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#51 そういえば財閥令嬢でしたね

「…………、……さん」


 8月もそろそろ後半に入ろうかという頃合い。

 あれからというもの、涼香ちゃんの様子は本当にすっかり戻ってしまったようで。まるで、あの日だけが特別おかしかったとでも言いたげに。

 あるいは、そもそもそんな日など存在しなかったかのように。元通りに戻ってしまった日々の生活。


「裕太さん、裕太さん!」


「うぉあ! ご、ごめんボーッとしてた」


「大丈夫ですか? どこか体調が優れないとか」


 絢香さんが不安そうに俺の顔を覗き込んでくる。慌てて「大丈夫大丈夫」と訂正する。


「それで、絢香さんこそどうしたの?」


「その、以前言っていた両親との場についてなのですが」


「……ああ」


 それは、以前より絢香さんから頼まれていて。そして、一度流れてしまった、彼女の両親との面会の場。

 それを、改めてセッティングし直してくれたということだろう。


「もし体調が良くないのであれば、やっぱり――」


「いや、大丈夫だから。大丈夫だから!」


 ただの考え事が、いらぬ心配を引き起こしてしまったようで。身体を使って、なんとか健康さを表現する。


 まだどこか心配している様子だったが、とにかく納得はしてくれたようだった。


「それで、急ではあるんですが今週末でも大丈夫ですか?」


「今週末……うん。大丈夫なはずだよ」


 そらで予定を思い起こしてみるが、特になにもなかったはずだ。

 その言葉に、絢香さんは表情をパアアッと明るくして、それじゃあ両親に伝えてきます! と。


「よろしくね。俺は茉莉と美琴さんに伝えておくから」


 美琴さんは元から日帰りで来ているからまだいいのだが、茉莉は現在泊まりがけでメイドをしてくれている。

 俺と絢香さん。それから涼香ちゃんが不在になると茉莉ひとりだけになってしまうので、一旦帰宅するなりしてもらってもいいかもしれない。


「…………」


 それに、しても。

 指先に、ピリピリとした緊張が走る。以前の絢香さんの発言から、おそらく彼女の両親からはかなり歓迎されている、ようだが。

 とはいえ友達の……それも、異性の両親と顔を合わせる。そう思うと、どうしても身体が強張ってしまう。

 ……普段の彼女を見ていると時々忘れがちになるときがあるが、絢香さんは財閥令嬢なのである。

 ということは、その両親は財閥の社長なわけで。


 ブンブンと頭を横に振って考えを振り払う。

 ダメだ。意識すればするほど、緊張が加速する。このままでは、それこそ気負い過ぎで体調が悪くなりそうだ。


 大きく深呼吸をして、よし、と。


 …………、


「いや、どうやっても、腹を括っても」


 怖えもんは怖えよ。






 そして、週末。

 あれからというものの、なんとか思考から外そうとは努力してみたものの、その程度では焼け石に水にしかならず。……正直、ここ数日のまともな記憶が無い。

 体調だけは気を配っていたので、なんとか整えられている、と思いたい。


「大丈夫ですか?」


 そう尋ねてくるのは、隣に立っている絢香さん。緊張云々の話をするのであれば全く以て大丈夫ではないのだが、ここで変な回答をしてしまってはまた絢香さんが不安がって、それこそ再びこの場が流れかねない。

 それも、前回でこそ主役が絢香さんだったために茉莉という代役を立てられたからよかったものの、今回は俺のために作ってくれた場のため、そういうわけにはいかない。


「……うん、大丈夫だよ」


 そう、笑ってみせるが。……その笑顔が引きつっていないか。それがひたすらな懸念だった。


 予想を、していなかったわけではなかった。いや、むしろそうだろうなとは思っていた。

 のだが、実際にそれを見せられてしまうと、こうも圧倒されるものだろうか。


「でけぇ……」


 言わないように、とは思っていたのだが。思わず口をついて出てしまった。


 絵に描いたような高級住宅街。そこに堂々と建っている、文字通りの豪邸。

 果たして何人住めるだろうかとそう考えてしまうそれは。しかし、たしか絢香さんには涼香ちゃん以外に兄弟姉妹はいないので、4人で暮らしていることになる。

 道路との境目には、当然と言わんばかりに巨大な門が構えてあって。


「嘘つかなくてもいい。緊張してるんでしょ」


 ボソッと。絢香さんとは逆サイドから涼香ちゃんが声をかけてきた。全く以て、そのとおりなのでなにも言い返せない。


 絢香さんはインターホンを使ってなにやら喋ったあと、どうぞこちらへ、と。門の隣側にある小さな入り口へ――とは言っても、門に対して小さいだけで普通の完成からしたら大きめなのだが。

 彼女の案内の元、敷地内へと入っていく。

 くるりと見回してみれば、丁寧な手入れが行き届いた庭。その善し悪しなどは全くわからない人間なのだが、ただその凄さには圧倒されるものがある。


 出てくるものその全てで、想像の数段上を見せられていて。事前の心構えに一切の時間なく、俺の代役としてここに連れてこられた茉莉に少し同情する。……いやまあ、俺のせいなんだが。


 しばらく庭を歩いて進み、邸宅の入り口が近づいてきたとき。ちょうど、家の玄関の方も扉が開いた。


 中から出てきたのは、ピシッとしたスーツ姿で、オールバックに少々の顎髭を携えた威厳のある男性。そして、柔らかな雰囲気に陶磁のような透き通った肌の女性。


 まず会ったら挨拶を。そう思っていたのに、改めて面と向かい合ったからか、考えていたことが全て吹き飛んでしまい、口が開きかけたまま、固まってしまった。

 そんな俺に気づいてか、あるいは、ただ純粋に、か。絢香さんは一歩前に出て。


「ただいま、お父さん、お母さん」


「おかえり」


「おかえりなさい、絢香、涼香」


 そのやり取りを聞いて。やはり、絢香さんの両親だった。

 同時、やっとまともな思考を取り戻した俺は、慌てながらも「えっ、えっと!」と、なんとか口を開いた。


「あの、俺……私は、小川 裕太って言います、その、絢香さんと涼香ちゃんにはいつもお世話になって――」


「楽にしてくれて構わない。それに、世話になっているというのはこちらこそというものだ」


 彼は「娘たちが世話になっている」と、深々と頭を下げてくれる。俺も慌てて同じように頭を下げた。

 ……しかし、楽にしてくれて構わない、とは言われたが。果たしてこれは、言葉そのままに受け取っていいのか?

 受け取っていいのなら、正直とてもありがたいのだが。マナー云々というものについてはこれっぽっちも明るくないため、どう考えてもこのままだと粗相を起こしてしまう気しかしない。


 ……というか、そもそも今現在の俺の様子が、なんとか取ってつけたようなものに見えてしまっているのかもしれない。


 そんなことを考えながら、少し不安に思っていると、頭を上げた彼が「そういえば、名乗るのを忘れていたな」と。


「私が新井 真一(しんいち)、絢香と涼香の父で、こっちにいるのが妻の香織(かおり)だ」


 真一さんの紹介で、隣の女性――香織さんが頭を下げる。今度は先程とは違い、ある程度予測がついていたこともあって、落ち着いて礼をする。


 真一さんについては、なんとなく知っていた。直接会ったことがあるわけではないが、テレビのニュースなんかでときたま見かけることがあった。

 香織さんについては、こちらは初めて会うわけなのだが。しかし、ふたりの母親と聞いて、とても納得がいく。特に、絢香さんの雰囲気がそのまま見た目に現れている。


「とりあえず、こんなところで立ち話というのも悪いから。ひとまず上がるといい」


「は、はいっ!」


 真一さんに連れられ、絢香さんと並んで家の中に入る。

 外観も豪勢であったが、その内装も負けじときらびやかで、なんというか、ものすごく場違いな感じがしてしまう。


「裕太くん、でいいかな?」


「は、はい!」


「ははは、楽にしてくれていい、と言っただろう」


 真一さんは、しっかりとしていながらも、どこか柔らかな口調でそう語りかけてくれる。

 ……とはいえ、そうは言われてもこの状況で楽にしろという方が無理な話ではあるんだが。


「先に謝っておく。すまないが、君に関しては軽く調べさせてもらった。……いくら本人の希望で、なおかつ相手がその命の恩人であれど、愛娘を預けるとなれば私たちとしても心配なのでな」


「それは、……はい、大丈夫です」


 絢香さんたちから直接にそういうことを伝えられたわけではないが、なんとなくそうだろうとは思っていた。実際、両親へ涼香ちゃんが事前に連絡をとっていたみたいだから、たぶんある程度の情報は筒抜け状態だったんだろう、と。

 仮にも彼女らは財閥令嬢なわけで。そんな人たちがどこぞの馬の骨とも知らない人のところへ行く、と言ったところで。このままでは、どう考えても許可される道理が見当たらない。


 というか、そこでどうして引き止めなかったんだよ真一さん。どうして希望を叶える方針で動いちゃったんだよ。


 もちろん口には出さずに心の中でそう思い留めながら、彼の後を続いて行く。


「ところで裕太くん。ひとつ、聞きたいことがあるんだが」


「……? はい、なんでしょうか」


 真一さんはピタリと足を止めると、その場でくるりとこちらに向き直す。

 首を傾げた俺に対して、彼は表情ひとつ変えず。――つまり、とても真剣な表情で、尋ねてきた。


「新井グループの、経営について興味はないだろうか」


「…………はい?」


 耳を疑ってしまいそうなその言葉に、俺はぱちくりと目をしばたたかせた。

 えっと? 新井グループの、経、営?


 はたしてなんの話なのか、どういう経緯でそういう話になっているのか。全く要領を掴めていなかった俺が、ポカンとしていると。

 おそらく、意味を理解したのだろう。理由はわからないが顔を真っ赤にした絢香さんが「おっ、お父さん!?」と、大きな声を出した。


「私も裕太さんもまだ高校生ですよ!? そ、そういう話はまだ早いと言いますか……」


「そうは言うが、もし彼が婿入りしてくるようなことになれば、すなわち彼が経営を引き継ぐ可能性もあるわけで。そうであれば、今のうちから私たちの事業について知ってもらうほうがいいだろう」


「そっ、それはそうかもしれないけど!」


 口調の丁寧だった絢香さんが、だんだんと年相応というか、言葉が柔らかくなってきた。

 家族の前だからだろう。学校での氷の女王様や、家での敬語口調の彼女とは違った、おそらく自然体に近い絢香さんのその様子に。少し驚きつつも、新鮮な気持ちになる。


 ……ん? いや待てよ。一瞬スルーしかけたが、なんか「婿」という単語が聞こえたような気がしたんだが。


「あの、ええっと。……別に、俺と絢香さんとが、その、お付き合いしてるとかそういうわけでは無いですよ?」


 父娘の言い合いに、そろそろと控えめ気味に、そう訂正しようと入り込むと。ふたりしてこちらを見る。

 そして、揃って首を傾げ。


「それは知っているよ」


「わかってますよ」


 ……仲良く、同時にそう答えた。


「コホン。とはいえ、絢香が裕太くんのことを好いているのも事実。その上、諸事情あって我々としても君に絢香を支えて欲しいと思っている」


「ちょっ、お父さん!?」


「好意については伝えたのだろう? 涼香から報告が上がっていたぞ」


「涼香!?」


 父親に向いていた鋭い視線が、今度は涼香ちゃんへと向けられる。……うん、まあ、気持ちはすごくわかる。嫌だよなあ、たしかに知られたくないだろう。そういう事情は。


 涼香ちゃんは我関せずといった様子でそっぽを向き、とってってってっ、と。歩き始めた。


「あら、涼香。どこに行くの?」


「ちょっと、疲れたから。自分の部屋で休んでくる。ご飯のときに、呼んでくれればそれで」


「でも、夕飯の用意はもうできてるわよ?」


「…………あとで食べる」


 そう言って歩き去っていくその様子に。俺と絢香さんは、どこか、見覚えのある光景を思い出していた。

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