#49 美琴の覚悟
パタン、と。自室の扉を閉じると、吸い込まれるようにベッドへと倒れ込む。
柔らかな布団がボフッと迎え入れてくれる。
疲れた。ただそのひとことに尽きた。
家に帰ったあと、家族にことの顛末を聞かれて。ひと通り、あったことは説明した。
一緒に泊まって、線香花火をして、一緒に寝て。そして、帰ってきたこと。
……告白のことについてだけは、伏せておいた。
お母さんなんかは「怒らないから、正直に言いなさい? したんでしょ?」って言うし、お父さんも「そんな状況にもなってしないとは、まさか彼は不能なのか?」なんて言ってきたし。
裕太くんに関して変な誤解をされては困るので、それについては必死で否定しておいたが。それはそれで今度は「やっぱりしたんじゃないか」と疑いをかけられることになった。
裕太くんも、あのときは必死で我慢してくれていたようだし。不能というわけではないと思うし。
というか、普通逆じゃないの? 娘がなにごともなく無事に帰ってきたことに喜ぶものなんじゃないの?
てっきり怒られるものだと思って帰ってきたのに、全くもって怒られなかったのには拍子抜けしたが。それ以上に、なんならそういったことを致さなかったことに関して詰められるとは思わなかったので、なによりも困惑のほうが勝っていた。
結局その後、長時間に渡る私の否定や抗議により「もしかして本当にしてないんじゃない?」と、やっと私の主張が通ってなんとか説得に成功した。
その後、解放される直前に、
「いい、美琴。今回はできなかったみたいだけど、いざとなったときの既成事実は強いのよ。私もお父さんをそうやってゲットしたわけだし」
と。知りたくもなかった両親の馴れ初めを聞かされて。
自信満々な母親と。恥ずかしがりながらも満更でもなさそうな父親の様子を見て。なんというか、どっと疲れが増したような気がした。
「既成事実、かあ」
ふと。今回のことを思い返してみた。
……しれっと、私も作りに行っていた、よね?
なんだかんだで親子なのだな、と。そんなことを思い返しつつも。
その内容を思い返してみて、かああっと、顔が熱くなってくる。
込み上げてくる感情が、身体から溢れ出しそうになり。
近くにある枕を手繰り寄せ、頭をうずめて。叫ぶ。
「わあああああああっ!」
「うるせえ発情期!」
どこか聞き覚えのある弟の発言に「発情期じゃないもん!」と抗議しようとするが。
「……いや、発情期なのかな」
叫ぶだけでは収まらず。膨れ上がった気持ちを発散しようと。足をバタバタとベットの上で暴れさせる。
しかし、そんなくらいで収まるわけもなく。身体の中に熱い気持ちが、渦巻き続ける。
「でも。やっと、1番になれた」
例えそれが、不意打ちのように仕掛けて、手に入れることができた1番であったとしても。
恥ずかしさの中に、しかしながらハッキリと感じられるその手応えに。私はぎゅっと拳を握りしめる。
メイドになった順番も最後で、彼と過ごしている時間でも、やっぱり他の3人には圧倒的に負ける。
出会った時期だって絢香ちゃんや涼香ちゃんよりかは早いものの、幼馴染の茉莉ちゃんにはボロ負けだった。
けれど、そんな中で。
私が、1番最初に、面と向かって気持ちを彼に伝えることができた。
私が、1番最初に、同じ部屋の中で、お互いを意識しながら、眠った。
絢香ちゃんがあのとき改めて宣言したということは、間接的に伝えることはあったとしても、面と向かって伝えたのはあのタイミングが初めてということだろう。
一緒に寝た、というだけなら、茉莉ちゃんと幼い頃にしていそうなものだが、お互いに意識をした状態で、は私が最初のはずだ。
で、あれば。いずれにせよ、私が最初、ということで。
確かなその実感に、言い表しようのない、嬉しさがこみ上げてくる。
そんな、競争のようにすることでもないかもしれないけれど。
しかし、これは確かに衣服争奪戦という、ある意味競争でもあるのだ。
私だって、裕太くんのことが好きなんだ。
負けないから。負けたくないから。
絢香ちゃんは、とってもかわいくて。それでいて、彼女自身とても優秀な子だ。勉強も、運動も。そして、家事もできる。そんな子に慕われ、尽くされることは。至上の喜びだろう。
茉莉ちゃんは昔からの付き合いということもあってか、彼のことをよく知っていて。口振りでは悪態をついているようではあっても、その実行動の端々から彼のことを想っていることがよくわかる。彼女から想われることは、なによりも心安らぐことだろう。
少なくとも、このふたりは間違いなく私の目の前に立ちはだかってくる壁になる。
随分と高く、そして頑丈な壁だ。
しかし、私だって負けていられない。
自分にだって、彼女たちに負けない、なにかが。なにかが……ある、はず……なんだけど。
「…………」
思い、つかない。愚痴を叫んでそれで解決するわけではないのだが。なんだろうか。彼の周りの人物、あまりにも強すぎないだろうか。
勉強はできる自信はあるが、同じくらいには絢香ちゃんだってできるだろう。流石に学年差があるから現状では私のほうが勝てるとは思うけど、それを引き合いに出すのはアンフェアで。
家事に関しては……最低限はできる自信はあるけど、勝てる気がしない。
裕太くんに関してどれだけ知っているか、という話では。これは、うん。どう考えても茉莉ちゃんに勝てない。
私が勝てそうなことといえば、難しいことは考えずに、彼を振り回すくらいなもので……って、どちらかといえば、彼に迷惑をかけることじゃん。
あとは、そうだな。絢香ちゃんや茉莉ちゃんがに勝てそうなこと……、
ふと、自分のカバンに目が行く。あの中には、あのビキニメイド服が入っている。
着ないかもしれないけど、念の為。と、持っていったメイド服。ホントに着ることになるとは思わなかったけど。
結局それを着ても、誘惑し切ることはできなかったわけだけど。
誘惑。……なにを思ったのか、ふいに自分の胸に両の手を持っていっていた。
たしかに、ここには自信がある。絢香ちゃんも大きい方ではあるけど、ここだけは私のほうが大きいはずだ。
「まさか、小さいほうが好きってわけじゃないよね?」
ふと思い立ったその考えに、頭をブンブンと振って否定する。
いや、そちらのほうが好きな人がいる、ということは聞いたことはあるけれども。裕太くんはたしかに私の胸に視線を寄せていることもあったし、少なくとも大きいのが嫌い、というわけではないはず。
「なんというか、さっきちょっと嫌だなあって思ったお母さんと同じ思考に至りかけてる自分がいて、複雑……」
いやもう、既に誘惑を仕掛けた立場からしてみれば今更という話ではあるんだけど。
スルスルとベッドから抜け出して、カバンのところまで来る。
中から取り出すのは、件のメイド服。やっぱり見直してみても、大胆な服だ。
服、服……服かぁ。
「……そうか、服だ」
失念していた。私が、絢香ちゃんや茉莉ちゃんに勝てる、数少ない特技。
絢香ちゃんの実力はわからないけど、少なくとも茉莉ちゃんは裕太くんに教えてもらいながらシュシュを作っていたくらいなので、おそらくこれについては私に軍配が上がるはず。
これならば、裕太くんに私をしっかりとアピールすることが……、
「って、服飾関係で1番強いのが、その裕太くんじゃん」
そもそも、当の私が「私に服を作って!」とお願いしまくっていた相手その人である。アピールとかそういう次元ではなかった。
とはいえ、少なくとも自分自身を着飾り、よく魅せることはできる。そういう意味では強みに――、
強みに、なるのだろうか。ふと、脳裏によぎったその人の存在に、私は眉をひそめた。
「絢香ちゃんには、涼香ちゃんがついてるんだもんね」
メイド服姿の絢香ちゃんを思い浮かべ、思い出す。
彼女の容姿によく似合ったあのメイド服。それを仕立てた張本人が、協力者として絢香ちゃんの味方をしている。
あの子の作る衣服は、裕太くんの作るものとは少し方向性こそ違うものの、たしかに良いものだ。
先程までは絢香ちゃんと茉莉ちゃんを己と見比べる壁として見ていたから忘れていたけれど。
「涼香ちゃんも、メイドなんだもんね」
こうなると、本当に裕太くんの周りにいる人と比べると、私自身の勝てるところが無いように思えてきた。
ふっと、暗い気持ちが浮かんできそうになって。頭を振ってそれを振り払う。
「ううん。違う。違うよね。……今、勝てなくても。勝てるように、頑張るんだ」
勉強は、ひとまずいいとして。家事はお母さんに教えてもらおう。……たぶん変な勘ぐりをされるだろうけど、喜んで教えてくれるはずだ。
服飾だって、裕太くんと涼香ちゃんのものの方向性が違うように、私のものの方向性も、違う。しっかりと、自分をアピールしていけば、きっと――、
男の子の好きなものとかは、私はよくわかんないけど。お父さん……はダメかな、世代が違う。でも、弟なら、わかるかも?
……今から既に「俺に聞くんじゃねえ」と嫌がる様子が目に浮かぶけど。そこは私だって引けないところなんだ。意地でも協力してもらおう。
よしっ、と。覚悟とやる気を決めて。
そこで、気づく。ひとつ、見落としというか。……わからないことがあることに。
「涼香ちゃんは、どっちなんだろう」
絢香ちゃんと茉莉ちゃんは、裕太くんのことが好き、で間違いないだろう。
絢香ちゃんは宣言をしているし、茉莉ちゃんは言葉にこそ出していないものの態度がそれそのものだ。
しかし、涼香ちゃんは。――どうだろうか。
立場としては絢香ちゃんのサポートとしてやってきていて。つまるところは絢香ちゃんが裕太くんと結ばれるためのお手伝いをしよう、というのが彼女の思惑なのだろう。
その一方で、彼女自身も裕太くんの衣服争奪戦に参加していて。……というか、その衣服争奪戦を始めた張本人なんだけれども。
涼香ちゃんは、裕太くんのことをどう思っているんだろうか。
姉の想い人として思っているのか、それとも、彼女自身も――。
もしかしたら、思わぬところにいるのかもしれない伏兵の存在に。
「……いいや。警戒は、するだけしておいて損ということはない、よね?」
その「もしかしたら」が、私の杞憂ならばそれでいい。
けれども、その「もしかしたら」が事実で。不意に先を越されてしまったら、それこそ悔しい思いをする。
私だって、負けたくないんだから。
ぎゅっと、決意を握りしめて。
とにもかくにも、それならば、と。
「ねえ! 聞きたいことがあるんだけど!」
「クソ姉貴、勝手にドア開けんじゃねえよ! せめてノックしてから開けろ!」
「あっ、ごめんね」
ドアを一旦閉じてから、ノックをする。
「ねえ、聞きたいことがあるんだけど」
「そういう意味じゃねえよ! あと、嫌な予感しかしないから断固として拒否する!」
「そんなこと言わないでよ! 姉弟でしょ!」
「姉弟でも、だ! あんなことがあったばっかりで、その直後の相談事とか厄介事以外のなにがあるってんだよ! 俺は嫌だからな!」
「そんなこと言わないでよー!」
結局、泣きついてしばらくの間ゴネていたら、折れてくれて相談に乗ってくれた。
なんだかんだで聞き分けのいい弟は大好きだよ。うん!
……めちゃくちゃに蔑んだような目で見られてる気がするけど、気にしない気にしない。