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#6 むしろなんでそれが大丈夫だと思ってたの

「小川くん、お茶です。どうぞ」


「ありがとう、絢香さん」


 机の上に緑茶の入った湯呑が2つ置かれる。片方を手に取って少しだけ飲んでみる。

 ……わかってはいたが、熱い。


「それで、話したいこととはなんでしょうか」


「ああ、それなんだけど」


 そう言いながら、俺は学校で起こったことを思い返した。始業式で午前しかなかったというのに、今までで一番疲れた日だった。

 それがこれから普通に授業が始まり、6限まであるものだと考えると俺の体力と精神力が持たない。


「今日、俺の前の席の子が挨拶してきたよね?」


「そうですね」


「あのとき、絢香さんどうした?」


「小川くんになにか用事ですか? と尋ねました」


「そうだね。……って、なんで絢香さんがそれを聞くのさ、関係ないじゃん」


 俺は強めの語気でそう言い放つ。

 しかし、絢香さんも譲らない。


「関係はありますよ、私は小川くんのメイドです」


「うんうんそうだね。じゃないっ!」


「えっ、私、小川くんのメイドじゃないんですか!?」


「いや、そこは違わないけども」


 それにしても会話の内容を立ち返ってみても、意味のわからないものである。


「いくらメイドさんでも、本人がそこにいるのにわざわざメイドに代わりに用件を伺わせたりしないから!」


「で、でも……」


「それに、俺に話しかけてるのに急に絢香さんが話し始めたら相手もびっくりしちゃうでしょう?」


「それはまあ、確かに」


 ……それに、言っちゃ悪いが絢香さんが応答するほうが問題が起きそうではある。

 外行きモードのときの絢香さんは特になにをしなくても結構な威圧感がある上に、そもそもあれ自体が他人との付き合い方がわからずに困っている状態なこともあって、お世辞にも会話が得意とは思えない。

 実際、前の席の彼女が話している途中だというのに食い気味に話しかけ、会話の流れを断ち切る行動を取ってる時点でいろいろと察するところではある。


 今まではこれで問題なかったのだろう。こういった高圧的な関わり方というものが、去年によく話に聞いていたような絢香さんであったし、周りによってくる人物がそれを承知できているので、むしろそれを受け入れられていた。


 しかし、これからはそうはいかない。というか、そうしてもらったら俺の周りから人が消える。それは勘弁願いたい。

 ただでさえ既に、絢香さんになにかをやらかした人間みたいな認識、扱いを若干されている。直樹以外の人物のクラスメイトのたいていが、危うきに近づくべきでないか、あるいはゴシップに迫りたい野次馬もどきのどちらかになりつつある。


「だから、外でのことについてあらかじめいくつかルールを定めておきたい」


「ルール、ですか」


「そうだ。俺と絢香さん、涼香ちゃんに茉莉の高校生活を守るためのルールだ」


 ひとつ、絢香さんや涼香ちゃん、茉莉が俺のメイドだということを明かさない。


「えっ、ダメなんですか?」


「逆になんでいいと思ったんだよ」


「だって事実じゃないですか」


「事実だから困るんだよ」


 そんな事実が周知されようものな、間違いなく俺の立場が死ぬ。……なぜか絢香さんは気にしていないが、他の3人の立場だって大丈夫とは言い難くなるだろう。


「とにかく、特に学校ではこのことを周知しないこと。いいね?」


「……わかりました」


 ちょっと不服そうなのはなんでなんだ。言いたいのかコレを。

 コホン、と。少し調子が狂ってしまったが、気を取り直して続きを言う。


 ふたつ、お互いの会話に対して過度に干渉しに行かない。


 これはさっき話したとおりだった。別に会話に混じりに来るだとかそういうことは問題ないが、変に会話を遮ったり、無理矢理に会話を止めにかかったりしないことを、ルールとして取り決める。

 先んじて説明をしていた内容でもあったため、今度はすんなり納得してくれた。


 みっつ、俺が「大丈夫」と行ったときは付いてこないでいい。「来ないで」と行ったときは来ないこと。


「えっ」


「いや、当たり前でしょ。というか既にこれに関しては事故起こりかけたんだから、絶対に呑んでもらうよ」


 事故――いやもうあれは故意だから事件といえば事件なんだが。


 始業式、そしてホームルームが終わり、さあ解散、帰りましょうとなったとき、俺は先にトイレに行ってから帰ることにした。


 もちろん絢香さんたちも一緒に帰るのだから「ちょっと待っておいてね?」と伝えてトイレに向かったのだが、彼女は教室で待たず、ついてきた。

 まあ、たしかに今朝に「別行動はしない」「一緒にいる」と言っていたけど、ここまでついてくるのか。と思いながらにトイレに着いて。


 そこで事件が起こった。


 俺は「それじゃ、待っててね」というと、なぜか彼女は首を傾げた。どういうことか意味がわからなかったが、俺はトイレに入ろうとしてその意味を知らされた。

 絢香さんが、男子トイレに侵入してこようとした。


 俺はなんとか彼女をトイレから押し出そうとして、たまたま様子を見に来てくれた茉莉が絢香さんを引き剥がしてくれて、なんとか隔離には成功した。

 既に下校が始まった後だったこともあり奇跡的に俺たちの他にその場に誰も居合せなかったが、もしも誰かに見られていたならどんな噂が立っていたか、想像したくもない。


「ちなみに、トイレとかお風呂とかは、たとえ家であってもついてこなくていいからね?」


「そんなっ!?」


 なんでそんなこの世の終わりみたいな反応をするんだ。そんな反応されると、ついていくつもりだったのかと疑ってしまうんだが、まさかそんなことないよな?


「とにかく、無理にずっと一緒にいる必要はないから!」


 俺がそうキッパリと言い放つと、やはりどこか不服そうだがとりあえずは納得してくれた。彼女は「別に無理に一緒にいるだなんて思ってないんだけど……」と愚痴をこぼしていた。ちなみに女子が男子トイレに入るのもちゃんと犯罪なんだぞ。


「とりあえず、一旦決めておきたいルールはこんなものかな。これから生活していく上で何かしらの不都合が起こったときに、適宜変更したり追加したりすると思うけど」


 そう言って彼女の表情を確認してみると、やっぱりというべきか不服ですと言わんばかりに不満いっぱいといった表情をしていた。

 まあ、いちおうはお互いの高校生活を守るためのものであるとはいえ、実質的には俺の希望を押し付けたようなものだしな。


「……あー、えっと。俺ばっかり要求するのはフェアじゃないから、なにか絢香さん側から取り決めたいルールとか、希望とかある?」


 そう言うと、やや俯きかけだった顔をパッと上げ、明るい顔になった。

 ……お互いが守るべきルールなのだから、最初からこうすべきだった。


「えっと、じゃあ! 3つ目のルールはなかったことに――」


「それはダメ。さすがにそれは、ダメ」


 むぅ、と、頬を膨らませながらささやかな抗議をしてくる。けれど既に言ったルールを覆すのだけはダメだ。

 特に3番目だけはダメだ。既に言ったように前科があって、ホントの事件事故になりかけたのだから。


「それじゃあ、ルールってわけじゃないんですけど」


 えっと――、と。彼女は頬を赤く染めながら、恥ずかしそうに口を開いた。


「小川くんのことを、ゆっ、ゆ……、裕太くんって読んでもいいかな?」


「――ッ!」


 不意打ちだった。赤らんだ頬、ほんの少し潤んだ上目遣い。そこから繰り出された名前呼びに、俺の心臓がバクリと大きく動いた。

 カアアッと顔が熱くなるのがわかる。慌ててお茶を飲み干す。まだ結構熱かった。


「名前くらい、好きに読んでいいんじゃないかな」


「えっと、じゃあ、ご主人様?」


「言った手前、即効で覆すのもあれなんだけど、それはやめて欲しい」


「ふふふ、わかってますよ、冗談です。えっと、ゆ……うたくん」


「……はい」


 涼香ちゃんに「裕太さん」と呼ばれたときは全くなんとも思わなかったが、どうしてこっちはとても恥ずかしい。

 最初に呼ばれたときのインパクト、そして恥じらいながらに変わっていく呼び名。そういったものが合わさり、彼女の恥じらいが伝播してくる。


 ふたりっきりの部屋の中。お互いがお互いに恥ずかしがってしまい、話を切り出せない。気まずいような、恥ずかしいような。絶妙に変な空気によって、相手の行動の機微に対して敏感になり、少し動くと相手が反応して。それにもちろんこちらも気づいて、と。更に空気感が加速する。


「あの、やっぱりちょっと恥ずかしいので、裕太さんでも、いいですか」


「……うん、さっきも言ったけど特に変な呼び方じゃないなら、なんでもいいよ」


 そんな絶妙な空気に、先に耐えきれなくなったのは俺だった。


「そっ、そういえばさ。茉莉と涼香ちゃんは何をしに行ったんだろうね!」


 数分間続いた沈黙を、無理矢理に出した大きな声で破る。


「たしかに出ていってからかなりの時間が経ちますね。いったいなにをしてるんでしょ――」


 絢香さんがそう言いかけたとき、扉の向こうからドタドタと廊下を走る音が聞こえてくる。

 その音はどんどんと近づいてきて、ついにはバンッと扉が一気に開け放たれる。


「裕太っ、絢香さんっ! 助けてっ!」


 転がり込むようにして入ってきたのは茉莉だった。


 なにごとだっ!? という意識が最初に動いたが、その直後に彼女の状態を見て、思考が鈍る。なぜか衣服が若干はだけている。ブラウスのボタンがいくつか外れているし、スカートもややズレていて、パンツが見えかかっている。……目のやり場に困る。


 そんなことを考えてしまっていたから、動きが少し遅れてしまった。「大丈夫ですか、茉莉さん!」と言って駆け寄る絢香さんの姿を見て、とりあえず動くべきだということを察知した。


「どうした、なにがあった!」


「涼香ちゃんが、涼香ちゃんがぁ……」


 相当にテンパっているようで、会話の受け答えがマトモに成立していない。

 しかし、この状況を引き起こした元凶が誰なのかということだけはハッキリとわかった。……まあ、元より茉莉が一緒にいた相手がひとりしかいなかったので元から犯人候補はひとりだったのだが。


「茉莉、逃げちゃだめ。まだ、終わってない」


 トコトコと、軽い足取りで少女が近づいてくる。彼女は手に持っていた何かを引っ張ると、紐状のものがシャーッと引き出される。


「早く戻って続きをやる。……それともここで続きをされたいの?」


「それは嫌だけどっ!」


 ここまで怯えた茉莉を見るのは随分と久しぶりだ。……ホントに、いったいなにをしていたんだ。


 涼香ちゃんが近付いてくるとともに、段々とその姿が鮮明になり、持っていたものも判明する。

 メモリのついた、紐状の器具。


「ほら、採寸の続き。まだ測れてないところが多い」


「どれだけ測るのよ! 私はてっきりスリーサイズだけだと思ってたのに!」


「ちゃんと測っておかないと、作ったときにポロリしちゃうかもしれないけど、いいの?」


 涼香ちゃんがそう言うと、茉莉は瞬間的に顔を真っ赤にして「それはよくないけど……」と言う。


「でもっ、採寸って言って涼香ちゃんいろんなところ揉んでくるじゃん!」


「それは役得というもの。私の利権」


 そんな利権は聞いたことない。彼女は「それじゃあここで見られながらやる? 私どっちにしても揉むけど」と言うと、茉莉は涼香ちゃんに連れられ、力なくトボトボと戻っていった。


「……あー、えっと。ルール、増やしたほうがいいかもな」


 よっつ、必要以上に相手の身体に触らないこと。嫌がってるのに無理やり触らないこと。


「えっ、ダメなんですか!?」


「むしろなんでそれが大丈夫だと思ってたの」

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