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#44 雰囲気に飲まれて

 真っ暗闇の中で。ピッタリと横並びにつけられた布団のせいもあってか、隣からは美琴さんの呼吸の音がしっかりと聞こえてくる。

 せめてもの抵抗、……抵抗? として、美琴さんとは反対の方に身体を向けることによって、彼女の存在を出来る限り意識しないようにと思っていたのだが。

 当然ではあるが、背面になったところで彼女の存在を今の俺から排除することなどできず、結果としてはむしろ今、美琴さんがこちらを向いているのかどうかと言うようなことが気になってしまう、という。わかりやすく、裏目に出てしまっていた。


 振り返って、確認はしたい。けれど、もしそれで美琴さんが起きていて、こっちを向いていたとき。

 美琴さんの方を向いた俺は、もちろん彼女と目を合わせることになり。余計に意識をしてしまうことだろう。

 なんなら、そういうことを考えてしまうだけ。つまりは、今だって。


 トットットットッ、鼓動が少し強まり、そして速まる。

 速まるだけなら俺が眠りにくいだけなのでよいのだが。しかし、強まるのは困る。少しの呼吸音が聞こえているこの状況。下手をすれば心拍音まで聞こえてしまいかねない。


 スルッ、スルスルッ。布擦れの音。俺が動いたわけではないので、美琴さんが寝返りでもうったのだろうか。

 詳細を確認したい気持ちと、それを恥ずかしいと思う気持ちとに板挟みにされていると。どうやら、先程の布擦れの音は寝返り由来ではないことがわかった。

 トン、トン。音をたてないようにと、慎重に歩く音。

 美琴さんが立ったのだろう。トイレか、あるいは水を飲もうとしてか。


 しかし、不思議なことに。足音はトイレや蛇口のある方へとは向かわなかった。その逆側へと数歩進んだかと思えば、その場で動かなくなった。

 どうしたのだろうか、と。さすがにここまで来て、板挟みだった俺の気持ちも、確認したいという気持ちが競り勝ち始め。振り返ろうかとしたその時。


「……ちょっとの間、こっち見ないでね?」


 ドキリ、と。まるで今の気持ちを見透かされていたかのような、完璧なタイミングで。彼女にそう伝えられて。

 しかし実際には振り返ろうとしたわけではなく、俺がなにかしらの音を立てたわけでもない。この暗がりの中で俺の動きが彼女から見えていたとも思いにくい。だから、この牽制は本当にたまたまあのタイミングだったというわけなのだが。

 ……それにしては心臓に悪すぎる。


 スルッ、シュッ、トサ。

 スルッ、スルスル、トサ。

 ただただひたすらに音だけが聞こえてきて。だというのに。いや、むしろ音だけだからこそ、想像が掻き立てられて、ドキドキと彼女を意識してしまう。


「本当にこっち見なかったね。寝てるのかな。それとも――」


 しばらくして、音が鳴り止んで。「もういいよ」と。

 美琴さんがそう語りかけてくる。


「……別に見てくれても良かったけど、でも、こっちのほうが裕太くんらしいね」


 少しいたずらっぽくつぶやく美琴さん。

 トン、トンと。静かな足音がこちらに近づいてきて。


 不意に、俺の布団がめくられる。


「……あの、美琴さん。布団間違えてますよ?」


「あっ、やっぱり起きてたのね。あと、安心して? 布団は間違えてないから」


 この状況で間違えていないと言われても、なにも安心できないのですが。

 要領を得ない美琴さんの返答に俺は気持ちを悶々とさせていると、ぴとり、と。俺の身体に柔らかな感覚が触れてくる。

 どう考えてもこれまでの情報だけでこれがなんなのかということは明白なはずなのに、どうしてか俺の頭はこれがなんなのかを理解するのに数秒を要した。


「美琴さん、なに入ってきてるんで――」


「あっ、やっとこっち向いてくれた」


 身体に触れた感覚は人肌のそれ。つまり、美琴さんが俺の布団の中に侵入してきたということ。

 さすがにいろいろと心構えができていない状況でそれはキツイ、と。彼女を追い出そうとして振り返って。


 目の前の光景に、思わず絶句した。

 同時、まるで金縛りにあったかのようにその場に釘付けになった。


 頭上には、見慣れたホワイトブリム。しかし視線を下げると、肩なんかはすっかりと出ていて。

 この容姿には見覚えがあった。美琴さんがいつか着用していた、ビキニメイド服だ。


「もっ……てきていたんですね」


 なんとか捻り出した言葉はそれで。いいや、それ以外の言葉も出てきはしていたのだが、それを口に出してしまっては、今の俺の気持ちが。……どちらかといえば劣情側に振り切れている、そんな考えが漏れ出してしまいそうで。


「い、いちおうね。ただ、前も言ったように水に入るための素材で作ったわけじゃなかったから、結局海では使えなかったけど」


 なんとか、やっとの思いで身体を動かせるようになり。慌てて反対側を向く。

 いけない。このまま彼女と向き合い続けては、本当によくない気に触れてしまいそうで。


 しかし、反対を向いた俺に。彼女はススッと近づいてきて。ピトリと、そのまま身体をくっつけてくる。


 理性としては、やめてほしいというそればかりなのだが。本能がどこか、喜んでしまっている今の現状があって。

 どうにか自分を律しようと。頭を、頭をひたすらに回す。


「ねえ、裕太くん。この服、嫌い?」


 まるで悪魔の囁きのように、美琴さんの言葉が耳をくすぐる。

 それはとても心地の良い語りかけで。しかし、その先に踏み込んではいけないような、魔性を秘めていた。


 これに触れれば、楽になるだろう。

 ――けれど、


「……たぶんですけど。俺も、美琴さんも。今の特殊な空気に飲まれてるんです」


 ふたりっきり。現実からの逃避行。いつものみんながいない状況で、たったふたりで同じ部屋でお泊り。

 夜の海岸。月明かりだけがある浜辺で、ふたりで並んで線香花火。

 そんな特殊な雰囲気が、俺たちに錯覚をもたらしている。さほど美味しくない焼きそばでも、海の家のものがやたら美味しく感じるように。


「つまり、普段の私にはさほど魅力もない、と?」


「違っ、そういうわけでは――ッ!」


 慌てて訂正しようと彼女の方を向き、そういえばそうだった、と。顔を真っ赤にして元に戻る。

 美琴さんは「ふふっ、知ってる」と。ほんの少し面白そうに、クスリと笑っていた。


「ただ、今の状況については。今、美琴さんが行ってるその行為については。きっと、空気に飲まれてしまってるが故のものだと、そう思うんです」


 良くも悪くも、美琴さんらしくない。というような。

 どちらかといえば。なにかしらが必要というときには、それに向かって真っ直ぐに進んでいくような人だ。しかし、今の美琴さんの行動には、普段では見られない戸惑いが見え隠れしている。


「だから――」


 俺の視界からは、見えなかった。しかし、同じ布団の中にいるからか、動きの機微や、気配でわかる。

 美琴さんの方も、なんとなく察したのだろう。だから、俺を引き止めようと、その身体を掴もうとした。

 しかし、俺のほうが一歩先だった。そのままスルリと布団から抜け出して、サッと立ち上がる。


「一旦、頭を落ち着けましょう。美琴さんも、俺も」


 その時間が、必要です。と、俺はそう伝えると、ガチャッと部屋から出る。


 扉を閉めてしまってから、背中を預ける。

 ここまでやってきて、身体から力が抜けて。スルスルッと、その場に座り込んでしまう。


「……はあ、くっそ」


 ぼやくように、そう吐き捨てる。

 美琴さんに伝えた言葉、その全てが自分に返ってきていて。

 いったいお前はなにを高説してやがるんだと。自分自身をぶん殴りたくなる。


「――ッ!」


 最後に見えた、美琴さんの表情。

 まるで恐れていたなにかに遭遇したかのように、怯え、今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情。


 仮にも自分に好意を寄せてくれており、空気感に乗せられたという可能性を否定できないとはいえ、その気持ちを伝えてくれた相手に、そんな表情をさせてしまうだなんて。


「ほんっとうに、クソ野郎だな」


 自分に向けたそんな言葉は、誰に聞かれるわけもなく。そのまま闇に溶けていった。






 部屋にひとり残されて、自分の行動が改めて認識として振りかかってくる。


「――ッ!」


 言葉にならないほどの恥ずかしさがこみ上げてきて、よくもまあさっきまでの私はこんなことをできていたなと、むしろ尊敬の念を抱く。


「本当の私の意思じゃなく、空気感に飲まれている、か」


 その言葉には、納得するものはあった。と、いうか。今さっきの自分の行動を恥じたのがその最たる例だろう。

 裕太くんの必死の自制と抵抗、そして彼の説得に助けられた、と思いつつ。しかし、あのまま行っていれば、なんて。そんな邪な妄想もしてしまう。


「……いや、ダメだね」


 妄想を膨らませかけて。しかし、そこでやめてしまう。

 これは、だめなものだ。少なくとも、今は。

 さっきまでの行動も、ダメだ。少なくとも、今は。


 改めて、今の状況を確認する。


 絢香ちゃんは、間違いなく裕太くんのことが好き。そもそものことの発端であると同時に、涼香ちゃんの「お姉ちゃんは裕太さんが好き」という旨の言葉を否定していない時点でほぼ公言している。

 茉莉ちゃんも、裕太くんのことが好きだろう。本人からそういった趣旨の発言はされていないが、あの様子を見る限りではそれで間違いないだろう。

 涼香ちゃんは、果たしてどうだろう。絢香ちゃんのサポートのためにきているともとれる彼女だが、しかし衣服争奪戦を提案し、最初に乗っかったのは涼香ちゃんだ。


「……うん。まだ、だ。裕太くんに返答を求めるには、早すぎる」


 涼香ちゃんは一旦除外、絢香ちゃんからは半ば公言として伝わっているから、まだギリギリセーフとして。茉莉ちゃんがまだ気持ちを伝えていない。そんな状況下で裕太くんに告白の返答を迫るのは不公平だろう。


 自身の服装、そして割と大きさには自信のある胸を見ながら。このまま押しきれば、もしかしたらがあったのかな? という、不埒な考えを振り払う。


 それにしても、改めて振り返ってみると。……本当に彼にはひどいことをしてしまった。


「本当は、絢香ちゃんのご両親に挨拶に行く予定だったのにね……」


 聞いたところによると、絢香ちゃんから両親には友達を連れて行くとしか伝えていなかったらしく、裕太くんとの約束については、すんなり日取りを改めることができるとのことだったが。

 裕太くんからしてみれば、ただでさえそのことについて気がかりで仕方がないところに、私からの告白という別の問題も振りかかってきたわけで。


「……絢香ちゃんにも、悪いことをしたな」


 これは、裕太くんに約束を破らせたことではない。もちろん、それも悪いとは思っているが。


 なによりも彼女にとって酷な行為を働いたなと感じたのは、今日が誕生日ということだ。

 なにより、私や茉莉ちゃん、雨森ちゃんに関しては彼女にプレゼントを渡していたが、裕太くんはまだだ。


 裕太くんのプレゼントは、おそらくパーティの場で渡される予定だったもので。そして、ここに裕太くんがいる以上、それが彼女の誕生日のうちに渡されることはない。


 ものすごく、楽しみにしていただろうに。


 裕太くんに指摘をされ、冷静になり、飲まれていた空気から脱却した今になって。やっと、今回のことの展望が見えてきて。

 自分のやらかした事柄に、申し訳なさや恥ずかしさ、様々な感情が綯交ぜになって浮かび上がってくる。


「帰ったら、みんなに謝らないとね」


 特に、裕太くんと、絢香ちゃんに。


 だというのに、不思議なことに。想像できる未来には、茉莉ちゃんの前で正座している私と裕太くんがいるのだから、不思議なものだ。

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