかったとしても。解決していただろう、と。そう言えるほどに。
「それにしても、茉莉ちゃんはよかったの?」
「……なんのことですか」
「茉莉ちゃんがわかってないわけがないでしょう? ……涼香ちゃんのことだよ」
いちおう質問として投げかけてはいたが、想定していたその質問に、私は小さくコクリと頷いた。
涼香ちゃんの、彼女の秘めていた恋情。今回の件を解決するということは、すなわちそれを引き起こすことに他ならなかった。
なんなら、今頃一旦の解決を迎えた涼香ちゃんが裕太に向けて想いを伝えているかもしれない。仮にそうなると、裕太は美琴さん、絢香さん。そして涼香ちゃんから告白されたことになり。見事3人から想いを告げられ、その全部に保留をしている男ということになる。
我が幼馴染ながら、末恐ろしいやつである。
「というか、それを言うなら美琴さんもじゃないですか?」
「……まあ、それはそうなんだけどね。私の方は、彼から言われちゃってるから。全員とキチンと向き合ってから答えを出します、と」
だからこそ、いっそのこときっちり彼女の感情と向き合ってこい、と。美琴さんが涼香ちゃんの背中を押していたのはそういう事情だったらしい。
「って、それよりも今は茉莉ちゃんだよ。……茉莉ちゃんだって、好きなんでしょう? 裕太くんのこと」
「…………ええ」
「それなのに、どうして後押ししたのかなって」
美琴さんは、今回の件に関していちおうは裕太から言われての動きではある。だがしかし、私はほぼ自分から動いていた。
彼の動こうとしていたことに乗っかったのも自分から。
涼香ちゃんが裕太のことを想っているということを自覚しながらも。自分の動きがそれを花開かせてしまうとわかっていながらも、自分から、動いた。
だからこそ、美琴さんは私の動きを不審に思っている。
「私は、ただ、裕太が幸せになってくれるならそれでいいかなって」
「……茉莉ちゃんは、それで後悔はないの?」
スッと目を細め、怪訝な様子で私にそう投げかけてくる。
そんな美琴さんに、私はコクリと頷きを返す。
「たしかに私は裕太のことが好きです。……でも、私がそれを成就させて幸せになるよりも、裕太が自分の幸せを見つけて、彼自身が幸せになってくれる方が、よっぽどいいかなって」
「……裕太くんの見つける幸せが自分だっていう可能性は考えないの?」
美琴さんは、どこか悲しそうな表情でそう尋ねてくる。彼女の感情の起因は、おそらく私の言葉から一種の諦めに近いものを感じ取ったからだろう。
私は、裕太と結ばれることを半ば諦めている。
「私は、裕太のことを知ってしまっています。だからこそ、私が裕太のことを思う限り、彼のことを縛り付けてしまう。私がいる限り、裕太は自由になれない」
彼を安全な方向へ、問題のない方向へと誘い続けるという自覚がある。今までがそうだったし、これからもきっとそうだろう。
だからこそ、私の元では裕太は真の意味で自由になることはないと、そう確信している。……自分で言っていて悲しい話だが。
「茉莉ちゃん……」
「だからこそ、私にとっては絢香ちゃんでも、美琴さんでも。……正直、どちらでもいいんです。裕太を幸せにしてくれるのなら」
そしてそれは涼香ちゃんについても同じで。たしかに彼女はどちらかというとたくさんの問題ごとを引き込んで引っさげてとしてくるタチの人間だが、しかし、それ故に涼香ちゃんと一緒であればある意味で退屈はしないだろう。
もしも裕太がそれを望むというのであれば、それもひとつの形の幸せなのだろう、と。そう思える。
「…………」
なんともいたたまれない空気感になり、美琴さんが黙りこくってしまう。
話の内容の都合、どうしてもこうなってしまうのは仕方がないのだが。しかし、この空気感はどうにも耐えがたい。
「えっと、直樹、ちょっと遅いですね。……周辺、見てきます」
ついにその場に居づらくなり、私はそう理由をつけて手芸部の部室から出る。
直前、なにか美琴さんが言おうとしていたようにも見えたが。しかし、私の耳には届かなかった。
廊下に出て、しばらく歩いて。困る。
「……さて、どうしたものか」
美琴さんとのふたりきりの空気から逃げるようにして廊下に出てきてしまった都合、なにもやることがない。
直樹が遅いから周辺を見てくるとそう言ったものの、しかし、どうせまだ部活の方の片付けが終わっていないとかそういう理由だろう。
裕太から聞いた話では雨森さんを人質に取られているため、約束を知らんぷりして逃げ出すなんてことはない、はず。
「そういえば、屋上で話してるんだっけ」
たしか、美琴さんがそんなことを言っていたはずだ。
村岡先生が珍しく仕事をしていたらしく、裕太の頼みに応じて旧校舎屋上の鍵を貸してくれたのだという。
その程度で「珍しく仕事をして」と言われる村岡先生に、普段じゃあどれだけなにもしていないんだと思わなくもないが、しかし、立ち入り禁止の屋上の鍵を貸し出してくれたというのは相当なことだろう。
理由もきちんと聞かずにそれをしてくれたのだから、そういう意味ではすごい人なのかもしれない。……あるいはそれすらも面倒くさがったか。
「ちょっと、様子を見に行ってみようかな」
それは、本当にただの、純粋な好奇心から来たものだった。
裕太のことや、絢香ちゃん、涼香ちゃんを信頼していないわけではない。むしろ、信用しているからこそ、どうなったかの結果が気になって。
ついでに言えば、涼香ちゃんが告白したのかというような、そんなことに興味を示しているというただの野次馬根性のようなものでもあった。
屋上へと続く階段を、足音を立てないようにそっと昇る。万が一に私が近づいていることに気づかれて彼女たちの話し合いに水を差すようなことのないように。
屋上と校舎内とを仕切っている鉄扉の前までやってくる。さすがに分厚さがあり、なおかつ彼らは屋上の真ん中あたりで話していることもあってか、なかなか話は聞こえづらい。
壁に耳をくっつけて、可能な限りの話を組みとろうとする。
聞き取りにくいところがないわけではないが、なんとか話を拾い上げることはできる。
「――、――――」
丁度、涼香ちゃんが裕太に対して自分の想いを告げ、なおかつ、絢香ちゃんに向けて宣戦布告をしているところだった。
なんというか、一番面白いところでやってきたような気がする。……とはいえ、この話の流れになっているということは、当初の目的は問題なく達成ができたのだろう。安堵に胸を撫で下ろす。
裕太の間の抜けた声が微かに聞こえ、それに対してのふたりからのツッコミが入る。まあ、想いに当の本人だけが気づいていなかったのだから、そうなるのもわからないでもない。
そのまましばらく聞き続けて。涼香ちゃんからの裕太への感情が綴られていくだけかなと思い、耳を離して離脱しようかとした、そのとき。
話の流れが、変わった。
絢香ちゃんが、裕太に対して回答を差し控えていたことがあるとのことだった。
そして、それを涼香ちゃんに言ってもいいんじゃないか、と。
「…………」
はたして、このまま聞き続けていていいのだろうか。
絢香ちゃんが裕太にさえも言うのを躊躇っていたような内容を、こんな盗み聞きのような形で聞いてしまっていいのかと。
しかし、そんな私の優柔不断にキッパリと決断を決めさせたのは、涼香ちゃんのとある単語。校外レクのときみたいに、というその言葉。
「やっぱり、なにもなかったなんて、そんなわけないじゃない……」
校外レクで、あからさまになにかありましたというような様相を見せておきながら、頑としてなにもなかったと言う裕太たちに。
もちろんそれを「はいそうですか」と素直に受け取っていたわけではないけれども。
やはりか、という感情が湧いてくる。
そして、私の興味がすっかりそちらへと向いてしまう。校外レクで、なにがあったのか、というそのことに。
そうして私は彼ら彼女らの話に、ひたすらに耳を傾けることにした。
その決断に、後悔を覚えることになるとも知らずに。
「……なに、それ」
彼女の告げた内容。時折出てきた被虐というものの具体的な内容がわかりはしなかったが、しかしながら話の流れからしてある程度の想像はつく。
絢香ちゃんが、そんなものを抱えていただなんて。そんなこと、知りもしなかった。……もちろん、知ろうともしていなかったわけなんだけれども。
そして、裕太は過去に彼女のソレを乗り越えることができたのだという。ただひたすらに、隣にいる、というその手段に依って。
彼らしい、といえば彼らしいだろう。
そうして、それをできる人間が裕太以外にいない、ということも、併せて伝えられていた。
「…………」
複雑な想いに、思わず目を伏せる。
私は、裕太についてよく知っている。伊達に幼馴染を10年以上やってはいない。
だからこそ、わかる。裕太と絢香ちゃんは、尋常じゃないレベルでお互いにお互いを求め合うことができる。
お互いを必要とすることが、相手にとっても必要になる。それほどまでに、合致した関係だ。
仮にそうなのであれば、これほどまでにお似合いの関係は無いだろう。
「でも、だけれども」
私は、裕太についてよく知っている。知りすぎている。
込み上げてくる吐き気を堪えながら。足音を立てないようにその場を立ち去る。
この感情の名前を知りたくはない。気づきたくはない。
嫉妬なんていう、そんな生半可なものじゃあない。ソレを抱えてしまう自分に嫌気が差すような、そんなシロモノ。
トイレに駆け込んで、心を落ち着かせて。ゆっくりと、しかしハッキリと頭を回す。
自分のするべきことを、確認する。
「……絢香ちゃんが、どっちなのかを、確かめないといけない」
あの瞬間、浮かんだ。もしかしたらという可能性。
しかし、それが仮にもしかするのであれば、私は全力で彼女の邪魔をしなければいけなくなる。
美琴さんには裕太が誰と付き合おうが構わないとそう伝えたが。絢香ちゃんだけは、赦してはいけなくなる。
ただの私の勘違いであってくれ、考え過ぎであってくれ、と。そう願う一方で、ふつふつと感情が熱を持ち、湧き上がってくる。
もし、この感情に近いものを挙げるとするならば。
きっとそれは、殺意だろう。