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#52 あながちただの冗談というわけではない

 涼香ちゃんが自室へと去ってしまった後、嫌な予感がした俺は追いかけようとしたのだが、しかし香織さんが様子を見に行くとのことで、俺はそのまま真一さんと絢香さんと一緒にリビングへと通される。


 扉が開くと同時、ふわりといい香りが漂ってくる。どうやらダイニングも併設されているようで、準備されていた料理が、空いていた腹をくすぐる。


「まだ全員そろっていないが、ひとまず掛けてくれ」


 真一さんが指し示した席に座る。なんか、座るときにもどちら側からみたいなマナーがあった気がするけど、そんなものの詳細など覚えているわけがない。

 これで、いいのか? と、不安になりながら俺が座っていると、その隣の席に絢香さんが、対面の席に真一さんが座る。


「さっきも言ったが、楽にしてくれていい。もしかしたらマナーなんかを気にしているかもしれないが、そんなもの気を使わなくてもいいから」


 おそらくはガチガチに強張った俺の身体を見て察したのだろう。苦笑いをしながら、彼はそう言ってくれる。


「マナーというものは相手を不快にさせないためのものだ。もちろんできるに越したことは無いが、そんな厳格な場でもないのだからな」


 はっはっはっはっ、と。そう笑って見せる真一さん。たしかに彼の言う通り、今回はあくまで友達の家にお呼ばれしただけであり、本来ならば最低限常識的にさえ振舞えば、それ以上は気にすることは無いのだろう。

 ただ、この場にはあまりにもイレギュラーが多すぎる。目の前にいる彼が大企業の社長であり、なおかつ隣にいる友達兼お世話をしてくれているメイドである絢香さんの父親。これを「ただ友達の家に招待されただけ」と認識できるだけの胆力は、俺にはなかった。


 とりあえず、なんとか可能な限り楽にしようと努めていると。ちょうどそのタイミングで扉が開き、香織さんが入ってきた。

 その表情はどこか曇り気味で、変ねぇ、と。


「帰ってきたときはそんなに疲れてる様子もなかったと思うんだけど」


 曰く、ちょっとだけ横になったら食べに来るから、と。


 香織さんのその言葉に、俺と絢香さんは忘れ気味になっていた違和感を、ハッキリと思い出した。

 以前の、あのときと状況がほぼ同じ。


 募る嫌な予感に、だんだんと絢香さんの顔色が悪くなっていく。


「大、丈夫ですよね。前と一緒で、ほんとに疲れてるだけで……きっと、元気になったら、元に……」


 消え入りそうな、小さな声で。絢香さんは俺に尋ねてきた。おそらくは俺にしか届いていないその声。俺が、答えなければ。


「…………ああ、きっと」


 俺しか、答えてあげられる人間がいなかったというのに。どうして、即答してやれなかったんだ。

 拭いきれない不安を見ないふりしながら、俺は少しだけ絢香さんに寄り添う。……さすがに近くに家族がいるので、ちょっとだけ。


「前回の件と、今回の件。……どうする? 真一さんと香織さんにも相談するか?」


「いえ、忙しい両親にいらない心配をかけたくないので」


「……わかった」


 絢香さんがそう判断するのであれば、俺もそれに合わせよう。

 少なくとも、新井家の事柄については俺よりも何倍も何十倍も理解しているはずだし。


「ふむ。涼香の様子はたしかに心配だが、疲れているだけというのであれば、あまり気にかけすぎるのもむしろ負担になりかねないだろう」


 真一さんはそう言って、香織さんを自身の隣へ座るように促す。

 4人着席して、空席、ひとつ。


「後から来るとのことらしいし。料理が冷めてしまうのも問題だろう。涼香には悪いが、先に頂くとしようか」


 どこか、気持ちにポッカリと穴が空いたような、そんな感覚を感じながら。

 いただきます、と。俺と絢香さんは合掌をした。






「さあ、遠慮なく食べてね。いっぱい食べると思ってたくさん用意したから!」


 香織さんが、グッと腕を曲げて力こぶを見せるかのようなポーズを取った。

 おそらくは腕によりをかけた、ということなのだろうが。お世辞にも力こぶの姿は見受けられないので、ただ腕を曲げたようにしか見えない。


 とはいえ、味に関してはそのポーズをするに見合ったもので、とても美味しい。

 揚げ物(フリッター)はサクサクだし、冷製クリームスープ(ヴィシソワーズ)の舌触りもとても滑らかだ。サラダに掛けられているドレッシングも酸味が程々にあり、食欲を掻き立てる。

 そのひとつひとつを取って作るならばともかく、これを全部やるとなると、そこにかかる苦労は考えたくもない。


「そういえば、裕太さんは絢香の料理を食べてるのよね?」


「はい。いつもお世話になってばかりで、頻繁に作ってもらってます」


 ……というか、あまり作らせてくれない。という方が正しい気もするが。俺が「今日は俺が作ってもいいか?」と聞いても、その意見があまり通ることはない。

 俺が作りたければ、基本的には数日前に「この日、俺が作りたいんだが」と言っておく必要がある。

 まあ、作るものにも計画があるだろうから、絢香さんのその対応には理解ができるんだが。……いちおう、家主なんだけどなあ、俺。


 とはいえ、絢香さんの好意に甘えているというのも事実ではあるので。


「ふんふん、なるほど。……それじゃ、ひとつ質問してもいいかしら?」


「はい、なんでしょうか」


 なにを聞かれるのだろうか、と。俺がそう首を傾げていると、ニヤリと笑った香織さんは。


「私と、絢香の料理。どっちのほうが美味しいかしら?」


「お母さん!?」


「絢香さんですね」


「裕太さん!?」


 香織さんの方を向いて、驚いて。今度は俺の方を向いて、驚いて。随分と忙しそうである。

 あらあら、と。頬に手を当てながら「いちおう、理由を聞かせてもらってもいいかしら?」と。


「ああ、もちろん香織さんの料理もとっても美味しいです」


 もしかして勘違いされたのではないだろうか、と。慌てて、そう訂正してから。

 けれど、と。


「どちらも、美味しいんです。そういう意味合いでいえば、引き分けかな、と。そう思うんですけど」


 実際、本当にどちらも美味しい。なんなら、おそらくは絢香さんは香織さんに教わったのだろう。味付けの方向性なんかも含めて、どこか似ている。


「でも、俺は絢香さんの料理のほうが好きです」


「そう言うってことは、なにか理由があるのね?」


「はい。……とは言ってもまあ、これはものすごく単純な理由なんですけど」


 絢香さんの料理は、基本的に俺を意識して作ってくれる。それは精神面とかそういう意味合いとしてではなく、俺の好みの味付けに寄せようとして作ってくれる。

 だからこそ、同じく美味しい料理が並んでいる状況であるならば、絢香さんのもののほうが、俺は食べたい。


「なるほど、つまりは絢香の愛の勝利ってわけですね」


「ちょっと!」


 今度ばかりは、と。絢香さんが立ち上がり、抗議の姿勢を見せる。


「愛というか、純粋に好みを知ってるか、というような側面もあるかと」


「裕太さんもまともに取り合わなくていいですから!」


 顔を真っ赤にして、絢香さんがそう言ってくる。


「よかったわね、絢香。あなたの料理のほうが、美味しいらしいわよ? 愛情も、しっかり届いてるみたいだし」


「お母さんはそろそろ黙ってて!」


 両手で顔を覆って、フラフラと力が抜けるようにしてイスに座る。

 隠しきれていない耳が、茹で上がったかのように真っ赤で。


 ……ちょっと待て。よくよく考えてみれば、俺もかなり恥ずかしいことを言っていたのでは?

 遅れて気づいて、顔が熱くなっていくのが感ぜられる。しまったな、反射的に答えた側面もあったが、相当な失言をしている気がする。


 そんな俺たちを見て、満足そうに微笑む香織さん。それじゃあそれじゃあ、と、続けてまだなにか聞こうとしてきたが、そのあたりにしておきなさいと真一さんが止めてくれた。


 しかし。こうして和気藹々と食卓を囲んでいる様子を見ると、なんというか、暖かい気持ちが込み上げてくる。

 茉莉たちとも、同じように騒がしい食事になることはしばしばあるが、あれはどちらかといえば子供のバカ騒ぎという方が似つかわしいような気がして。そういう意味でも、やはり久しく覚えた感覚のように思える。

 たしか、最後に感じたのは――、


「そうだ。裕太くん」


 ふと、昔のことを思い返そうとしていると、真一さんが声をかけてきた。


「食事のあとで、1対1で、少し話せるだろうか」


「えっ……?」


「大丈夫。おそらくは君が気にしているようなことでもないし、絢香が懸念するようなこともない。大丈夫さ、ただ男同士で少し世間話をしたいというだけだ」


 その言葉に、少しだけ絢香さんに視線を移してみる。未だ顔は赤いままではあったが、キッと、真一さんを睨みつけていた。

 おそらくは、絢香さんも同じく俺と一緒の心配をしてくれていたのだろう。


「そういうことでしたら。はい、大丈夫ですよ」


「うん、ありがとう。……さて、それじゃあとりあえず今は、食事の続きをすることにしよう」


 そういえば、さっきのひと悶着があって、しばらく料理に手を付けていなかった。

 食べ始めて少ししてのことだったので、くるるっ、と。思い出したかのように腹の虫が鳴いて。


「成長期なのだからな。しっかりと食べるといい」


「……ありがとう、ございます」


 先程とは、全く別の理由で赤面したのは言うまでもない。


 …………、


 そして。俺や絢香さんの嫌な予感が当たってしまい。

 やはりというべきか、涼香ちゃんは夕食に現れなかった。






 夕飯のあと、真一さんに連れられて、2階のテラスへと案内される。

 途中「年甲斐もなく、食べ過ぎてしまって少し胸焼けがするな」と、彼は笑っていたが。……あれはどう反応するのが正しかったんだろう。

 俺は、ひたすらに苦笑するしかできなかったわけだが。


「さて。……わざわざ来てもらって済まないな」


「いえ、大丈夫です。しかし、綺麗な庭ですね」


 テラスは2階からあることもあってか、入ってきときに見た景色とは一風変わった印象を受ける。

 月明かりに照らされた木々。おそらくは計算されて植え込まれているであろうそれらが、柔らかな光で幻想的に浮かび上がっていた。


「昼間の景色もいいんだが、夜は夜で違った一面を見せてくれる。……私はこのテラスが好きでね」


 そう言った真一さんの表情は、柔らかで。しかし、どこか儚げだった。


「さて。たしかに夕食中に宣言したとおり、裕太くんが心配していたような話ではない。が、さすがに庭が綺麗だという話をしに来たわけではないことは君もわかっているだろう」


「……はい」


 それは、そうだと思っていた。仮にそういう話をするだけであれば、それこそ絢香さんが着いてきたって問題ないわけで。1対1を指定してきたということは、他の人に――おそらくは絢香さんに聞かれたくない話があったということだろう。


「まずは、改めて感謝を述べさせてほしい。君が、絢香に寄り添ってくれたこと。彼女のアレを、乗り切ったことに」


 真一さんは、具体的には言わなかった。しかし、その言葉の意味は十二分に伝わる。


「いや、そもそもの始まりは、通り魔から助けてくれたことだったな。……私たちもあのときはいろいろとゴタゴタしていて、こうして感謝を述べに行くことができなかった。今回、併せて感謝を言わせてくれ」


「そんな。どちらについても本人から言ってもらってますし、なにより俺だって絢香さんや涼香ちゃんにいろいろと助けて貰ってますから!」


「それでも、だ。これを伝えなければ、私は親の姿をしたなにかだ。だから、言わせてくれ。……ありがとう」


 真一さんのその言葉は、今まで聞いたどんな感謝の言葉よりも、重く、そして強みがあった。


 真一さんが、ゆっくりと頭を上げて。そして、真面目な面持ちで話し始める。


「それで、改めて聞くが。新井グループの経営について、興味はないだろうか」


「えっ!?」


「はっはっはっ、冗談だ、冗談。……また、君が少し緊張しているように見えたからね」


 なんともタチの悪い冗談だ。とはいえ、たしかに少し緊張が解れたのも事実。


「とはいえ、あながちただの冗談というわけではないのだが」


 なにか、真一さんがボソリとつぶやいたが、うまく聞き取れなかった。

 なにを言ったんだろう、と。そんなことを考えていると、彼はパンッと手を叩いて。改めてこちらに向き直して、


「それでは、本題の話をするとしようか」


 そう、言った。

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