#41 反対方向に向けて
「うー、もっと遊びたかった」
「仕方ないだろ。ここから帰るとなると、さすがに時間もかかるわけだし、絢香さんと涼香ちゃんはこの後に用事があるんだから」
まだ遊んでいたいとゴネる直樹に、俺はため息をつきながらそう窘める。
都合男子の人数もあり、俺と直樹とは交代でしか遊ぶことができなかったので、それもあって彼にとっては物足りなかったのだろう。
……まあ、まだ引きずるようであればまた別で直樹とこればいいだろう。
「あっ、みんな電車きたよー!」
美琴さんが手を振りながら、みんなに呼びかける。
すでに電車に乗り込んで、こっちこっち、と。
思ったよりも電車が早く来たな、と感じつつも。なんだかんだで海で遊びまくったこともあり、身体が疲れている。
見たところ、電車の座席も空いていることだし、都合良く座れるだろうか。
駅のホームに、電車の出発メロディが流れ始める。
「……うん? 早くない?」
たしか、帰りの電車は5分後に出発。今このメロディが鳴るのは、おかしい。
まさか……、
「しまった、これじゃない!」
ハッと顔を上げてみると、乗り場を挟んで逆側に電車が1編成到着する。
その電車の行き先こそ、自分たちの帰路。この駅は乗り場がひとつで、両側でのぼりとくだりが別れている。
つまり、この電車は逆方向行き。
慌ててそれぞれ電車から降りる、が。座っていた俺と美琴さんの動き出しが遅れてしまう。
プシュー、と。空気の音がして。残酷にも扉が目の前で閉じられる。
「あっ……」
窓ガラス越しに、絢香さんたちの心配そうな顔が見え、そのまま横に流れていってしまう。
「その……ごめん……」
「いえ、ちゃんと確認しなかった俺も悪いので」
美琴さんが、とてつもなくバツが悪そうな顔で謝ってくる。
とりあえずは彼女らに連絡しなくては。
メッセージアプリで俺たちのことは気にせずに、先に帰ってもらうように伝えた。『待ちますよ!』という返事もありはしたのだが、特に絢香さんや涼香ちゃんはあんまり遅くに帰らせてしまうと、家族の方にも迷惑がかかることだろうということで、なんとか説得して帰ってもらうことにした。
「しかし、どうしたものか……」
問題は、俺が逆向きの電車に乗ってしまったことだろう。多少の時間的猶予を持たせてスケジュールを組んでいたとはいえ、こうなってしまっては俺が絢香さんの誕生日パーティーに遅刻せずに参加するというのは絶望的だろう。
ひとまず、絢香さんには謝罪の言葉を送っておき、可能な限り早くに向かうことにしよう。
彼女の家の場所は知らないが、住所などを教えてもらえれば、それでなんとか。
「……とりあえず、座ろっか」
運の悪いことに、乗った電車が各駅停車じゃなかったため、次の駅までしばらく時間がある。
焦る気持ちももちろんあるが、やはり疲れがあるのもそのとおりで。
美琴さんの言葉に従って、俺は彼女の隣に腰を掛けた。
「本当にごめんね。たしか、今日だったよね……」
美琴さんが言っているのは、絢香さんとの約束のことだ。直樹や雨森さんには伝えていないが、さすがに茉莉や美琴さんには共有していたため、当然彼女も今日の予定のことを知っている。
「まあ、こうなった以上仕方がないですよ。とにかく、できる限り早くに向かうしか」
「……そう、だね」
どうしてか、返事にひと呼吸のラグがあったが、彼女はそう返してくれる。
シン、と。沈黙が流れる。
なんとも言い難い、絶妙に気まずい空気の中。ガタン、ゴトン、と、列車の音だけが流れる。
「…………」
マズい。随分と海ではしゃいだもので、若干の眠気が現れてくる。
会話が無いこともその眠気を更に加速させ、だんだんと思考が鈍ってくる。
「大丈夫?」
俺の首がカクカクと動いていたことに気づいたのか、美琴さんが声を掛けてくれる。
「大丈夫……ではありますが、ちょっと、眠いですね……」
「えっ……と、次の駅についたら起こすから、ちょっとの間だけでも寝ておく?」
その提案に、少し彼女への申し訳なさを感じないでもなかったが、「この後に絢香ちゃんのところに行くんでしょう!」と、そう言われてしまい、そのための体力を温存するためにもと、押し切られてしまった。
「私だって裕太くんのメイドなんだから、こういうときくらいは頼ってくれていいんだよ」
と。その言葉を聞いて、それならばお願いします、と。
そう伝えて、俺は意識を手放した。
トン、と。肩に重みが寄りかかってくる。
裕太くんが眠ってしまったようだった。言ってすぐに寝てしまったあたり、相当に疲れていたのだろう。
「ただ、本当にちょっとだけ、なんだよね……」
各駅停車ではないにせよ、乗った電車はそんなに広い間隔で止まるわけじゃない。
数分もすれば、次の駅が来てしまう。
数分もすれば、この時間も終わってしまう。
「そういえば、この前とは逆の状態だね」
彼には聞こえはしていないだろうが、そっとそんなことを囁いてみる。
以前彼に送り届けてもらったときには、不覚にも私が眠ってしまったが、今回は彼がそっち側だ。
役得役得、と。寝顔を鑑賞させてもらうことにしよう。
「…………」
顔に、熱いものが込み上げてきて。数秒と経たず、私は視線をそらしてしまう。
私がひとりでそんなバカなことをしていると、車内アナウンスが流れてくる。
ああ、もうすぐついてしまう。この時間が、終わってしまう。
正しく言うのであれば、ここから折り返しの電車でも同じく一緒に乗りはするので、決してまだ終わりではないはずなのだけれども。
どうしてだろうか。なぜか、違う、と。そう感じてしまう。
「……もし、このまま起こさずに。そのまま乗り続けてしまえば」
この時間を続けることができるだろうか。
不意に、そんなことを考えてしまう。
ダメだ、ダメだ、と。首を振ってみるものの、一度湧いたその考えが、どうしてか振り払うことができない。
電車は次第に減速を始め、ついには停車する。
声を掛けなきゃ、起こさなきゃ。
プシュー、と。扉が開かれる。
早く……起こさなきゃ。……早く。
プシュー、と。扉が閉じられる。
自分のしでかしたそのことに、自分自身が信じられなくなりながらも。同時に、そうするに至った自分の想いに気づく。
彼と一緒の電車にいる、この時間が惜しいんじゃない。
みんなとは真逆の方向に行っている。今だけは、私が独占できている。その事実が、惜しいんだ。
折り返しの電車でも、私と彼は一緒だ。けれど、彼の意識は絢香ちゃんに向かってしまう。
それが、この上なく、嫌なんだ。
怒られるだろうなあ。裕太くんにも。それから、みんなにも。
特に、茉莉ちゃんなんかはすごく怒りそう。
けれど、自分の行動を受け入れてしまった以上。筋は通すべきだろう。
未だスヤスヤと眠っている彼を横目に見つつ、メッセージアプリを起動して、絢香ちゃんにメッセージを送る。
『今日、裕太くんと先約があったのは知ってる』
送ったそのメッセージに、即座に既読がつく。おそらくは、裕太くんからのメッセージを待っていたのだろう。この後どうするかといった話をするために。
返信は、来ない。当然だ。彼女からしてみれば、突然そんなメッセージを振られてしまい、意味不明で混乱していることだろう。
『身勝手なのはわかってる。こんな道理がまともじゃないこともわかってる。でも、お願いがあるの』
トットットットッ、と。心臓の音が加速する。これを伝えるということの意味を理解しつつ、しかし、それを止めることなど、今の私にはできなかった。
『――――』
送った。送ってしまった。
さて、なんて言われることだろうか。
どんな言葉でも受け入れるつもりだ。なにせ、今回の件については間違いなく私が悪い。絢香ちゃんからしてみれば、文句のひとつやふたつ。いや、そんなレベルではないだろう。言いたいことがたくさんあるはずだ。
だというのに、
『わかりました』
返ってきたのは、そんな素直な肯定。ただ、それだけ。
ズキリ、と、心臓が痛くなる。文句のひとつでも言ってくれれば、もう少しマシだったろうに。
自分はこんなにも純粋な子に、不義理を働いてしまったのかと思うと。自己嫌悪が膨れ上がる。
『ありがとう、ごめんね』
短く、シンプルに。……あるいは、それ以外に伝え方がわからず。私は彼女にそう送った。
既読はついたものの、それ以上の返信はなく。私はスマホをポケットにしまった。
再び、電車が減速し、停車。
扉が開くが。……当然、私は彼に声をかけず。扉が閉まり、電車は再び動き始めた。
「ごめんね? 悪いお姉さんで」
眠っている裕太くんの頭を撫でながら、私はそう謝った。
まだ重たい瞼をなんとか持ち上げる。
「あっ、おはよう。裕太くん」
「……あ、すみません。肩」
どうやら眠ってしまったように、彼女に寄りかかってしまっていたようで。美琴さんは「大丈夫大丈夫」と、そう言いながら。
「そんなことよりも……ごめんね?」
と。なぜか、彼女のほうが謝ってきた。
理解できないままに体勢を整え、ぼんやりとする視界がだんだんとハッキリしてきて――、
「えっ!?」
美琴さんの言葉の意味を理解する。
「今、何時ですか!? と、いうかここは!?」
「えーっと、あはは……」
美琴さんは俺から視線をそらしながら、頬を指で掻いていた。
「その、ごめんね? 起こすの、忘れちゃった」
タラリと、冷や汗が流れる。慌ててスマホで時間を確認してみると……そろそろ18時半になろうかという頃合い。
通知欄には、内容はわからずとも、いくつものメッセージが届いていることがわかる。
「と、とにかく戻らなきゃ――」
「待ってっ!」
パシッ、と。立ち上がり、ドアに向かおうとする俺を、美琴さんが引き止める。
「その、なんていうか。……言葉にするのも難しいんだけどさ」
なにか、ものすごく言い出しにくいことがあるような、そんな様子で。モジモジとしながら、美琴さんが言葉を紡ぐ。
「もう少し、私と一緒に遊んでくれないかな……」
消え入りそうなそんな小さな言葉で。しかし、はっきりと。
こちらを見つめるその眼差しは、たしかに真剣なもので。
「でも、俺、絢香さんのところに――」
「わかってる。……それについては、大丈夫。筋は、通したから」
「えっ?」
次の駅はまだだから、と。とりあえず一旦座るように促され、一度着席してからスマホを取り出す。
……主に茉莉から大量に届いているメッセージをとりあえずスルーしつつ、絢香さんから届いているものを確認すると、『美琴さんから事情を聞きました。今日の件はまた日を改めてということで大丈夫ですので』と。
なるほど、筋というのはそういうことか、と。そう理解しつつも、申し訳ないことをしてしまったな、と。
俺が訪問する都合上、追加で準備を行っていたことだろうし。
改めて彼女に謝罪の言葉を送信してから、美琴さんへと向き直す。
「とりあえず、ある程度状況は理解しました。……それで、なにか言うことはありますか?」
「えっと……その……」
美琴さんは、そらでなにかを考える様子を見せつつも、キュッと目を瞑って、
「ごめんなさい!」
と。申し訳なさそうに、そう頭を下げていた。
「……まあ、言いたいことはいろいろありますけど、とりあえず、降りましょうか」
ところでここはどこなんですか? と、純粋に思ったことを聞いてみると。……俺が目を覚ました直後みたく、彼女は再び視線をそらした。
「うーんとね、……わかんない」
「はい?」
聞けば、なにか計画して行ったわけではなく、突発的に起こした行動らしく。
ついでに、なにも考えずにそのまま電車に乗っていたため、現在位置がどこか把握できていないとのこと。
「……とにもかくにも、次の駅で降りましょうか」
「うっ、うん! そうしよう!」
俺の提案に、美琴さんは関節が外れるんじゃないかと心配になるくらいに、首をブンブンと縦に振っていた。