#40 口止め料それでいいの?
「うう……酷い目に遭った……」
肩に浮き輪を掛けながら、美琴さんが珍しくしおらしい様子でトボトボと歩いていた。
「裕太くんに恥ずかしいところ見られちゃったよ……もうお嫁に行けないよ……」
「いや、大丈夫ですよ。ほぼ見えてないんで」
実際、振り向いた瞬間に海水を掛けられ、目がまともに戻った頃には彼女はズポンと、身体を海中に隠していたため、ほぼなにも見えていないに等しい。
フォローするつもりでそう言ったのだが、どうやら美琴さんにとってはその反応は不服だったようで、「そうじゃないでしょー!」と、ポカポカ殴ってきた。
「そ、こ、は! 俺が貰ってあげますから、でしょーが!」
「そんな気障ったらしいこと言えるわけないでしょうが! そもそもそんな責任負えませんよ!」
「責任くらい負えー! 見たくせにー!」
「見てないですから! 見てないですから!」
なんとも理不尽な怒りを向けられていると、呆れた様子の涼香ちゃんが大きくため息をついていた。
「……裕太さんの前で美琴さんが脱いじゃったって伝えたら、面白そうかな」
「サラッとえげつないこと言わないで!?」
ジトッとした視線をこちらに送りながら、彼女はそんなことをつぶやいた。……えっ、冗談だよね?
「嘘はついてない」
「うん、嘘は言ってないけど、間違いなくめんどくさいことになるよね? それ」
「不慮の事故の結果だし、やましいことはなにもないのだから弁解もできるはず。なにも問題はない」
おそらくは自分が放置されたままで俺と美琴さんが言い合いをしているのを面白く思わなかったからなのだろうが、それにしても程度がやりすぎである。
あと、仮にそれが伝わると絢香さんが手段を選ばなくなりそうだから本当にやめてほしい。茉莉は茉莉で弁明を聞かずに詰めてくるだろうし。
「別に言わないであげてもいいけど、私にとっては黙ることのメリットがないなあ」
「……うん?」
「別に黙っていてもいいけど、そうする理由が私にはないなあって」
……なるほど、そういうことか。
美琴さんに目配せをしてみると、どうやら彼女も察したらしく。ふたりして、仕方ないかと、頷いていた。
「なにが、欲しいんだ?」
「別に。なにかが欲しいってわけじゃないけど、でも、なんとなくかき氷が食べたいなーとは、思ったかな。……あ、練乳の掛かってるやつ」
口止め料は思ったよりも安かった。そのくらいなら、素直に欲しいと言えばよかったのに。
とりあえず、今は持ち合わせがないので。荷物置き場に戻ってから買ってあげるという約束で、その場は収まった。
「ふっふふーん、ふっふふーん」
かき氷の確約を手に入れた涼香ちゃんは、先程までのちょっと不満そうな様子から一変、楽しげな様子で砂浜を歩き始めた。
……ずっとこの調子なら、かわいいもんなんだけどなあ。
荷物置き場についてから、財布を取り出して海の家でかき氷を購入してくる。イチゴシロップと練乳をかけてもらったもの。
戻ってそれを涼香ちゃんに渡す頃には若干溶けていたが、彼女はそんなことは気にせずに喜んでくれていた。
涼香ちゃんが買ってあげたかき氷を満足そうに食べていると、いつの間にか、絢香さんが近づいてきていた。
「ありがとうございます、裕太さん。涼香にかき氷を買ってあげてくれたらしいですね」
「えっ? ああ、大丈夫だよ。ちょっとした穴埋めみたいなものだから」
「穴埋め?」
絢香さんの疑問に、俺が思ったよりも早く疲れてしまったために、早々に帰ってくることになったから、その代わりにと買ってあげたと説明した。
まあ、当然嘘ではあるのだが、誤魔化すために共通してそのように口裏を合わせることにしておいた。実際疲れていたのは事実だし。
「そうなんですね。……でしたら、あまりお誘いするのはよくないでしょうか」
「ん? 別に軽く休憩はできたから構わないけど、どうしたの?」
「いえ、せっかく裕太さんと一緒に来たのに、海の家に買い出しに行っただけで、一緒に遊べていないな、と」
そういえばたしかにそうか。他のメンバーとは多少なりとも遊んでいたが、絢香さんとは休憩がてらに話していたか、あるいは彼女の言うように買い出しに行ったっきりだった。
「よし、それじゃあ遊ぼうか」
「いいんですか? その、お疲れなのでは」
「大丈夫だよ。さっきも言ったように休憩なら軽くできたしね。……むしろ、なにをするかを思いついてないから、そっちのほうが問題な気はするけど」
パッと思いつきそうな遊びは、正直ひと通りやってしまったような気がする。
ビーチバレーは絢香さんこそやっていないが、涼香ちゃんを除く他のメンバーはやってしまったし、スイカ割りは道具が揃っていないのでそもそも無理。
シンプルに海水浴は絢香さんは茉莉と一緒に、俺は美琴さんと涼香ちゃんと一緒についさっきまでやってきたところだ。
「……とりあえず、適当に散歩でもしながら考えるか?」
「そうですね」
それって結局、海の家に買い出しに行ったときとそう変わらないのでは? と。そんなことを思いもしたが、他によい対案も思いつかなかったので、その言葉は飲み込んでおいた。
「裕太め……帰ってきたと思ったらすぐ出ていきやがった……」
ビーチテントの影の下でパタパタと団扇を仰ぎながら、俺はそんなことをつぶやいていた。
「あの、別に私は大丈夫なので直樹くんが遊びたいなら遊んできてもらっても大丈夫ですよ?」
傍らで横になりながら休憩していた雨森さんが、申し訳なさそうにそう言っていた。
……しまった。変に気を使わせてしまったようだ。
「いや、雨森さんは気にしなくていいよ。俺がここにいるのは雨森さんが理由じゃなくって、全部裕太のせいだから」
「小川くんのせい?」
「そうそう。アイツが昼食のあと、俺がいいって言うまでここで休憩してろって、そう言ったんだよ」
たしかに昼食前はハチャメチャに疲れていたし、そのまま裕太と新井さんに色々と買ってきてもらったのは俺も悪いと思ってるけどさ? けど、それとこれとは話が別じゃん? 体力は十分回復してるんだけどなぁ。
パタパタと団扇で雨森さんを仰いてあげると、彼女は気持ちが良さそうにふにゃあと頬を緩め、目を細める。
「直樹くんって、小川くんの言うことなら素直に聞くんですね」
「まあな。……って、裕太の言うことならってどういう意味だよ」
たしかに先生の言うこととかは無視すること多いけど。廊下は結構走ってるし。
そんなことを思っていると、彼女はフフッと笑い、言葉を続けた。
「別に他意はないですよ。ただ、本当は遊びに行きたいのに、小川くんがダメって言うだけでそれに従ってるのが、ちょっと不思議で」
「まあ、アイツは賢いからな」
「賢い? ……たしかに、そういえば成績もいいほうなんでしたっけ」
「あっはっはっはっ! たしかに成績もいいが、今回の意味はそれとは別だな」
俺が大きく笑うと、彼女がちょっとビクッとびっくりしていた。……ごめん。
「アイツは、まあ、よく盤面を見るんだよ。細かいところまで、しっかりと見て、気を配れる。将棋とかしてみるとよくわかるぞ。まあ、俺はバカだから余計に勝てないんだがな!」
そう言うと、雨森さんは「それはたしかにそうかも」と、同意をしてくれる。聞けば、たまたまショッピングモールで出会ったときも、いろいろと気を使ってくれたり、細かなところまで気にしてくれたりしたそうだ。
アイツ、俺に対していろいろな人に気をかけているといつか刺されるぞと言う割には、裕太自身も結構やることやってるじゃねえか。……まあ、それが裕太らしいといえば裕太らしいのだが。
とにかく、俺自身がバカだという自覚があり。しかし、裕太がそういう広い視点をを持っているということを知っている。で、あるならば。
「裕太の言うことには、きっと理由があることだろうし。あるいは、誰かしらのためにすることだろう」
それが、いったいどんなことのために行われていて、結果としてどんなことを引き起こすのかはわからないが。しかし、俺が下手に考えてやるよりかは、きっと確実なはずだ。
「すごく、信頼をしているんですね。もしかしたら、自分が利用されているとか、そういうことは思わないんですか?」
「裕太が、か? ないない。あいつに限ってそれはないよ」
裕太が、俺に限って「ナンパ目的で周りを観察しているはずがない」と、言うように。
裕太が言うことが、俺を意図的に「裕太自身のために利用」することは、ない。
「仮にそういうように使われたとしても。それはアイツを信頼した俺の責任かなあ。まあ、それくらいにはアイツのことは信頼してるよ」
「すごく、信用してるんですね」
そりゃ、親友だからな! ……と、胸を張って言いたい所はあるんだが。残念ながらこれに関しては他の理由が存在する。
手近に置いてあったスポーツドリンクをあおる。……しばらく外に置いていたから、若干温い。
「あとはまあ……いや、これは不用意に言うべきことじゃないな。すまん」
ふと、口を突きかけた言葉をぐっと飲み込む。雨森さんがコクリと首を傾げるが、まあ、そうだよな。
「いやあ、これに関しては茉莉から口止めを食らっていてな。……その、なんだ。あんまり他に言うなと言われているんだ」
「なるほど、それなら仕方ないですね」
納得してくれたようで、よかった。
ホッと胸をなでおろしながら、理解してくれたお礼にと、さっきよりも一層強めに団扇で仰いであげる。
「まあ、そういう関係で詳しいことは言えないんだが、裕太はいいやつだ。だから、俺はアイツの言葉は信じてる」
そう言うと、彼女はふんふんと言いながら、頷いてくれていた。
そうして、しばらくしてから、そういえば。と、彼女が口を開いた。
「直樹くんって、たしか彼女が欲しいって公言してましたよね?」
「おう。してるぞ」
「……でも、結構モテてますよね?」
「それについて、自分で言うのは嫌なんだが」
「そこそこの人数から、告白されてますよね?」
「……はい」
地味に突かれたくないところをツッコまれ、思わず苦い顔をしてしまう。
きっとこのあとに続く言葉は、さすがの俺でもわかる。幾度となく、聞かされたことがある言葉だから。
「なんでですか?」
「なんでだろうなあ」
だからそこ、対応も決まっていた。あははー、と。適当に受け流すように、笑って誤魔化す。
しかし、雨森さんは流れてくれなかった。と、いうよりかは、ちょうど取っ掛かりがあって。そこに捕まることができた。
「小川くんから、しないほうがいいって、言われたんですか?」
「……それは、違うよ」
裕太からは、なにも言われていない。俺が彼女を作らないのは、全く別の理由。
でも、けれど。……これくらいならいいかな?
「ただ、俺が彼女を作らないのは、裕太が関連はしてるかな?」
「……?」
意味がわからない、といった様子で。雨森さんは眉をひそめた。
うん、そうだろうね。仮に同じことを言われたら俺もそうなる自信がある。
「そうだなあ。もし、もしだけども」
裕太に彼女ができたなら、俺も彼女を作るかもしれないな。と、
「……なんで、小川くんに彼女ができたら作るんですか?」
「さて、なんでだろうね」
「むむむ……」
飄々とした俺の言い回しに、ハッキリとしてほしそうな雨森さんの表情。
でも、ごめんね? これも、さっきと同じ理由なんだよ。……不用意には、言えないんだ。
「はっ、もしかして小川くんの彼女を略奪……小川くんが選んだ人ならば安心だと……」
「違うよ!?」
危うく不名誉な印象が付きかけて、俺は慌てて訂正をした。