#65 好きなんでしょう?
準備室から出て、絢香さんたちの元に戻る。
案の定、ではあったが。部室で待っていた彼女らは特に会話をしていたわけでもなく、なんとも言い難い微妙な空気が流れていた。
「ごめんねー! ちょっと時間がかかっちゃった!」
そんな空気をものともせず、なんなら一気に吹き飛ばさんとする勢いで美琴さんは明るくそう言い放った。
美琴さん曰く、涼香ちゃんは彼女が適当な口実で引き止めてくれるらしいので、絢香さんだけ一緒に連れて帰ってくれればそれでいい、とのことだった。
俺は自分のカバンのところに行き、出していた荷物を仲に戻す。
「それじゃ、とりあえずやることはやったので、俺は帰りますね。材料も家にあるので、どのみち帰らないと作業できませんし」
本当は、部室でも作業をするつもりだったので多少なら今のカバンの中に入っているのでできなくはないのだが、美琴さんと涼香ちゃんとをふたりきりにするため、ここはサラリと嘘を伝えておく。
まあ、俺のカバンの中身を知っているわけでもないし、嘘だとわかるはずもないので、この嘘が不審に思われることはないだろう。
「それじゃあ、私も一緒に」
「……私も」
「えーっ! みんな裕太くんと一緒に帰っちゃうの!?」
美琴さんが子供みたいに、わかりやすく嫌そうな表情をしながらそう告げてくる。
……涼香ちゃんを引き止めるための演技としてやってくれているんだろうけど。悪いがいつもどおりの美琴さんにしか見えない。
「ねえ涼香ちゃん。ちょうど今、裕太くんのメイド服について考えてるんだけどさ。一緒にデザイン考えてくれない? 帰りは、送ってってあげるからさ!」
パチンッ、と両の手を合わせて、美琴さんは涼香ちゃんにそう聞く。
その様子に、彼女は少し戸惑いながらも俺や絢香さんがいる方向を見る。
応じていいのか、という許可取りだろう。特に俺に対して、で。
俺としては、元よりこの行動の理由が彼女たちをふたりきりにすることなので問題は無し。もちろん、口に出してはそう言わないが。
「いいですよ。私にできることなら、ということにはなりますが」
「ありがとー!」
「……私としても、裕太さんのメイド服にあれやこれやちょっかいをかけられるのはありがたい話ですし」
なんというか、いろいろと選択肢を見誤った気がしなくもない。……いや、これで合ってる、大丈夫なはず、だ。
「それじゃ、お先に失礼しますね」
「うん! また明日……じゃないね、またあとで!」
美琴さんと涼香ちゃんに見送られながら、そのまま絢香さんと揃って部室から出る。
「そういえば、涼香のことを美琴さんが送ってきてくださるんでしたら、美琴さんの分も夕食を用意したほうがいいんでしょうか?」
「……あー、どうだろう」
今回は、美琴さんの都合……というかたちで涼香ちゃんに残ってもらって、それで帰りが遅く、ひとりになるから美琴さんが送ってくれる、というものだ。だから、別に用意しなくても良いようにも感じるが。
「まあ、せっかくだし用意しておこうか。もし要らないようなら俺や茉莉が余った分を食べるし」
「わかりました。それなら5人分用意しますね」
そんなことを話しながら校舎の中を歩き、昇降口に。
「と、いうか。美琴さんも一緒に帰ればよかったのではないでしょうか? 今更にはなりますが」
部室にひとりで残されるのが嫌で、ついでに俺のメイド服について涼香ちゃんと相談したい。というだけであれば、たしかに部室でやる必要はなく、一緒に帰って、家でやればいい。たしかに、絢香さんの言うとおりかもしれない。――絢香さんの立場から見た場合は。
呼んできましょうか? と、絢香さんがそう聞いてくるので、俺はそれを止める。
絢香さんは今回の目的を知らないので、引き止める俺の様子を不思議に思い、首を傾げる。
「えっと、ほら。俺の家には美琴さんの部屋はないからリビングでやることになるだろ? だから、どうしても他の人の――特に俺の目や耳に話し合いが入る可能性がある。それを嫌ったんじゃないかな?」
美琴さんは、ずいぶんと俺のメイド服作成に気合が入っている様子で、どんなものにするつもりなのか、ということを一度聞いてみたことはあったものの、秘密と言われてはぐらかされてしまった。
そういう関係もあって、俺に対してサプライズにするため、秘密にしておくために部室で俺たちが抜けたあとに涼香ちゃんと一緒に考えようとしたんじゃないかな? と。そう伝える。
なるほど、と。絢香さんは納得してくれた様子で。ひとまず、口から出任せでこの場を凌げた様子で安心する。美琴さんにデザインについて聞いたりしたことは本当だが、それ以外についてはこの場で咄嗟に考えただけのものだ。
さすがに俺たちが抜けたあとすぐさま話の本題に入る、なんてことはないと思うが。なんらかの拍子に俺たちの動きが察知されてしまっては困る。
「さて。とりあえず帰ろうか」
「はい!」
靴を履いて、校舎から外に出る。
湿っぽい、暑い風が襲いかかってきて。もう既に屋内に引っ込んでいたくなるが、しかしこのまま居てもどうにもならない。
ふと、少し空をたしかめてみると、雨が降りそうな様子ではないものの、少しどんよりとした、重たい雲がゆっくりと流れていっていた。
「それじゃ、涼香ちゃん。裕太くんのメイド服、どんなのがいいかな?」
「ん。……個人的には、王道な感じがいいと思う。お姉ちゃんのメイド服よりも、もう少しクラシカルな感じで」
ふんふん、と。そう頷きながら、私は涼香ちゃんと一緒に裕太くんのメイド服についてのデザイン案を出していく。
「なんだかんだで雄太くんも結構しっかりと男の子の体つきしてるからねぇ。うまいことそのあたりをごまかせるようにしないと」
つい十数分ほど前、裕太くんの身体を採寸する際に触った彼の身体。そこそこ細身のように見える身体なのだが、その実最低限の筋肉はしっかりついていた。まあ、もちろんキチンと鍛えているような人たちに比べれば全然なのだろうけれど。
すこし、その時の感覚を思い出しながらにそんなことを考えていると、すぐ隣の涼香ちゃんが、ほんの少しだけ、モジモジとしていた。
「……ねぇ、涼香ちゃん。あなたも裕太くんのことが好きなの?」
「ふぇっ!? いっ、いったいなんのこと? 急にそんなこと言って!?」
あからさまに動揺した様子の涼香ちゃん。普段の彼女の様子はたいていいつも落ち着いているので、こうした様子の彼女は少し新鮮だ。
どうなの? と、私が追撃を仕掛けると、顔を赤らめたり、目をぐるぐるさせたり、口をアワアワさせたり、と。普段の彼女では到底考えられない様子をひと通り見せてから、コホンとひとつ切り替えて。
「……好きじゃ、ない」
と、したり顔でそう言った。
「いや、無理があるよ? 手鏡で見せてあげたかったほどにものすごーい顔をしてたよ?」
見る? と、カバンの中から手鏡を取り出して首を傾げる。涼香ちゃんはいりません、とそう言った。まあ、今見ても気まずそうな顔をした涼香ちゃんが写るだけなんだけど。
「で、好きなんだよね?」
「……想像に、任せる」
「だからもう隠すの無理があるって! 好きなんでしょ!」
そうは言うが、これがなかなか涼香ちゃんが認めようとしない。バレているのはわかってるはずだし、そうでありながらも、こうして頑なに否定しようとしてくるってのは、ちょっと違和感。
「ちなみに、私は好きだよ。裕太くんのこと」
「それは、知ってる。私やお姉ちゃん。茉莉もいる前で宣言してたし」
「私は、自分の気持ちを押しとどめておくのが嫌で、あの場で宣言した。絢香ちゃんは私に負けたくないという気持ちが高まって、対抗するようにして同じく気持ちを伝えた」
茉莉ちゃんは、まだ動いていないけれども。……あの子はあの子でどうするつもりなんだろうか。私たちと同じく、裕太くんのことが好きなのはわかりきってるけど。
「それで、涼香ちゃんは私や絢香ちゃんに負けたくない、とは思わないの? ……涼香ちゃんも、衣服争奪戦のライバルでしょ?」
「――っ!」
この言葉は涼香ちゃんにとってクリティカルだったようで、あからさまに彼女の表情、態度が変わった。
「わた、わたしは。私は……」
「うん。ゆっくりでいいよ」
「私は……裕太さんのことを、好きになっちゃいけないんです」
苦虫をかみ潰したような表情を浮かべる彼女に。裕太くんや茉莉ちゃんから聞いていたような、しかし、実際に触れてみるとその深刻さを強く確信するような、今の涼香ちゃんが抱えている問題というものを肌で感じる。
「お姉ちゃんが、裕太さんのことを好きだから。私が、好きになっちゃいけない。……裕太さんみたいな人、そうそういないから」
「まあ、そうだねえ。裕太くんみたいな人がそうそういないっていうのは同意見。だけど、それ以外のことについては、私は別な意見を持ってるかなあ」
目を丸める涼香ちゃん。ずいぶんと驚いている様子だった。
できる限り明るい声を作りながら、私は「あのね?」と、切り出す。
「私は、絢香ちゃんよりも先に裕太くんと出会ってて。いつ恋心に気づいたのか、という話をし始めると難しいけど、少なくとも絢香ちゃんよりかは先に好きになった、という自覚はある。でもね、もし絢香ちゃんと裕太くんが結ばれたとしても、私はふたりを祝福するよ」
これは、私よりもずっとずっと昔から裕太くんのことを知っている茉莉ちゃんについてもきっと同じだろう。彼女も、おそらくは祝福するはずだ。
「そして、もしも、万が一に涼香ちゃん。あなたと結ばれたとしても、同じく祝福する。……まあ、涼香ちゃんが自分の気持ちに正直になるなら、という前提条件はつくけどね」
「なっ、んで?」
「なんでって、そりゃ、正面から戦って、負けたんならしょうがないって思えるからね。……これは、茉莉ちゃんも同じだろうと思うし、なんなら」
絢香ちゃんも同じだと思うよ、と。私はそう伝える。
「だけど、それはさっきの前提条件で言ったように、涼香ちゃんが自分の気持ちと向き合えたなら。面と向かい合って、自分の気持ちを伝えられるのなら、という話だけど」
私がそう伝えると、彼女はなかなか複雑そうな表情を浮かべる。おそらくは、自分の気持ちの向ける方向を探しているのだろう。
「ま、そうは言っても負けるつもりはないけどね。だって、私。裕太くんのことが好きだし」
「っ!」
「じゃあ、もう1回聞くね。涼香ちゃん。裕太くんのこと、好きでしょ?」
「…………好き。私は、裕太さんが好き」
目を少し潤わせながら、顔を赤らめ、彼女はそう言った。全く、異性にこんな表情をさせるだなんて、とんでもない男の子だよ、裕太くん。
よく言えました、と。私は彼女の頭をそっと撫でる。
「でも、お姉ちゃんが……」
「ねえ、これは私の純粋な疑問なんだけど。涼香ちゃんは、どうしてそこまでして絢香ちゃんのことを優先するの?」
「それ、は」
私の質問に、涼香ちゃんは言葉を詰まらせる。……うん、ここが、おそらくは涼香ちゃんと絢香ちゃんの間にある、しこりの正体なのだろう。
ならば、ここをどうにかしてあげないといけない。
「ねえ、涼香ちゃん。ものすごく、ものすごーく単純に考えてみよ?」
そう言って、私はひとつ、喩え話をする。
もしも涼香ちゃんに妹ちゃんがいて、その子が涼香ちゃんに対して献身的にお手伝いしてくれてるとする。
そしてある日、その子と涼香ちゃんがとても楽しみにしていたプリンを買いに行って、けれど、プリンが1個だけしか残ってなかった。
そのとき、その妹ちゃんは涼香ちゃんに対して「お姉ちゃんが食べて」と、そう言ってくるの。
「それを、どう思う?」
「……一緒に、食べればいい」
「あっ、プリンを喩えにしたのはよくなかったね。それはごめん」
この喩えだと、裕太くんを涼香ちゃんと絢香ちゃんで共有しようという話になっちゃう。……もしそうするのなら、そこに私と茉莉ちゃんも混ぜてね、なんて。そんな冗談は控えておく。
「分けるのはなしなら、どうする?」
「えっと、妹が食べれば、いい。いつも、手伝ってくれてるし」
「……うん。そうだね。でも、そのときって涼香ちゃんももちろん食べたいわけだよね?」
コクリ、と。
「そして、妹ちゃんもプリンを食べたい。けれど、涼香ちゃんに食べて欲しい、とそう言ってる。ふたりとも、食べたいのに相手にあげようとしてて。……これじゃ、仮にどちらかが食べたとしても、食べた側も複雑だし、食べられなかった側も不憫。どっちも幸せにならない。そう思わない?」
そして、もしもこれを横から別の誰かにかっ攫われようものなら、もっと悲惨だ。
「さて。ここまで喩え話で話してきたけども。……これが、今起こってることだよ」
「……えっ?」
「もちろん、絢香ちゃんも譲りたくはないだろうから、無条件に涼香ちゃんに譲ろうだなんて、そんなことは思ってないとは思うけど」
涼香ちゃんの立場が、現実の絢香ちゃん。妹ちゃんの立場が、現実の涼香ちゃん。そして、プリンが、裕太くんだ。
あと、横からかっ攫いかねないのは、私と茉莉ちゃん。
「このまま、仮に絢香ちゃんと涼香ちゃん、そのどちらかが裕太くんと結ばれたとしても。誰も幸せにならないよ」
「そんなの……それじゃあ。それじゃあどうすれば」
その目には少しの涙が浮かんでいて。……どうやら、気持ちが溢れて、考えがまとまっていないらしい。
「……簡単だよ。さっきも言ったように、私は他の誰かと正面から戦って、負けて、その人が裕太くんと結ばれたのなら納得できるの」
だから、だからこそ。今のあなたたちに必要なのは。
「話し合いだよ。姉とか、妹とか。そんなものを全てかなぐり捨てて、ひとりの人間同士として、気持ちを伝え合うの」