#5 食事への感想は思ったことを全力で
「うわぁ、ホントにメイド服着させてるんですけど」
インターホンも鳴らさず、さも平然と上がりこんできた茉莉は、炊事場に立つ絢香さんを見るなり開口一番そう言ってきた。
その絢香さんはというと、昨晩と同じメイド服に見を包みながら買ってきた食材で昼食を作ってくれているところだった。買い物に少し時間がかかってしまったようで、もうそろそろ2時になろうかというところで、かなりお腹が空いてきている。
ちなみに、帰ってきたときの絢香さんは「しばらく分の食材を買ってきました」と言って、両腕に大量の荷物を提げていたので、一緒についていかなかったことを後悔した。……次からはついていこう。
「さっきも言ったが、誤解なんだよ。俺がメイドになってくれって頼んだわけじゃなくって、絢香さんたちがメイド服で押しかけてきたんだって」
「ふーん」
なんとか弁明を試みてみるが、なかなかどうして信じてもらえない。
「でも、好きなんでしょう? メイド」
「ぐっ……」
蔑むような目で言い放たれたその言葉に、俺は反論することができなかった。
「いや、そりゃ、まあ。好きだけども……」
「うわ、開き直った」
「茉莉が好きなのかを聞いてきたんだろうが!」
ぎゃあぎゃあと俺と茉莉が騒いでいると、絢香さんがふ「ふふふっ」と楽しそうに笑い、声をかけてくる。
「茉莉さんは、お昼ごはん必要ですか?」
「えっ、私? ああ、私のは大丈夫よ。さっき一旦家に帰ったときに食べてきたから」
「そうですか。わかりました」
そう言うと、絢香さんはお昼ごはんづくりを再開する。
「……ねぇ、裕太。あの人、本当に絢香さんなの?」
「ん? ああ、そういうことか。絢香さんだよ、間違いない」
「買い物に出かけたときに誰かと入れ替わったとかじゃなくって?」
「どういう状況だよそれ」
そうは言うが、茉莉の主張もわからなくもない。
茉莉が一度帰る前に見た絢香さんは外行きモード、つまるところは今までの俺たちがよく見知っていた絢香さんだったので、発言の意味不明さなどは一旦差し引いておいても「絢香さんだ」と認識することができた。
しかし、今現在の絢香さんは素なのだ。外行きモードのときの視線の鋭さなんて見る影もなく、それどころかめちゃくちゃに表情豊かだし、まるで別人のようだというのも納得がいく。というか、昨晩の俺もそう思ってたし。
とはいえ、素で接することができているということこは絢香さんが茉莉に対して必要以上の緊張をすることなく関われているということだ。
茉莉もメイドになると宣言したことが理由だろうか。細やかな理由はわかりはしないが絢香さんと茉莉が仲良くできそうということなので、それはいいことであるようにも思える。あんまり女子側で仲良くされて徒党でも組まれたら俺の立場が死にそうな気はするが。
「まあいいわ。それで? 私はなにをさせていただければいいんでしょうか、ご主人サマ?」
茉莉は、とてつもなくわざとらしく強調しながらそう言った。
「その呼び方はやめてくれ。それに別に何をしてくれなくても構わないぞ。そのへんで適当に寛いでいてくれ。なんなら茶でも出そうか」
「ふーん、絢香さん以外には特に何もしてくれなくても結構だと」
「別にそうは言ってないだろ」
はいはいそうですねー。と、適当にあしらいながら彼女は涼香ちゃんが寝転がってるソファに腰掛けた。絶対納得してないなコイツ。
「というか、マジで茉莉もなるのか? メイド」
「は? 当然でしょ。何か問題あるわけ?」
堂々と、きっぱりとそう言い切られた。
信じられるだろうか。この人、2時間ほど前に同じことを言っていた同級生に対して「狂ってる」と言い放った人間である。
「問題があるというよりかは、意外だったなあと」
正直信じられないという気持ちがいっぱいで、もしかして熱でもあるんじゃないだろうかと思ってしまう。
じっと見つめてみたる限りでは、特に顔が熱そうとかそういうことはないとは思うんだけど。
「……あの、そういう憐れむような目で見るのはやめて。自分でも何やってるんだろうって正気に戻りそうになるから」
「えっ? ああ、すまん」
言われて、慌てて目をそらす。どちらかというと心配という感情で見ていたのだが、彼女からはそういうように見えていたようだった。
いや、個人的には正気に戻ってもらったほうが助かるんだが。
「というか、お前自身許可はどうだったんだよ。その、親がどうとか……」
「ああ、それなら。……裕太と同じで、わかるでしょ? うちの両親を知ってるあなたなら」
「……察した」
茉莉の両親は、俺の両親ととてもよく波長が合う。というか、ほぼ同類である。それもあって、彼女とは昔から家族ぐるみの関係性ではあったのだか。……まあ、つまるところが許可されたのだろう。きっと俺と同じで、面白そうとか楽しそうとかいうような理由で。
「まあ、家にはお母さんしかいなかったんだけど、そのお母さんが電話でお父さんに確認取ってたし、それから裕太の両親にもお母さんから後で許可もらっておくって……」
大きなため息をつきながら、茉莉はそう言った。
俺が言えた立場じゃないが、ものすごい両親だ。……というか、俺の両親から許可が出る前提で話が進んだらしい。出るだろうけども。出るだろうけども!
ものすごい両親というのはお互い様だ。それで言うなら絢香さんや涼香ちゃんの両親もそうなのだが。
普通こういうのって、親が心配して止めそうなものだと思うんだけどなあ。
そんなことを考えながら、窓の外を眺めながらひとり苦笑いをする。
いろいろと思うことや考えることがあったが「お昼ごはん、できましたよ!」という絢香さんの声で全て消し飛ぶ。
時計を見ると、2時を少し過ぎた頃。俺の中でなによりも食欲が最優先事項になっていた。
「裕太さんは、座っててくださいね!」
結局、昼食後も食器を片付けようとすると、絢香さんに取り上げられてしまった。
ちなみに昼ごはんはオムライスとサラダだった。
「ねえ、絢香さんの料理って美味しいの?」
後ろからひょいっと顔を出してきた茉莉が、そんなことを尋ねてきた。
「うまいぞ。そりゃまあレストランで出てくるくらいとか、そういうわけではないが」
「あんたねぇ、そこは嘘でもレストランの料理と遜色ないくらいとか言ってあげなさいよ。そんなだからいつまでたってももてないのよ?」
冷ややかな目つきでそう言われた。「余計なお世話だ」と言い返してはおくが、実際言われて初めて、作ってもらってるのだから、たしかにそれくらい言うべきだったろうと反省した。
「ふふふ、大丈夫ですよ。むしろそんなに褒められてしまったほうが私としては却って萎縮してしまいそうですし」
にこやかに笑いながら、絢香さんはそう言ってくれる。
かわいい。次は絶対もっと褒めよう。もちろんお世辞で褒めるわけではなく、純粋に美味しかったという気持ちを伝えよう。そう決意した。
そんなことを考えていると、ちょうど涼香ちゃんがオムライスを食べ終わって、食器をキッチンに持っていったところだった。
皿を絢香さんに渡し終えると、くるりとこちらへ向き直る。
とってってって。彼女がぴょこぴょこと俺たちの方へと駆け寄ってくる。
「茉莉」
「茉莉さん、ね」
「茉莉もメイド、立場は同じのハズ」
「いちおうあなたよりは歳上なんだけど」
「どうせ1年しか変わらない。誤差の範疇」
ふたりのあいだでにらみ合いが繰り広げられる。止めるべきなのかもしれないが、一歩下がって巻き込まれないように逃げる。
そういえば、涼香ちゃんは高校1年生とのことだった。実際登校まで一緒にしたので疑っているだとかそういうわけではないが、見た目だけなら小学生、せいぜい中学生くらいだと思っていたので最初はけっこう驚いた。
まあ、人は見かけによらないということをこの2日で嫌というほど思い知らされているので、彼女が高校1年生だからといってなにか特別思ったりするわけではないが。
「それで、茉莉にちょっと来てほしいんだけど」
「なにか私に用事?」
茉莉がそう尋ねると、涼香ちゃんはコクリとうなずく。
「だから来てほしいんだけど」
「別に構わないんだけど、それってここじゃできないことなの?」
その質問に、涼香ちゃんは「うーん」としばらく考えて、
「できなくはない。けど、いいの?」
と、答えた。そのまま彼女は茉莉に耳を近づけるように要求する。
茉莉は膝を付き、涼香ちゃんの身長に合わせる。うん、失礼は考えだというのは承知の上だが、やっぱり1歳差とは思えないなあ。
そのまま涼香ちゃんは茉莉に耳打ちをする。「それで、ここでやる?」と涼香ちゃんが尋ねると、茉莉は顔を真っ赤にして慌て始めた。
「やっ、やらない! うん! 移動しよっか! うん!」
急いで立ち上がり、彼女は涼香ちゃんの手を引き歩き始めた。
「自分で歩ける。引っ張らないで、ちょっと痛い……」
涼香ちゃんがそう言うが、頭の中がいっぱいいっぱいなのだろう、茉莉はそのまま引っ張り続け、部屋から出ていった。
ふたりが出ていったのとほぼ同時、洗い物を終えた絢香さんがキッチンから戻ってきた。
「さて、次はなにをしたらいいでしょうか!」
やる気まんまんといったところだろうか。なんでもしますよ、言いつけてください! と、彼女は期待に満ちた表情で声をかけてくれる。
「いや、特に何かやるべきことがあるわけじゃないから大丈夫だよ」
俺がそう言うと、どうしてだろうか彼女はとても悲しそうな表情をする。
「そ、そんな。それじゃあ私はどうすれば……」
「いや、普通にくつろいでおけばいいんじゃないかな?」
実際、他のふたりはそうしてるわけだし。
そもそも今までは俺がひとりでこの家で過ごしていたので、もとより家事などほとんどあってないようなものだった。
「でも……」
「本職のメイドさんだって、別にずっと働き続けてるわけじゃないから大丈夫だって」
たぶん。詳しく知ってるわけじゃないから実際どうなのかは知らないが。
「そうだ、ならちょっと俺と話そうよ。ほら、朝は話せなかったし」
悲しげに俯いていた彼女に、俺はそう提案する。
ちょうどいい、これについてはちゃんと話しておかないと、俺の学校生活が詰みかねない。
「とりあえず、ソファに座って。お茶か、それか他の飲み物もあるけど、なにがいい?」
「お茶で大丈夫です――って、それは私の仕事です!」
一瞬俺に言われたとおりに座りかけた絢香さんが、慌てて立ち上がり、キッチンへと向かった。
パタパタと小走りで走って行き――、
ツルッ!
「きゃふんっ!」
「大丈夫!?」
盛大に滑ってコケた絢香さんに、急いで駆け寄った。
起き上がった彼女は「あははー、大丈夫ですよ」と言いながら、恥ずかしそうに人差し指で頬をポリポリと掻いた。
大丈夫とはいうが、打った所が少しだけ赤らんでいる。痕になったりしなかったらいいけど。
やっぱり俺が用意するよと言ったが、彼女は「大丈夫です」と言って譲らなかった。
そのまま立ち上がり、パンパンと服を払って「それじゃ、用意してきますね」と言って彼女はキッチンへと向かかう。
見送った俺は、キッチンに背を向ける形でイスに座った。……正しく言うなら、キッチンに顔を向けないように。
なんでもできそうな雰囲気を纏っていて、しかしその実けっこうなポンコツで。
学校の誰も知らない彼女のそんな一面が、とてもかわいく感じて。
そしてそれを俺だけが知っていて。
そんなことを考えると、顔が熱くなってしまった。……とにかく、彼女が帰ってくるまでになんとか落ち着けてしまわないと。
しかしどうして、考えないようにすればするほど、思い出されて顔が熱くなってしまうのだった。