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#53 大人の役割

「まず。先程も伝えたが、絢香と涼香を預けるということに際して、君のことを調べさせてもらった、といったな」


「はい。それは」


 正直どうやって調べたんだとか気にならないわけではないが、方法はともかく、理由は理解ができる。

 だから、それに関して今更どうとか思ったりはしていない。


「その過程で、君の家庭状況についても、ある程度調べさせてもらった」 


 その言葉に、ピクリと俺の肩が反応してしまう。


「なに、か。……問題がありましたか?」


「いいや、問題はなかった。両親は海外で働いているため滅多に帰ってこないのはたしかに珍しいが、それでも親子仲は良好。正直、状況を加味して考えるなら、素晴らしいとも思う」


 面と向かって、一緒になって暮らしていても。うまくいかず、疎遠になっていく家庭もある中で。遠距離ではあるものの家庭仲が良いというのは素晴らしい、と。彼はそう言った。


「そして、たしか裕太くんは料理ができるんだったな。……いや、料理だけではなく、ひと通り家事をこなせる、と」


「ええ、まあ。いちおうは」


 現在、絢香さんや茉莉にやってもらっている立場でなにを言うんだと言われそうな気はするが、家事はひと通りこなせる。


「正直そこについては、私たちにとっても誤算だった。いや、君の評価について、悪い方向へと行くわけじゃないから、それは安心してほしいんだが」


 曰く、調査の段階で。てっきり俺は家事が。少なくとも料理が得意ではない、と推測されていたらしい。

 それは、調査を始めた段階で、俺が毎日コンビニ弁当やゼリー飲料。あるいはスーパーの惣菜を購入していたから。


「一人分を作るのは、どうしても億劫になりまして。自炊のほうが安くあがると言われたりしますけど、案外手間や光熱費を考えると出来合いのものの方が合理的だったりして」


「大丈夫だ。その点についてとやかく言おうというわけじゃない。私も昔、大学生の頃に一人暮らしをしていたから、その気持ちはわかる」


 まあ、私の場合は料理もできなかっただけだがな。と、彼は豪快に笑ってみせる。

 ……わからないのだが、こういうときは笑っていいのだろうか。


「さて、話を戻そう。家事をできる、というのは正直褒め上げたことなのだが。ところで、どうして君は家事、とりわけ料理をできるようになったんだい?」


「えっ?」


 思ってもみなかった質問に、思わず驚いてしまう。

 どうして家事が。料理ができるようなったのか、か。


「ええっと、やっぱり最初の頃は自炊をするほうが安くあがるんじゃないかって、そう思ったから、ですかね?」


「本当に?」


 ジッとこちらを見つめる真一さんのその瞳は、まるで蛇が睨みつけたかのようで。俺の身体はピシリと固まってしまう。


「先程、私も一人暮らしをしていたと言ったが、その際に同じ理由で自炊を始めようとしたことがある。結果、君が自炊しなかったのと同じ理由で、即座に料理をすることをやめた」


 案外かかる費用、思ったよりもかかる時間。それらを加味すると、一人暮らしの自炊は非合理的だ。

 それは、真一さんの言うとおりであり、それ以前に、俺も言っていたこと。


「自炊を始めてみて、このことには割と早い段階で気づいた。……少なくとも私は、という話だが。君はどうだった?」


「俺も、たしかにすぐに自炊はやめましたが……」


 面倒、という気持ちもなかったわけじゃないが。たしかにやってすぐに理に叶わないと感じた。


「そして、それ以降、基本的には自炊はしていない」


「まあ、そうですね」


 たしかに直樹が遊びに来たり、それから高校生になってからは美琴さんが来るときには、俺が自炊をしたりもしたが。とはいえそれ以外のタイミングで自炊することはなかった。


「ところで、少しだけ脱線話になるんだが。裕太くんの料理は美味しいらしいな」


「……はい?」


 突然、そう言われて。思わず素っ頓狂な声を出してしまう。


「絢香や涼香の報告で、美味しいという話を聞いた。なんなら、君と絢香の共通の友人である茉莉ちゃんからも聞いた」


 なに言ってるんだよ茉莉。……ああ、そういえばたしか、俺についてめちゃくちゃ聞かれたって言ってたな。


「是非とも一度食べてみたいものだが、今の話の本題はそこじゃないので、ここでは置いておこう」


「…………えっ?」


 しばしば言ったりしてる冗談、だよな? いや、真一さんに料理を出すって、いやまあやれと言われればやるけど、めちゃくちゃ緊張しそうなんだが。


「さて、質問、というか疑問なのだが。どうしてそこまで君は料理が得意なんだい?」


「それは、自炊をしてい――」


「自炊はすぐにやめたのに、その期間だけでそこまで上達したのかい?」


「あっ……」


 たしかに自炊を少しの期間だけして、やめた、と。俺は発言した。

 その言葉にたしかに嘘はないし、これは、間違ってない。

 しかし、そうなると――、


「この際だから言ってしまうが。絢香が料理で君に勝てない、と。そう思ったほどには君の料理は美味しかったらしい」


 もちろんそこには君に関する贔屓目などがあるだろうが、と。真一さんはそう言う。

 やや遠回しながらではあるものの、彼の言わんとしていることは、十二分に伝わる。


「君はいつ、料理の練習をして。そして、そこまで上手になったんだい?」


 その言葉に、完全に詰め切られた、というような。そんな感覚を感じた。

 どこに駒を打っても、どう足掻いても対処しきれない。


「言いたくないなら、別に言わなくてもいい。だが、おそらくは私の思っている理由と、大差ないのではないかと考えている」


 そう言って、語られた彼の言葉は。まさしく図星そのものだった。


「なんで、なんでわかったんですか?」


「まあ、なんというか。勘、だろうか。まあ、継続的に自炊をしていないのに、料理が上手いというところでも違和感を感じたんだがね」


 さっき言ったように、私もほんの少しだけ自炊をしたが。微塵もうまくならなかったからね、と。彼はそう言った。


「もちろん、このことについてとやかく言うつもりはないし、というか、言う点もない」


 だが――、と。真一さんは言葉をひとつ、留めた。


「裕太くん。君は、よくできた人物だ。それに関しては間違いなく、そして褒めるべきところだろう」


「あり、がとうございます」


「しかし。これは、大人として、というか。責任を持つべき人間として、の意見だが。……君はもっと、自由に生きていい」


 思ってもみなかったその言葉に。俺は拍子抜けをして、唖然としていた。

 庭の方、いや、もっと遠くだろうか。ずっと向こう側を見つめながら、彼はゆっくりと話し始める。


「迷惑をかけないように、邪魔をしないように。相手の意志を汲み取って、お互いにとって利があるように。そして、間違わないように。そういった考え方は、とても素晴らしいものだ。……だが、それらは間違いなく生き方を縛る」


 そう言うと、真一さんはこちらに向き直し。諭すような優しい表情で、俺に視線を向けてくれる。


「間違ってもいい、迷惑をかけてもいい。邪魔になるようなことをしてもいいし、ときには友人とすれ違うこともあるだろう。だが、それらにもたしかに意味があることなんだ」


 真一さんのその言葉は、俺に向けて伝えられていると同時に、俺ではない、他の誰かのためにも言っているようで、


「転ぶ痛みを知らない者から、杖という発想は産まれないだろう。君たちは高校生なんだ。もう高校生と思ってるかもしれないが、まだ、高校生なんだ。大いに失敗し、考え、そして」


 そっと、彼は自身の胸に手を当てて。真剣な顔で。


「私たち、大人を頼るといい」


 真一さんの、その言葉は、

 不思議と、ストンと身体の中に入り。そして、広がっていった。


「困ったときに手を差し伸べるのも、間違い正して導くのも。そして、次へと進むために一緒に考えるのも、私たち大人の役割であり、そして責任だ」


 その言葉に、キュッと締め付けられ。しかし、同時になにかが解き放たれるような、そんな気がして。


「もちろん、ひとりで立ち続けられることは美徳ではある。だが、それではいつか限界が来るだろう。子供の力だけでは無理が来ることは、少なくない。そんなときは、惜しげなく私たちを頼ってくれ」


 彼は頼もしい表情でそう言い切って。しかし、同時。困ったような様子で「そうは言っても」と、


「自分の娘に、その言葉をかけられないような人間がそれを言っても、説得力はないだろうが」


「えっ……」


 困ったような表情は、次第に不安、あるいは後悔といったものに変化して、真一さんの口からため息として漏れ出る。

 真一さんの、娘。つまりは――、


「絢香の、ソレについては君も知ってのとおりだろう」


「……はい」


「アレは、彼女自身が自分ひとりで全てを解決するために。己の中で導き出した、歪んだ正解なんだ」


 その言葉に、俺は思わず身体に力が入ってしまう。


「何度か、私も絢香に寄り添おうとしてみたことはあるのだが。彼女は大丈夫、心配をかけるようなことはない、の一点張りで。絶対に、私や香織に迷惑をかけようとしてこなかった」


 絢香さんなら、たしかにそう言うかもしれない。事実、涼香ちゃんのことに関して、両親に必要以上の心配をかけたくないと、そう言った彼女なら。


「そんな絢香が、随分と久しぶりに言ってきたワガママ。それが、君のところに行きたい、というものだった。とても驚いたと同時に。……親として、随分と君に嫉妬したよ」


 ハハハ、と笑ってそういう彼だが、こればっかりは笑い返してはいけないのがわかる。さっきまでと違い、目が笑ってない。


「私だって、最初は反対しようと思った。けれど、香織が賛成してね。結局彼女らに押し切られる形で条件付きで認めたよ。彼の素性について事前に調査するとか、諸々の条件付きでね」


 香織さんは、絢香さんの選んだ人間なら大丈夫だろう、と。そう言っていたそうで。

 それでも、やはり送り出してからしばらくの間は不安は絶えなかったし、心配事も多かった、と。

 当然だろう。俺だって立場を同じくしていたら、同じように感じると思う。


「けれど、絢香や涼香から君の話を聞いて。そして、今、君と話して。よくわかったよ。絢香が、裕太くんを選んだ理由をね。もしかしたら、絢香は直感的に、初めて会ったあのときに、なにかを感じ取っていたのかもしれないね」


 こればっかりは、彼女に聞いてみないとわからないが。真一さんはそう言って、君はどう思う? と、

 その質問に、俺が口を動かせずにいると、彼は少し笑って「すまない、難しい質問をしたな」と。


「とはいえ、私としても娘の珍しい願いを叶えてやりたいという気持ちは、たしかにあって。そういう意味合いでも、やはり絢香のそばに君がいるという現在は、よかったと思っている」


 やはり不安は絶えないがね、と。しかし、きっと大丈夫だと思っている、とも。


「だから――、これからも随分と迷惑をかけるだろうが、絢香と涼香のことを、よろしく頼みたい」


「そ、そんな! こちらこそ彼女たちにはお世話になってる立場ですし!」


 スッと頭を下げる真一さんに、俺も慌てて同じくする。


「そして、どちらかというと、君も絢香と同じくひとりで立ち続けようとする性分だと思っている。だからこそ、頼っていいのだということを。それを、覚えていて欲しい。私も、君とは無縁な人間ではない。いざとなったら、遠慮なく頼ってくれ」


「……ありがとうございます」


 随分と、強大な味方だことで。


 頼るにはちょっと尻込みしそうなほどの彼ではあったが。その言葉には、とてつもない安心感がたしかにあった。

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