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#57 ひとりぼっちの寒さ

 泣きじゃくりながら俺を頼る絢香さんを、ゆっくりとなだめながらひとまずベッドへと誘導する。

 おぼつかない足取りの彼女を支えながら、なんとかベッドに腰掛けさせ。そして、俺もその横に座る。

 絢香さんの持ってきていた荷物もとりあえず回収しておくが。……内容物はタオルなどで、おそらくは予想通り、看病しに来てくれたといったところだろう。


 彼女がひとしきり泣ききって落ち着くまでの間、俺はそばにいて、ひたすらに彼女の隣に居続ける。

 たったそれだけだけれども、それだけが、なんとなく、必要な気がして。


 以前の、校外レクのときのような状況ではあったが、隣にいる、それについては、あのときより随分と楽ではあった。

 なにより、あのときの絢香さんとは違って、今の絢香さんは平常時の彼女だから。泣きじゃくってはいるものの、それ以外についてはいつもどおりであったから。


 しかし、その一方で頭を悩ませる、難しい事象もあった。

 絢香さんと涼香ちゃんの不和。おそらく彼女が今泣いているその原因であろうそれが、最大の難点。

 すなわちそれは、俺からも涼香ちゃんへ相談をすることができないことを意味していて。

 この絢香さんに、どうやって対応するべきなのか、ということは。俺自身で考えないといけないということでもあった。


 どれくらい経っただろうか。10分くらいだったような気もするし、2時間くらい過ぎたようにも感じる。

 なんとかしゃべることができる程度には気持ちの落ち着いた絢香さんが、まだ少し鼻声のままでポツポツと語り始めてくれた。


「……私、気づかないうちに涼香へと、とても残酷なことをしてしまっていたようなんです」


 まるで懺悔をするかのように語り始められたその言葉を、ゆっくりと、しっかりと受け止める。


「そう、なってしまったのはいつからかはわかりません。ただ、涼香は自分の気持ちを押し殺して、私のためにと動いてくれてきたようで」


 そして、絢香さんは。その行動の裏にどれほどの涼香ちゃんの苦悩があったとも知らず、それを享受していて。

 知らず知らずのうちに、彼女の気持ちを踏みにじってしまっていた、と。


「……なるほど、ね」


 無理矢理にでも、絢香さんと涼香ちゃんのふたりが話し合えるような場を整えるべきだったのだろうか。

 また少しだけ涙をこぼしながら語り始めた絢香さんの謝罪の言葉に、俺は彼女の背中をさすりながら、うん、うん、と相槌を返す。


 本来、この謝罪を聞くべき人間は、俺ではなく涼香ちゃんなのだろうが。


 しかし、彼女は今ここでこの謝罪を言葉にしないと、おそらく罪悪感に押し潰されてしまいそうなのだろう。

 語られる言葉をしっかりと聞きながら、俺は、ことの経緯を考える。


 おそらく、涼香ちゃんと俺の看病をしに来た絢香さんとが入り口前でぱったりと出会って、そこでなにかしらの言い争いに発展。

 涼香ちゃんがなにかを言い放って、そのまま走り去っていき、絢香さんひとりが取り残されたところに、俺がドアを開けた、というところで大きく違わないだろう。


 ならば、その前提。どうしてこのふたりは言い争うことになってしまったのか。

 絢香さんと涼香ちゃんとの事情に関して、俺は深く知っているわけではないから、その詳細はわからない。

 だが、おそらくは絢香さんと涼香ちゃんとの間で起きた、なんらかの認識の齟齬であるとか、考えの行き違いであることは推測がつく。


 で、あるならば。やはり、必要なことはこれだろう。


 身体を震わせている絢香さんをそっと抱きしめて、俺は彼女の耳元で小さく言葉を伝える。


「あのね、絢香さん。細かい事情を知らない俺の知りうる範囲で、ということだから間違ってるかもしれないけどね」


「……はい」


 返ってくる言葉は、小さい。やはり、随分と精神的に衰弱してしまっているようだ。


「絢香さんと、涼香ちゃんとの間にある、内在的な立場の差が、今回のことを引き起こしてるんだと思う」


 絢香さんは姉であり、涼香ちゃんは妹である。そんな当然のことを、しかしながら、当然だからこそ。ふたりがなんとなくで認識してしまっていること。


 絢香さんの側からは、あまり目立ってそういった様子は見受けられないが。しかし時折、やはり涼香ちゃんのことを自分の妹として守るべきものとして行動していることがある。

 涼香ちゃんの方はもっと顕著だ。絢香さんのために動くことを至上としていて、自分を蔑ろにしてまでも絢香のことをなんとかしようとする。……今回の絢香さんのコレに繋がってしまっているのも、おそらくこの彼女の考え方が元にあるはず。


 涼香ちゃんの方は過剰とはいえ、このふたりのお互いの認識の仕方がどうなのかといえば、間違っているとは言いにくい。やはり姉と妹という立場である以上、多少の上下が生まれることは変なことではないし、特に妹である涼香ちゃんがそれを望んでいる以上、外野からとやかく言うことではない。……と思っていたのだが。


「本来、関係ない立場の俺が介入して言うべきではない、と思っていたんだが。そうも言ってられそうにないからな」


 このふたりの、歪な上下関係に。なにかしらの解決をしなければ。おそらく、今の状況が好転しない。


「絢香さんと、涼香ちゃん。君たちふたりは、本音をぶつけ合って話し合うべきだ。姉とか妹とか、そういったことを抜きにして、な」


 一度は失敗した。海での一件の後に絢香さんが涼香ちゃんと話し合おうとして、しかしそれがなし得なかった。

 だから今度は、俺がしっかりと場を用意する。話し合いについても、以前想定していたよりもしっかりとする必要がある。


 本当は、こうなってしまう前にやるべきことではあったのだが。起こってしまったことは仕方がない。

 俺の伝えたその言葉に、胸の中でコクコクと頷いている様子が伺える。


 さて。テーブルは、俺が用意する。絢香さんはこの様子なのでひとまず話し合いのイスに座ってくれるとして。

 問題は、涼香ちゃんだろう。おそらく、彼女にそのことを伝えてしまうときっと涼香ちゃんは話し合いの場から逃げ出そうとするだろう。

 それを、なんとか引き止めなければいけない。そしてそれは、俺がなんとかするしかない。


 俺が、なんとか。

 ……なんだろうか。ふと、その言葉になにかしらの違和感のようなものを感じたような気がしたが。しかし、その詳細を知ることはできなかった。


 しかし、とにもかくにもやるべきことははっきりした。

 ひとまずの急務は、話し合いのためのテーブルの準備だ。


 俺がそうやって決心をつける頃には、絢香さんの方も随分と気持ちが落ち着いてきていたようで。


「あっ、あの! ……自分の方から頼っていたのはそうなんですが。その、恥ずかしくて死にそうなので、は、離してもらえますか!」


 と、顔を真っ赤にした絢香さんが俺の顔を見上げながらそう言った。

 死なれてしまっては困るので、俺は慌てて彼女のことを離した。


 ……たしかに、俺も必死だったこともあったが。めちゃくちゃ近かったな。

 追ってやってきた恥ずかしさに、顔を熱くされながら。俺はバレないようにと顔をそっぽに背けた。


 そんなこんなでお互いに言葉に詰まってしまって。ベッドの上に座りつつ、ただただお互いがそこにいることだけを感じていた。

 そんな静寂を先に破ったのは、絢香さんの方だった。


「あの。また、頼ってしまってすみません」


「いや、そんなことは気にしなくていいよ。俺だって普段、絢香さんたちにすごく助けてもらってる立場だし」


「それは――」


「そんなこと、あるの」


 控えめに出ようとした彼女を、そうやって上から止める。

 涼香ちゃんもそうだが。この姉妹はどうしてこうも下から出ようとするのか。正直この現代において家格とかそういうものを気にするのは時代遅れではあるが、そういう観点でいうとあなたたちのほうが圧倒的に上だからね?


「だから、もしなにか困ったことがあれば、俺に頼ってくれていいから。……まあ、俺で解決できることのほうが少ないから、それこそ両親に頼るとかのほうがいいかもだけど」


「両親は、その。……忙しいと思うので、私のことで手を煩わせたくないないというか」


 ……これは、真一さんが言っていたとおりか。

 両親の邪魔をしたくないが故に、滅多に頼ろうとしない。


「たぶんだけど、煩わしいとか、そうは思わないと思うよ」


「そう、なんですか?」


「うん。……まあ、俺が親になったことがないから詳しい気持ちとかはわからないけど、ね」


 そう伝えると、彼女はスッと考え込んで。そして、なるほど、と。納得をしてくれたようだった。

 よかった、と。そう思うと同時に、少しだけ。ズキリと痛むものがあった。……お前がそれを言うなよ、と。そんなことを、自分自身から言われているような気持ちになって。


「……って、そうでした。裕太さんの体調が万全じゃないのに、こんなに話し込んでしまって」


「いやいや、大丈夫。最初にも言ったけど、正直眠れてなかったから、こうして話してくれて、ちょうどよかったよ」


 随分と頭を回したからだろうか。少しだけ、眠気が出てきたところだ。


「それよりも絢香さんこそ眠らなくて大丈夫? 俺が言えたタチじゃないけど、それこそ絢香さんに倒れられちゃったら俺が真一さんたちに顔向けできなくなる」


 あはは、と。半分冗談でそう言うと、彼女は少しだけ難しい顔をした。

 ……えっ、なにか変なことを言っちゃったのかな。そんなことを少し不安に思っていると。しかし、告げられた言葉は想像とはかけ離れていて。そして、


「その、それなんですけど。……ここで、一緒に寝てはいけませんか?」


「……はい?」


 耳を疑ってしまうようなことだった。

 いや、たぶん耳のほうがおかしい。そう思ってもう一度言ってもらうが。やはり耳のほうがおかしい。……わけがないか。


「いやいやいやいや、ダメでしょ!」


「どうしてですか? 美琴さんとはしたんですよね」


「それを言われると強く言いにくいところはあるんだけど、あれは事故みたいなものだから!」


 たしかに美琴さんがある程度意図して起こしたことではあるが、事故であることには間違いない。うん。

 というか、あの一件のせいで思わぬ言い分を与えてしまったな。


 普段ならばこういったことになる前に茉莉が引き止めてくれるものだが。あいにくここは新井家。茉莉はいない。

 つまり、ストッパーがいない。


「……わかった。じゃあ俺はそこのソファで寝るから」


「ダメです。ただでさえ体調が悪かった裕太さんをそんなところで寝かせるわけには」


「じゃあどうしろと!」


 俺としても絢香さんをソファに寝かせて俺がベッドで寝るという選択肢はない。

 同衾という選択肢が若干チラつくが。これはもっとダメだろう。


 いったいどうしたものか、と。俺が頭を抱えていると、ポツリ、と絢香さんが言葉をこぼす。


「……その、気分は随分と落ち着いたんですけど。やっぱり少し寂しいというか。ひとりが怖くて」


「…………」


 以前、涼香ちゃんから拒絶されたときもそうだったが。涼香ちゃんの側も随分と絢香さんに依存している一方で、絢香さんも随分と涼香ちゃんに依存している。


 そして、そんな涼香ちゃんとの関係が危うくなってしまっている現状。たしかに絢香さんの中に不安が募っているのは、当然という話ではあって。


 そういえば、絢香さんも。かなりの寂しがり屋だったな。

 そんなことを、思い出して。


「ひとりで、眠るのは。少し、寒いかな……と」


「夏場だぞ。寒いわけないだろう。……だから、暑くてもいいのなら」


 そう言って、俺はベッドに寝転がり、壁の方を向く。

 都合がいいのか悪いのか、客間のベッドであったがそこそこに広いため、ふたりで寝ても広さ的には問題は、たぶんないだろう。


 しばらくして、ゴソゴソという音が聞こえた後に。背中側に気配を感じる。

 ……一番、ないと思っていた選択肢だったんだがな。


「涼香ちゃんとか、茉莉に。バレたときにちゃんと言い訳できるんだろうな」


「それは。……なんとか、考えますね」


「おい」


 俺がそう突っ込むと、背中越しにあははっという、小さな笑い声が聞こえてきて。

 ほどなくして、それは安らかな寝息に変わった。


 とりあえずは、大丈夫だろう。

 難しいことは、あとから考えるとして。


 とりあえずは、俺も身体を休ませるために。

 そっと意識を手放した。

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