#66 かわいくなる魔法
「……話し合い」
「そう、話し合いだよ」
どうやら、私の言葉は伝わってくれたようで、涼香ちゃんの中で考えがぐるぐると巡っている様子だった。
「でも、なにを伝えれば」
「それは、私からではわからないかな。でも、ただひとつだけ言えることとするなら、涼香ちゃんが裕太くんのことを好きなことは、しっかりと伝えるほうがいいかな」
私がそう伝えると、彼女は少し縮こまり、目を伏せる。
「……やっぱり、必要?」
「そうだね」
どうやら、やはり涼香ちゃんの中ではこの気持ちが後ろめたいという気持ちが大きいようで、それがまだ拭いされていない様子だった。
……これに関しては、そう簡単な問題ではないのだろう。けれど、それと同時に、絢香ちゃんと涼香ちゃんが乗り越えなければいけない課題でもある。
「お姉ちゃんは、私の気持ちに、たぶん気づいてる。気づいちゃってる。なら、言わなくても――」
「それは違うよ。絢香ちゃんが気づいているからこそ、むしろ、ちゃんと伝えないといけないの」
お互いが、お互いの気持ちに気づいているからこそ。そして、絢香ちゃんは涼香ちゃんを、涼香ちゃんは絢香ちゃんを大切に思っているからこそ。直接的な行動とは限らずとも、先程の喩え話のようにお互いを想って譲り合おうとしてしまう。
その先にあるのは、不本意に譲られた勝ちと、自己満足でしかない負け。あるいは、共倒れだ。
「だからこそ、しっかりと伝えないと」
「…………」
涼香ちゃんは、なにも言わない。じっとその場で考え込み、イスの上で三角座りをする。
そんな彼女の頭を優しく撫でながら。「大丈夫、大丈夫だよ」と。
「……根拠もない大丈夫。とても、無責任」
「あはは、まさしくそのとおり。なにも言い返せないね」
私の伝えたその言葉は、彼女に安心してほしいのその一心で語りかけたものだ。当然ながら、そう主張できる理由など、ない。
けれど、どうしてだろうか。裕太くんが絡んでいるからだろうか。きっと、なんとかなるのだろうという漠然とした確信があるというのも事実だった。
「不安は残ってる。だけど、信じる。信じてみる」
「……うん、うん」
「お姉ちゃんと、話してみる」
少しずつ、涼香ちゃんがゆっくりと顔を上げる。
「でも、なにを伝えればいいかわからない。どうすればいいかもわからない。だから……手伝ってほしい」
「もちろん。私にできることなら!」
「……ちょっと、頼りないけど」
「涼香ちゃん!?」
自分から頼っておきながらそれはないんじゃないかな!? ……まあ、実際問題として今現在彼女を安心させることができない私では、涼香ちゃんからそう思われてしまうのも仕方ないのかもしれないけど。
「さて。それじゃあ気持ちの整理がついたら、帰ろっか」
窓の外を見てみれば、崩れかかっていた天気も持ち直してきたようで、厚い雲に、ほんの少しの切れ目が入ろうとしていた。
「その前に、ひとつだけ質問」
「おっ、なにかな? おねーさんわかることならなんでも答えちゃうぞ?」
「それは、助かる。美琴さんなら、絶対にわかること」
そんなにも頼られちゃったら、ちょっと照れる。普段あんまり頼ってもらえないから、なおのこと。
ウキウキしながら涼香ちゃんに向き合うと、どうしてか彼女は少しだけ悪い顔をしていて。……もしかしたら、選択肢を間違えたのかもしれない。
「美琴さんが今日私を引き止めたのは、裕太さんの差し金?」
「…………えっ、と」
「なんでも、答えてくれるって」
あー、これは。ダメなやつだ。完全にバレちゃってる。
ごめんね? 裕太くん。バレないようにってのは無理だったみたい。
でも、たぶん大丈夫だから。うん。安心して、ね? ……根拠はないけど。
美琴さんに涼香ちゃんを任せてた日に、彼女から「ごめんね!」というメッセージが届いたときは失敗をしたのかとそう思ったが。どうやら、そういうことではないらしかった。
その日の夜、夕食後。涼香ちゃんにクイクイと服の袖を引っ張られ、そのまま彼女についていく。
そして、廊下。
「……お姉ちゃんと、話し合いがしたい。でも、まだなにを話せばいいかが、纏まってない」
そう告げる涼香ちゃんの様子は、美琴さんの説得の成功をそのまま意味していた。
「だから、もう少しだけ時間が欲しい。文化祭が終わるくらいまでには、整理もつける。……それに、文化祭までには、別にやることもあるから、ちょっと手が離せない」
「そうか、わかった。俺がなにかやるべきことはあるか?」
「……私からだと、お姉ちゃんに話し合いを持ちかけられない。お姉ちゃんからも、私に拒まれた前例があるから、無理。だから、場を作って欲しい」
その申し出に、俺が了解したと言おうとしたとき、付け加えるようにして、もうひとつ。
「そして、できれば話し合いに立ち会ってほしい」
「……いいのか? 姉妹の話し合いに俺が入って」
「うん、大丈夫。むしろいてくれたほうが、私もお姉ちゃんも話しやすい、と思う」
たしかに、今の絢香さんと涼香ちゃんが向かい合ってもそのまま顔を向けあったままなにも言葉を発さず、気まずくなるだけ、というケースも想定される。
それを考慮すれば、今回の件を知っており、なおかつ絢香さんの事情をある程度知っている俺が適役というわけか。
そういうわけなら、喜んで引き受けよう。
そして、それからは涼香ちゃんのサポートは美琴さんに任せつつ、俺と茉莉は絢香さんに付きながら、涼香ちゃんが動こうとしてくれていることについては、ハッキリとは伝えないまでも、覚悟を決めてもらうためにも、なんとなくに雰囲気だけは伝えていった。
そして、盤面が大きく動くことはなく、文化祭当日。
その朝、俺は部室にて。
「はーい、まだだからねー! もうちょっとだけじっとしててね!」
「…………」
「ねえ、茉莉ちゃん。どの色がいいと思う?」
「うーん、このグロスで薄ーく色を乗せるくらいでいいんじゃないですかね?」
「あ、やっぱりそう思う? じゃあそうしよう」
「女の私からしても少々憎たらしいことですが、裕太は素体がいいのでナチュラルな感じで問題ないかと。やや日焼け気味なところはあるので、そこを隠すのは必要ですが」
「……あのー」
「こら、裕太くん。今からグロスを塗るから、喋って口を動かさないの!」
いきなり部室に呼ばれたかと思えば、茉莉まで一緒についてきて。
そして扉を開けた瞬間、茉莉に羽交い締めにされ、イスまで強制的に連れて行かれ。
「それじゃ、魔法をかけてあげるから。いいって言うまで目を開けちゃだめだよ?」
と言う美琴さんに、現在魔法をかけられて、もとい、化粧を施されていた。
……別に言われたら逃げはしない、と思うんだが、羽交い締めまでされて強制連行した意味はあったのか?
「……うん! こんなものかな!」
「ええ、いいと思いますよ。あとは諸々を付けてもらえれば問題ないかと」
いろいろと物申したいことはありはするのだが、兎にも角にも化粧が仕上がったらしい。
少し振りに目を開くとすぐ前にキラキラとした視線でこちらを見つめている美琴さんと、興味深そうに覗き込んでくる茉莉の顔。
「……あの、どうなったかを見たいから鏡を貸してもらえません?」
「ダメ! せっかくなら全部完成してから見てほしいから」
そう言って鏡の代わりに美琴さんが差し出してきたのは紙袋。中身を見てみれば、白と黒の布――おそらくは、メイド服がそこに入っていた。
……うん、やっぱり着なきゃだよなあ。そういう約束ではあったし、なによりせっかく作ってもらったのを無碍にするのもアレだし。
「ということで、そっちで着替えてきてね!」
そのまま窓なんかに写った自分の姿を見せないように、さっさと準備室へと押し込まれてしまった。
「……女装をしたことがないわけじゃないが、こうして高校生にもなってから改めてやるのなると、ちょっと覚悟がいるよなあ」
しかし、よくよく考えてみれば茉莉や美琴さんがメイド服を着よう、と。そう思ったときも同じような気持ちだったのだろうか。……なんなら、絢香さんや涼香ちゃんも。
「着替えるか」
ゆっくりと紙袋からその布を取り出すと、予想通りというべきか。やはり、メイド服だった。
作りとしても、さすがは美琴さんが作ったものというだけあり、かなりよくできている。
身体に通してみるが、サイズについても問題ない。強いて言うならば上半身の部分に謎のゆとりがあるが。
「待て。メイド服の下に入っていたが。……まさか、これをつけろと?」
紙袋にはメイド服の他にもホワイトプリムであるとか、サテン地の手袋であるとかの小物も一緒に入っており。そして、併せて、少々触るのが憚られるものも入っていた。
「いや、まさかな。……だが、このゆとり。そういうことなのか?」
訝しげに思いながらも、それを着けてみると。……嫌なことに、サイズがぴったり。服の方も、不可思議なゆとりが解消された。
ということは、これで合っている、ということなのだろうが。
「……複雑だ」
「裕太くーん! 着れた?」
扉越しに、美琴さんのそんな言葉が飛んできて。同時、ガチャリとドアが開く。
「わあああっ! なんで返事するより先に開けてるんですか!? 着替え終わってなかったらどうするつもりだったんですか!」
「まあまあ、着替え終わってたんだし問題無し!」
「そういう問題じゃない!」
突撃してきた美琴さんにそう文句を言っていると、彼女は俺の姿を下から上までマジマジと見つめてきて。うんうんと頷いていた。
「ちゃんとつけてくれたんだね! つけちち!」
「変な言い方しないでくださいよ」
「えー、他にどんな言い方があるっていうのよ?」
パットとか偽乳とかなんなり、もう少しマシな言い方あっただろうに。
そう。紙袋の奥底に入っていたのは、本来は胸の大きさをごまかすための。そして今は、無いものを有るように見せるための、パット入りのブラジャーだった。
それも、本来ならばあることが想定されている商品なため、そもそもが無い俺のためにパットが増量されている特製品。
「さて、最後にこれ、かな!」
美琴さんにはそう言いながら俺に近づいてきて。いったんホワイトプリムを取り外すと、頭になにかをつけて。そして、ホワイトプリムをつけ直す。
「うん、完ッ璧! すっごくかわいいよ!」
「うわあ、ホントに女の子にしか見えない。すごいわね……」
ぴょこっとこちらの様子を覗き込みに来た茉莉が、若干引いた様子でそう呟く。……もうこの際この姿については受け入れるから、引くのはやめてくれ。心に来る。
「ほら、おいで! こっちに姿見を用意してるから!」
美琴さんに手を引かれるままに、そのまま準備室から連れ出され、姿見の前へと。
「うおっ……」
思わず、言葉を無くした。
使い古された表現かもしれないが、これが俺? と、本当にそう思ってしまった。
「ふっふーん! いやあ、かわいいでしょうかわいいでしょう!」
自信満々にそういう美琴さんだが、これが事実だからとても悔しい。
全体としてはクラシカルなメイド服。……とは言っても、主には日本でイメージされるメイドがベースではあるため、本来のそれとは少し趣向が違うが。
しかし、長袖、足首ほどまで伸びたスカートの裾。そしてしっかりと首元まで詰められているボタン。それらはピッシリとした印象を与え、清楚さを感じさせる。
その印象に合わせるため、ウィッグは黒色で長さは肩より少し長い程度。首元でひとつくくりにしている。
「どうしても男の子の体つきを隠す、となると可能な限り袖とか裾とかは長く取るほうがいいし、胸のパットを隠すためにも胸元はしっかりと閉じなきゃだったから、結果的にこういう感じになったの」
それでいながら、美琴さんのものらしく、フリルやリボンなどが各所にあしらわれていて。綺麗さに加えてかわいさも兼ね備えている。
本当に男なのかと目を疑うほどに、かわいらしい。
「ふふん! この学校にミスコンがないことが悔やまれるね! これならきっと優勝間違いなしだよ!」
ふふん、と。美琴さんがそう鼻を鳴らす。……いやまあ、たしかにかわいいのは事実だけどさ。
仮にあっても出ないぞ、そんなもの。そもそも俺、男だからな?