#4 ところで昼ごはんはまだですか
「聞きたいことは山ほどあるんだけど、とりあえずひとついいかしら」
始業式は午前で終わり、早々に帰宅。
自宅のリビングにたどり着いた頃に、茉莉がそう口を開いた。
「なんでそのふたりが平然といるのよ!」
茉莉が声を荒らげるその先には、クエスチョンマークを浮かべた少女がふたり。
気持ちはわかる。とてもよくわかる。俺だって気が動転していないだけであって、めちゃくちゃに困惑してる。
「それはもちろん、従者ですので」
絶対そう言うと思った。
堂々と言い切る絢香さんとは対照的に、茉莉は頭を抱えて悩み始める。
「そもそものそれが意味わかんないのよ。今朝も聞いたけど、メイドとか従者とか」
「言葉そのままの意味です。私と涼香が、小川さんに仕えているんです」
「……余計に意味わかんない」
だろうね。当事者の俺ですらよくわかってないもん。
「あー、えっと、だな?」
俺がそう口を開くと、茉莉は助けてくれと言わんばかりに弱った表情でこっちを向いた。
このまま絢香さんと茉莉に話させ続けても意味がわからない以上の結果が見込めそうにない。とりあえず、昨晩までの出来事を順を追って説明する。
環状線での通り魔事件のときに助けたこと。その恩返しでメイドになりたいと昨晩やってきたこと。
それらを聞いた茉莉は、納得したような、やっぱり理解できないというような微妙な表情をする。
「……それじゃ、いちおうは裕太が絢香さんの命の恩人ってことなのよね?」
「まあ、そうなるらしい」
「ふーん」
茉莉の視線が痛い。軽蔑を含んだような、冷ややかな視線が注がれる。
「それで? 助けた女の子がご奉仕させてくださいーって言ってきたから鼻の下のばして受け入れたわけね。ふーん」
「なんかとんでもない偏見混じってないか!?」
主に俺の印象に悪影響を及ぼしそうだったので反論をしようとしたが「結論に違いはないでしょ!」という暴論……ですらないただのゴリ押しで通された。
「とはいえ、まだ理解できないのよね。たしかに命を助けられたわけだけど、それだけでメイドになろうだなんて思うかしら」
彼女の疑問に、俺は思わず目を逸らした。
茉莉にした説明には、昨晩のやり取りのほとんどを伝えた。だが、伏せていた点もなくはなかった。
俺たちのプライベートに関わる部分。例えば俺や絢香さんの性癖に関わる点についてのやり取りは伏せていた。
そして、絢香さんの「メイドになる」というのがあくまで建前であり、本当の目的は別であるということも、伏せていた。
理由は明白。言ったらめんどくさいことになりそうだったこと。そして、これはあくまで絢香さんの感情の話であり、他人が言いふらしていいものでもないと思ったから。
そう、思っていたのに――、
「まあ、お姉ちゃんがメイドになりたいってのはただの建前だからね」
そういえば、この場にいた。空気であるとか伏せておいたほうが丸く収まりそうとか、そういうことを完全に無視するタチの人間が。
しれっと特大の爆弾を放り投げてくる人間が!
「建前って?」
茉莉が涼香ちゃんの方を向き、首を傾げる。
「建前は建前。名目とか口実でもいい。要するに本当の目的は別にある」
なんのためらいもなく、涼香ちゃんはつらつらと言葉を並べていく。
当然こんな言い方をされれば気になってしまうのが性というものであって。
「一応聞いておきたいんだけど、その本当の目的って?」
茉莉がそう尋ねる。
俺は人差し指を立てて唇に当て、必死で「秘密にしておいてくれ!」とジェスチャーを送る。涼香ちゃんもそれに気づいたようで、目と目が合い、彼女はコクリと頷いた上で、
とんでもなく、悪い笑顔をその顔に浮かべた。
「まあ手っ取り早く言うなら、お姉ちゃんが裕太さんのこと好きだから、うまく取り入りたいってことだね」
「……はいっ!?」
突然の告白に思考がキャパオーバーしたようで、茉莉は目をまんまるに見開いたまま固まってしまった。
今、確信した。涼香ちゃんは空気を読めなかったわけでもなく、丸く収まる方法とわからなかったから俺が伏せようとしていたことを話したわけじゃない。
それが問題を引き起こす方向に向かうだろうということを理解した上で、あえてそれを引き起こしに行ってやがる。
「絢香さんが裕太のこと好きで、その絢香さんが裕太のメイドで、絢香さんはめちゃくちゃキレイで、絢香さんは昨日この家に泊まったわけで……」
茉莉は目の焦点が合わないまま、しかしなんとか状況を理解しようとひとつひとつ情報を整理しようとしていた。
「だから絢香さんは裕太のことが好きで、ふたりは同じ家の中で寝たわけで――」
ビクッ、と。茉莉は、突然通電したかのように身体を震わせたかと思うと、ものすごい剣幕で俺の方をにらみつけ、
「やったの!?」
「やってない!」
なにがとは言わないが。実際なにもやってないし。
「……それもそうか。裕太みたいなヘタレがそうそう自分から行動するなんてことないか」
「ヘタレで悪かったな」
これでもいちおう通り魔事件で絢香さんを助けたんだが。そう反論しようかとも思ったが、特にこと恋愛に関しては輪をかけてヘタレな自覚はあったので言うのをやめた。
「けどねぇ、裕太。さすがに高校生の男女が同じ家の中で過ごすってのはまずくない? その上なんかよくわかんない主従関係って。裕太も、絢香さんも。今の状況を親になんて説明するのよ」
絢香さんって、たしか財閥の令嬢でしょう? ならそういうのって特に厳しいんじゃ――。茉莉の言い分は最もだし、たぶんそれが一般論だと思う。けど、現実は思ったよりも奇妙なものらしくて。
「あー、それなんだが……」
「その点については大丈夫です。当然、ここに来る前に両親には裕太さんの家に行くことも、お仕えさせていただくことも許可を頂いてます」
俺がなんて言おうか迷っていると、絢香さんが先にパパっと説明してしまう。
「ちなみに俺の両親も許可してる……らしい。俺が直接聞いたわけじゃないんだが、事前に連絡してきたと聞かされた」
付け加えるように俺がそう伝えると、彼女は大きくため息をついて。
「呆れた。いったいなにがどうなってるのか、ほんっとわかったもんじゃない……」
そう言いながら、眉間あたりに指を当てて難しい顔をする。
「とりあえず、事実の確認をしたいんだけど」
絢香さんと涼香ちゃんが俺に仕えるメイドだということ。
その関係で昨晩からふたりがこの家に事実上住んでいること。
このことについて両方の両親が許可を出していること。
ここまでの話を大雑把にまとめた上で、それらが本当に正しいのかを再度聞かれる。
「合ってる。そのとおりだ」
「……狂ってるわ。どうかしてるんじゃないの、あなたたち」
それに関しては事実と状況があまりにもイカれすぎているのでなにも言い返せない。
「というか、親も親でなんでこんなこと許可してるのよ」
「絢香さんたちの親御さんがどうなのから知らないが、茉莉は知ってるだろ? 俺の両親」
「…………許可しそうね。裕太の両親。それもノッリノリで」
何度目かの大きなため息をついて、茉莉は肩を落とした。
「本当はもっと詰めときたいところなんだけど、なんていうかもう、疲れたからいいや。お腹すいたし」
たしかにそろそろ正午に近づいてきた頃だった。俺もそこそこにお腹が空いてきていた。
「まあ、マジで意味がわからないってのは今もそうなんだけど、とりあえず早急に対処しないといけないほどヤバい状況ってわけでもなさそうだし、いくら絢香さんが裕太に好意を寄せてるかもしれないにしても、当の裕太がヘタレなんだから間違いも起こ……らな…………い……」
「はいはい、どうせ俺は自分から女子に声をかけに行こうとかしないようなヘタレですよーだ」
茉莉のヘタレいじりに、どうせまた笑い飛ばされるのだろうと乗ってやったが、どうしてなぜか鼻で笑ってこない。
それどころか彼女は絢香さんのことをじっと見つめ、だんだんと顔色を悪くしていく。
「ね、ねえ絢香さん。確認なんだけどさ」
震えた声で茉莉が尋ねる。
「はい、なんでしょうか」
「その、さっき涼香ちゃんが言ってた、そのー……裕太のことが好きとかどうとかって、あったじゃん? その、なんていうかアレってさ…………本当なの?」
「はい、本当ですよ。小川くんが居る前で言うのは恥ずかしいですが、私は小川くんのことが好きです」
ハッキリとしたその返答に、茉莉は顔を真っ赤にする。
正直俺も顔が赤くなっている自覚がある。顔が熱い。
「そっ、それは友達的なとか、いやそれかメイドとしてとか! そういう意味とかじゃなくって?」
茉莉は随分とテンパっているようだった。その一方で絢香さんは落ち着いた様子で、言葉を返す。
「もちろん、異性として。恋愛感情として小川くんを慕っています」
「――――ッ!」
茉莉は顔を一層赤く染め、力が抜けたようにその場にペタリと座り込んでしまった。
「おい、茉莉! 大丈夫か?」
首がダラリと項垂れている彼女に近づいて声をかける、反応はない。再び声をかける、反応はない。
「おい、茉莉!?」
もう一度声をかけるが、返答はない。しかし今度は反応はあった。
「フ、フフフ……フフフフフ……」
突然、茉莉が小さく笑い出し、ゆっくりと身体を起こし始めた。
言っちゃ悪いが、結構不気味だ。
「フフフ……わかった。わかったわ……裕太」
「お、おう? なにがなんだかよくわからんが、なにか合点がいったのならよかった……のか?」
ユラリと立ち上がった彼女は、俺の方を向き、ビシッと指を差してくる。
「私も! あなたのメイドになってあげる!」
「…………は、今なんて言った?」
なんだろう。昨日といい今日といい、随分と耳の調子が悪いみたいだ。聞き間違いが多い。……聞き間違いであってほしいことが多い。
「こんなこと私に何回も言わせないでよ。私も裕太のメイドになってあげるって言ってるの!」
真っ赤な顔で宣言する茉莉のその言葉は、俺の聞き間違いが聞き間違いでなかったことを証明する言葉であり、
「はああああああああああ!?」
とてつもなく混沌とした生活の幕開けを告げるものだった。
「それじゃあ、私は食材の買い出しに行ってきますね」
絢香さんはそう言うと、ペコリと礼をしてから出ていった。
涼香ちゃんはソファに寝転んでゴロゴロしている。……いちおうあなたもメイドなんだよね? 別にいいけど。
「それで、なんでまた急にお前までメイドになるだなんて言い出したんだよ」
率直な疑問だった。なんでまた自身で狂ってるとまで言っていたような事をしようと思ったのか。
「それは! ……その、やっぱり絢香さんと涼香ちゃんが危ないかなーって。裕太がいるわけだし」
「お前さっきは俺のこと散々ヘタレ扱いしてたじゃねーか」
「うるさいなっ! やっぱり不安になったんだよ、急に!」
ウガーッと、威嚇するようにそう言ってくる。
しかしまあ、そりゃまた随分とお優しいことで。からかい半分でそう言うと、彼女は再び威嚇をしようかというような勢いでこちらを向いて。
かと思いきや、今度はそっぽを向いてボソボソと何かをつぶやき始めた。
「どっちかっていうと、裕太が襲われないか心配なんだけど……」
「今、なんて言ったんだ?」
「なんでもない、裕太には関係ない! ……私、一旦家に帰るから!」
そう言って、彼女はこちらを振り返らず、走り去っていこうとする。……まあ、家といっても隣なのだが。
「じゃ、じゃあまた後で」
こちらを向かず、出ていこうとする彼女に俺が声をかけようとしたとき。
俺の更に後ろから、声がした。
「そういえば、ちなみになんだけど。メイドさんなのは裕太さんの好みだよ」
「はいっ!?」
思わず素っ頓狂な声を出しながら、俺が振り返ってみるとニヤリと悪い笑顔の涼香ちゃん。
「ふーん、へー、そうなんだー」
あっ、やべっ。
「違う、誤解だ。違うんだ。違うんだって!」
いや、全く違うわけじゃないんだが。好みなのはそうなんだけど、俺が指定したり望んだりしたわけじゃないんだよ!
「じゃ、また後ほど。ご主人様」
「違うんだあああああ!」