表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

53/131

#50 物語はまだ終われない

 コンコンコン。ドアがノックされてから、ゆっくりと開かれる。


「涼香、その、お昼ごはん……」


「……あとで食べるから、机に置いておいて」


 そう返すと、お姉ちゃんは「あ、うん……」と。困惑を伴ったような声で答えた。

 お姉ちゃんはお昼ごはんを机の上に置いて、気まずそうにしながら、部屋から出ていった。


 まるで、その様子は他人行儀と評するのが似合っているようで。私とお姉ちゃんの間に、なんと言い難いやりにくさが生じていた。


 原因は、わかってる。というか、私が原因だ。


 悶々と抱えている感情を必死で抑え込みながら、ノートにデザインを纏めていく。


 早く。……早く、お姉ちゃんを魅力的にしてあげないと。もっと、もっと魅力的にして、そして。

 そして、裕太さんに気に入ってもらえるようにしてあげないと。


 パキッ、と。その瞬間。鉛筆の芯が折れる。……力がかかり過ぎたようだ。


 ハァ、ハァ、と。息切れ気味の呼吸を整えながら、私は現実に向かい合う。


「どうしてこうなったんだ……」


 クシャクシャっと、頭を掻きながら、まとまらない考えにため息をつく。


 茉莉は、強力なライバルになると思っていた。なにより裕太さんのことをよく知ってる上に、幼馴染という立場があまりにも強すぎる。

 しかしその一方で。その立場がありつつ、なおかつ茉莉に好意的な感情があったにもかかわらず、あくまで友達以上の関係性に発展していなかった。

 それは、茉莉の性格ゆえのもので、彼女はこういった大胆な決断というものを敬遠したがる傾向がある。それは、メイド服云々のときにわかった。

 だから、強力なライバルであると同時に動き出しは遅い。そう判断した。


 反対に、美琴さんはあまり警戒していなかった。アクティブな性格で裕太さんとの距離が近かったのはそのとおりではあるのだが。なにより彼女自身が私と同じく傍観者気質なところがあったというか、好意自体はあったかもしれないが、どこか少し諦めているような傾向があった。

 だから、最初の頃。メイドとして増えたときもあまり気にしてはいなかった。

 しかし、夏頃になってから様子が変だな、と思っていて。そして、昨日。さらには今日。思わぬところから、急襲されてしまった。


「…………」


 いいや、違う。そんなことではない。

 たしかに、それについて悩んでいるというのは正しいので、違わなくないのだが。それよりも、深刻な問題があった。


「……もう、この際誰でもいい。お姉ちゃんが、理想だけど。最悪茉莉でも、美琴さんでも」


 誰でもいいから、裕太さんとくっつけば――、


 やや自棄になり気味なそんなつぶやきに、己のやるべきことを見失いそうになる。

 私がここにいるのは、お姉ちゃんの恋路を助けるため。

 最初の頃は裕太さんの人となりを見定めるという目的もありはしたが、その懸念については校外レクの際に消え失せた。


 あのお姉ちゃんを乗り越えられる人物など、そういない。身内ですら、耐えかねて彼女の望みを叶える方を取ることがあるほどだった。

 それを彼は、関係を持つようになってから1ヶ月ほどだったにもかかわらず、耐えきり、お姉ちゃんに寄り添った。


 そんな人物、後にも先にもそう見つかるものではない。お姉ちゃんが幸せになるためには、必ず裕太さんと――、

 そう、思ってはいるのに。そう、わかってはいるのに。


 トッ、トッ、トッ、トッ。


 この、忙しなくなり続ける鼓動は。考え続けるたびにうるさく鳴り響く心音は。

 いったい誰の了見を得て、勝手に騒いでいるんだ。


 ――衣服争奪戦。面白そうだと思い。そして、なにより自然とお姉ちゃんがアタックする機会を作ることができると思い、提案したもの。

 争奪戦という形をとったのは、茉莉たちも参加できる方が、これがフェアな戦いであり、お姉ちゃんとしても後ろめたさなくアピールができると考えたから。あとは、面白そうだったから。

 自分も参加したのは、あの場の流れ的なものもあったが純粋に気になったこと。そして、やはり面白そうだったから。


 そんな、軽い気持ちで参加したのだから。……きっとこれは、その罰なんだろう。


 とはいえ、罰にしても。あまりにも酷過ぎないだろうか。


 自分自身の自覚に、目を背けたいそれに。しかし、どうしても向き合わなくてはいけない。

 ……裕太さんのことが、好きになってしまった。


 最初の気付きは、ほんのりとしたものだった。


 ナンパから助けてもらったあと、よくわからないモヤモヤとした気持ちを抱えながら、しかしよくわからないので、とりあえず考えから外しながら適当に過ごしていた。

 ……今思ってみれば、微かだっただけで、似たような感情はしばしば感じていたように思える。ナンパの一件が、朧げだったそれらを集め、束ね。そして小さくとも感ぜられるほどの塊として作り上げただけで。


 そして、考えから外していたその気持ちを再確認し、そしてそれが好きだという気持ちだと気づいたのは、お姉ちゃんの誕生日パーティーでのこと。


 裕太さんについて知りたがる両親の様子を見て、どうしてか不思議と嬉しく感じるようになり。しかし、その一方で、両親としてはお姉ちゃんと結ばれることを願っているような、そんな様子に。どこか、いらだちを感じるようになっていた。

 自分だって、お姉ちゃんと裕太さんとが結ばれるために動いているくせに。だというのに、それにいらだちを感じるだなんて。


 そんな、悶々とした気持ちを抱えているときに。ふと、気付いてしまった。

 どこか、もしかしたら、と。そんなチャンスを願っている自分がいたということに。


 自分も、同じく裕太さんのことが好きだということに。


 これが、私の初恋なんだということを。


「でも、だめなんだ。……だめなんだよ」


 そんな自分の初恋を。ギリッと奥歯で噛み潰す。

 敬愛するお姉ちゃんの、その好きな人を。同じく好きになってしまうなど。あってはならない。


「……早く、お姉ちゃんと裕太さんとが、結ばれないと。早く、結ばれてもらわないと」


 ひんやりとしたものが、腕に零れ落ちた。

 続いて、ノートに丸い滲みが現れる。


「私のこの気持ちに、整理がつかない……」


 お姉ちゃんに協力するためにここにいるのに。お姉ちゃんの手助けをするためにここにいるのに。

 その存在意義を全うすることは、自分自身の気持ちを全否定すること、そのものだった。


 嗚咽が、溢れ出して。目の前がグシャグシャになる。


「人を、好きになるということ。そして、それを諦めないといけないということ」


 それが、こんなにも苦しいのならば。


「……こんな感情、知りたくなかった」


 なんとか気持ちを整理しようと努めるが、全く感情が言うことを聞かない。


 コンコンコン。しばらくぶりに、部屋がノックされる。

 ……この部屋はお姉ちゃんと私の共用なのだから。ノックなんてせずに気にせずにそのまま入ればいいものを。


 いや、そんな間柄だというのにノックをしてしまうくらい、今の私の態度が悪いのだろう。


「あの、ね。涼香。やっぱり、お姉ちゃん、涼香と一緒に話し合うべきだと――」


「今、忙しいから。……私と話してる暇があるなら、お姉ちゃんも美琴さんみたく裕太さんを誘惑してきたら?」


「誘わっ……!?」


 入ってきたお姉ちゃんに見向きもせず、ただ反射的にそう答えてしまって。

 困惑した様子の反応に、またやってしまった、と。


「違っ、いや、違わな……」


 訂正しようとするも、しかし、私の中の誰かがその言葉を止めようとする。

 理性の手綱を振り切った感情たちが、目まぐるしく身体の中を駆け巡って。好き放題に暴れる。


「今は、ひとりにして欲しい」


 なんでそんなことを言ってしまったのだろうか。たしかに、そう思っている自分もいるのだけれど。しかし、お姉ちゃんの言うとおり、一緒に話し合うべきだろう。

 しかし、感情がそれを許さなかった。正しさよりも自分の気持ちを優先したそれは、結果としてお姉ちゃんを突っぱねる、という選択をした。


「……わかった。えっ、と。とりあえず、今日は涼香がこの部屋を使っていいから」


「…………っ」


 言葉を捻り出そうとするも、まるで喉を絞められたかのように掠れた声しか出せない。

 当然、お姉ちゃんにそれが伝わるわけもなく。悲しそうな声色で、彼女は言葉を続けた。


「その、裕太さんにお願いして、もう1部屋用意してもらうから。荷物の、移動のときだけはいるけど、そのときは許してね?」


 そうとだけ言うと、お姉ちゃんは扉を閉めて出ていってしまった。

 タッタッタッタッと、走り去ってしまうその足音に。言い表しようのないやるせなさを。後ろ髪を引かれるような後悔を感じて。


「うぐっ……くぅ……」


 ポタリ、ポタリと。涙が大きく、零れていった。






「……盗み聞きは、趣味が悪いとは思ったんだが」


 絢香さんと涼香ちゃんが心配で。キチンと話すべきだろうと助言した手前、様子が気になったこともあり。廊下に立って、会話に聞き耳を立てていた。

 そして、ひとしきり会話をし終えて、部屋から出てきた絢香さんは、顔をグシャグシャに濡らしていて。

 俺の姿を見るや否や。ペタリと座り込み、泣き出してしまった。


「私、いったいどうすれば……」


 まるで小さな子供のように泣きじゃくり、不安を吐露するその姿は。絢香さんにとっての涼香ちゃんの存在の大きさ。そして、そんな彼女から拒絶された今の心情を、わかりやすく表していた。


 だがしかし、そんな彼女に、どんな言葉をかけてあげればいいんだろうか。

 ただ、隣いてあげるだけならいくらでもできるのだが。しかし、こんなとき、どう声をかけてあげれば――、


「なーに絢香ちゃん泣かしてんのよ」


「俺が泣かせたんじゃねえよ。……というか、そういう冗談を言ってる場合じゃなくってだな」


「……わかってるわよ。さすがに、今の状況くらい」


 悩んでいた俺の後ろから声をかけてきたのは茉莉。

 彼女は、そのまま絢香さんに寄り添うと。優しく声をかけながら「立てる?」と。


「とりあえず、絢香ちゃんは私が引き受けるから。裕太はそっちをお願いね?」


「そっちって……」


 茉莉は詳しくは言わなかったが、この状況で指し示すものはひとつしかないだろう。

 しかし、そうは言われても、俺も絢香さんと同じく、彼女から拒絶されつつあるんだが。


 とはいえ、なにもしないわけにはいかない。柔らかな声色で絢香さんを宥めながら自室へと連れて行く茉莉を見届けて。俺は涼香ちゃんのいる部屋の前に行った。


「涼香ちゃん、いる?」


 ドアは開けず、ただ、そう尋ねる。


「……今度は、裕太さんがなにか言いに来たの?」


「まあ、そんなところ」


 随分と、警戒されているようだ。もともと拒絶気味だったところに、さっきの件の直後である。涼香ちゃんからしてみれば、絢香さんになにか言われてそれについて話に来たと思ってしまうところだ。

 あながちそれで間違いはないのだが。


「忙しいみたいだから、手短に言うね」


 あまり、俺から干渉しすぎても、やはり改めて絢香さんと話し合う際に、拒絶から入ってしまいかねない。

 だから、本当に必要なことだけ。


「……涼香ちゃんは、自分のことを押し殺し過ぎてる。絢香さんのためなら、自分がどうなろうとって、そう考えることがある」


 それが、絢香さんのことが大好きだから、それ故の行動だということは、わかっている。だけど、


「それで、絢香さんが喜ぶかと思えば。……俺は違うと思う」


「…………善処は、する」


 きっと、納得していないだろうな、と。そう感じられる返答に。しかし、やはりこれ以上の説得は俺からでは不可能だろう。

 わかった、と。そう伝えて、その場を後にする。


「誰のせいで、こんなに悩んでると……」


 そんな呟きが、俺に届くことはなかった。






 そして、翌日。

 俺と、茉莉と。そして、なんとか落ち着いた絢香さんの前に現れたのは。


 まるで、今までどおりの様子に()()()、涼香ちゃんだった。


「……どうしたの、幽霊でも見たみたいに」


 隣で俺の横腹を小突く茉莉が「どうやって説得したのよ」と耳打ちしてくる。


 なにもしてない、というか、できていない、はずなんだが。

 絢香さんに「昨日はごめん、忙しくって」と、そう言う涼香ちゃんの様子も。やはりいつもどおりの彼女のようで。

 そんな彼女に、少し戸惑いつつも。けれど、ただの勘違いでよかった、元通りの関係に戻れたと。絢香さんはとても喜んでいて。


 これで、よかった、のだろうか。……なんだろうか、なにかが、おかしいような。


 夏休み後半。外れた歯車が、チグハグに噛み合い。回り始めたような。

 そんな、気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ