#61 姉妹の共依存
「言い出しっぺは俺なのに、なんかすまないな」
「いえ、大丈夫ですよ。それよりも裕太さんはまだ休んでおいてください」
半分くらい私怨のつもりで直樹をその場に引き止めようとして、放った俺の発言の影響で、今晩の彼の夕食を作ることになったのだが。
しかし、さすがにここれは、と。絢香さんに引き止められてしまった。
直樹に不審がられないかと思ったが、どうやら今現在の彼の興味としては絢香さんの料理がどんなものなのかという方に意識が向いているようで、そのあたりは気にしていないようだった。
「しかし、このメンツを見ると。なんというか、雨森さんがいないのがちょっと悔やまれるな」
「ああ、そういえば雨森さんもいれば海に行ったときのメンツか」
「そうそう。……雨森さんもいれば、すごい喜んだろうになあ」
それは、たしかにそうかもしれない。なにより彼女は絢香さんのことがとてつもなく好きだから、そんな彼女の手料理を食べられる、ともなればそれはそれは喜ぶだろう。
「なんかそう考えると、俺が新井さんの料理食べるのが申し訳なくなってきたな」
「やめろよ。俺も食べるんだぞ。食べにくくなるだろ」
口が裂けても毎日のように食べているとは言えないが。
「はーい、それじゃあ直樹くーん!」
「げっ」
「げっ、とはなんだ。先輩に向かってげっ、とはなんだ」
ぴょこっと廊下から頭を出した美琴さんが直樹のことを呼び出す。どうやらさっきの一件があったからか、直樹にしては珍しく知り合いに対して警戒意識を持っているらしく。そんな彼の感情がわかりやすく表情に出ていた。
「とにかく、採寸したいからこっちにおいで?」
「……採寸って、メイド服のっすよね?」
「もっちろん! ほら、絢香ちゃんが料理を作ってくれてる間にチャチャッとやっちゃうから!」
「そっ、それなら絶対に必要な裕太の方を先にするべきじゃないっすかね?」
そーっと彼は視線を外しながら、なんらかを考えながら、ポツポツとそう返答をしていた。
さては、どうにか今からでもメイド服から逃げる手段がないかを考えてるな?
「裕太くんはいざとなったら部活のときにでも呼び出せば測れるけど、直樹くんは一応部員じゃないからね! だから先に測っちゃわないと!」
「いやー、でも、その、えっと……」
なんとか言い逃れを探しているようだが。さすがに思いついていないらしい。俺は彼の横に立ち、小さく「諦めろ」と、そう言って背中を押す。
「おっ、おい! 裕太、お前っ!」
「ちなみにちゃんと採寸しておかないとブカブカになったりピチピチになったりしちゃう可能性あるけど、そんなメイド服で良ければ」
「今すぐ採寸してください、お願いします」
さては採寸から逃れられれば作れないんじゃないかと思っていたようだった。たしかに採寸をしなければオーダーメイドで作るというのはできないが、しかしそれっぽいサイズとして作ることはできる。
もちろん、直樹の体格を想像しながら作るしかないため、その出来上がりについては美琴さんの言ったようになる可能性もあるわけで。
結局メイド服から逃れられないとわかった瞬間、ちゃんとしたものを着られるか、と、体格にあってないものを無理やり着ることになるか、ということで天秤にかけ、一瞬でその結果が出たようだった。
うん、聡明な判断だと思う。うん。
招かれるままに出ていく直樹を見送っから、俺は室内に視線を戻す。
キッチンには絢香さんと、それから手伝いをしている茉莉。涼香ちゃんは話し合いが終わったあと、作るものがあるから、と。自室へと戻っていった。
果たしてこれが、本当になにかを作るためだったのか。はたまた、ただ居辛かったからなのか。
直樹が退室したこともあり、この場に状況をある程度把握している人間しかいなくなったからか、少しだけ空気が。特に絢香さんの調子が重くなる。
やはり、少し無理をさせてしまっていたのだろうか。
次の工程を確認しようとした茉莉も「絢香ちゃ……」とまで言いかけて、その空気感に思わず言葉を詰まらせた。
「ねえ、絢香ちゃん。大丈夫?」
「大丈夫、とはどのことです? 料理については、直樹さんの口に合うかはわからないですけど、大丈夫だと思いますが」
「うん。そのことじゃないね。そこは心配してない」
そこについては俺も心配していない。直樹に嫌いな食材はないし、美味しいものなら喜んで食べる、という。そういう意味合いではある意味料理人泣かせな性格をしているが、絢香さんの腕なら大丈夫だろう。
ついでにいうなら大勢で食べる食事も好きなので、そういう意味でも問題ない。
と、その話は今はどうでもよくて。気にするべきなのは、
「絢香ちゃん、やっぱり気になってるんでしょ? 涼香ちゃんのこと」
「……さすがに、バレますか」
「気づくなって方が無理だよ。だって帰ってきてからのふたりの様子とか見てられなかったからね? ……それで、悪いんだけど、簡単な事情については裕太から聞かせてもらった」
茉莉のその言葉に、絢香さんの視線がこちらに向く。
俺も先に軽く謝ってから、どれくらいの範囲を話したのか。ということを伝える。
「しかし、すまなかった。なんの相談もなく話してしまって」
「いえ、大丈夫です。さすがにこのくらいは、説明しておかないといけないだろうとも思ってましたし」
しかし、思い出してか一層暗い顔をする彼女に俺が声をかけようとすると、しかし、その前になにやら茉莉が彼女に話しかけている様子だった。
しかし、なにやらわざと小さな声で会話している様子で、その内容までは聞き取れない。
隠したい会話、というか、俺に聞かれるのがあまりよくないような話なのだろうか。……内容が気にならないわけではないが、仮にそうなのだとすれば聞き耳を立てるのもあまりよくないだろう。
ひとまず、彼女らの会話が終わるまではとりあえず窓の外を見ていることにしようか。
絢香さんだって、男の俺でも、妹の涼香ちゃんでもない茉莉にだからこそ話しやすいことだってあるだろうし。
「要するに、絢香ちゃんも気づいたってことよね? ……涼香ちゃんの気持ちに」
「ふぇっ!? えっ、と、茉莉ちゃん!?」
私の問いかけに、絢香ちゃんは驚いた様子を見せる。おそらくは図星だと見ていいだろう。
そのまま彼女はチラチラと私と裕太の間で視線を動かす。多分、今の発言が彼に聞こえたのではないだろうかと気を使っているのだろう。
「大丈夫よ。小さな声で話してるし、この距離だから聞き耳でも立てないと聞こえやしないわよ」
「でも、それって逆に言えば聞き耳を立てれば聞こえるのでは?」
「裕太だから大丈夫よ。自分にまつわることになると超がつくほどの鈍感なくせに、そうでないことになればびっくりするほど勘がよくて、ついでに気も配れるような人間だから」
だから、ほら。ちょうどなにやら察してくれた様子で、自分から離れて窓の方に行ってくれた。
そういう察し力を、もうちょっと自分のことに使ってくれたら、私たちとしてももう少し楽になるんだけども。
「茉莉ちゃんは、気づいてたんですか?」
「いいや? 全然。さっき裕太から事情を聞いたときに。なるほどね、ってなった」
「えっ!? じ、じゃあ、裕太さんもそのことについては……」
「気づいてるわけ無いでしょ、あのヘタレが」
フッとひとつ、鼻で笑い飛ばして。
こと自分のことについてだけ、尋常じゃないくらいに鈍感なあの裕太が、あれで気づくとは思えない。
というか、気づいているならあの説明のときになんらかそういったニュアンスが混じるだろう。
まあ、気づいてはいたが憶測に過ぎないから言わなかったとか、涼香ちゃんのために敢えて伏せていたとも考えられるが。
まあ、裕太だしたぶん気づいていないだけだ。
「ほんと、厄介なことになったわねぇ」
「その、えっと、……ごめんなさい」
「なんで絢香ちゃんが謝るのよ。あなたがなにか悪いことをしたわけじゃないでしょう?」
それは、そうですが、と。彼女は消え入りそうな声でそう答える。
……随分と堪えている様子ね。
以前、一番最初の涼香ちゃんの様子が変になった際。あのときの絢香ちゃんの泣きじゃくりざまからも伺えたが。
いや、むしろそれ以前だろう。春の頃合いに絢香ちゃんの様子がおかしくなったときも、同じくだ。方向性こそ違えど、あのときに確信したこと。それは、
この姉妹。お互いがお互いに、極度に依存している。
絢香ちゃんからしてみれば、涼香ちゃんは唯一の頼り先、というような存在で。たしかに様々相談事といえば彼女にしている所を見受けられた。
涼香ちゃんからしてみれば、絢香ちゃんは存在そのものを絶対視していて。それを守るためならば、滅私さえ厭わないというそんな意志を見て取れた。
それを姉妹愛という言葉で流せてしまえばそれこそ平和だったのだが。しかし、世の中そんなに甘くないようで。
そんなふたりが、今。同じ男を好きになってしまった。
それぞれがそれぞれを頼れない、そんな今の状況になってしまって。
そして、ふたりともがこうして大きく取り乱してしまっている。
キッ、と。裕太に向けて鋭い視線を送る。
当然背中に向けて送っているため、彼に気づく余地はないのだが。
しかし。なにが、自分があんまり介入すべき事柄じゃない、よ。関係していないどころか、思いっきり当事者じゃないのよ。
そんな彼自身にはそういった自覚があまりないようで。……いや、なんとなくで自分自身が影響しているんだろう、くらいは察しているかもしれないが。
とはいえ、彼が言っているあまり介入すべきでない、というのも事実。裕太自身が当事者なのは紛れもない事実なのだが、彼が大きくことに触れてしまっては、余計に話がこじれかねない。
本当に、察しがいいのか悪いのか。よくわからない男である。
「ねえ、茉莉ちゃん。私はどうすればいいんだろう」
「……そうねえ」
正直、こればっかりは裕太の言っていたとおりだと思う。
絢香ちゃんと涼香ちゃんの両者がしっかりと話し合いの席について、お互いの胸のうちについてさらけ出し合うしかない。
それがどれほど難しいことで、こうして簡単に言ってしまっていいことではないということはわかっているが。
そして、これを難しくしている最大の要因は。きっと、これだろう。
「たぶんね。涼香ちゃんは、ひとつの可能性に賭けてるの」
「……可能性?」
「そう。自分が必死に逃げている間に、自分自身の諦めがつくような、そんな事象が起こらないかなって。そんな可能性」
絢香ちゃんでも美琴さんでも。たぶんなんだったらきっと私でもいいはず。誰でもいいから裕太と付き合ってくれれば、この気持ちに諦めがつくのに。と、
そんなことを願いながら、きっと彼女は逃げている。
本心では、そんなこと思ってもいない、思いたくもないはずなのに。
「もちろん、この中でならきっと絢香ちゃんにくっついてもらうのが涼香ちゃん的なベストなはず。でも、そうであっても、本当の涼香ちゃんの気持ちに沿っているかと言われれば、おそらく違うと思う」
彼女の気持ちの本懐は、自分が裕太と結ばれること。しかし同時に、それを望まない彼女もいる。
それを生み出している原因こそ、この姉妹における共依存であり、涼香ちゃんの絢香ちゃんに対する異常なまでの献身だ。
「だからこそ、本当の意味での解決は話し合いしかない、んだけれども」
絢香ちゃんの側は、私からサポートやケアができる。だけれども、おそらく私が涼香ちゃんになにか伝えようとしても。……きっと彼女は私の言うことを聞かないだろう。
未だに「茉莉」と呼び捨てで、正直ちょっと舐めてるでしょ、という態度をとってくる彼女が、そんな私からの言葉を受け入れるとは思い難い。
しかし、そんな彼女が言葉を受け入れる可能性がある絢香ちゃんが、現在は機能停止。裕太は動けるが、余計に盤面を狂わせかねないから事実上の行動不能。
で、あるならば。
「あの人しかいないのかなあ……」
「あの人?」
あともうひとり、しか候補はいない。それに、あの人は初対面の頃に涼香ちゃんを圧倒していた経歴がある。
そういう意味合いでも、おそらく涼香ちゃんの感覚的には有利を取られている相手だから、言うことを聞くかもしれない。
だけれども、
「……どうしても不安が残るよなあ」
思い浮かべる奔放な姿に。どうしても頼り甲斐をくっつけることができない。
どちらかというとトラブルを引き込んでくるタイプの人だし。海に行ったときといい、今日といい。
だがしかし、事情を知っていて、かつ、涼香ちゃんにアプローチができるのは、彼女しかいないだろう。
「うーん」
いちおうは先輩のはずなんだけどなあ。美琴さん。