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#72 茜差す屋上にて

 絢香さんと一度別れた後、手芸部の部室に荷物を置いてから合流する。


「……あの、裕太さん。結局、どこへ行くんですか?」


「まあ、とりあえずついてきてくれ」


 旧校舎棟の階段を登り、普段は絶対に訪れない場所へとやってくる。

 登り切った先には、踊り場と大差ない、ほんの少しのスペースと。そして、鉄製の扉。

 どうしてこんなところに? と、困惑している絢香さんをよそに、俺は持っていた鍵を錠前に差し込む。


 カチャリ、と。鍵が開く。

 まさか開くと思っていなかったのだろう。絢香さんが驚いた声をあげる。


「それじゃあ、入ろうか。……いや、出ようか」


 ドアノブをひねり、グッと押し開ける。ほんの少しの風が吹き込み、遠くの西日が少し眩しい。


「屋上……って、立ち入り禁止じゃありませんでした?」


「そうだよ」


「えっ、じゃあなんで鍵を――」


「借りてきた」


 村岡先生に無理を言って借りてもらった鍵。それこそが、屋上の鍵だった。

 立ち入り禁止なだけはあり、特段これといって物はなく。殺風景なコンクリートに、落下防止の鉄柵と水道用のタンクだけが設置されている。


「あの、どうして屋上を?」


「他の生徒が絶対に訪れない場所を借りたくてね。となると、ここがいいだろうと」


 本校舎も旧校舎と屋上は立ち入りが禁止されている。ただでさえ人の訪れない旧校舎で後夜祭中ともなれば、人が来ることはまず無いだろう。

 その上、未使用の教室では万が一にふらりと訪れた生徒が話を耳に挟む可能性がゼロではない。だが、屋上であれば意図して訪れなければ、話が聞こえることはない。


「まあ、そういう都合で腹を割って話をするには、ちょうどいい場のセッティングなんじゃないかなって」


「……ふぇっ!? も、もしかしてここで!?」


 絢香さんは顔を真っ赤にして、目を回す。


「あの、もちろん覚悟はいつでもできてますけど。たしかに文化祭のあとですし、そういうのがあっても不思議じゃないですけど――」


「そういうわけだから、入ってきなよ。涼香ちゃん」


「…………えっ?」


 俺のその言葉に、先程まで慌てに慌てていた絢香さんが正気に戻り。同時、先程俺たちが入ってきた扉がガチャリと開かれる。

 色素の薄い髪の毛をふわりと揺らしながら、ちょこちょこと小動物のような足取りで彼女が入ってくる。


「たしかに文化祭までは待ってと言ったけど。まさか文化祭当日だとは思わなかった」


「鍵を借りる口実として、一番よかったからな」


「あの、裕太さん。ご用事ってのは、もしかして」


「絢香さんと、涼香ちゃん。ふたりが、話し合う場だ」


 俺がそう告げると、ふたりの間の空気がピシャリと凍りつく。

 その張り詰め具合に一瞬たじろぎかけるが、しかし、俺はこの話し合いを見届ける義務がある。


 屋上の扉が閉じられ、絢香さんと涼香ちゃんがゆっくりと近づく。

 お互いにお互いの顔を見つめ合いながら。なにか言いたげにしつつも、しかし、どちらも言葉を切りだそうとしない。


 しばらくの間のお見合いが続いたのち、先に口を開いたのはこの場の正体を知っていた涼香ちゃんの方だった。


「その、えと。……いろいろと、謝らないといけないことがある」


「そっ、それなら私の方だって」


「それは違――ううん、違わない、のかな。……今までは、それは違うって決めきって、話し合わなかった」


 涼香ちゃんは、今まで絢香さんのことを絶対視するあまり、ふたりの間に問題が起こったとき、対等な会話をする前に自分が悪いと決めきって話し合わなかった。

 絢香さんは、涼香ちゃんに対して全幅の信頼を置きすぎるがあまり、彼女に離れられることを恐れ、涼香ちゃんに対して深く踏み込むことをしなかった。


 お互いがお互いを思うが故に、お互いを避けてしまい。ここまで歪み、軋み。それなのに、いいや、それだからこそちぐはぐに噛み合ってしまった。


「お姉ちゃんが、私を心配する気持ち。やっと、わかった。……自分のせいで家族が傷つくかもしれない。それが、どれほど苦しいかを、わかってなかった」


「私も、涼香の想いを考えようとしなかった。気づこうとしなかった。……もしかしたら気づいていたのかもしれないけど、それを見ないようにしていた」


 だからこそ、一度全てを取り払う。ふたりの間にある関係性を抜きにして、正面からぶつかり合って。そして、もう一度歯車を並べ直す。


「裕太さんと、美琴さんに教えてもらった今ならわかる。……お姉ちゃんのことを大切に思うなら、だからこそ、絶対視するのではなく対等な関係でいなければいけないって」


 そう言って、涼香ちゃんは凛と立つ。その表情に不安や恐怖がないといえば嘘にはなるが、しかし、夕日に照らされたその横顔は、たしかにしっかりしており、頼もしく見える。


「だから、姉だから、妹だから、ではなく。新井 絢香と新井 涼香として、やり直したい」


 真っ直ぐな涼香ちゃんのその言葉に、絢香さんも真っ直ぐな視線で応える。


「……ねぇ、涼香。私ね、ものすごく悩んでいたことがひとつあるの」


 今にしてみれば、そのことについてもっと早くから相談すべきだったかもしれない。と、彼女はそう付け加えてから、話を続ける。


「涼香が、自分自身の気持ちを押し殺しながら私に協力してくれてたんじゃないかなって」


「…………否定はしない」


 そっぽを向きながら答える涼香ちゃんに、やっぱりそうだよね、と。絢香さんが視線を小さく落とす。


「私は随分と遅くなってから、涼香の想いに気づいた。……いいえ、本当は多分、全く気づいていなかったわけじゃなくて」


 ただ、彼女は涼香ちゃんと対立したくない、彼女を喪いたくない、というエゴから。無意識的にソレから目をそらしていた。


「だからこそ、気づいたときには私自身の醜さや弱さにやるせなさを感じた。それでもなお、どこか涼香を頼ろうとしていた自分に嫌気が差した」


 自らの罪を吐露するようにして、絢香さんはそう言葉を並べていく。

 そっと伏せられた瞳からは、彼女の悔しさが見て取れる。


 そんな彼女に、声をかけたのは涼香ちゃんだった。


「お姉ちゃんも、悪かった。でも、それと同時に、私も、悪かった」


 ――そう。今回の絢香さんと涼香ちゃんの間にある軋轢は、どちらか一方のみの起因ではない。

 示し合わせず、自分の判断のみで引っ張った結果、真逆に引っ張り合ってしまったのだ。

 絢香さんも涼香ちゃんも、素が優秀なだけにその引っ張り合いが強かった。その結果の大事故だった。


「だからこその、この話し合い。……お互いの考えと、想いの擦り合わせ。お互いに良くなかったところを、謝り合う」


 ふたりとも、それらの過ちが相手を貶めようとした結果のものではなく、むしろ相手のことを思ってのものだとわかっている。

 謝り、許し。そして、その上でやり直す。


「……たくさん、あるよ? 私のよくなかったところ」


「上等。私だって、たくさんある」


 絢香さんが冗談っぽくそう言うと、涼香ちゃんはフッと笑ってそう返す。

 ……なんだかんだでやはりこのふたりはとても仲がいいのだ。互いに想い合っていて、ただ、今回はすれ違ってしまっただけで。


 そして、今回こうして話し合うことができたのだから。きっと、よりふたりの関係は良くなるだろう。と、そう信じて。

 俺はふたりの謝罪合戦を見守った。






 どれくらい経っただろうか。

 陽もかなり傾いてきて。絢香さんと涼香ちゃんはというと、やりきった、という様相で屋上に座り込んでいた。

 その瞳には涙が浮かんでいるが、おそらくは嬉し涙だろう。あるいは、笑いすぎただけかもしれない。

 なにせ、ふたりの表情は爽やかなほどに笑い合っていたから。


「……まあ、そうは言っても。今すぐに切り替える、というのはちょっと難しいけど」


 やや肩で息をしながら、涼香ちゃんはそう言った。


「今まで、お姉ちゃんのことを第一に考えてきた。それを今すぐ変えろと言われて変えるのは、ちょっと難しい。……たぶん、お姉ちゃんも一緒」


 涼香ちゃんにそう言われ、視線を向けられた絢香さんも。少し困り顔で答える。


「ええ。それは。……私だって今まで涼香に信頼を置いて生きてきたのを今すぐ変えるなんて、流石に無茶だとは思ってる」


「ん。それはそう。だけど、大切なのは意識を変えること。少しずつでいいから。……だよね? 裕太さん」


 まさかこっちに振られると思っておらず「……俺?」と、素っ頓狂な声を出してしまう。


「美琴さんも、村岡先生も、驚いてた。裕太さんが、他人を頼るようになったって」


「……たしかに、そんなことを言われたな」


「裕太さんだって、それを言われてすぐには実践できてなかった。でも、意識することで、少しずつ、できるようになってきてる」


「それはそうだが。……待って、涼香ちゃん。なんで君がそれを知ってるんだ?」


「……気のせい。あるいは黙秘する」


 それは実質自供なんだよ。

 とはいえ、あのときの会話は俺と真一さんしか知らないはず。俺は当然話してないし、真一さんもみだりに話すとは思えない。

 じゃあ、なんで知っているんだ? と、そんなことを考えていると。俺の様子が面白かったのか、彼女は小さく笑ってから。


「実際は、お父さんの言葉尻からなんとなく察しただけ。たぶん、なにか言ったんだろうな、と」


 そういえば、頼るように言われた直後に無理をして倒れたんだったな。たしかに、そのときに真一さんがなにかしら呟いていても不思議ではないか。


「とにかく。すぐには変われないだろうけど、変わろうと思うその意識が大事。たぶん」


「……そうね」


 涼香ちゃんのその言葉に、絢香さんは同意する。

 柔らかなその笑みに、時間が緩やかに流れていくように感ぜられて。遠くから聞こえてくる喧騒も、だんだんと遠ざかっていくようだった。


「そういえば。これは確かにしておきたいんだけど」


 しばらくの静寂のあと、それを破ったのは絢香さんだった。


「涼香にとって、今回の話し合いの目的は、もうひとつ目的があるわよね?」


 ハッキリと言い放つその言葉に、俺は首を傾げた。

 しかし、俺の疑問はさておき、涼香ちゃんの反応は、コクリと首肯。どうやら、これが把握していなかっただけで、もうひとつなにか意味があったらしい。

 たしかに、俺は彼女から話し合いのための場を用意してほしい、としか言われていない。


「宣戦布告、よね?」


「……そう。姉妹でもあるけれど、対等な立場なのだから。これを言っておかないと、不公平だし、卑怯」


「うん。わかった。……裕太さんも、聞いてあげてもらえますか?」


「……えっ? えっと、はい」


 なぜ、俺なのか。その理由はあまりわかっていなかったが、しかし、もとより彼女らの話を見届けるつもりで来ているので、それについては問題ない。

 やけに神妙な空気感になった中で、絢香さんと並んで涼香ちゃんの言葉を待つ。


「お姉ちゃんに幸せになって欲しい、って気持ちは今でも変わらずある。それくらい、私はお姉ちゃんが好き」


 それはまるで独白のようで。


「そして、その感情と私の想いは共存しないって、そう思ってた。……でも、美琴さんに言われて、考えが変わった」


 とうとうと連ねられる彼女の言葉には、確固たる決意が感じられた。


「正々堂々とぶつかり合った結果なら、きっとどちらに転んでも、納得ができるって、そう思える。だから、私は自分の想いを諦めたくない。そう思った」


 きっと、悩みに悩んだ末に導き出した答えなのだろう。


「繋いだその手を、離したくないって。そう思った」


 彼女のつぶらな瞳が、たしかな力を持って俺と絢香さんのことを見つめて。


「だからこそ、私はお姉ちゃんに、宣戦布告する。そして、裕太さんに宣言する。私は、お姉ちゃんのことが好きなのと同じくらい。……ううん、それ以上に。裕太さんのことが好き。たとえ、お姉ちゃんだろうと美琴さんだろうと、負けたくない」


 そう、ハッキリと彼女は告げた。

 たしかに、そう言った。好き、と。


 まさしく宣戦布告であり、そして宣言。


 しかし、全くの想定外、不意打ちのようなその言葉に。


「……マジで?」


 俺は情けなくも、腑抜けた反応をしてしまった。

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